第18話 しのぶれど
超常現象研究会はヨシダ、ナカムラ、マツモト、ホウジョウ、ミヤネ、タミヤの六人の男子と姫の望月鼎で構成される弱小サークルである。
創設者は前キャプテンのヨシダ。彼が1年生の時に立ち上げたが創設時のメンバーはすぐに辞めていき、存続の危機陥ってもヨシダ2年生時に新入生を勧誘してなんとか廃部を免れた。1年時の学祭では何も出来なかったが、2年時に白玉団子の出店を出し、どん底から這い上がったヨシダの功績が讃えられて弱小大学にありがちな学生の頑張りを認めるフォーラムで表彰された。ヨシダ3年時にはなんと初の女子会員、望月鼎を獲得して姫を持つオタサーになれた。
活動内容は主にゲーム。何かが流行れば流行りを、何もなければレトロを。
空虚な青春を送る何も出来ないオタクたちに見えるだろう。実際そうだ。六人のオタクたちは鼎のことを下の名前で呼ぶことも呼び捨ても出来ず「望月さん」としか呼べない。
それでももがき、あがき、素描きの青春を鼎で彩って人生の氷河期を回避しつつも「鼎へのガチ恋禁止」宣旨書きを厳守し、サークルの均衡は保たれた。全て名君ヨシダの筋書き通りである。
鼎を本気で好きになるな。鼎が自分たちを好きになることはない。
鼎に手を出すな。仮に鼎一人を手に入れることが出来ても他の会員五人との友情を失う。
鼎を恨むな。鼎にもオタサーは必要だし、オタサーにも鼎は必要だ。これ以上発展はないお飾りだからって鼎を切り捨てる理由にはならない。一緒にいられるだけでもいい思いをたくさんしただろう?
鼎を優遇しろ。こんな女子のいないサークルに来る鼎は、オタサーを見下して自尊心を満たすことが入会の目的だがそれでも大切な姫だ。大切にしなきゃいけないものを大切に出来ないやつはいざという時も上手くはやれない。それに鼎だって好奇や軽侮の目で見られているのだ。自分たちぐらいが優遇できなくてどうする。そして優遇してここに縛り付けてやることが鼎への“報い”だ。
鼎に何かを求めるな。超常現象やゲームを無理やり好きになってもらう必要はない。本人にその気があれば話が別でも、基本的に超常現象研究会はそれが鼎の気まぐれであろうとも与えられるものを享受するだけであれ。全てにおいて、超常現象研究会会員とその姫・望月鼎は対等ではない。
その宣旨書きは鼎に対してのものだけだった。
2020年夏。彼女は突然現れた。侵略者・駿河燈だ。オタク好みの透き通るような白い肌に抱きしめたら折れっちまいそうなほど華奢で黒髪ロング。それはオタクの理想を具現化した一種の神秘性さえあった。
オープンキャンパスに現れた女子高生駿河燈は夏休みの間、超常現象研究会に入りびたり、会員たちは部屋と身だしなみを清潔にして扇風機を羽ナシの高級なものに買い替えてきた。
しかし駿河燈の正体はご存じの通り。駿河燈に骨抜きにされた超常現象研究会は利用されるだけ利用され、駿河燈への醜い下心を鼎にさんざん晒した後、駿河燈の計画では用済みとなって駿河燈に関する記憶を消去された。神秘性というか実際駿河燈は怪しげな術を使ってオタサーを化かしていたのだ。
残ったのはやけにこぎれいになった自分たちと、ゲーム機に残る駿河燈との通信プレイの履歴、言葉に出来ない鼎への罪悪感のみである。
「こうして二人で話すのは久々ですな、ナカムラさん」
「ヨシダさん」
「単位もギリギリですぞ。よく卒業、内定が取れましたよ」
キャプテンの座をナカムラに引き継いだヨシダは学祭を以てサークルを引退する。
低偏差値の大学でインテリぶっていてダサくて鼎にビクビクする怯懦な男に見えてもこいつは鼎以上に超常現象研究会に必要な男、なかなかの傑物だったと、キャプテンを引き継いでからナカムラは実感した。
ヨシダのSFやオカルトへの熱は本物だったし、足りない知識を読書で補う、読書を日常的に行うなんていう学生として当たり前のことが出来ていた。人生経験なんて希薄もいいところなのにヨシダの宣旨書きによってオタサーと鼎の均衡は保たれており、自分たちが当たり前に過ごしている超常現象研究会を作り、守り、キープさせたのは全てヨシダの功績だ。
「どうですかな、望月さんの様子は」
「おかしいって言っちゃ悪いですけど、俺はヨシダさんの言いつけ守れてへんと思いますわ。望月さんの動きが読めへん」
「とりあえずワタシの就職祝いに乾杯してくれませんか?」
大学に近い池袋の安い居酒屋チェーンで二人はサシ飲みをしていた。卒業論文の忙しいヨシダはあまりサークルには顔を出さなくなっていたし、二人で酒を飲むなんてのもかなり珍しい。ナカムラから見て、ヨシダは夏休みにキャプテンを引き継いで以降、より悲しく冷たく達観したように感じる。しかしそれはネガティブな変化ではない。さらに肝が据わって大人になったように見えたのだ。引き継いだキャプテンの重責もよりヨシダの変化を強くナカムラに見せているのだろう。
「望月さんもゲームのNPCじゃありませんから、変化もあるでしょうて」
「ちゃんとSFとオカルトに向き合っとるんです。俺らのご機嫌取りじゃない。マジで興味を持ち始めたんです」
「それはナカムラさんにはどう見える? 何もしないお飾りのままの方がよかった? それとも望月さんに変化が起きたことで超常現象研究会が変わってしまうことにワクワク? 或いは恐怖ですかな?」
「一番気になるのは恐怖ですわ。俺はヨシダさんの暗黙の了解が破られることが一番怖い。望月さんがガチでSFとオカルトに興味を持つことでガチ恋するメンバーもいるかもしれん」
「それはないですよ」
「そうですか?」
「だって超常現象研究会で本気でSFとオカルトが好きで向き合ってるのってワタシくらいでしたよ」
「くぅぅ! ヨシダさん、なんか飲みたい酒あります? 奢らしてください」
「どうして?」
「ようやくヨシダさんの本音が聞けたような気がするんです。そんな風に思ってたんですね。人畜無害なふりしてたんですね。キャプテンになれんと聞けんかった。ヨシダさん。俺はあなたが実はすげぇやべぇやつなんやないかって思い始めたんですよ。酒でいい気になってもっと聞かしてくださいよ」
「ではカシスオレンジを」
追加のカシスオレンジを運んできた女性店員は……。鼎よりは身長は低い? 髪は茶髪で少し傷んでいる。メイクはきらきらでオタク受け特化の媚びた鼎とは違う。ショットガンは範囲を撃つが矢は一点を射抜く。鼎は矢だった。鋭く尖った矢で自分たちは射抜かれていたのだ。自分たちがオタサーの雑魚だから? 鼎は鷹の羽で飾ったそれなりに立派な矢だ。射手が弱いだけで。
こうなると見る女性見る女性、全員鼎と比べてしまう。
「なんやろ、望月さんも次に女子の会員増えたらお払い箱になるんやって不安になっとるんですかね」
「それはあるかもしれないですね。でもお払い箱にはならないでしょう? だってみんな、望月さんのこと気に入ってますし」
「ほんま二人で話すと望月さんに関しては饒舌ですやん」
「ナカムラさんには大変な状況ですな。ワタシの時の望月さんは無気力だったしワタシらのことなんか奴隷としか見ていなかったからやりやすかった。だから適切な距離があったのに向こうから詰めてくるならナカムラさんの旗振り次第です」
「すんませんヨシダさん。俺は望月さんに力を貸します」
「それでいいんですよ。ナカムラさんの判断が是となる。だからナカムラさんを後任に選んだんですよ。少しの間、超常現象研究会はざわつくでしょう。でもナカムラさんは優しいから、情に厚いから。力を貸してやってください。その優しさがわからないほど望月さんはバカではないです」
「やけに俺の肩持ちますね」
「そう聞こえましたか? ワタシが肩を持っているのは望月さんの方ですけど。あの人は正直バカでした。でも我々みたいに歪んでいたり自信のない人間は大体の人への第一印象でマイナスなものを持ってしまう。そして人間付き合いが得意じゃないからその第一印象を払拭できないまま他人を嫌いなままで終わってしまう。ワタシも最初はナカムラさんのことも嫌いでした。2年生が一人で1年生ばかり五人も入ってきて、しかも一人は今まで関わったことのないゴリゴリの関西人。ワタシ、関西人嫌いなんですよ。でもナカムラさんはよくやってくれた。それに望月さんは成長したし……。あの人がお飾りの姫ではなく、ちゃんと会員になってくれようとしているなら助けるべきだ。望月さんがちゃんと会員になってくれるなんていう素晴らしいことを享受させてもらうべきだ」
「俺はそう思いません。望月さんがその気なら優遇もせん。もちろんビシバシもせん。俺の使命はサークルを守ること。向こうが望むなら対等以上の関係でも」
「あぁあ。もう一年長く大学にいられたらなぁ」
「……。そういうことやったんか。ヨシダさん。あんた自身で暗黙の了解破ってましたやろう。望月さんにガチ恋してたんちゃう?」
「サシ飲みが始まってからだいぶ時間が経ちましたけど気づくまで随分と時間がかかりましたね。ええ、そうです。しかしワタシらは恋人として望月さんを幸せにすることは出来ない。でも端役のNPCとしてならどうにか出来るんですよ。ようやく興味を持ってくれたSFやオカルト、そういう同じ話題で盛り上がれるようになって、知識や見解が必要な時、頼られるキャプテンはもうワタシじゃない。……望月さんへの対応の宣旨書きは、サークルのことを想ってじゃなくてワタシ自身のためだったって非難してもいいですよ?」
「ヨシダさんへの恩を考えたらそんな類の言葉なんてゲロ吐きかけられても出ぇへん。望月さんにガチ恋してもよう忍んできましたね。しのぶれど……。よう堪えましたね」
「度胸と芸術センスがあればそんなそぶりを見せて歌でも詠めたでしょうけどね」
鼎への恋心よりももっと重いものがある。ヨシダは駿河燈の記憶消去が最も不完全で、ぼんやりと駿河燈を覚えていた。駿河燈になびいて鼎を邪険に扱った事実……。それをはっきりと覚えてはいない。そしてその罪悪感の存在を抱えきれず鼎に吐露すると、鼎は駿河燈の存在を否定をしなかった。直後に現れた因幡飛兎身がその証拠。
鼎への罪悪感。そしてその時、どさくさに紛れて鼎に想いを伝えてしまったことによる超常現象研究会への罪悪感……。でも鼎を変えさせたのは自分の告白なんかじゃない。しかし駿河燈の手先である因幡飛兎身に見せた鼎の強い怒りと嫌悪感は、超常現象研究会を奴隷や消耗品みたいに考えていては出せない強いものだった。
――「あてつけがましくプリンセスとか抜かして……。ムカつくんだよ、死ね!」
全ては時間が忘れさせてくれるだろう。
「ワタシは望月さんの幸せを願う。その次に超常現象研究会の幸せを……。と言いたいところでしたが、望月さんの次にはナカムラさんが割り込んで、その次が超常現象研究会ですね。それがワタシの遺言です。ナカムラさんだから打ち明けられた」
「聞けて良かった。しのぶれど……。偲ぶれどです」