第16話 フジ! フリーだ! 撃て!
鳳落の腕に装着されたミサンガ、腕時計、腕輪。その間隔が広くなったり狭くなったり時にはぶつかる。不規則な慣性の法則がそれらを動かしている。
「セアッ!」
ここに来てアブソリュート・アッシュの動きがよくなっている。怯まず臆せず、慎重かつ苛烈に、攻撃の試行回数が増えているのだ。
「鳳落さん! アッシュはどうですか? 連携します!? 指示をください!」
「目の前の敵に集中! アタシはフジ! アンタは和泉岳! 指示ですって? 目の前の敵をリスペクトしなさい。リスペクトすればアナタにも隙は生じない」
リスペクト。紅錦鳳落の金科玉条。
フジの攻撃が激しくなっているのは鳳落のリスペクトによるものだ。和泉が助けに来たことでフジ・カケルに追い風が吹いた。人というものはそういった追い風や向かい風の影響を強く受けてしまう心の帆を消費し、衣にしたり涙を拭いたり、誰かのケツを拭いたりして大人になる。フジ・カケルの心の帆はまだ紅錦鳳落のそれよりも大きいのだ。言い換えれば、鳳落にとって和泉の乱入は向かい風でも、大人になって帆が小さくなってしまった分、大した影響ではない。しかし万が一のことがある。若者に勢いを与えるのは危険だ。フジ・カケルの勢いに無理に撃ちあわず、追い風補正が切れるまで堅実に見切って守り、しのぎ切る戦いでもいい。それに沈花の毒が入っている。
残酷だけど狡猾こそが最大の礼儀。フジ・カケルの、アブソリュート・アッシュの爆発力を侮らずリスペクトするからこそ慎重に摘む。
「セアッ!」
「マ!」
決定機も作らず隙の大きい大胆な後ろ回し蹴り。鳳落には通じないが、さっきまでのフジにはなかった思い切りの良さが垣間見える。それほどデカいか? 和泉岳の存在は!?
「本当に侮れない」
「何が?」
「そういうキャラじゃないのよね、フジ・カケル。人情に絆されて現実が見えなくなるようなキャラじゃないのよ。何を考えてるの?」
「お前さんは俺の戦いを観たことがあるのか?」
「おさらいはね」
危ない。フジのどの戦いを観たかしゃべってしまえばバックがバレる。
イタミ社がチェックしたフジ・カケルの戦いはお台場でのvs外庭数、神代植物公園でのvsバース(一回目)、幕張でのvsアブソリュートマン:XYZ、飯能でのvsカッパ、砧公園でのvs深浦貞治、羽田空港でのvsアブソリュートマン:XYZ、大宮でのvsヒール・ジェイド。映像の出どころは知らない方がいい。
「そういえば切り札を切ってないわね。Δスパークアロー」
「他人の口から自分の考えた技の名前を聞くのは恥ずかしいことだ。姉貴のネフェリウム光線ほどになれば警戒すべき技として恐れられているんだろうが、アッシュが恐れられていない以上、あの技も匹夫の勇だ」
「アナタのΔスパークも悪くないわよ」
「あの切り札を一番いいタイミングで叩き付けてやる」
「グッドラック」
Δスパークアローを最高のタイミングで……?
実はこの戦いはフジ&和泉vs沈花&鳳落ではない。フジ&和泉にはメロンがついている。しかしメロンは戦闘中のフジの激しい動きにはついていくのが精いっぱい、オーバー・Dでは電撃に弾かれてつくことすらも出来ない。しかしΔスパークアローを使用するならオーバー・Dは使わない? 限られた時間、限られた動き、限られたシチュエーション。どこでΔスパークアローを使うかはメロンによるサポートが必要……?
「いっちょ行くぜ!」
フジはメロンを挟まず、バリアーの円盤を二枚投げつけた。左右の手から放たれた円盤はそれぞれカーブしながら時間差で鳳落に迫るが、時間差だったことが災いして剛腕二振り。あっという間に粉々になって鳳落の前の空気が澄む。
「セアッ!」
高音。バズソーの如く回転させたバリアーの円盤を右手に這わせたフジが致命的な貫き手をしかけた。しかし鳳落は巨握の手で円盤を掴み、ろくろを回すように円盤に円状の窪みが出来て削られたバリアーが火花となってフジの顔に降り注ぐ。
「シアッ!」
左手に這わせた円盤が右手を止める鳳落の手首を狙って残忍に回転する。投げた分も含めて四枚!? 二枚で十分ですよ。二枚で十分ですよ、わかってくださいよ!
このまま無防備な手首を落とせば、右手の円盤にくっついた鳳落の手がハンドスピナーを血飛沫で飾るアタッチメントになるはずだ。勝負あり! ……否!
「マァウッ!」
高温。鳳落の手首が溶岩の如く赤熱し、徐々に乾いてひび割れていく。バリアーは熱伝導しないがじわりじわりとフジの手の先端から鳳落の熱を伝えてくる。その溶岩じみた熱と硬度に円盤の二撃目は弾かれ、さっきまでのような降っても無視できるような火花ではない小型の火砕流がメガネを曇らせる。
「すごいじゃないフジ・カケル。毒の回った体でアタシに切り札を抜かせるなんて」
鳳落のショール、ブラウスの腕の部分が黒く焼け焦げ、次第に穴が開いて炎上し、焼け落ちて赤黒い筋肉とマグマの腕が屹立する。
骸怪獣ヒオウ! 紅錦鳳落はこの種族に属する! 元よりヒオウは、摩天楼怪獣センゴクと並ぶ剛腕怪獣。その怪力っぷりは初代アブソリュートマンにも油断ならぬ相手として記憶されている。しかし初代アブソリュートマンの記憶ではヒオウはセンゴクに劣る怪獣だった。それも昔。火山地帯で生まれ育った一部のヒオウは環境に適応するために体温のコントロールと高熱への耐性を身に着け、自らの腕を赤熱させることで大きな攻撃力を得た。これを見ても初代アブソリュートマンはヒオウはセンゴクに劣ると言えるだろうか!?
「こういうことをするのはあんまり好きじゃないけど……。マァウッ!」
鳳落が赤熱の腕を池の底に突き立てた。水温が急激に上昇している。この池には魚がいなかったのが幸いだ。しかし気温も低く人肌恋しい11月の夕方。急激に加熱された池の水は野球の試合だったら中止になるほどの濃霧を発生させた。鳳落も少し時間が欲しい。アッシュの攻撃が苛烈すぎる。決定機……。さっきの四枚目のバリアーの円盤のタイミングでΔスパークアローが来たらマズかったのでは? フジの手探りは徐々に核心に迫ってきている。鳳落に「今、Δスパークアローが来たらやばかった」と思わせるほどに!
「セアアッ!」
フジの掛け声が聞こえるが水蒸気の向こうからは何も見えてこない。鳳落が空を見上げると網目の粗い巨大なドーム型のバリアーがどんどん背後まで伸びていくのが見えた。今度はそのドームが網目を細かくしながら急激に容積を縮め、せっかく作った水蒸気の煙幕がバリアーのボールに収められて鳳落を包み込んだ。視界不良は自分だけのディスアドバンテージになってしまった。
水飛沫の音がしない。フジ・カケルは移動していない? まさかここでΔスパークアロー!? 鳳落はさっきまでのフジの位置から防御すべき方向を割り出して腕のガードを上げて急所を覆ったが、この戦いに巻き込まれた鼎には見えている。
「シィ……」
鼎の初恋の人、古谷くん。その古谷くんが中学の時に見せてくれたバスケのドリブルの急カーブ、魔がさしてYouTubeで観た、高校時代はアメフト部のランニングバックだった古谷くんのステップのカット……。それ以上の角度と速度でフジが空を駆けている。バリアーで作った床で鳳落の延髄が不意打ちにうってつけになる位置、高度まで到達する。
やっぱり! 今のフジはあの頃の古谷くんよりも絶対にかっこいい! 少なくとも鼎にはそう見える。
「セアアアッ!」
火の出るような飛び膝蹴りは高さ約2メートルから放物線を描いてからド派手な音で池のお湯に着水した。この一撃が決まらなかったことを慰めるような羊水みたいな温かさだった。
「なんで避けられた?」
「男の理屈、そして女の勘……。結局は女の勘だったわね。アナタはこう来ると思った」
「……」
これが勘の困るところだ。フジの背後からの延髄を目掛けた飛び膝蹴りを回避できたのはよかったものの、今の場面こそ絶好機。何故Δスパークアローが来なかった? 男の理屈がこの回避成功を手放しで喜ばせてくれない。
「何を考えているの?」
「何を考えているかって? ……笑うなよ」
「内容により」
「和泉を信じてる。これで十分だろう」
「いいわねぇ。和泉さんが沈花を倒し、二人でかかればアタシに最高のΔスパークアローが撃てる確率は上がる。グッドラック」
飛び膝蹴りの誤爆の着水と放物線は和泉と沈花の戦いに小休止を挟ませるには十分な派手さだった。鼎はこっちの戦いはあまり見ていないが、戦況がマズいのはこっちの方だ。
「ハァハァ、ウッ……」
「わぁ、確かにフジの言った通り男優みたいな息遣い。もしくは旧劇のアスカで抜いたシンジの吐息?」
「くたばれ……」
気息奄々、虫の息、青色吐息。
二人の周囲を毒々しいピンクの結晶が彩り、戦いの激しさを物語っている。散っている結晶も踏まれて砕かれたものからまだ指輪やネックレスに出来る大きさのもの、仏像に象嵌出来るような角のとれた丸いものも転がり、この結晶はこの長い戦いの間ずっと撒かれてきたことを意味する。
「ダッ!」
ミリオンスーツを失った今の和泉の得物はエウレカ弾も装填できるACID専用の拳銃、そしてエウレカ製の警棒だ。ここは収蔵品だけでなく建造物自体も価値のある博物館! 威力の高すぎるエウレカ弾を誤射して大きな被害を出してしまった場合はACIDの存亡に関わる。
「トキシウムエッジ!」
ぱきっ。
和泉の警棒を受けたトキシウムエッジが毒の結晶を散らしながら刃こぼれを起こした。ピンクでさらに戦場を彩り、毀れた刃の粉塵が気息奄々、虫の息、青色吐息の和泉の呼吸で吸い込まれて彼の気管支を侵食していく。これが沈花の狙いだ。トキシウムエッジと武器でまともにやりあえば、防いでいるだけで毒の刃こぼれを間近に受けて毒が入る。しかもフュージョンエンジンのおかげで刃こぼれは毒で即座に復活! 切れ味も元に戻るし、ベースとなっているのが頑丈なゴアの守なので致命的な破損はしない。
「チェアーッ!」
呼吸を整えようとしても威力を抑えた連射式ケイオシウム光線の連打を浴びて休むことすら出来ず、指をさすだけでリロードもリコイルもなく撃たれてしまうのでは殴ることも組むことも出来ない。
和泉岳。
空手、剣道、柔道の有段者。ACIDに配属後はカタギじゃない格闘技も習得する。187センチメートル88キログラム。全国ポリスマンタイマントーナメント大会ではフル装備の皇宮警察を素手で叩きのめして優勝できる日本最強の警官。
しかし毒に侵され、相手がゴア族カンフー、アブソリュート・プラの秘宝、アブソリュート・ジェイドの技まで使えてしまうともう歯が立たない。
「地獄に落ちろ」
「土台無理な話さ、リスペクトしろだって?」
「貴様みたいなやつが相手でよかった」
「へぇ? そんなセリフ、それがアブソリュート人やゴア族なら奥の手の強化形態でも出るんだろうけど地球人じゃあねぇ。スーパー地球人にでもなるの?」
「クズが相手なら許そうなどと雑念が入らん」
……。
「許す? ダッサ。最低だ、お前って……」
「沈花ァァァ!!! アタシの言ったことわかってないの!?」
「はいはい、まぁフジ・カケルは実際侮れチェエエエ!!!!?」
両膝をついた和泉のこめかめスレスレを光の矢が通り抜ける。それは悪しき毒婦の貧相な胸に突き刺さり、三本の矢の間を伝ってドス黒い血が流れ出て和泉に血を浴びせ、周囲の毒の結晶が血に溶けていく。
「フジ……カケル……」
意図せぬショックと出血、内臓の損傷で意識が混濁し、止まらぬ吐血と同じ速度で碧沈花は地面に倒れて血に溺れた。まだ前を向けるうちに最後に網膜に焼き付いたのは、和泉を挟み、鳳落を挟んだ向こう側で真っすぐ自分に左手を向けているフジ・カケル、そして左手を走るアーク放電の弓の弦だった。
「サンキューメロン」
「本当にこれでよかったの?」
「命あっての物種だ」
ここだったのだ。Δスパークアローが最大に活きる絶好機中の絶好機。それは鳳落の意識が逸れたタイミングで和泉と交戦中の碧沈花を射抜くこと……。メロンの合図とポジショニングはベストタイミングだった。
「悪いな鳳落さん。俺はお前さんほど潔癖じゃねぇし……。強くもねぇ」
「沈花ァァァ!」
紅錦鳳落の中に戦闘続行の選択肢はない。タックルで和泉を跳ね除け、残ったショールを千切って沈花に止血を施す。どうやら肝心の沈花のダメージが大きすぎてフュージョンエンジンを稼働させることが出来ず回復効果も得られていないようだ。その証拠にトキシウムエッジがただのゴアの守に戻ってしまっている。ヒオウの熱で傷を焼き塞いで止血? ダメだ。女の子なのに体に大きな傷が残る。
「……沈花。まだ意識はある?」
「なんとか……」
「変身なさい」
沈花にゴアの守と鞘を握らせ、手を添えて納刀する。ゴア族の場合、変身する意思を持って納刀したゴアの守を抜刀することで本来の姿に戻ることが出来る。変身し、巨大化すればこの生命の危機からは逃れることが可能だ。
「これがアナタのやり方なのね、フジ・カケル」
「侮ったろ。俺は“アブソリュート・トラッシュ”。究極のクズだ。お前さんに……勝ちたい気持ち。超えたいと思うような相手に出会えて燃えても負けが見えるくらいなら汚ぇ手も臆せず使う」
「臆せず? このウソツキ」
沈花の鞘から鞘の容積以上の黒い布が出現し、沈花を覆って繭になる。目の霞が治ってきた。
「ブッ殺してやる、フジ・カケル!」
怒震! 沈花の嚇怒をかき消すように高エネルギーが大地を振動させて池に波を立て、ライダースジャケットに身を包んだ巨漢、飛燕頑馬を東京国立博物館に降臨させた。これは果たしてフジの勝ちか? 当初の勝利条件の通りではある。「敵を巨大化させて頑馬にバトンタッチ」。これは成功したが……。
沈花には関係ない! フジ・カケルも飛燕頑馬もブッ殺してやる!
「お前のそういうところ、好きな奴は好きなんだろうな」
「あんたはどうだい? 兄貴」
「てめぇで考えろ。バトンタッチだ。ジャラッ」
イカついスポーツグラスが宙を舞い、何も焼かない生命力の火柱が上野の空を衝く。