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アブソリュート・トラッシュ  作者: 三篠森・N
第4章 アブソリュートミリオン 2nd
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第15話 紅錦鳳落の金科玉条

「キエエ……」


 フジ・カケルは天を仰いで立ち上がらない。胸は激しく上下し、不揃いな呼吸も鼎に聞こえる。生きてはいるし意識はある。でも立ち上がれないのだ。


「さっすが鳳落さん! 簡単にやっつけちゃった!」


「沈花! 恥を知りなさい!」


「へぇ?」


「フジ・カケルを倒す。それはアナタに課せられた仕事でしょう? アタシに尻拭いをさせたことを怒ってるんじゃない。アナタは自分の仕事を遂行できなかったことを悔いねばならない。それにアタシはお尻を拭いた気はないわ。フジ・カケルはアナタの仕事よ」


 紅錦鳳落は196センチメートル。地面に倒れたままのフジと鳳落の目の位置の高低差は実際196センチもないがそれ以上にこいつはデカく見える。


「こいつの目を見た? こいつの拳を読解できた? こいつをただのクズだと思っていた? ならばアナタはフジ・カケルに勝てない。この目を見なさい!」


 鳳落が沈花の頭を鷲掴みにしてフジの視界に連れてきた。何も考えてない顔だ。ブッ殺したくなる。沈花の顔が入ったせいか、鳳落の顔はさらに遠く見える。


「殴らないでくれ。痛くしないでくれ。カッコ悪くさせないでくれ。出来れば見逃してくれ。誰か助けてくれ。こいつの目はそういう目よ。でもそれも含めてガッツなの。潔いほどマイナスでネガティブなガッツ。臆病で我儘な勇気。これはこれで大したもんよ。フジ・カケルは痛みを知り、屈辱を味わっても逃げずに戦った経験がある。噂や触れ込みだけ聞いてこいつはクズだから侮れるし負けも誤差の範囲なんて思っていたのなら沈花! 仕事を舐めるなぁ!」


「おい、ヒオウ」


「何? 今はお説教の最中よ」


「名前を聞かせろ」


紅錦(ベニシキ)鳳落(トリオ)。でも悪いわね。狐燐の梵字の効果で記憶は混乱する。きっと虫食いの記憶になるわ」


「十分だ。大したやつだぁ、お前さんはよ」


「アナタこそね。メガネ拭きは?」


「もう一回貸せ。ん?  紅錦鳳落だと?」


「アラ、知ってるってことはアナタ、中学受験したわね? 少年時代のアタシが主人公の、アタシの親父の子育て私小説は中学受験国語の定番」


「してねぇ。あの本は読んだけどな。親父も読んでたな」


 血の混じった唾を吐き、借りたメガネ拭きで拭いて可能な限り視界をクリアにする。勝てる気がしない。デカい。毒も回っている。しかし、残された時間で便宜上の勝ち逃げを決める方法が一つだけある。


「ちょいと付き合えよ鳳落、それから偽ジェイド」


 濡れた服に北風が染みる。しかし心は温まってきた。大した男……オネエ? フェアプレイのタイマンでこんなやつに負けたんならかえって誇りに思うことも出来ただろうが、偽ジェイドは許せないし鼎が見ている。


「相変わらずよ、フジ・カケル。殴らないでくれ。痛くしないでくれ。カッコ悪くさせないでくれ。出来れば見逃してくれ。誰か助けてくれ。そういう目。でも戦おうとする目……。でも悪いわね。油断はしない。慢心はない。アナタはあの未来恐竜クジーを、それも違法な知能特化型個体を相手に勝利している。殺す気はないけど勢い余ったときはあっちのかわい子ちゃんに謝っておくわ」


 スゲェやつだぜ、実際よ。


「シエアアアアッ!!」


「マァウ!」


 最早これは技ですらない。人生経験と哲学、思慮。そういった本来質量のないモノがこの紅錦鳳落の肉となり骨となり、それを動かす心の力になっている。生きる力、考える力。その強さだけで技で補う必要はもうない。ただのラリアット。それが避けられない。


「シエ……?」


 チックショウがぁー!!!

 さんざん怒りのダンスフロアに“誘って”きたヒール・ジェイドへの勝利は乱入してきた紅錦鳳落によって手の届かない高さへ没収されて失恋してしまったが、乱入してきたこの紅錦鳳落。こいつは上玉だ。

 ヒール・ジェイドが相手ならそれは調子に乗った格下の悪を始末する“仕事”でも、この紅錦鳳落は違う! 体格も膂力も精神力も魂も哲学も全てが格上! これは“挑戦”だ。


「勝ちたい……」


 全てから逃げ出した男、深浦(フカウラ)貞治(ジョージ)という男がいた。自らの幸せに挑むチャンスからも逃げてなし崩し的に犯罪に手を染め、そしてどこへも逃げられなくなったときにようやく前を向いた。しかしその時立ちふさがったのはフジ・カケル。深浦貞治はようやく強く願った。


「勝ちたい」


 それは至らぬ力によって叶わぬ願いだった。

 フジはジョージに追い討ちをかけたわけじゃあないが、ジョージが想いを寄せていたイツキとフジが将来組むなんて知ったら彼はもう……。

 つまり勝ちたい気持ちってのは絶対に取りこぼせない格下との戦いではなく、負けても仕方ないような格上との戦いでようやく湧くものなのだ。


「鼎ちゃん」


「キエエエエ!?」


「鼎ちゃん! わたしよ! メロンよ」


「ああ、メロンさん……。いたんですか……」


 フジについていた分身メロンが鼎に駆け寄り、声をかけた。誰よりも緊張しているのは鼎だ。フジのあんな顔は見たことがないし、ここまで傷を負ったフジを見るのも初めてだ。


「フジくんは何か考えている。いざとなったらわたしが止める」


「止める? フジを?」


「フジくん、あるいは敵を。大丈夫。決してフジくんを喪わせない」


 自分の家族が死んだときの記憶は数年してから思い出したメロン。しかしカイを亡くした後のジェイドを見ていたらあんな思いを鼎にはさせたくないと強く思った。カイとはフジと鼎の付き合いよりも短く、死に慣れているはずのジェイドでさえああだ。

 しかし記憶と引き換えに分身を自爆させる能力を失ったメロンに何が出来る? 誰がフジの助けになれる……?


「まさかフジくん」


 ゴア族カンフー守りの奥義は鳳落のラリアットに通用しない。ならばアブソリュート拳法も無意味だろう。なんてこった。小細工に逃げる自分に愛想をつかしてまっとうな殴り合いへのシフトチェンジを試みたのに。


「セアッ」


 走るしかない。スカイブルーのスクリーンバリアーを囮に使い、痛むアキレス腱で走って走って隙を……。隙を? 鳳落の周りを走り回ってまるで着付けをしてやるようだ。鼎にはただ走っているだけにしか思えない。しかしメロンには見えた!


「頑馬が来るわ」


「頑馬!?」


「すぐには来ない」


 メロンは一週間前の作戦会議を思い出していた。その時のユキの役割分担では、敵が人間態のまま出てきた場合、戦うのはフジ。怪獣化した場合は頑馬。だから今、頑馬は助けに来ない。その理由は先ほど鳳落が沈花を叱ったものと似たようなものだ。だがフジが紅錦鳳落を追い込み、骸怪獣ヒオウの姿へと怪獣化させればフジは頑馬にバトンタッチ出来る。これがフジの勝ちと言えるかは不明だ。ただしこれは紛れもなくフジ・カケルの挑戦だ。


「侮れない目」


「一応言っておくが、俺が未来恐竜クジーに勝てたのはインチキだ。実力じゃねぇ」


「かもね。でも勝った。その事実はウソをつかない。だから油断はしない。沈花! ボサっとしない! 何を勝った気でいるの!? アンタもトキシウムエッジを用意しなさい! アタシがやられたらアンタの番よ! それに観るのも学び、学びは仕事! アタシの小言がうるさいって!? 小言に耐性がついて何も聞き入れられない体になったらおしまいよ!」


「おいおい小言で俺の体に毒が回るまで時間稼ぎか? ……マジでそうとは思っちゃいねぇさ。お前さんはそういうやつだろう?」


「随分と惚れられたものね、アタシも。でもアタシ、見た目はこうでも性的指向はストレートなの」


「ああ道理で。ちゃんと鼎がかわい子ちゃんに見える訳だ」


「もぉう! (だぁれ)が言ったのかしら!? アブソリュート・アッシュは究極のクズ、“アブソリュート・トラッシュ”なんて! 自分ではわかってないかもしれないけどアンタ、思っている以上にいい男よ。沈花にくれてやるのは惜しいくらい。じゃあそろそろダンス再開。マァウッ!」


「シャッ!」


 ようやく気圧されなくなってきた。ようやく心が慣れて、屈んで避けるなんて簡単なことが出来た。


「セアッ!」


 ローキックがストッキングに包まれた脛でカットされる。ミドルキックもスカートに包まれた脛……。それもきちんと足を外側に向け、指は地に向けて誤爆によるダメージを回避……。蹴りの軌道上に腕のガードを合わせて急所である顔面へのケア。得意のソバットはショールをたなびかせながらのバックステップで手堅く回避されてしまう。技術もきちんとしてやがる。本当にこのヒオウには慢心も油断もない。だがそれ以上に……。


「シエアッ!」


 蹴りは囮だ。バリアーの雷雲は既に鳳落の頭上の月を覆っている。鳳落が雷雲に気づいた! でももう遅い! 熱とエネルギーで空気が破裂し鋭い雷鳴が轟き、避雷針にはうってつけの高身長紅錦鳳落の脳天に稲妻が落ちて骨まで透ける。医者が見ればこの人物の肉体は男性だとわかるだろう。


「マ……。だから油断ならないって言ったのよ」


 雷撃でメガネが割れ、衣服も焦げて体が痺れている。だがフジにはその程度じゃまだ逆転して自分が有利になるようなダメージには見えなかった。しかし精神力だけで落雷のダメージをここまで軽減出来るだろうか? 答えは否である。

 しかし関係ないわけではない。

 紅錦鳳落の人生経験、葛藤、哲学、思考、思想。そういった心の鍛錬と成果は気合のような不思議な力となり、紅錦鳳落の体を強化し、守る。ゴア族がこういった気合のような精神の力を“悪”として悪の波動にして使用するなら、紅錦鳳落のこの力は同じ系列でも悟りを開いた正しき力……。法力とでも呼ぶべきか。本来骸怪獣ヒオウに使用できる力ではない。

 反発、受容、傾聴、理解、敬意、感謝、親心……。鳳落自身もこの力には気づいていない。しかし! しっかりと生き、答えを見出した人間に神や天は褒美を与える。それが紅錦鳳落の戦力的な強さの源である法力だ。フジはこの法力に怯み、ラリアットを避けることが出来なかった。フジの蹴りも防御の技術なしでも大したダメージにはならなかったが、防御するのが相手への礼儀。鳳落を超えるべき敵としてリスペクトを抱いたのは、鳳落自身の持つ人間的魅力である。


「マァウ!」


「セエエ!?」


 鳳落の大振りの右拳をバリアーで防御! 硬度を上げ、三枚のバリアーを重ねがけしても三枚目までヒビが入る。バリアーごと押し切られ、池の底が焼け焦げて線状のブレーキ痕が残った。足首が分度器の目盛りじみて開き、ふくらはぎが踵より後ろへ行ってしまう。


「沈花。用意なさい」


「ふえ?」


「フジ・カケルに援軍よ」


 押し込まれるフジの後退がようやく止まった。フジの両肩に手が置かれ、誰かが支えてくれたのだ。身長174センチのフジの肩に置かれたその掌にかかる重心は上からのもの。高い身長、硬く厚い手。


「早いぞ頑……。おいざっけんなよ! 犬男優じゃねぇーか!」


「レイじゃなくて悪かったな」


「いねぇよりマシだ。手ぇ貸せ」


 そう遠くない未来、フジ・カケルは犬養樹を相棒と呼んだ。つまりそう遠くない未来にこの男はフジの相棒ではなくなる。というか今でもそうだ。この男、和泉岳が相棒だったのはもう何年も前の話。

 フジがメロンに和泉宛の伝言を頼んだ。


「ミリオンスーツはどうした?」


「ミリオンスーツはどうした? だと貴様! 貴様だけで二回も壊してクジーにも壊され、マインにまで壊された。もう修理の予算もないしこれ以上の修理と改造には耐えられん! 戦果も挙げられない。そんなものが今さら使えると思っているのか!? とっくの昔にお払い箱だ!」


「ないってことか。ないって悟られるなよ」


 それでも助けてくれようというのはありがたいことだ。死にに来たのか? こいつ。和泉の誇りであるミリオンスーツを二回も壊したのに、まだ味方になってくれようとしている。


「ありがとよ」


「勘違いするな。貴様のためじゃない」


「スマホ持ってるか?」


「ああ」


「スマホでもインカムでもいい。誰かと話してるふりをしながら囮になって逃げろ。いつでもミリオンスーツは着られるぞってハッタリ効かせて、あっちのガキの注意を引け。そうすりゃあのデデデ大王はガキのフォローで隙が出来る。お前にとっちゃ気分が悪いだろうが、メロンとも連携してくれ。頼む。勝てねぇ相手じゃねぇぞ、あのガキは。見せてやれ、2松學舍大学附属高等学校野球部センターの状況判断と走力」


「軟式の控えだがな」


 パンパン。掌の煤を払うように鳳落が手を叩いた。メロンを介した作戦会議は聞こえていないはずだが……。


「ハイっ! ようこそここへ、和泉岳さん」


「俺を知っているのか」


「もちろん。最強の地球人でしょう? もちろんあなたの経歴はここ半年の戦歴も含め知っているけどね。何度も言うわ。油断はしない。慢心はない。それが紅錦鳳落の金科玉条。沈花、そういうことよ。気を引き締めなさい」

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