第14話 HUMORESQUE OF A LITTLE DOG
地球に似た星はいくつもある。生命が息吹、文明が発達し、文化が発展する。例えば虎威狐燐やキシ・モクシの母星アデアデ星、ゴア族の住む星も地球と同じようなものだ。かつての宇宙プロレス最大手のユニバース・プロレスリング・エンターテインメントのオーナー、ビルド・マクミランの母星ケネス星もそうだし、ケネス星人は地球人とほぼ同じ生物であり、UPEではケネス星人と地球人がプロレスをやっていた。ラストマッチではアブソリュート人も参戦したがさすがに力の差が大きすぎて一回限りとなったが、要するに地球と同じようなレベルや環境、生態系の星は多いということだ。
そしてその多くは地球がそうであるようにヒーローによる庇護を必要としている。
ヒール・ジェイドが持ち出したものがどういった効果を持つか、何故フジをあそこまで激高させたのか。それを説明するには現在、フジとヒール・ジェイドが対峙している2020年から1973年までさかのぼる必要がある。
地球の時間で1973年。極端なほど地球によく似た惑星が宇宙のどこかにあった。暦の周期も地理も歴史も全く同じ。その星も地球と名乗っていた。なのでこの星のことは便宜上マルチアースと称するしかない。
「フーハッハッハッハ! 今日は夢の島で怪獣相撲の千秋楽じゃぁ! ファーファファファー! 出でよ、横綱怪獣ベムロス!」
「そうはさせないわクリア星人! 行くよ、プラ!」
この星のこの時代の防衛組織EATの制服を着た背の高い精悍な美人が腕のリングに触れてから左目に左手をかざす。
「タオーッ!」
彼女のいた地点と夢の島の空が紫とエメラルドグリーンの光の螺旋で結ばれ、銀をベースに毒々しいピンクの小柄なアブソリュート戦士が出現し、あんこ型の怪獣と向き合ってポーズをとる。彼女の胸にはアブソリュート戦士を象徴するランプの部分に、2020年の地球で碧沈花がレバーを引いたものと酷似した装置が埋め込まれている。
彼女の名は波澄ミドリ。そして変身した姿の名は、アブソリュート・プラ! のちのアブソリュート6大レジェンドの一角にしてアブソリュート6兄弟の末っ子長女だ。二人は変身前も変身後も本人である“変身型”のミリオンやアッシュと違い、人間態とアブソリュート姿の両方をミドリとプラの精神で共有する“憑依型”と呼ばれるタイプだった。そのため一つの体で会話が出来た。
「プラ! 変身持続可能時間は!?」
「7分32秒!」
「今日は長いわね」
約3~5分。それがアブソリュート人が地球で本来の姿に戻ることが可能な時間の相場。これはマルチアースでも同じだし、多分アデアデ星、ケネス星でもこの程度だ。アブソリュートの星に近い、アブソリュートのエネルギーの源になる特殊な波長の光の強さなどの要素で1分から2分の誤差がある。
初代アブソリュートマンなら3分もあれば怪獣の一匹や二匹は十分だ。ミリオンでもなんとか……。
そしてマルチアースへの派遣が決まったプラは当時の最先端技術“フュージョンエンジン”を外科手術で取り付けてマルチアースの防衛任務に就いた。このフュージョンエンジンは光化学スモッグや水銀といった汚染された空気、水……公害を自らのエネルギーに変換して変身時間を劇的に延長させ、さらにリサイクルした有害物質を毒として使用可能し、戦闘能力と継戦能力を強化する画期的な発明だった。
しかしプラの使用していた試作品は完璧ではなく、キャパシティを超える過剰な量の有害物質を無害化出来ない、使用するとアブソリュートの姿どころか人間態のミドリの健康が損なわれ寿命が縮むという最早欠陥品レベルだった。
しかしフュージョンエンジンを使用しなければプラが1年間のマルチアース防衛任務を全うすることはなかっただろう。本来の戦闘能力の低さに加え、戦う度に必要以上に傷つく体。自身が任務中に死ぬなんて事態を招いてしまったアブソリュートミリオンは当時のプラに任期短縮を何度も迫り、二人の間には長く確執があった。事実、ミリオンもプラもそれぞれの防衛任務終了後は最前線を退きホワイトカラーに転身しているので、ミリオンもプラも間違ってはいないし弱さが理由の屈辱は味わっている。いつまでも現役最前線の初代アブソリュートマンが異常なのだ。
「あなたは決して急ぐ必要はないからね。強さを目指す必要もない。よく学び、よく休むこと」
地球の暦で1975年。プラは弟子をとった。その名はアブソリュート・ジェイド。確執のあった兄アブソリュートミリオンの娘……。多忙を極めたミリオンは育児に専念できず長男のレイは5人目の弟ブロンコに、長女のジェイドは末の妹プラのもとに半ば養子に近い形で内弟子となったのだ。それでもプラは少なからずミリオンに抱いていた陰性感情をジェイドにぶつけず育て上げた。しかし二度と戦えない体になったプラを止めようとしたミリオンを責められるだろうか……。
その後のジェイドと活躍っぷりは語るに及ばず。語るとするならばジェイドの活躍こそが、プラの持つ表裏一体の悲しみと慈しみの強さであり、才能任せで育成失敗したレイとの差だ。そしてこれも一種の子はかすがい? ジェイドの縁でミリオンもプラに謝罪し、今は和解している。アッシュも叔母のプラを慕っており、地球での住まいにはプラのかつての相棒、波澄ミドリと同じ発音のコーポ・蓮見というボロアパートを選んだ。
何? 枕が長いって? 実際プラも波澄ミドリも枕営業でガッポリ儲けられるくらいの美人だぞ。
「なんでお前がそんなもんを持ってるんだよ。それは! プラ叔母さんの聖域だ! 例えそれが欠陥品だろうと、アブソリュート・プラの悲しみ、慈しみ……。そして戦い抜いたプラだけに許された……。証だ」
プラの十字架、ジェイドの十字架。形だけは同じ二つの十字架を背負ってもヒール・ジェイドはその重みを知らない。十字架と十字架を合わせて“井”にしても何の深みもないし何も湧かない。
「シュエア……」
慎重に型をとれ。怒りがゆっくりと吐息を加熱する。アブソリュート・アッシュが使用する格闘技は全くアレンジのないスタンダードなものである、とかつてアブソリュート・レイは評した。そのアレンジのなさは実戦経験の少なさが災いし必要なアレンジの方法がまだわかっていない、と。今はもう違う。
「シ」
ゆったりと右の掌を上に向け、綱渡りで左右に揺れてバランスをとるように、まっすぐ飛ぶために鳥が揺れるするように左の掌で右を装飾する。穏やかな型で舞い上がった水滴は全く気泡を含まず、同じ質量・体積のままフジの右掌で真円になった。
「ゴア族カンフーか」
「パクり野郎にパクりを責められる謂れはねぇぞ」
ゴア族カンフー守りの奥義“三十六式方円掌”が格闘戦でのフジの切り札だ。超能力を用いない戦闘においては99%の防御を約束する! その厄介さはマートン、因幡飛兎身戦にて攻略を仕掛ける側としておおよそ既に確認済み。互いに方円掌を使えた因幡飛兎身との戦いはオーバー・DとBトリガーがなければ危うく千日手になるところだった。
「ゴア族カンフーならわぁたしも使えるもーん」
Splash!
沈花が強く右足を踏み込み、水滴が沈花の頭のてっぺんよりも高く舞い上がる。股関節、膝、足首の細かい動きで足の甲が砕氷船の如く水をバキバキを蹴り砕き、つま先が大きく弧を描いて縦に180度開脚しI字バランス。その直線はまるで地獄の亡者に垂らされた一本の蜘蛛の糸。
「ゴア族カンフー攻めの奥義“十二酷弾腿”」
沈花の使用する“十二酷弾腿”はマートン、因幡飛兎身、フジの使用する方円掌と違って構造から哲学に至るまでこれ以上にないほどにシンプルだ。
かっこよくあれ。強くあれ。そのために蹴れ。この三点。以上。
十二酷は「十二のかっこよさ」を意味し
①強い
②逞しい
③美しい
④尊い
⑤重い
⑥軽い
⑦巧い
⑧堅い
⑨柔らかい
⑩細かい
⑪偉い
⑫良い
みたいに己の蹴りを前向きな言葉十二で飾り、原則の三点を意識して相手を蹴れば“十二酷弾腿”の使用者を名乗ることが出来る。これよりも入門向けのゴア族カンフーはない。特に沈花のようなお調子者をいい気にさせるにはもってこいだ。
“十二酷弾腿”の哲学に浅い、深いの概念はない。0は浅くも深くもない。
「withフュージョンエンジン! トキシウムエッジ」
フュージョンエンジンのランプの光が沈花のゴアの守に纏わりつき、サイケデリックなピンクの毒素が刀身を伸ばす。沈花の踏み込みで跳ねた水がトキシウムエッジに落ち、刃からまた池に滴ると悪に汚された毒の涙がマーブルになる。そのマーブルももう渦巻だ。
「セアッ!」
「チェアーッ!」
フジ・カケル/アブソリュート・アッシュ(21歳)
出身:アブソリュートの星 種族:アブソリュート人
174センチメートル 57キログラム
得意技:アッシュカッター、ビューティフル・ドリーマー、Δスパークアロー、ゴア族カンフー守りの奥義、世界に一つだけのドロップキック、強化形態“オーバー・D”
碧沈花/ヒール・ジェイド(21歳)
出身:東京都江東区深川 種族:ゴア族
161センチメートル 48キログラム
得意技:悪の波動、ケイオシウム光線、ゴア族カンフー攻めの奥義、トキシウムエッジ、ゴア族の巫女“白虎化”
「シッ!」
バシャバシャと水が跳ねる跳ねる! サケの遡上じみて! 次々とリフトアップされる沈花の蹴りをフジは最適に処理をする。敵の暴力を分解して最小化し、一つ一つを見極める。決して攻めてはいないが逃げてもいない。待っているのだ。
「チ」
「シェアアア!!!」
沈花のハイキックにタイミングを合わせて上から足を折り込み、体を開かせて無防備な顎にアッパーカット! ゴアの守りとアブソリュートの攻めが融合した見事なカウンター! このアレンジにより最早アッシュの格闘はスタンダードではない! アッシュのオリジナルだ! 沈花の視界に銀粉が舞い、フジの顔が遠のいていく。ジーンズのお尻に染みた水の冷たさとピリリとした刺激。トキシウムエッジから溶け出た毒液がお尻に回るほど深く尻もちをついたらしい。
「イテテ。で? さっきわたしを採点してやるとか言ってたね。どう?」
「お前……。よく言えたなそんなことが。ジェイドをパクってプラをパクって付け焼刃のゴア族カンフー、何も出来ずにケツを濡らしていい点が採れると思ったか?」
「こいつを見てもそう言えるかな」
トキシウムエッジを水に浸して毒を滲ませ、さらにフジの視線も誘導する。溶け出た毒は無形の液体から鋭い線へと変化し、それを包む破壊のエネルギーの螺旋……。
「食らえ!」
しかし不意打ちの攻撃もアッシュには通じない。掌に展開されたバリアーで毒の光線が握り潰され、あの大宮での戦いと同じく蹴り倒される。全く同じだ。起き上がり動作に交えて不意打ち、通じず蹴り倒される。
「プラ叔母さんのトキシウム光線か。チョロいな。採点だァ~? お前なんかコンビニだよコンビニ。ジェイドの技、プラの技、ゴアの技を幅広く取り扱っても全部安いんだよ。こっちは全部伊勢丹で見て来てるんだ。ジェイドが伊勢丹ならお前はコンビニ。しかもド田舎の24時間営業じゃねぇコンビニ。たまに来る客は『秒速センチメートル』第2部みたいな恋愛ものをやってるまだ品質の良し悪しもわからねぇ高校生程度。24時間みっちり鍛えて新宿三丁目に土地買ってからようやく採点だ。だがそれももう出来ない。殺すか」
……勝てなくね!?
フュージョンエンジンの効果は実感出来ている。ダメージの回復が早いし、毒の攻撃が出来るようになった。今はもう痛みもない。まだ毒は出せる。力はどんどん湧いてくる。しかし技術に差がありすぎる……。
以前の戦いで狐燐が言ったようにカタログスペックでは碧沈花はフジ・カケルに負けていない。さらにフュージョンエンジンによる底上げと毒攻撃、一週間勉強した“十二酷弾腿”がある。しかしどれも当たらない! 戦力的にはフジ・カケルより碧沈花の方が優れたキャラクターでもプレイヤーがダメダメなのだ!
水に溶けて消えていく毒のマーブルは決してアッシュを濁らせることが出来ないという沈花の末路のメタファーだった。東京国立博物館の池はネス湖より圧倒的に狭く浅いが、この池に「アッシュからの勝利」というネッシーがいても今の沈花では探し出すことは出来ない。
「……」
このアブソリュート・アッシュ。口では簡単に殺す殺すと言っているものの、人間またはそれに準ずる知的生命体の生命を絶った経験は非常に少なく、明確に死に至らしめたのもゴア族族長外庭数のみ。それも直接手を下したとは言い難いやり方だった。
これは通過儀礼だ。アブソリュートの戦士を続けるならば殺しに慣れねばならない。ミリオンほど過激派にならずとも、ジェイドもレイも殺しはやっている。そして目の前の敵はジェイドを騙り、プラを汚し、ありとあらゆることで調子に乗って物事をひっかきまわす幼稚なトラブルメーカー。殺すしかない。
「クソ」
しかし今日は事情が違うのだ。鼎が見ている。鼎はもうアッシュの戦いはテレビで見たが、生でアッシュの戦いをここまでじっくり見たのは初。それで恋人が人を殺すとなれば……。
「帰……」
「マァウッ!」
突如フジの延髄に強い衝撃が発生し、全身の骨が撓って顔面から倒れ込んだ。水鏡にはまだ何も見えない。それほど大きな波が立ったのだ。
「キエエエエ!?」
しかし鼎は直視している! 恋人にしてアブソリュートの戦士であるアブソリュート・アッシュへの不意打ちラリアットを成功させ、中学生が悪乗りして分解したシャーペンの部品めいて吹っ飛ばたのは、鼎が最も恐れている人物である飛燕頑馬と同等かそれ以上の巨躯を誇る……女性? 男性? 服装はショールにスカート、半月メガネにシルバーのメガネチェーンと女性の服装だが、スカートから除くふくらはぎやひざの肉付き、骨格や顔はどう見ても男性なのだ! むしろそういった女性の衣服特有の形状がこの人物のシルエットを実物以上に大きくしている!
「鳳落さん!」
「助けに来たわ、沈花」
池の中のフジがなんとか肘をついて息を吸う。気道が焦げそうだ。食道が逆向きに動いている。舌が痺れている。
「このオネエ……。メガネ拭き貸せ」
水の滴るメガネでは何も見えない。……果たしてメガネが濡れたせいだけか?
「フゥ」
トキシウムエッジの毒が溶けた池の水の中に殴り倒され、水を飲んでむせて……。少量だがフジの体に毒が回ってきている。
「拭きなさい」
「悪いな」
鳳落が渡した布で、慣れた動作のはずなのに指先に痺れ。メガネを掛けなおす。まずは鼎を探して無事を確認し、鼎より近くにいる鳳落、沈花を視界に収めた。まだ視力へのダメージは浅い。
「こいつでその偽物のケツも拭いてやれ。いや、やっぱやめとけ。そいつは漏らしっぱなしだからしばらくおしめをあてておけ」
「ふゥーん。この子がもう一回お漏らしするまでの間にアナタは死ぬけど?」
鳳落が赤い肉と白い肉のたっぷり詰まった逞しい両腕を突き出すと慣性の法則で鳳落の腕輪が手の先端に寄る。手首を返して血ごと腕輪を呼び戻し、帰ってきた血が甲子園球場の外壁のツタのような血管を浮かび上がらせて、会社の末っ子をいたぶったクズ星を威嚇する。
「セエアッ!」
先制パンチが鳳落の上腕二頭筋で防がれた。防がれたように感じない。まるで壁か地面を殴ったような感覚だ。それは硬さの問題だけではなく、拳を突き立てた相手のスケールの違い……。
「マァウッ!」
「シエッ!?」
痛烈! 一閃! どこに来るか、いつ来るかわかるほど大振りのラリアットなのに躱せる気がしない! 躱す? これもやっぱりスケール違いだ。例えるなら月の光がいつも眩しいからもう月をどかそうって感じか? 月光には抗えない。強制的に見上げさせられた空に浮かぶ月は自分の意思でどうにか出来るものには思えない。このラリアットはそれくらいスケールが違う!
「シエ……。お前。お前があのヒオウか。新宿でメッセとにらみ合った」
「ええ、あのヒオウよ」
なんとか立ち上がり、ゴア族カンフー守りの奥義の型に入る。どうやら一撃目のラリアットを食らって倒れた拍子に肋骨が折れたようだ。あと奥歯がぐらついてる。
また来るぞ。そうら。さっきと全く同じ、バカの一つ覚えのラリアット。でもこれだけの完成度、迫力のラリアットを覚えるのだって簡単じゃなかったはずだ。寿限無寿限無五劫の擦り切れ海砂利水魚の水行末雲来末風来末食う寝る処に住む処藪ら柑子の藪柑子パイポパイポパイポのシューリンガンシューリンガンのグーリンダイグーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの長久命の長助。そうら、覚悟がすんじまったよ。
「マァウッ!」
紅錦鳳落(36歳)
出身:マルチアース8 フイゴ島 種族:骸怪獣ヒオウ
196センチメートル 108キログラム
得意技:ラリアット
こいつは高島屋だな。