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アブソリュート・トラッシュ  作者: 三篠森・N
第4章 アブソリュートミリオン 2nd
73/354

第13話 ファストレーン

「どうする姉貴。その10億」


「犯罪で汚れた金よ。わたしが懐に入れるにしても洗浄……。マネーロンダリングしないとね」


「やめとけやめとけ、悪い冗談にもならねぇ。悪いジェイドが出てきたらジェイドが悪くなるなんてバカらしい」


 フジ、ユキ、頑馬、メッセ、メロンの五人はメッセの探偵事務所に集まってミーティングをしていた。ヒール・ジェイドがアブソリュート・アッシュに敗れるとヒール・ジェイド、アデアデ星人、ギレルモ星人、ヒオウ、ウラオビ・J・タクユキはポータルを使用して姿を消した。何も残っていない。野次馬のスマホに写真と動画……ジェイドとウラオビのいた渋谷の動画に混じっていた罵声程度だ。

 地球人が可能なところまでは自力でどうにかする、という期待は怪獣への対応もアッシュの治療もジェイドの思う通りに行かなかった。プラスになるものは何もなかった。


「で、今後はどうするんだ?」


「敵の出方が読めない。だから予め役割分担をしておいて、いざというときはわたしの指示なしでも素早く動けるようにする。今回は受け身、後手に回ったことが仇になった。ウラオビ・J・タクユキの痕跡を探して彼を見つけ出す役はメロンとメッセ。敵が暴力で訴えようとしてきたら、怪獣化して出てきた場合は頑馬。変身せずに人間態で出てきた場合はカケル」


「その采配の根拠は?」


「変身せずに戦う場合は被害を抑えるために細かい情報や連携が必要になる。どうしてもメロンを頼らざるを得ないけど、メロンとの連携は頑馬よりもカケルの方が上」


「妥当だな。じゃああのギレルモ星人が人間態で出てきた場合はカケルか?」


「そういうことね」


「まぁ、いいや」


 ユキは罵声と引き換えに手に入れた10億の処遇を考えながら、少し笑って見せた。自分の偽物、ヒール・ジェイド。その存在への不快感を抱きつつも、自分より弟の方がナーバスになりすぎているような気がしたからだ。

 偽物はどんな人間なのだろう。




 〇




「やぁ」


「江戸川さん」


 鼎がイタミ社を訪問してから一週間。ウラオビは江戸川双右の姿で鼎の通う大学を訪れていた。偶然にも偶然、ウラオビ・J・タクユキは江戸川双右の姿でこの大学に通い、学を培ったのだ。彼の恩師はまだこの大学におり、今はナカムラの指導教員であり学部長でもある。鼎が双右と出くわしたのはそのテラシマ先生の研究室のすぐ近くの廊下だった。


「君が欲しくてね。いや、変な意味じゃないよ。インターンで欲しいってことさ。イタミ社に有給インターンに来ることで単位を与えるよう掛け合ってみたのさ」


「先生の答えは?」


「ナカムラくんの就職先が決まらなかった場合は彼を引き取るというのがテラシマ先生の条件だ。願ってもないね。彼も欲しかったけど彼を誘うにはもう遅い気がしたからね。望月さんだけでも来てくれないかな?」


「……」


「まずは学祭の手伝いをするよ。紹介が遅れた。こっちはウチの学生アルバイト、碧沈花だ」


 双右の後ろを歩いていた女の子が人懐っこい笑顔でピースして、すぐに鼎に握手を差し出した。遠慮するのも感じが悪いので鼎はそれに応じた。


「碧沈花です。君の先輩だけど偉そうにはしないから大丈夫」


 何もかもが対照的な二人だ。

 黒髪ロングの姫カットの鼎とブラウンのアシンメトリーのボブカットの右側をピアスの空いた耳にかけている沈花。ピンクでキュートな鼎とオシャレな古着アメカジの沈花。陰の愛想笑いの鼎と陽の人懐こさの沈花。


「時給もいいよ」


「へぇ、わたすはお金は」


 困ってない……って言ったら不味くないか? 実際困っていないがそれはフジがヤクザから強奪した1000万円をネコババしているからで、顧みない二人は実はたった半年で1000万円を500万円以上使っていた。オタサーや先生方にもバイトを辞めたことは知られているけど不気味に金回りが良いとよからぬ憶測を呼ぶ。むしろがっつくべきなのだ。


「使い道いっぱいあるから困っちゃうぅ」


 どこかのクソガキだかクソババアだかわからないあいつみたいな猫なで声が出た。かわい子ぶる+ウソをつくでウソの重ね掛けをするとどうもこうなってしまうらしい。


「沈花だってコネ採用さ。でも沈花と君はいい友人になれると思うよ」


「へぇ」


「何故って、沈花は友達を作るのが上手いからさ!」


 何もわかっちゃいねぇ。それはこの碧沈花が無垢で明るいからだ。無垢で明るい人間に接せられると邪で暗い人間はそれに憧れ、眩み、拒否することが出来ない。暗い方は明るい方を友達だと思っているとは限らないけど明るい人間は明るい人間同士、問題なく仲良くなる。碧沈花も江戸川双右も明るいのだろう。おめでたくて羨ましい。


「そういうことで、来週から来てね。ログインボーナスに初日には3万円あげよう。楽しみだなぁ! 経修郎に狐燐、鳳落を早く君に紹介したいよ! どんなケミストリーを起こすのか。今夜からしばらくはワクワクで眠れないね」


「おいぃいい! 鼎ちゃんが引いてるでしょうが!」


 沈花のツッコミ。寒い。双右がボケれば誰かがツッコむ体制が出来ている。学生アルバイトでさえ社長にツッコめる常時無礼講。そして双右は鼎も自分にツッコませようとしているのだ。


「普段はすごく仕事の出来る人なんですよ。大目に見てやってください」


「じゃあそういうことで」


 双右のやり方は北風と太陽の逸話なら太陽の陽の熱で北風の陰の風を吹き回し、鼎を包囲して服ごと切り裂きながら焼き殺すようなものだった。しかし単位には代えられない。時給にも代えられないしログインボーナス3万ーッ!? 1000万円のせいで3万円など3円程度に思っていた時期もあったが学生が持つにも大人が持つにも大金だ。

 それに……。鼎には友達が少ない。

 小学校、中学校で仲の良かった子たちはいるが、どことなく中学時代はスクールカーストの開きもあったし、鼎の陰が最底辺を彷徨った高校時代……。生き地獄の浪人……。

 露骨に媚びてオタサーの姫と化しても、少女漫画にはありがちなサバサバしているようで情に厚い理解者アドバイザーもいない。

 フジは恋人だ。ユキ、メロン、頑馬、メッセは頼りにしているけれどフジと言う中継ポイントがあってもなお遠く、友人にはなれない。それに超常現象研究会にだってこんなマジモンの超常の存在の話は憚れる。

 しかし大学入学時より陰も媚びも薄れた。もし本当に碧沈花が友達になってくれるなら……。陽にはなれずとも、歪んで孤独な陰のまま孤独に苛まれて死ぬことはないのかもしれない。それにそこまで精神力を回復させてくれたオタサーに報いるには、ちゃんとSFとオカルト、つまり超常に向き合って学祭で結果を出すことだ。


「江戸川さん」


 双右はまだ学内なのに歩きスマホなんていうアンチマナー行為を犯していた。


「うん? なんだい?」


「来週なら火曜日は15時に行けるかと」


「OK。小伝馬町の改札に沈花を向かわせるよ」


 気さくに腕を振り、またスマホを顔の高さにあげる。その一瞬、沈花は双右のスマホの画面を見た。


「江戸川さん、女の子好きですね。また違うタイプの女の子の写真でしたね?」


「この人を女の子なんて呼ぶことが出来る人なんているのかな? 君にも教えたろう? この女性のことを」


 双右のスマホには二人の女性が写っている。どうやらロケーションはハワイのようだ。

 一人はつばの広い麦わら帽子に質素で清楚なワンピースにサンダル、ゾンビのようにガリガリでまったく性的じゃない体型とまぶしい笑顔の少女。

 もう一人は地の底で咲く蓮のように暗く穏やかな笑顔にジャージの女性。


「“聖母”駿河燈、つまりアブソリュート・マインと“聖女”犬養樹だ」


「へぇ、これがあのマイン」


「そう。駿河と江戸川で悪の一級河川さ。ハハーハー。ハハハーハ・ハーハハ。会いたい。会いたいよマイン……」


 また女の子の話してる。自分と狐燐に手を出そうとしない分だけまだいいけど女好きも過ぎるのは困るなぁ。なんて沈花は考えていたが双右はそんなレベルじゃなかった。


 アブソリュート・マインは“聖母”。つまり特殊な存在だ。もしかしたら自分の子を産めるかもしれない。かつてはただの長寿なアブソリュート人で産めなかったとしても“聖母”へと変わったことでチャンスが生じたかも。その可能性があるのなら目覚めたマインに力ずくで試したっていい。

 マイン自身には子供を産ませるのは無理でも、マインが万能となって理を書き換えてもらうことで双右の心は満たされる可能性はある。

 例えば、双右が子供を持てる体にしてもらうとか、双右の子供を孕める女性が現れるとか、或いは双右自身が不老不死となり、子孫を残す理由そのものを消してしまうか。

 しかしマインは見つからなかったしまだ目覚めそうにもない。なので同じく普通の体ではなくなった“聖女”犬養樹で試してみるしかない。それに犬養樹は托卵ゴア族、経緯や構造は違えど地球人とゴア族の混血だし、犬養樹に危機が迫ればマインは急遽目を覚ますかも。

 試す試す試す試す試す。ありとあらゆる女性で試す。ただし鼎やメッセみたいに純粋の地球人やエレジーナはもう試したので狙ってはいない。メロンもゴア族の遺伝子が多少入っているけれどあれは地球人なのでもう試す意味はない。メッセやメロンぐらいの美女はまた抱きたいけどこの二人に近づきすぎるのは危険だ。

 アブソリュート・ジェイド……。アブソリュート人を相手にしたことはない。それにジェイドってもう……。普通のアブソリュート人じゃないだろう。何かの聖域に入ってしまっている。ジェイドで試して嫌われるのは悪くないぞぉ。自分を殺す処刑人を探すなら、この時代ならジェイド一択だ。

 つまりウラオビ・J・タクユキ/江戸川双右のプランA。それは“聖母”マイン、“聖女”犬養樹、“聖域”ジェイドで試して子を産ませること。

 プランB。マインに頼んで、ウラオビ・J・タクユキにとって都合のいい世界を創造してもらうこと。手土産はジェイドの首辺りでいいだろう。サービスでレイも。

 プランC。マインと同じく不老不死になる。

 プランD。悪事の限りを尽くし、人の記憶の中に悪として残った後、アブソリュート・ジェイドと言う最高の処刑人によって人生を締めくくり伝説となる。

 簡単なのはプランDだ。A~Cをやろうと努めれば自然とDが近づいてくる。


 こんなに暗黒とエゴ、悪意に満ちた野望とコンプレックスの具体案はまだ側近の経修郎にしか話したことはない。その瞳に宿った闇は編集プロダクションの学生バイトの目と頭脳をもってしても読み取りがたいドス黒い暗黒だった。大江戸線の車窓に映る双右はウラのある笑顔。まるで選挙中のアメリカ大統領候補だ。

 アブソリュートミリオンよ、後悔しろ。あの時、確実にウラオビ・J・タクユキにとどめを刺さなかったことを。


「江戸川さぁん。筋は通しますよ」


「筋? なんとことだい沈花」


「たとえさっきの子がアッシュの彼女でもあの子には手出しはしない。そういうケジメはしっかりしましょう」


「優しい」


 なんて自分に優しい。江戸川双右は悪だとわかっていて、悪に加担してもまだ悪の中での度合いで自分を堕としたくないのだ。沈花は鼎に優しくしたつもりだろう。しかし双右からすれば沈花の保身でしかない。アッシュの彼女を人質にとって平気な顔でいられるのなんてそれこそマインぐらいだ。双右は予想以上にうまくいってしまって少し舞い上がっている。その辺を歩いている女子大生をその日のうちにイタミ社のバイトにスカウトすることだって容易だけどこれはちゃんとした計画。喜ばねば鼎に悪い。沈花はまだ罪悪感を覚えてしまうほど優しく、甘く、若い。


「でもちゃんとフジ・カケルとは戦ってくれるだろう? 例のアレも用意したし」


「あいつは予想以上に強いですよ。……やるなら今すぐがいい」


「なんで?」


「鼎ちゃんからフジ・カケルへの想いなんかを聞いたら気持ちがブレる。せっかくの友達ののろけ話を聞いてから殺すなんてサイコパスなんてことはあまりやりたくないんです」


「知ってた? 沈花。例え正しい使い方であろうと、サイコパスって単語を使う時点でその人は中二病なんだよ」


「ムッカつくぅ~」


「でも君がフジ・カケルと戦うなら今すぐがいいっていうのは賛成だよ。君は素直でいい意味でわかりやすく、自信とやる気は水物。イタミ社に着いたら狐燐の力を借りてアッシュのところに転送してもらおう」


 双右はマッチングアプリで女の子を、沈花はフリマアプリで古着を探しながら地下鉄を乗り継ぎ、二人は小伝馬町へ。オフィスの鍵を回すとデスクに突っ伏して狐燐がうなだれていた。


「アッハハハ……。もういいかなぁ……?」


「どうした狐燐」


「イラストの内職が終わらねぇんですわ。アニメのエンドカード頼まれてて……。ソシャゲのイラストも描かなきゃいけないし……。出来ない時は出来ない、そういう要求をたまには無理に押し通して承認させてこそプロ! ですよねぇ社長!?」


「かもね。でもキチンと出来るのがトッププロだし、それが出来るから狐燐に仕事が来る」


「マァ……あそこの制作会社にはお世話になったんで間に合わしますけど、これだけをずっと続けるのは無理ですなんか作業ください気持ちリセットしたい」


「渡りに船だ。沈花をフジ・カケルのところに転送してほしい」


「正気ですか?」


 狐燐が眉間に皺を寄せて口を尖らせた。目線の先にはビジネス宇宙人リーチ星人の闇通販サイトで買ったヤベーブツを運んできた段ボールだ。あれがあれば……沈花がフジ・カケルに勝てるというのか? 狐燐の気持ちは半々だ。沈花とフジ・カケル、コンディションの悪い方が負ける。そして新たな力に舞い上がっている沈花のモチベーションは高いが、アッシュも次こそヒール・ジェイドを許さないはずだ。狐燐の予想では、双右は沈花がフジ・カケルに勝てると思っていない。段階を踏んで敗北させ、徐々に徐々に沈花を改造して……。それで沈花は幸せなのか? しかしここでフジ・カケルに勝てれば、目先の幸福は得られる。


「娑婆僧。随分と娑婆僧になってしまいましたよこの虎威狐燐も。連載作家だった頃にはなかったものが邪魔をする。まだ老け込む歳じゃないのに。やってみる? 沈花ちゃん」


「やる!」


「じゃあこっから先は双右の言うことはシカトして聞いてね。まず、沈花ちゃんが負けそうになったらわたしは手を出す」


「わかった」


「わかってる? フジ・カケルに負けても殺されることも捕まることもない。敗北が軽いんだよ? 背水の陣じゃない。そうやって状況を舐めて引退する羽目になった人間を山ほど見てきた。気持ちは引き締め、でも緊迫しすぎずリラックス。難しいことを言ってるよね、ごめん。それでもやる?」


「やる!」


 わかってねぇなこいつ。だから双右は敗北と言うプロセスを踏ませようとしているのか。


「じゃあチョチョイのチョイでマンガ家の裏ワザをチョイだ」


 狐燐が筆ペンをとり、沈花が丁寧に手入れした眉毛に付着しないように墨で額に梵字を描いた。


「えぇ~? 今さら『キン肉マン』ネタとか古いんですけどぉ~? 肉ですか?」


「それは沈花ちゃん、というかイタミ社を守る梵字だよ。それがあればフジ・カケルに勝てなくても大丈夫。さ、行ってこい!」


 狐燐が掴んだフジ・カケルの座標は、上野。

 カケアミ、61番のトーン、ベタフラッシュと言ったマンガ家の技術で縁取られた狐燐のポータルをくぐり、沈花はまず和洋折衷の壮大な建物を見上げ、水鏡に映る白壁と瓦の荘厳さに息をのんだ。そして少ししてから虚しさ。今からここが戦場になる。

 バサッと布が強くはためく音。見える範囲に旗はない。


「どっから来やがった」


「あ、そっか。アブソリュート・アッシュのところに転送したからアッシュがいて当たり前なのか」


「アッシュじゃねぇ。今はフジだ」


 緊迫を告げる合図の音、それはアブソリュート・アッシュ……フジ・カケルがパーカーのジッパーを上げ、マフラーを勢いよく外して鼎に渡した音だった。


「キエッ……」


「やべっ」


 鼎のリアクションは沈花の想像とは違うものだった。さっきまで大学で話していた相手が突然転送されてきた驚きではなく、純然たる恐怖。戸惑いというステップが飛ばされている。


「同じ上野に現れるのでもバッタモンならアメ横に出ろ。ここは本物の国宝と文化財のある博物館だぞ。お前の来る場所じゃねぇ」


「まぁさかアブソリュート・アッシュが博物館デートする男だったとは驚きだぁ」


「ああそうさ。デート中。今日は中止だ。今、この瞬間に終わった。アブソリュート人とゴア族が戦うとなりゃ臨時休館だろうよ」


 しかしここに鼎がいたのは想定外だぞ。碧沈花=ヒール・ジェイドが鼎とアッシュにバレてしまう。もう遅いか。しかし疑問は残る。鼎とフジ・カケルのリアクションは沈花の想定と乖離があった。鼎は何故、碧沈花の出現に戸惑わなかった? 何故変身もしていないのにフジ・カケルにすぐ正体がバレた?


「お答えしよう!」


「狐燐さん!?」


「今はテレパシーで沈花ちゃんに話しかけてる。返事はしなくていい。一人で話してる変なやつに見えちゃうからね」


「はい」


「さっき沈花ちゃんの額に描いた梵字の効果で、今は望月鼎とかフジ・カケルとか、つまりイタミ社のメンバー以外のその他もろもろは今の沈花ちゃんを“碧沈花”と認識することが出来ず、沈花ちゃんが普段の姿でも“ヒール・ジェイド”としてでしか覚えることが出来ない。望月鼎はさっき会った沈花ちゃんと今の沈花ちゃんを同一人物だと認識できていない。つまり正体はバレない」


「なら安心……。とは言い難いです。気が引けるよぉ」


 広場の池に波紋が連なり、徐々に沈花へと距離を詰めてくる。


「セアッ!」


「よしっ」


 先制パンチは余裕のガード! 痛みと重みは分散しきれていないが大きなダメージは入らない。


「シッ、シェア!」


 オリンピックに『アブソリュート拳法 型部門』があれば金メダルの初代アブソリュートマン、銀メダルのアブソリュート・ジェイドに続いく銅メダルを狙えるアッシュの型!

 ここに来てまだアブソリュート・アッシュは臆病だ。せっかくのデートを邪魔されたってのにジェイドを騙った時より勢いと威力を感じない。表情だけはキレているようでもジャブ、フック。セオリー通りの攻撃はセオリーで防げる。激怒や狂気に任せて本能で戦うことが出来ない繊細と臆病、それに起因する雑念がアッシュのポテンシャルをいつも濁らせる。


「セアッ!」


 とはいえこいつはアブソリュート人だ! 両手の構えと上半身を一切ブラさず左足を軸に右膝を腰より高く上げる。アブソリュート人の格闘技には明るくない沈花でもうっとりする美しい型だ。この構えから繰り出される攻撃と防御の予感だけで炎さえも避けて通るだろう。右足で振り子のような細かいフェイントと軽打を刻みながら沈花のガードを右往左往させる。そしてポップコーンの炸裂じみたサイドキック! 蹴りとガードの腕の着弾地点を中心に空気が歪んで波打ち、暴力の斥力で沈花が後方へ吹っ飛んで池に尻もちをついた。


「チッ……」


 せっかくのビンテージジーンズがずぶ濡れじゃねぇーか。沈花も徐々にテンションが上がっていく。


「セッ!」


 沈花ほどのこだわりはないがフジもジーンズマニア、そしてスニーカーマニア。それでも濡れることは気にせずサッカーのスライディングにも似た低空飛び蹴りからの踏みつけで追撃を狙う。鋭い二等辺三角形の飛沫から円の飛沫。そして相手の攻撃を受けながらの後退では出来ない速度で飛沫がフジから遠ざかる。


「逃げんなァー!」


 フジの上体が深く沈み、水鏡のフジとフジの顔が近づいた。鞭のようにしならせた右手の先がサブマリンの軌道を描いて水面スレスレを滑り、水に泡も波もなくゼリーのように切れ込みが入り、フジから離れるほどに切れ、すぐに繋がる。それはこの攻撃の想像を絶する切れ味を意味する。


「チッ!」


 これは逃げきれないと察した沈花はゴアの守でバリアーの円盤を破壊し、呼吸を整える。イチかバチかだ。距離は十分! 右手の人差し指を立て、フジ・カケルに向けた。当たらなくていい。フジ・カケルの後ろには博物館。狙いが正確じゃなくてもフジの方から当たりに行く。


「ケイオシウム光……」


「シェイアーッ!」


 あの大宮での戦いではある程度アバウトで無軌道なケイオシウム光線で戦況の突破口を開くことが出来たが、今日は無理だった。あべこべの方向に曲がった人差し指がその証拠だ。まだまだアブソリュート・アッシュを甘く見ていた……。わざわざ指を突き出した女子に突き指させるだけなら居合の達人じみたバリアーの展開と押し付けは瞬きほどの一瞬だ。


「来いよ偽ジェイド。採点してやるよ」


「アイタタタ」


 折れた指をかばいながら沈花はジャンパーの裾をめくってベルトに装着していた例のブツを引っ張り出した。これがある限り、まだミスは許される。大丈夫だ、センター試験の時もそうだった。多少のミスは許されるし、問題が想定より難しかった……この場合は予想よりフジ・カケルが強かったことは向かい風だが、まだ間に合う。


「おい、お前……。それ」


 例のブツを見てフジ・カケルが青ざめていく。これは恐れか? 怒りか?


「う、う、うああああああ!!! お前は決して踏み込んではならねぇ領域を侵した! この場で、アブソリュート・アッシュの名においてお前はここで殺す!」


「そのセリフは前も聞いたよ。出来もしないことを何度も女の子に宣言すると愛想つかされるよぉん」


 碧沈花が例のブツ……。“フュージョンエンジン”のレバーを引いた。

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