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アブソリュート・トラッシュ  作者: 三篠森・N
第4章 アブソリュートミリオン 2nd
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第4話 それぞれの現在地 飛燕頑馬

 朝は肌寒い季節だってのに、額に玉のような汗を浮かばせ、首に巻いたタオルをぐっしょり濡らした男がいる。

 彼の通称リングネームは“ノーカウント”。マイナーな格闘家だ。元は暴走族の特攻隊長として未成年でのタバコ、酒、無免許運転、暴走行為、不純異性交遊、窃盗、ケンカ、公務執行妨害などを繰り返してきたが、そういった不良少年を格闘技を通して更生させる団体からスカウトを受け、プロの格闘家への道を切り開いた。彼の戦うルールでは相手をノックダウンさせて10カウントで勝利、もしくは1ラウンドに3回のノックダウンでも勝利。さらにドクターストップ、レフェリーストップ、セコンドによるタオル投入によるテクニカルノックアウトでも勝敗が決まる。

 ノーカウントは素人同然の暴走族上がりにしては強い格闘家だった。不良を集めた団体では大体の場合で相手のテクニカルノックアウトが宣告されるため、彼の試合ではノックダウンの10カウントの意味がない。

 現在の戦いの舞台は総合格闘技がベースだが、ここからボクシングやキックボクシングに転向してトッププロになることは難しいだろう。成長期に悪影響を及ぼすものの接種と間違った行いを繰り返し、体と基礎が出来ていない。それほど若気の至りは取り返しがつかないのだ。可能性があるならプロレスか。あれは“格闘技”だが“競技”じゃない。強さを誇示できないし、ケンカっ早く無愛想で不器用な自分に難しいスポーツだ。


「フゥ」


 今日もトレーニングでランニング。ランニングというには少しハードかもしれない。彼は多摩にある山奥の釣り鐘まで毎日走って登る。それまではタバコをくぐらせる間違った使い方しかしていなかった肺をマイナスイオンと前向きな志で浄化したいのだ。ゴーンゴーンと鐘を突く荘厳な音がする。毎日こうだ。ここの山の鐘は寺や神社のような宗教施設ではなく、ただ不格好で無骨な鐘が吊るされているだけだ。


「頑馬さん」


「おう、ノーカウント」


 この鐘の管理をしているのは、190cmを超える長身にムキムキの筋肉を搭載した、ガタイと風格だけでも格闘技の客寄せになるような巨漢だ。

 鐘のそばには小屋一つないので、おそらくこのマッチョマン……飛燕頑馬は毎日、ノーカウントよりも早く山に登り、ノーカウントより遅く山を下るのだろう。

 (ジュッ)。頑馬はタバコを消火バケツに落として莞爾とした笑みを浮かべた。

 飛燕頑馬とノーカウントが向き合うとまるで大人と子供だ。飛燕頑馬は191cm、116㎏。対するノーカウントは170cmで体重も67㎏しかない軽量級だ。やはり若気の至りが……。

 しかし、こんな小さな体にしてしまった若気の至りを全力で悔いることが出来るほど打ち込めるものがあるのはいいことだ。立ち直れた気がする。立ち上がれた気がする。立ち向かっている気がする。


「頑馬さん。俺には憧れている人が三人いるんスよ」


「ほう。いいじゃねぇか。聞かせろよノーカウント」


「俺はあんたを前に憧れを語れるほどデカい男じゃねぇさ。ただ、その三人のうち一人はあんただ。格闘技の経験があるんだろう? 相当強かったんじゃないんスか?」


「俺か。弱くはない。だが俺より強いやつはまだまだいる。最強には程遠い」


「そこなんスよねぇ。最強じゃないから自分はまだまだ、なんて、そんなデカいものを自分に求めてる。すげぇよ」


 頑馬のようなデカい体が欲しかった。そして頑馬のような父性、鋭く穏やかな眼差し。大きな背中。暴走族時代には特攻服の背中には御大層な文句の刺繍を入れて背負ってきた。入れ墨を入れそうになったこともあるが親に泣いて止められた。しかし頑馬の背中はジャケットの背面が無地でも雄弁すぎるぐらいに“漢”の貫禄の手本を飾る。


「そろそろ暗くなる。帰りな」


「ああ、また来るよ頑馬さん」


 今からプロボクシングのチャンピオンは無理でも、少しずつ、少しずつでも高いステージへ……。テクニカルノックアウトではなく、10カウントの10秒の重みを知れる戦いへ身を投じたい。

 ノーヘルで改造バイクに跨って爆音とタバコの灰をまき散らし、人を殴って怯えさせた過去の8年間。そんな風に誰にも褒められず、求められず過ごした8年間よりも、ベルトやプライドをかけてギリギリの勝敗を占う10秒間の方がよっぽど尊く、価値のある時間だ。都合のいい話だろうか? 多くの人に迷惑をかけてきたくせに、一端に理想や憧れを抱くのは。

 ゴーンゴーンと鐘の音。頑馬の鳴らす鐘の余韻を背に山を下り、銭湯で汗を流して中央線に乗り、新宿を歩いてジムへ向かう。夕方の新宿のカフェでいつもミルクティーを飲んでいる女性がいる。

 ボーイッシュなショートカットで、眼球が零れ落ちそうなほど目が大きくチャーミングで、真っ白な肌にきれいな歯並びでストローをくわえる。

 白いカットシャツを這うサスペンダーが豊満なバストをセクシーに強調し、シックな黒いパンツスーツ。

 嫌でも人目を引くほどの美人だ。アダルトビデオのエージェントだってこの美しさの前には遠慮し、プロのモデルや芸能事務所にこの素晴らしすぎる人材を譲るだろう。


「……エヘ」


 女性はミルクティーをストローに少し通した後、読んでいたスポーツ新聞をノーカウントに向けてスポーツ新聞のノーカウントと本物のノーカウントを比べ、ニヤッと笑って指を三本立て、一本ずつ指を折っていく。3、2、1、0。最後にOKサインで0を表現するのがノーカウントの決めポーズだ。この人がそれをやってくれるなんて、駆け足での登山よりもノーカウントの心拍数が上がる。毎日通っているうちにこの美人に顔を覚えてもらえた。フィクションの中のヤンキーは、ちょいぃっと濡れている子犬に傘でもさしてやれば本当は優しいと思われて清楚な女の子と付き合えるが、現実はタバコで歯が真っ黄っ黄でジャージばかり着ているロクでもない女ばかりで、セーラー服で機関銃をぶっ放す激マブのスケバンなんか実在しない。

 そこから脱却できたのか? オシャレで頭脳的にスマートで肉体的にはセクシーに豊満で歯も真っ白な女性と話してもいいくらいに?

 しかもノーカウントの決めポーズを知っているくらいマニアックに格闘技も好きなのだ!

 ノーカウントが憧れている三人のうち、一人がこの女性だった。いつか試合のチケットを渡せるといいのだけれど。


「よしっ!」


 ジムで一心不乱にサンドバッグを打つ。少しずつでもいい。頑馬と話し、女性ともいつか話して試合に招き、憧れのあの人のようになる。


「いいパンチだぞノーカウント」


「まだまだ! アブソリュート・レイのパンチはこんなもんじゃない!」


 身長170cmのノーカウントが身長53mのアブソリュート・レイに張り合う……憧れることすらおこがましいだろうか。しかし憧れとはそういうものだ。100mを10秒で走れる人間は、11秒で走れる人間に憧れない。自分よりも優れたものだから憧れるのだ。肩を並べられるかってのは話が変わってくるが、ノーカウントがアブソリュート・レイに憧れたって良い。テレビ中継で見た幕張でのアブソリュート・レイvsアブソリュートマン:XYZ、大阪でのアブソリュート・レイvs未来恐竜クジー、羽田空港でのアブソリュート・レイvsアブソリュートマン:XYZでの戦いっぷりにすっかりノーカウントは心を奪われてしまった。あれぐらい強い男になりたいし、自分を象徴する数字である0(れい)とも奇妙な縁を感じる。

 レイはどんな男なんだろうか。まさか地球人に擬態してその辺りで何食わぬ顔をして暮らしているのだろうか。

 飛燕頑馬、カフェの女性、アブソリュート・レイ。この三人が、ベクトルは違えどもノーカウントの憧れる三人だった。飛燕頑馬、カフェの女性、アブソリュート・レイに自分の戦いを見てもらいたい。小さいながらもこれだってスターダムだ。




 〇




「ジャラッ!」


 轟云(ゴウウン)!

 ノーカウントはそこまで気が付くことがなかったが、いつも頑馬がいる鐘には撞木がない。ではどうやって鳴らしているのだろうか?


「ジャラッ!」


 轟云(ゴウウン)!

 素手だ。頑馬は素手で殴って鐘を鳴らしていた。その数、一日に108発。

 この鐘を鳴らすことは自分の弱さの結晶だ。

 バースとの戦いにてこずったことは……。かつての相棒だったバースが強かったことは誇りでもあるが、もっと自分は強くなれる。事実、バースのとんでもない威力の火球の直撃に数回耐えている。アッシュでは一発だって無理だ。だが肝心のXYZ戦ではどうだった? アッシュとジェイドは「十分にやった」と言ってくれるだろう。三人でなければ勝てなかったことは間違いない。だがもっと……。もっとやれただろう!

 そして頑馬は心の強さを培うことにした。バースの火球を超えるべく、陽炎のオーラで青銅を溶かし、素手で打って鐘を鋳った。何度も手が焼けた。不格好ながら鐘が出来た後は煩悩を打ち消すべく、108発の拳で鳴らす。一心不乱の108発。

 まだジェイドに追いつけた気はしない。それどころか一度は追いついたはずの初代アブソリュートマンですら遠くなった。それでも心の強さはノーカウントが憧れるほどまでに成長し、ようやくジェイドの気持ちを理解出来るようになった。




 〇




「ウス」


 いつものルーティンを終えたノーカウントは、いつも通りカフェでミルクティーを飲んでいる女性に初めて声をかけてみた。


「こんばんは、ノーカウント」


 やや低めだがしっとりと透き通った声。女性はスポーツ新聞をテーブルに置き、丁寧にグラスを拭って結露を防いだ。


「覚えてもらえて、光栄っス! 一応自己紹介すると、ノーカウントっス」


「お噂はかねがね。暴走族上がりなんだって?」


「過去は否定しないっス。でも因果なもんだ。今の俺はどう? カタギの格闘家っス。でも格闘の道に入ったのは、格闘技を通して不良少年を更生させるプログラムのおかげっッス」


「わたしも似たようなものよ。贖罪を仕事にしたらはまってしまったクチ。自己紹介が遅れたわね」


 女性がコートの懐から名刺入れを取り出した。はためいたコートがくらくらするような香水をあおる。


「プリベ……。ム……メ?」


PrivateEye(プライベートアイ)、つまり私立探偵のMessenger(メッセンジャー)。親しい人はメッセと呼ぶ」


「外国の方っスか」


「そんなようなものね。スネに傷のある暇な私立探偵よ」


「暇ならちょうどいいっス! 試合のチケット、どうスか?」


「アラ、いいわね。格闘技は好きよ」


「サインしとくんで、バックステージに……」


 憧れの女性はチケットを受け取ってくれた! 渡したいチケットの残りはあと二枚だ。ノーカウントがメッセのチケットにサインすべく、スポーツ新聞の上にチケットを置く。しかしそれは決して賢いとは言えないノーカウントに、渡すべきチケットは残り二枚ではなく一枚であると理解させた。




 『飛燕頑馬 ポストシーズン敗退のオーガズに激怒』

 飛燕頑馬が2日、宇宙某所のステーキハウスに本誌記者を緊急招集した!

 先日、ケネス・リーグ・ベースボールでポストシーズン進出を果たしながらもファーストステージで敗退したオーガズにお怒りの気持ち表明となる。


●アブソリュート・レイ(飛燕頑馬)

「パァ! パァーだぜ、おい! エースのスミスを温存したかった気持ちはわからなくもねぇ。だがファーストステージで全敗して出番なしはマズイんじゃねぇか? 王手をかけられた時点でスミスを出すべきだった。ファーストステージを勝ち抜けないのにセカンドステージを見据える意味はない。現在は未来よりも近いぞ」


 怒りが収まらない飛燕頑馬はステーキ、ハンバーグ、フライドチキンを次々頬張る。


「怒りが収まらねぇ。ちょっと大声出してくる」


 そのまま戻ってくることはなく、テーブルには爆盛ギガアブソリュートステーキ4500g、ドリンクバー、カツ丼、フカヒレスープ、お子様ランチ、ペキンダック、ソーセージグリル、若鳥の唐揚げ、コーンポタージュ、ナタデココ、スイカ、ラーメン、チーズの盛り合わせの伝票が残された。

 飛燕頑馬の凶行は本誌既報の通り。そろそろ本誌記者サカモトの懐と堪忍袋の緒も限界のため、飛燕頑馬関連の記事を次回の編集会議に手直訴するため、本記事では既成事実として縮小する。




「頑馬さんが……レイ!?」


「知らなかったの? 新聞にも載っているのに」


「なんスかユニスポって。こんなのコンビニで売ってないっスよ。異星人の新聞じゃないスか!」


「まぁ、そういうことだけど……。申し込めば地球人でもユニスポは買えるわよ。頑馬を知っているのね」


「なんか距離感おかしくないっスか? 頑馬さんがアブソリュート・レイってことは、メッセさんも異星人!?」


「正確には怪獣。電后怪獣エレジーナのメッセンジャー。頑馬の旧友よ。昔は一緒にバカをやったものね」


 この瞬間、ノーカウントの精神はテクニカルノックアウトされた。

 憧れた飛燕頑馬はアブソリュート・レイだった。これによって飛燕頑馬とアブソリュート・レイはメンガーのスポンジのようにお互いを食い合ってしまった。あの優し気で男気のある頑馬さんと、荒々しく敵を叩きのめす暴れ馬のレイが……。頑馬とレイ、それぞれの憧れへの方向性が違うので、二人が同一人物でも同じ憧れを抱くことは出来ない。

 メッセは……。地球人じゃなかった。しかも頑馬の旧友? ゲスな勘繰りをしてしまう。そういうことはなかったとしても、自分はレイより、もちろん頑馬さんより強くないしいい男じゃない。メッセの好み、というフィルターを通しても男としての格の差は歴然で、しかもメッセは格闘技好きと来ている。宇宙中の格闘技好きの女性でレイに惹かれない女性はいない。

 試合終了のゴングが鳴る。


「……。試合には、来てくださいよ。頑馬さんも呼びます」


「ええ、そうしてやって。あいつも息抜きが要る」


「息抜き、か」


 試合当日。ノーカウントの相手はそこそこ強い。観客席にメッセと頑馬の姿を認めたノーカウントは……。カッコつけた。強くあろうとするより、カッコつけ、がむしゃらな根性ときれいなフォームの最大公約数で精いっぱい戦った。生き様を見せた。

 遠い……。遠い、遠い! 頑馬もメッセもレイも! 地球人の自分がいくら頑張ったってどうしようも出来ないじゃないか……。でも手は抜かない。強く、カッコよく、自分であれ。“ノーカウント”であれ。それが今の自分のベストだ。

 白いタオルが宙を舞う。ノーカウントはまたもテクニカルノックアウトで勝利を掴んだのだ。メッセも頑馬も拍手を送る。



「いい勝負だったな」


 チケットに書かれたサインを見せて、メッセと頑馬がバックステージにやってきた。


「いい勝負だった? ……。そうかもしれないスね。いい勝負。じゃあ、ケンカはどぉスかね」


「ケンカ?」


「ケンカは興行でもスポーツでも競技でもない。根性と根性、気合と気合、拳と拳のぶつかりあい。俺はプロの格闘家だ。一度でもプロになったなら、興行でもスポーツでも競技でもない戦いをしてはいけない。それを承知で、頑馬さん。いや、アブソリュート・レイ。俺のケンカを買ってくれ」


「……。そうはいかねぇ」


「それはあんたがアブソリュートの戦士だから?」


「それも理由の一つだ」


「じゃあ止めてみな。川崎最強の特攻隊長が今から暴れる。今から少しの間、俺は“悪”に戻る。止めてみろ。アブソリュートの戦士として」


「本気かい? ええ?」


「本気だ!」


 うあああああ!!!


「……ジャラッ」


 ()()ィッ!


「グ……」


 10カウントじゃ足りない。今までに敵から奪ってきた数えきれない数のカウントを使っても立ち上がれない。暴走族なんかにならず、奪ってきたカウントの分だけでいいからその分早く格闘技の道に入れたとしても敵うはずない。

 ありがとう。諦めがついたよ。さようなら。頑馬さん、メッセさん、レイ。こんなださい姿にはあんたたちもがっかりだろうさ。


「いいえ、そんなことはない」


 メッセさんの声?


「わたしはほんの少しだけ人の心が読めるの」


 酷だな。頑馬さんには言わないでくれよ、あんたが俺を慰めたなんて。


「……」


 ……。


「メッセ。この出来事は起きなかった。新進気鋭の格闘家がケンカでしかもワンパンで負けたなんて“なかった(ノーカウント)”」

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