第3話 それぞれの現在地 フジ・カケルと望月鼎
望月鼎(20歳)。彼女は特別だった。
サークルでのポジションは“姫”。みんなが彼女に妥協した片思いをするけど誰も口に出しちゃいけない手を出しちゃいけない暗黙の了解。誰か一人でも鼎への思いを口に出してしまえば鼎のポジションは“姫”から“サークルブレイカー”に変わってしまう。
名君だった“超常現象研究会”の前キャプテン、ヨシダ。彼は鼎に何も要求せず、そして彼女が何もしなくても何も言わなかった。彼は鼎のことが好きだったが、ノーチャンスなことを知っていたどころか、鼎が自尊心を保つために自分たちを利用していたことも知っている。もしかしたらフジという恋人がいることも見抜いていたかも。しかし鼎にはサークルが、サークルには鼎が必要だったので、利害の一致ではなく共依存の関係としてサークルの秩序は保たれていた。
では、この夏にヨシダからキャプテンを引き継いだナカムラはどうだろうか?
「望月さんは絵ぇ描ける?」
「あんまり得意じゃないかなぁ」
「んなら、ちょっとでもいいからなんか文章書いてくださいよ。学祭で冊子出すねん。最近頑張ってますな、望月さん」
「……」
確かに最近、鼎は頑張っていたのだ。
フジ・カケル、寿ユキ、飛燕頑馬のアブソリュート3兄弟、改造人間メロン、怪獣メッセ……。
侵略者・駿河燈。
駿河燈によるサークル侵略は大きな目的の踏み台だったが、次は純粋にSFとオカルトが好きな子が来るかもしれない。鼎はお払い箱になる。もう3年生になれば角も立つ。
それにもっと異星人や怪獣のことを知るべきなのだ。鼎はもう知ってしまった。この地球は地球生命だけのものじゃない。多くの超常によって脅威にさらされ、その脅威から守ってくれるのもまた超常だ。
殊勝。「守ってくれるから媚を売る」から始めた超常へのすり寄りは、フジ、ユキ、メロンを知って、個人個人への理解、それらの種族のバックボーンを知ることへのモチベーションになった。
駿河燈ことアブソリュート・マインが灰と化し、聖母へ変わってから2か月。鼎はすっかりSFとオカルトの虜で、“姫”だけではなく普通の会員として活動できるほどになっていた。昨年の学祭のようにお飾りではなく、ちゃんとメンバーとして迎えようというのがナカムラの心意気である。ナカムラはヨシダほど冷たく達観していないのだ。もちろん、暗黙の了の厳守は徹底するが。
「面白いところに目を付けましたな。『三香金笛抄』ですか」
「うぅん。これ変な本だよね。研究する価値ある?」
「ありますぞ。日本のシュールなギャグマンガを海外で出版するときに翻訳を任される人間の気持ちがわかりますぞ。それぐらいのトンデモ本ですな」
『三香金笛抄』。鼎の所属する“超常現象研究会”にも写しがあった作者不明の古文書……。そうされているが、アブソリュート人の戦士に似た存在に触れられており、アブソリュートミリオン、初代アブソリュートマン以前に地球でアブソリュート戦士について記録されたものは他にないため、『三香金笛抄』はその辺のオカルトマニアが古い障子の紙かなんかにそれっぽく妄想を書き連ねた、古くても50年前に制作された落書きとされている。
『三香金笛抄』に書かれている内容がすべて真実なら数千年前にはもうアブソリュート人は地球に来ていた? それなら大発見だ。
そうでないとしても、SFオタクのオカルトマニアの先輩が全力で悪ふざけした、っていう遊び心とインテリのアクロバットとして、“超常現象研究会”には価値のあるものだ。
さらに驚くべきなのは、このバカげた古文書の古びた字体、文体、挿絵の全てを解読し、鼎のようにバカな大学生にも読みやすくした上に注釈や解説マンガ、イラストを付けた『新訳・三香金笛抄』が先月自費出版されたことで、そのバカげた情熱は全国のオタクを大いに笑わせた。これこそ『三香金笛抄』の楽しみ方だ。読み手側も持てる知識と技術の全てを以てこれと向き合い、真剣な顔になればなるほどいいボケだ。
しかし、鼎にはそう思えなかった。
いろんな記述がある。鼎の知識での理解はこうだ。
「三つ頭の竜が蝶と戦い、ネズミが死んだ」→東京ディズニーランドを巻き込んだメガサウザンこと外庭数とアブソリュート・ジェイドの戦いでは?
「鷹が守りし卑弥呼の墓所で漆黒の鹿が炎を放つ」→福岡ソフトバンクホークスの本拠地福岡ドームでバースが火球を撃った出来事では?
「外道の聖母が輪廻を超えて目覚めた時、理が書き換えられ新たな生命が誕生する」→アブソリュート・マインのことでは?
確かにトンデモだ。福岡ドームが出来たのは平成になってからだし、邪馬台国九州説だってトンデモ。このあたりは新訳を書いた人物のアドリブのボケかもしれない。
「白き蝶が羽ばたく限り永久の冬」「手綱を燃やす無双の馬が鐘を打つ」「青い雷電の鴉が蟹を倒した」。
これはそれぞれ、氷の鱗粉で敵を攪乱するアブソリュート・ジェイド、陽炎を纏って暴れるアブソリュート・レイ、疾風迅雷の力を手にしたアブソリュート・アッシュのことでは?
鼎はバカだが、知りすぎた。遠い遠い過去、未来予知の能力を持つ何者かが未来について書き残したものが『三香金笛抄』なのではないだろうか。
「外道の聖母が輪廻を超えて目覚めた時、理が書き換えられ新たな生命が誕生する」。
マインが再び目を覚ますのか?
マインはもう鼎に用はないだろう。しかし彼女は危険だ。彼女が目覚めることはあってはならない。フジやユキの話を聞く限りでは、今を生きている生命体は犬養樹を除いて目覚めたマインに会うことはないはずだが……。
サークルのメンバーも『三香金笛抄』を大喜利以外の目的で使ってくれればマインに怯えずに済む。誰かがこう言ってくれ。『新訳』は原本とは全く関係ない、最近のオカルトのエッセンスを含んだナンセンスなギャグマンガだって。
「『新訳・三香金笛抄』の作者って実はウチの大学の卒業生なんですよねぇ」
「そうなの?」
「ええ、ビックリですよね。こんな大学からこんなギャグセンスの持ち主が現れるなんて。誇らしい反面、創設者も草葉の陰で泣いとりますよ。この大学のキャリアセンターでCランクDランクの企業に就職するしかなくて、せっかく稼いだ金をこんなアホな本を自費出版するために使ってそれが在学生にまでバカにされる。どう思う?」
「ギャグセンスに偏差値は関係ないよ。そう思いたいだけ。その卒業生に会いに行くことってできるかな?」
「ワタシがオファーして学祭の参考にしたいって言えばどうにかなるんちゃいます?」
「その方向で動いてみようかな」
「フッ……」
頼りにされると、傾いちまうじゃねぇか……。
ナカムラはヨシダがいかに名君だったか改めて知った。
「じゃあお先に!」
鼎は早足で大学を出て駅に向かった。季節は秋。日はだいぶ傾いたがまだ夕方の4時だ。鼎の大学から駅までは歩いて10分。そこから約30分電車に乗ると家の最寄の東武東上線和光市駅。そこから歩いて15分で家に着く。
まだ5時。
「もしもし? フジ?」
「おう」
「今から向かうね。アパートの下に着いたら電話する」
「ガッテンテン」
本当は今すぐにでも駆け出してしまいたいけど、会う相手はフジ・カケル。もう一度お化粧して、髪を整えて、リップを塗りなおし……。本当は水をガブ飲みしたいけどそうもいかない。
家族共有のパソコンの横の高級クッキーの空き缶から初心者マークと車のキーをピックアップして、駐車場のフィットシャトルにペタッ。
深呼吸……。シートの調整、ミラーの調整、後方確認、ライトを点ける。シートベルトも忘れない。冴えない顔の写真の運転免許証も持った。
そう。鼎はついに運転免許を取得したのだ!! だからフジを連れて試運転兼ドライブデートに出かけようって算段だ。
「ついた」
フジの部屋には上がれない。フジと鼎、二人合わせて三回も“逃亡”したことは、それぞれにとって己の心の弱さを象徴するトラウマなのだ。それにコインパーキング代をとられるのもバカバカしい。
ぼんやりと白い光が近づいてきた。青いパーカー、ダメージジーンズ、「TOKYO2020」のTシャツにスニーカー。歩きスマホのフジがコーポ・蓮見の階段ではなく、車の後方からやってきた。
「あれ? あんた外にいたの?」
「正直、腹減ったんでコンビニ行ってたわ」
「あんた……。ちょうど帰ってきたタイミングだからよかったものの! 入れ違ってたら路駐だったのよ!?」
「大丈夫大丈夫、この辺は真夜中に『DANDAN心魅かれていく』を熱唱しながらチャリに乗ってても警察が来ないし通報もされない。だがあのボケはそろそろ逮捕されるべきだ」
フジがコンビニの袋からチョコレートとレモン風味の炭酸水を取り出して鼎に渡してやった。
「リラックスしろ」
フジはこんなんでも免許を持っている。地球行きが決まったとき、父ミリオンに強く免許取得を命令され、すぐに免許を取った。ペーパードライバーだが鼎よりは運転に自信と経験がある。
「どこへ行く?」
「わたしの大学の埼玉キャンパス辺りまで行こうかな。あそこなら日帰りできるし、大きい道路沿いだから走りやすいはず」
日帰りに決まっているだろう!
もちろん鼎がこのドライブデートで握る棒もギアだけだ。
石神井公園のフジの住まいから夕方の道路を乗り継ぎ、川越街道を走って埼玉の奥へとフィットシャトルは向かっていく。
「……」
「……」
川越街道沿い、パチンコ屋とラブホテルしかないな! 気まずい。でも今日は日帰りだから!
「チッ、畜生が。あおってんな、後ろのチンピラ」
「え? あおられてる?」
「気にするな。ドライブレコーダーついてるだろ?」
「ドラレコはついてる。でもドラレコついています、のステッカーは貼ってない」
「『水曜どうでしょう』のステッカーを貼るなよ。バカがバレる。後ろからなんか出てきても問題ない。こっちの助手席にはフジ・カケルだ」
「なら安心だね。っておい! おいおいおい! フジ!? 後ろの人、なんか中の人出てきちゃってない!?」
「後ろか中かハッキリしろ。ちょっと出てくる」
赤信号で減速したタイミングで後ろのシャコタンからキティちゃんのサンダルを履いた金髪ツーブロックのチンピラが下りてきた。なぜだか知らないがガチギレしているが、星人や怪獣の類ではなくただのバカのようだ。フジに殴りかかってきたが、それに襲撃や格闘のセオリーは感じられない。
「おい待て。何が気に障った? 初心者マークが見えただろ、大目に見ろ」
「グブラァーッ!? ゲェー!?」
「ちょっとなんだこいつ……。警察呼べ!」
フジと鼎は日帰りのつもりだった。車には3時間くらい乗って、フジは石神井公園に、鼎は和光に帰るはずだった。そうならなかった。
「セェッ!?」
「キエエエエ!?」
ドライブレコーダーからフジが消えた。フジは交差点での左折してきた大型車に、あおり運転のブチギレツーブロックもろとも巻き込まれ、手裏剣みたいに吹っ飛んで地面に叩き付けられて動かなくなった。
「キエエエエ!? フジ、フジ!」
「来るな鼎……。巻き込まれる。ハザード出して警察と救急呼べ……」
虫の息のフジが左手を道路にかざすと、後続車のライトが何も空間で反射された。そのバリアーに気付いてもらって鼎が事故に巻き込まれることはなかったが、反射はすぐになくなった。使用者が失神してしまえばバリアーも消失する。鼎を守れるのはここまでだ。
「フジ、フジ!」
すぐに救急車がやってきた。こうしてフジは石神井公園のコーポ・蓮見にその日のうちに帰れなくなった。