第27話 本当もウソも興味がないのよ
「だいぶ人は減ったが暑いな」
「そうだね」
南池袋公園! 大人が遊んでいると即座に注意されるシーソーやシャレオツカフェ、楽器を弾く自分に酔った人間や酒に酔って人を跨ごうとして怒られる人が多い大人の公園。階段がそのままベンチになっていてここに座ってサンドイッチを食べたりサラミを摘まみながらビールを空ける人も。ベンチに座っている分にはお金もとられない。元々、九月一日から再始動するような中高生よりちょっとかっこつけたい二十代の居場所だ。フジと鼎の遊び場でもある。フジ以上に強いユキ、頑馬、強さ不明の燈なんかの存在を知ってしまってもフジがいる限りここは鼎にとっての聖域に近い。「関西人が二人集まれば漫才になる」なんて言うけれどアブソリュート人の青年とギャグセンスのない埼玉県民の娘じゃ他人に聞かせる価値もないただのだべりにしかならない。
「時間だ」
「時間? カックラキンの再放送か? それとも天才てれびくんか?」
「大変なんだよいろいろ」
幸いにも日陰。まだ暑さ厳しい九月の都心の熱気が鼎のゲーム機を包む。時間はちょうど三時になる。対戦相手のプレイヤーネームが表示された。“イツキ”だ。
「チッ、ハチマキか」
これでいいのか悪かったのかは不明だが、“イツキ”の速攻であっという間にゲームセット。鼎のゲームは暗いケースの中に戻った。もう悔しさも汗も滲まない。相手が強すぎて負けて当たり前になってしまった。
「毎日三時になるとこのプレイヤーと戦わなきゃいけないんだよ」
「それで?」
「フジ」
「わかった。イエスかノーで答えろ。何年か前に日本最大手の暴力団が分裂した。片方の暴力団員の若手は、法にも触れずカチコミにもならねぇからと、サインのおねだりという名目で駅に着いた相手方の幹部を取り囲んで大声を浴びせた。それと同じことが起きてるのか?」
「イエス」
「わかった。あのババアは最初からあたおかだったが、多分今の精神状態は普通じゃない。ブチ殺してやる」
「そんなこと出来るの?」
「法にもカチコミにもならねぇ。だって俺はアブソリュートの戦士だぞ。俺は訓練を受けた上にレジェンドにマンツーマンで鍛えられてる。悪を討って何が悪い。俺がやれば正義。師匠が喜ぶなぁ」
「……因幡飛兎身ってどんな人か知ってる?」
「聞きたいか?」
「知ってるんだ」
「なんでもソツなくこなす、なんでも出来るやつだ。何をやらせてもすぐに出来るようになる。そういうやつは多分三百人に一人くらいはいるな。因幡飛兎身みたいなやつよりも二つ格が落ちるやつは、なんでも出来るが、自分が簡単に出来ることを他人は簡単にやれないということに気付いていないから厄介だ。一つ格が落ちるやつは自分が簡単にやれることを他人は出来ないとわかっているから寄り添って知識や技術を教えることが出来る。そして因幡飛兎身くらいのやつは、自分と同じことを他人が出来ないとわかっているから、見下す。しかも出来ない周囲の人間の無能さを許している。でも他人を顧みない分そいつ自身はどんどん前進していくから誰よりも出来るし、誰にも文句を言われないからタチが悪い。ああいうやつを鬼畜と呼ぶんだ」
趣味:人間観察は寒い。しかしヒトミが周囲の人間の無能さを許しているのは事実だ。鼎にサインのおねだりは出来ずとも、毎日決まった時刻にゲームで対戦を申し込む。グレーゾーンだ。鼎くらい無能で甘ったれだと、もしかしたら仲良くなれるかも、とか、ここで文句を言わなければ一生この程度で済ませてくれるとか考えてしまう。燈はヒトミならばこの圧力のバランスをとることも容易と見込んでいた。ただオンラインで対戦するだけなのはあまりにも簡単で単純な作業なので、ハワイから帰国した後は毎日三時の時報の役割はイツキに譲ってあげていた。
イツキの無能さを察して仕事を投げるヒトミの中に慢心や悪意はない。彼女から見て無能な人間は罪じゃない。彼女にあるのは「どのくらい無能か」という秤と「どのタイプの無能か」という目次だ。
「なるほど。確かに鬼畜だね」
「二つ格の下がるやつは頑馬の野郎、一つ格の落ちるやつは姉貴って感じだ」
「お姉さんが?」
「優しさの分一つ下だ。フゥー、因幡飛兎身が相手になるのかぁ。メンタル的にも物理的にも骨が折れるな。……助けて、なんて言うなよ。俺の意思で殺しに行く。あ、その前にこれ渡しとく」
フジが遮光の袋に入ったディスクを鼎の鞄に手を突っ込んだ。女の子の鞄に手を突っ込むのは服に手を突っ込むのより難しいのに。
「まさか、え、え、えーぶ」
「『バトルロワイアル』のDVDだ。観たがってたろ。来週の日曜日までに大泉学園のゲオに返しといてくれ」
「借りるけど、自分で返しなさいよ」
「えぇ? この五日でもう一回お前に会わなきゃいけないの? だるぅ」
フジがポケットから慣れた手つきでタバコの箱を取り出した。南池袋公園は禁煙。豊島区全体が路上喫煙禁止なので徒歩ではない手段ですぐに喫煙可の場所に行くのだ。
「じゃあな」
「待ってフジ」
「ん?」
「海……行かない? 今度でいいよ。まだ暑いうちに、海に行こうよ」
〇
「メッセ。ミーティング、出来る?」
「了解。場所はここでいいわ。そういう風に伝えて」
この数日間、メッセの部屋でゲームの特訓に没頭していたメロンは爪が変形していた。地元じゃ王女のメッセは人数分のコップを用意してリビングで客人を待った。チャイムが鳴ってインターホンを覗き込むと一五三センチの少女、一九一センチのマッチョ、一七四センチの青年、一七〇センチの老人が見えた。
「直接リビングに来られるのに律儀ね。恐れ入るわ。自分の野蛮さを見直すことになりすぎる」
メッセは和室に座布団を敷いて四人のアブソリュート人をエスコートした。ミリオンが膝や腰を気遣いながら座ってから一拍入れてユキがノートを広げた。
「まずは集まってくれて、力を貸してくれてありがとう。これまでと同じようにこれからも全員の力が必要になる。わたしたちが集まればマインは必ず千里眼で覗いている。だから手短で簡易のミーティングになるわ。メッセ、サイバーミリオンの手配をありがとう。わたしではこんな方法は思いつかなかった。メロン、操作をよろしく。でもサイバーミリオンを動かすこの二人を直接トーチランドに送り込んだら危険。サイバーミリオンに集中してもらうためにも、二人の護衛としてカケルと父さんについていってもらう。頑馬とわたしはこっちの世界に残る。XYZやバースに対抗できるのは頑馬だけ。カケル、あなたが一番危険かも。父さんは地球では三分から五分しか変身出来ないから、敵が巨大化したらあなたが戦うしかない」
フジが久しぶりにあった父親はあぐらですら凛としている。自分の父親とは思えないキッチリした佇まい。自然と背筋が伸びる。そんな背中に衝撃が走った。
「気負うなカケル。お前の力も誇れるものだ」
「どうした兄貴。随分と親父に似てきたな。兄貴こそ気負ってんじゃないのか?」
「兄弟揃って憧れの対象が同じってことだな。メッセとメロンを頼んだぞ」
「ヘェ」
ダメだ……。父親が前だと得意の軽口も叩けない。因幡飛兎身だけはブッ飛ばす宣言が父の威光に封じられた。
「四人の用意が出来次第、トーチランドに転送する。向こうの用意を待つことはない」
「一時間待て、ジェイド。今すぐに、では心の整理がつかない者もいる」
メッセが首を横に振る。
「はじめまして、アブソリュートミリオン。お噂はかねがね。わたしとメロンはずっと備えてきた。というかそっちの坊やの決心をずっと待ってたのよ。わたしとメロンはいつでも行ける。どうなの坊や」
「じゃあ行くか。俺もこの気持ちが冷めないうちに行っておきたい」
「OK、じゃあ開いて、ジェイド」
メッセの部屋に緑色のポータルが開かれる。トーチランドに送り込まれる中では最も長身のメロンが通るのが精いっぱいしか開くことが出来ないようだ。ミリオンが先頭を歩いて異次元へ転送され、メッセが続き、サイバーミリオンを起動させるために必要なパソコンとコントローラーを持ったメロンが追った。最後にフジの一歩目が輪をくぐるとユキが弟のパーカーを掴んで引き留めた。
「カケル」
「どいつもこいつも卑怯だな。心配することたぁねぇ。俺は死なない。親父もいる」
「ごめんなさい、カケル。あなたは本当は戦いたくないのに」
「いや、そこは今でも戦いたくはねぇよ。でもさぁ、あのババアはもうそういうレベルじゃないだろ。俺でもあのババアを放っておくのはヤバいってわかるぞ」
「カケル。あえてこう呼ぶわ、アッシュ。それが正義よ」
「あぁーあ嫌だ嫌だ。鼎を頼む。和泉の心配はいらない。あいつは自力でどうにかするだろ」
「ふふっ、やっぱり父さんの言った一時間が必要だった?」
「止めたのは姉貴だろう」
踏み出した右足に重心を傾けるだけで姉の手はすぐに離れた。あと一歩。あと一歩だ。
誰よりも優しく、誰よりも薄情になれ。
ヒーローの志を見失っても力の道がある。
自分を誇れ。
その一歩が重かった。前を歩くのは時代を築いた堂々たる父、後ろには時代を背負う偉大な兄姉。彼らが前後にいなければ……。
「遅かったね、フジ」
「おいマジか、クソッいきなりかよ」
ようやく転送が済んだフジが慌ててメガネを胸にしまう。ミリオンは既に腰を深く落とし、居合の構えに入ってる。
ユキがトーチランドのどこにポータルを開くのか知っていたかのように、出口には燈とヒトミのツートップが待ち伏せしていた。サラサラキューティクルの燈の黒髪が覆っているのは頭部と顔だけじゃない。左目に当てられている筋張った左掌の表面にも光を呑みこむような黒い銀河がかかっている。
「わたしは変身出来ないと思った? 確かに君たちの変身とは少し違ったものではあるけれど」
燈の左目からの強力な光は左手の血管を透かせるようだ。その光を中心に火花が散り、燈の体そのものが火薬となって細かい爆発と共に灰に変わる。全身が燃え尽きると左目のあった場所の光が宙に舞い上がり、燈の遺灰がその光の玉をコアに宗教画の聖母のシルエットを作って光の輪を背負って約三十二メートルの黄金の巨人へと変身した。アブソリュート人の姿ではあるが、アブソリュート人と呼ぶにはあまりにも異形。聖母像を基調とした神々しい姿は“戦士”ではなく、いかにも人間が想像し、デザインした“聖人”だ。
燈……マインが合掌していた手を開き、瞼を開けて赤の瞳を覗かせるだけで威圧感がまるで違う。より一層増した後光は浴びるだけで火傷しそうだ。フジ、メッセ、メロンの腰が引ける。人生の負い目や罪に引火させる魂への放火のように感じられた。
「わたしには戦う才能も必要もない。だからわたしは変身した体を丸ごと三十二メートルの生体コンピューターに改造した。有機と無機の境界を永遠に彷徨う、命と姿を捨てた外道がわたし。サイバーミリオン? あれで壊すはずだったトーチランドのメインコンピューターって何のこと? ここのメインコンピューターはわたし自身よ。想像が足りなかったね。ミリオン……。お前のようになれなかったアブソリュート人の末路よ」
「貴様一体、何者だ」
「お前の父親がアブソリュート・ファザーなんてマヌケな名称で呼ばれるずっと前、ファザーより前に生まれたアブソリュート人。でもマヌケだけど理に適ってる。全てのアブソリュートマンの中心は初代アブソリュートマンであるべき。初代アブソリュートマンの父親ならファザーでもいいのかも」
アブソリュート・ファザーより年上……。アブソリュート・マインの年齢は一万歳を突破している可能性がある。長寿のアブソリュート人でも一万年を超える人生を過ごした者はまだいない。戦いに身を置くアブソリュート人は体か心の傷を避けられない。戦士として頂点を極めたジェイドの最大の目標が一万歳突破であるくらいだ。そのジェイドでもあと九九五〇年かかる。偉大だ。偉大であるはずの数字なのに。道理で。道理でアブソリュート人ですら出来ない、生物としての域を超えた神々の姿になってしまう訳だ。
「セオリー通りに行きましょう。サイバーミリオンはわたしが倒す。ヒトミちゃん。わたしを守りながら敵の妨害をお願い。バース、向こうの世界に行ってレイを」
「うぃ」
ヒトミがトリガーの四つ着いたピコハンを素振りする。鼎にちょっかいを出していたので今のヒトミにとってはフジの一挙手一投足が愉快だ。激高しても面白いし平静を装っていても面白い。こんなことでウケる人生を送ってきたのが恵まれすぎた人間、因幡飛兎身だ。
「親父、俺が行く」
「行けるのか、アッシュ」
「任してくださいよ!」
パァン! ミリオンも唸るほどのアブソリュートの基礎中の基礎のジャブがヒトミの柔らかな手首の動きで黄金長方形の無限回転螺旋の如く最小化され、ヒトミの腕力で握り潰せる大きさになってしまう。またこれだ。一手交えただけでフジは辟易した。
「ゴア族カンフーか」
「ピコハンで片手が塞がってる分、防御力は低いけどねぇ。わたしが使えないはずないじゃん」
「セアッ!」
バキィッとミリオン譲りのミドルキックがヒトミの胴を捉える。今まではこうじゃなかった。同じゴア族カンフーの使い手でもマートンはこれで骨が折れて肉を損傷させる手ごたえがあった。ヒトミは違う。肉と骨の区別もなく、“因幡飛兎身”という一つの塊を蹴った感触だ。ヒトミはミリオンが地球で現役だった頃に流行ったオモチャの勢いで弾かれ、トーチランドを転々とした。ラグビー球のように不規則にバウンドし、転倒の中で体勢を立て直す。
「フジのトラウマ怪獣はこいつでしょ? “クジー”!」
ヒトミのピコハンの柄から小さな火の玉が出現、ピコハンで殴ると巨大な火球に変化して流星になる。フジの脳裏をよぎるバースとの二度にわたる戦い。灼熱の玉が青年に鳥肌を立たせる。
「セッ!」
ミリオン、メッセ、メロン、自身をカバーする特大バリアーは役目を果たした。バリアーも損傷せず、ダメージのフィードバックもない。所詮はパチモンの火球だ。
「あっちゃぁ。距離がありすぎたなぁ。でも近距離ならこれっ!」
脱兎の如く超跳躍! バリアーが間に合わない距離まで間合いを詰め、着地の勢いのまま回し蹴りを放った。軸足にかかる負荷だけで足下のコンクリが抉れて砕け散る。
「ルッ!」
「“三”!」
今のフジはこれが違う! バリアーが使えなくても接近戦ならゴア族カンフーの守備の極意。バリアーとゴア族カンフー! 守りの一点ならばフジは既にミリオンを超え、宇宙でもかなり上の方に位置する。だが衝撃をストックしたヒトミの超弾力ボディの回し蹴りは、フジのゴア族カンフーへの信頼を揺るがせた。パワー特化したジョージのセンゴクBトリガーを超える攻撃を生身で!?
「あんまりそいつを使うなよフジ。それはゴア族のものだ」
「セアッ」
「こんな風にね。これに対しては“十三”だ」
ヒトミのムカつくほど整った顔面の人中への正拳突きもゴア族カンフーで威力が塵と消える。お互いにゴア族カンフーが使えてしまうなら戦いが長引きすぎる!
至近距離で正拳、裏拳、手刀、掌底、ありとあらゆる格闘技を放っては互いに無力化し合う。ヒトミの技の威力が増してきた。防御で溜まった衝撃を攻撃にも回しているのだ。ミリオンの目にはどう映っただろうか。ここまでのフジの格闘は、防御にはゴア族カンフーを交えているが、攻撃は父の目を気にするように正道中の正道。だからこそアブソリュートの正道がこの一人の天才ゴア族には全くの無効である現実……。
「だからそいつを使うなって言ったんだフジ。それにロード対サイバーミリオン、バース対レイをしっかりと観戦したいのにさぁ」
「……試してみるか」
フジの正拳を“十五”で受けたヒトミの左掌に小さく鋭い刺激が発生。フジの体勢は正拳突きから一切変わっていない。それなのに左手には熱、刺激、危険を感じる。これは何かある。ヒトミは冷静に判断した。そうだな、ここはいったん距離をとるべきだな。弾力のエネルギーを両足に回し、電光石火で後退する。それなのにヒトミがゼロ距離で感じた熱、刺激、危険は遠ざからない。電光石火でスクロールされる見慣れたトーチランドの風景。その真ん中に一切縮尺が変わらずフジ・カケルがいる。フジの右拳がズームになった。さっきの二倍の大きさ、四倍の大きさ、八倍の大きさ……。今は視界の全部。
「セエエエアアアアアッ!」
「レレレッ!?」
熱、刺激、危険が痛みに変換され顔面で破裂した。鼻骨は特異体質“超弾力”のおかげで無事だが、鼻腔内の毛細血管がブチ切れ、看過出来ないダメージとして危険信号が脳に伝えられる。ゴア族カンフーにこんな技はない! ゴア族の身体能力ではこんなスピードと威力は出ない。弾力ボディで衝撃を分散、吸収させても大きく入るダメージだ。
「レ……。なぁるほどね。バースの言ってた強化形態ってやつか」
空気をバリバリ食い散らかすような乱暴な呼吸、体に収まらずに全身に迸る青い稲妻。成功しているのか失敗しているのかすら不明なほど不安定で、大きな力の振り幅! おぉっと上から聞いてないぞ!
「その姿の名前は?」
「アブソリュート・アッシュ……。“オーバー・D”」
「D? なんのD?」
「努力」