第18話 犬養樹②
「ようこそトーチランドへ。みんなは君のことが嫌いみたいだけどわたしは歓迎するわ」
池袋に設置された転送用のキーからフジがトーチランドにアクセスする。今じゃ閉園間際で入場規制がかかってぎゅうぎゅう詰めのとしまえんがガラガラだ。ここが敵の根城、トーチランド。まずは簡単な面談として燈はフジをお化け屋敷に転送した。
「どういう風の吹き回し?」
「お前が一番ウザがってるのってメロンだろ」
「そうね」
「だろ? こちらがメロンだ」
フジの肩から分身メロンが手を振った。虎穴に入らずんば虎子を得ずでメロンを連れてきてトーチランドのアドレスを割ることは想定外だった訳じゃないが、何故こんなドストレートに?
「メロンが分身を作り出せるのは本体からだけじゃない。約百人の分身につき、一人だけ分身から分身を作れるリーダーメロンが生まれる。俺の肩にいるメロンはそのリーダーメロンだ」
「それで?」
「姉貴、兄貴、カイ、和泉、鼎、メッセにも分身をつけていて、メロンは今一体何人分身を出していると思う? ご存知だとは思うがメロンは分身の数パーセントを殺されると本体にダメージが入る。分母が増えれば限界も遠のくが、分母が多いほど多くダメージが入る。今がチャンスだぞ。俺についてるリーダーメロンはここの位置を割るためにもっと分裂する。シャバにいるメロンもどんどん増えていく。メロンを終わらせるなら今がチャンスだが、急がないとな。メロンがここを見つけて姉貴がアクセス出来るようにするまではお前側についてやる」
「そう。じゃあそれまでにマグナイトのBトリガーを作れたら君を“喜”の幹部にしてあげる。あんなゴミのヨシツネでも小物なりにジェイド対策は理に適ってたからね」
〇
サムソン・チャポー(21歳)。タイ暗黒街最強のムエタイファイター。
表の世界に相手がいなくなり、十四歳で水牛の撲殺に成功。試合には殺した水牛の頭蓋骨を被って入場する。驚異的な反射神経、体のバネ。エンタメ重視で苦戦する筋書きの八百長試合でも六十分パフォーマンスを落とさない。アクション映画のスタントマンにスカウトされたこともあったが暗黒街を仕切る恐るべき極悪ギャングの構成員であるため映画出演は叶わなかった。
そのサムソン・チャポーを超える身体能力が日本の犬養樹だ。
AトリガーとBトリガー! 二丁の拳銃が一戦交えるのに選ばれた舞台は鉄砲が伝来した種子島! 燈の詩的なマッチメイク!
「ヴァッ」
イツキは人間の姿で戦った荒川の戦いでカイに負けていた。“鏖”の弾を避けることが出来ず、可燃性の墨を水鉄砲と筆に繋ぐチューブを切断された。文字通り戦術の生命線だ。XYZ、ヒトミ、ジョージとの戦いをトーチランドで復習したが、カイは“鏖”の弾の威力を調整し、XYZ以外には殺害しない程度の威力に抑えている。樹木や廃屋を木っ端微塵にする威力を人間相手には使わない。
「よしっ」
常人なら膝が砕ける急停止と足捌きでイツキがカイに背中を向ける。墨を入れたタンクは金属製で“鏖”を弾くことが出来る。タンクを破壊出来るのは最高威力に調整した“鏖”! それが当たるとイツキは死ぬが、カイは相手を殺したりはしない。カイはそういう人間だし、ユキはそういう風に教えている。
「アシャア!」
カイに背を向けたまま大跳躍して宙返り。その高度とフォームの美しさにカイは一瞬心奪われ魅了された。あんな重い装備を背負ってあんな高さまで……。
「アシャア!」
その超高度のムーンサルトプレスがイツキの体重と装備の分の重さになってカイを圧し潰す。畳まれるプールの遊具のように空気が抜けてカイがしぼんでいく。なんとか気を取り戻してボディプレスから脱出するが、後ろに目がついているような正確な狙いの後ろ蹴りが肋骨に突き刺さる。
「……」
屈めた体を伸ばすと光のないイツキの目が真っ直ぐに自分を見据えていた。吸い込まれるような漆黒の目。底知れない悲しみの黒。
何を背負っている? 何があった? 何故こんなに悲しい目をしている?
カイには一生イツキの悲しみはわからない。カイを見てきたユキも同じことを言うはずだ。「カイにイツキの悲しみはわからない」と。所詮、ポジティブ思考の人間にはネガティブ思考の心の闇はわからないのだ。ポジティブは優れた才能の一つだ。心が整うことによりパフォーマンスが向上し、いい成績を残したアスリートはどっかの三流作家がポジティブ語録だけを一ページにつき一つだけ書いた名言集を売る。
カイは精神面ではイツキより優れているはずだった。だが今のイツキはネガティブなだけではない。化け物だけでは悲しすぎるのだ。燈の元で、誰よりも褒められる化け物になりたい。燈以外は誰も、化け物である自分を褒めてくれないかもしれない。だから燈のためになんでも出来る。
水鉄砲から墨弾が発射され、カイに向かって尾を引いている。だがやはりだ。装備自体の性能は向上されておらず、墨弾の弾速が遅い。これなら間に合う。ユキがイツキ対策に提案してくれたアイディアが!
「アブソリュート・レイ! “火”の弾」
着弾と同時に激しく炎上するレイの“火”の弾! 強力な弾だが、四十年近く反抗期だったレイの記憶の流入をよしとしなかったユキに使用を控えるよう指示されていた奥の手だが、ようやく解禁された。その“火”の弾丸はイツキの墨弾に触れて炎上し、着火の権利のイツキから奪い取った! 墨の散布によるトラップ設置は“火”の弾がある以上もう不可能。タンクに引火すればオダブツなのでタンクで受けることも出来ない。火炎弾を撃っても“火”の弾に当たれば墨が全て燃え尽きる。イツキの瞼が少し動いた。イツキをずっと可愛がってきた燈じゃなければ気付かない程の動揺だ。
火炎の光に隠れてイツキが後退し、筆の先から墨を滴らせて細かく飛沫を撒き散らし、即座に着火し炎の結界を作る。しかし“火”の弾を撃ちこむとその爆風でイツキの火炎がかき消される。
これで本当にいいのか?
重い装備と火炎にこだわらせているうちが勝算あるのでは? あの身体能力をフル活用出来ない重装備。サムソン・チャポー越えのキックを今のままでは使えない。
燈はある程度機動力が殺される重装備でもイツキなら十分速いと感じて今の戦い方を提案したが、燈は戦いのセンスがほとんどない。イツキの能力との噛み合いは悪い。重装備から解放された時の方がよっぽどヤバいというのがカイの懸念だ。
「……やめないか?」
「何?」
「お前たちは悪いことをしてるんだよ。ジェイドを殺すとか、目的の過程で誰かを踏みにじって平気でいるとか、自分たちの主張を押し通すために誰かに譲歩を強要したり、譲歩しない相手を殺す。お前はすごいよ、犬養樹。悪いことに使わず、誰かの為に」
「わたしにとってその誰かは駿河燈以外にいない」
「そうか」
吐き捨てるような言い方だった。駿河燈しかいないことを嘆くようにも誇るようにも聞こえたが、意思は変わらないということか。言うのは簡単だ。カイだって今、ユキを捨てろと言われても到底聞き入れられない。
「アシャ」
頑固なのは重々承知だったが、イツキはあっさりともう水鉄砲は使えないことを理解した。水鉄砲をスピンさせて中の墨を抜いて引火を予防し、ホルダーに収めて筆を両手持ちにする。接近戦ならイツキに分がある。背中のタンクで防がれるのはしょうがないとして、威力を抑えた“鏖”で武器を破壊し、心を折るしかない。
「アシャ!」
その瞳には何も映らない。ブラックホールのように光を吸い込む真っ黒な闇がカイを目掛けて何度も筆を振るう。しかしAトリガーを通して九人のアブソリュートマンの経験をコピーしたカイにはもう通じない。見切るのならば簡単だ。
「ヴァッ!」
アブソリュート・アッシュの記憶をトレースしてハイキックで筆を逸らし、至近距離でAトリガーの銃口を突きつける。イツキの顔色が変わった。二択だ。“鏖”なら背中で防げる。“火”なら背中だと引火する。二択を迫られたイツキの答えは……。
「アシャア!」
自分を殺さないことにこだわるカイはどっちも使えないと判断した神速のローキックだった。カイもそれに読み勝ち脛でカット、弾を込め直して再びイツキに銃口を向ける。保護するとかそういうことが出来る相手ではなかった。殺すつもりでやってなんとか勝てる敵だ。
「“電”の弾」
「ッシャア!」
超至近距離から最速の“電”を躱す……。デタラメすぎる反応速度だ。だが狙い通りだ。“電”の弾が背中のタンクに穴を開け、墨が流出し始めた。詰みだ。もう“火”の弾一発で終わる。
「もう終わろう。駿河燈のところへ帰れ」
「なんの手土産もなく? 何も出来ずに!? なんでこうなったんだろう? わたしはただ、東京ドームでビールを売りたかっただけなのに。なんで?」
イツキが大粒の涙を零しながら歯を食いしばり、タンクから零れた墨で濡れた右足でアスファルトを蹴り続ける。話に脈絡がない。敗北の悔しさでバグってしまったのか? 頭を掻きむしり、地団駄を踏む。
これが勝利だ。勝利するということは相手を敗北させること。ミリオンが感じていたあの屈辱を相手に強制することだ。心が痛む。だが悪に勝利を渡す訳にはいかないのだ。
「このまま帰るなんて出来ない。でもまたロードに会いたい。なのでここで殺す」
「わかった。すまない」
“火”の弾が発射され、墨塗れのイツキの瞳孔に火の玉が迫る。眩い閃光がイツキを包み、巨大な火柱が上がる。種子島ならロケットの発射以来の爆炎だろう。カイはハリウッドダイブでサトウキビ畑に飛び込んで火炎の直撃を避けたが、イツキは重度の火傷……運が悪ければ死んでいるだろう。これはしょうがないことだった! あの敵はカイにとって大事な人にも、そうでない人にも無差別に暴力を振るう。
説得が出来ない以上、こういう決着でないと終われないこともある。それが戦いだ。敵に痛みと屈辱を与え、時には命を奪うこともある。それが勝利だ。
「カイくん! 逃げて!」
カイについていた分身メロンが金切り声を上げた。サトウキビの隙間から顔を出したカイに飛び込んできたのは、巨大な火炎の矢……。
「ヴェッ!?」
メロンのおかげで緊急回避が間に合ったが、カイを狙って一直線だった火炎の矢はさっきまでイツキが振っていた巨大な筆だった。その筆に衣服が巻きつけられ、墨で爆炎を纏った筆。まだ燃え尽きず、サトウキビ畑でくすぶっている。カイが“火”の弾の爆風でサトウキビ畑を消火するが、何が起きた?
メロンと燈はずっと見ていた。
「そんな……こんなことが……」
千里眼でカイvsイツキを見ていた燈は面談中のフジを放り出して全身を震わせ、両膝をついて体をさする。鳥肌が止まらず、表情が彼女の意思を置き去りにして変化する。口が耳まで裂けそうだ。
「ごめんねフジ……」
「どうした? 何があった?」
「君は不要になった。じゃあねぇ」
燈がストンとお化け屋敷に空いた穴に吸い込まれ、フジが手を伸ばしても床に指が弾かれてしまう。バリアーを周囲に張り巡らせても遠くまで飛ばせない。お化け屋敷の縁までだ。閉じ込められたというのか!?
「ロード?」
「ヤバいよヒトミちゃん」
事務所のあるゲーセンに帰ってきた燈が髪を振り乱して狂喜の歓声を上げる。千里眼には種子島に上がる火柱の中心のイツキの姿がハッキリと映っている。
イツキは墨のまとわりついた衣服を捨てて筆に巻きつけ、都築カイに投擲した。下着姿になってしまったが、何故彼女はあの爆炎の中心でそんなことが出来たのだろうか?
燃え盛る種子島の火炎は、イツキを中心にして筒状に地面と垂直に立っている。まるでイツキの周囲に壁があるかのように。
「イツキちゃんの托卵ゴア族の能力は超身体能力じゃなかった」
イツキが両腕を開くと、身軽になったイツキを包む見えない壁の径が広がり、炎の円を押し広げ、消散させた。迫りくる炎に向けてカイが撃った“鏖”の弾も不可視の壁にぶつかって消滅する。この壁は知っている!
「フジさんのバリアー!?」
イツキの常軌を逸した身体能力。あんなものを持つ人間は普通に考えているはずはなかった。そのために燈や他の托卵ゴア族はその身体能力こそが托卵ゴア族の能力だと決めつけていたが、どうやらそれは犬養樹の人間として自前の能力だったようだ。超身体能力を凌駕する最高ランクの超能力バリアー! 激しい絶望と悔恨の中でようやく目覚めたこの能力こそが、イツキの真の超能力だったのだ!
燈が感じていたイツキの可能性はこれだった! ぼんやりとした期待は確かに見える最高の形となって、燈に報いる。
「イツキちゃんはもう本当に、最高にキャワイイ。キャッコいい」
このバリアー欲しさにフジをどれだけ執拗に勧誘したか! 一体どれだけ……。
全部解決した。イツキがバリアーを使えるようになったのならフジはもういらない。マグナイトのBトリガーの金型だってもうイツキが作れるし、今までのフジの戦いを見せればΔスパークアローもCトリガーもイツキは学習出来る。それどころじゃない! イツキの身体能力があれば、バリアーの運用はフジとは全く異なるオリジナル!
炎から自分を守る防壁の中でイツキはまだ泣いていた。
超脚力も身体能力も、ビール売りのお姉さんになるための努力の賜物であってほしいと願い続けていた。果たしてこの力は人間としての才能と努力の結果か、托卵ゴア族の超能力か。鍛えた身体能力が人間としての力であったことはうれしいが、バリアーが目覚めたということはやはり自分は人間ではない。
托卵ゴア族なのだ。
「うえええええん」
化け物であるのなら燈に一番褒められる化け物になろう。そう考えていたのに、手にした強大な力の手応えにイツキは号泣した。
「人間でいたかったよぉ!」