第17話 犬養樹①
「アブソリュートミリオンが地球にいた頃、一番好きだった季節は?」
「夜は肌寒い三月の末」
「アブソリュートミリオンが地球にいた頃、乗っていた車は?」
「シボレーのカッコいいやつ」
「バッチリね。ミリオンに関してはもうあなたの方が詳しいかも」
今日の修行を終えたユキとカイはいつものコンビニでアイスクリームを食べていた。燈のマッチメイク表は誰にも見せずに処分したが、あれだけネチネチした性格ならあの表の通りに襲い掛かってくるだろう。ならば最初に戦うことになるのはカイだ。
相手は犬養樹。ゴア族の狼の巫女。カイが目覚めた荒川での戦いをメインに犬養樹を振り返る。カイのようにリアルな記憶の追体験ではなくカメラに残っているものだが、驚異的な脚力、跳躍力、加速、減速、停止、カット、それらの長時間の維持。厄介な相手だ。
子供のように純粋で短気。その欠点を自覚しているが故の駿河燈への忠誠とリスペクト。燈の目的が何であろうと、イツキは必ずついていく。その絆はユキとカイのそれと比べても強固だろう。悪人である燈は、悪事を働く過程で必要な統率においてこれ以上にない手腕を発揮していたのだ。
「ミリオンの記憶……。全て見たの?」
「まだ見ていないものがある。……ミリオンが死んだときの記憶」
〇
ガチャコン。
「すごーいイツキちゃん! またフリースロー成功よ!」
トーチランドのゲームセンター内にあるフリースローゲーム。一度もイツキは外したことがない。人間だった頃の体育の授業と球技大会でしかバスケはやっていないが、どの位置からでもピシャリだ。スリーポイントでもまるで外す気がしない。バスケが趣味だったマートンは相手チームのエースに肘鉄を食らわせて退場させるのが得意技だったが、マートンがイツキのいるチームと対戦したら試合開始三分でマートンはイツキに返り討ちにされて血塗れで退場するだろう。
「ベンケイ、ちょっとそこ立って」
燈が命令し、“喜”の幹部ヨシツネが生意気に従えているベンケイ(二四四センチ)をイツキのそばに立たせた。ギョロっと巨大な眼球で一六三センチのイツキを見下ろす。相変わらず気の毒な程悲しみに満ちたネガティブな表情だ。
「よし。イツキちゃん! ドロップキックよ!」
イツキが一度膝を屈伸させ、気合を入れて手をパンと叩く。水に沈めたビート板の如き勢いで飛び上がってベンケイの目線を超え、一瞬にして宙へ達したイツキが両足の裏でベンケイの顔面を蹴り下ろす。蹴り下ろしたのだ! 助走ナシで二四四センチを超える跳躍、斜め上からベンケイの顔面を蹴り下ろす! 常軌を逸した脚力だ。ただ隙が多いのでベンケイにはドロップキック中のイツキのパンツが見えてしまったが、ベンケイにはそういうものを喜ぶ機能はついていない。しかし身体能力を強さの拠り所として磨いている者同士として、イツキの跳躍力は羨ましさを超えて憧れの域に達する。もちろんベンケイもただでは済まない。超強力ドロップキックで体の軸が崩れて尻もちをつかされる。こんなネガティブでメンタルが弱いのに……。燈の指示で潜在能力が余すところなく引き出される。イツキとヨシツネの身長はほぼ同じだがスペックではイツキの圧勝だ。
五十メートル走は四秒台。ベンチプレス一六〇キログラム。ドロップキックの打点は二六〇センチメートル。『スラムダンク』でも『アイシールド21』でも通用する身体能力の化け物だ。もちろん、駿河燈が原作・脚本・監督・主演の『初代アブソリュートマン ~再び最強へ~』でも助演女優賞になれる。燈は不器用にはにかむイツキを抱きしめて頭をナデナデしてあげた。
「すごーい。本当にイツキちゃんはキャワイイしキャッコイイから大好き!」
外庭くんはとんでもない最高の化け物を遺してくれた。
そう、生前のゴア族族長外庭数は燈と仲が良かった。ゴア族とアブソリュート人だが、悪の精神が共鳴し、悪人の素質がある外庭と燈はいつかどちらかがアブソリュートを倒そうと仲間意識が芽生えた。外庭はGOD、燈はアブソリュートマン:XYZと手段が一致していなかったが、外庭が老齢と焦りでボケず、燈と手を組んでいたら史上最悪の悪の組織が誕生していただろう。
外庭が撒き散らした悪の種はあちこちで誰にもバレずに芽吹いている。だが虫の知らせがあったのか。死期を悟った外庭は幾つかのおぞましい悪事を燈にシェアしていた。その一つが托卵ゴア族である。
人間の妊婦に特殊な手術を施し、母体にも子にも無断でゴア族の細胞を組み込む。そうすると人間とゴア族のハーフではなく、ゴア族の遺伝子に触発され、特異体質を持った人間になるのだ。イツキの場合は超身体能力、ヒトミは超弾力、ジョージは超握力、ヨルは超歌唱力と言った具合に。
外庭の計画は成功した。彼が蒔いた種は今、燈の元で大きく開花している。
「……」
燈が褒めてくれると嬉しい。キャワイイと言われるのもそうだし、身体能力もそうだし……。でも身体能力は托卵ゴア族の特性なのだ。十九年間人間として過ごしてきたのに、いきなり明日から化け物な、と……。しかもビールの売り子になるために鍛えた身体能力は化け物としての能力だと……。そう簡単には割り切れない。燈が褒めてくれること、燈のお褒めの言葉がイツキにとって価値のある言葉で、燈がイツキにとって大切な存在になったことがせめてもの救いだ。
「ロードぉ、どうします? 例のアレ、本当に要りますか?」
ブルーライトカットのメガネでキーボードを叩いていたヒトミが椅子をグルグル回して体を伸ばす。超弾力でもデスクワークを続ければ凝るのだ。
「要る」
「こだわるんですねぇ。ぶっちゃけ戦力としては、クジー、エレジーナ、センゴク、ウインストンの四種で十分ですけど。相手はヤマ張ってるでしょ? わたしがクジーを使ったりイツキちゃんがエレジーナを使うだけでも撹乱できますけど。モンゴル自刃ウシバカ丸はBトリガー使う気なさそうだし」
「あの兄弟にとって象徴的な存在よ。マグナイトは」
「あいつらが気にするとは思えないですけどね。レイとジェイドはもうミリオンを超えた気でいるし、アッシュは最初っから超える気もないし」
マグナイト。
一九六〇年代終盤に、地球侵略を試みたフォール星人の切り札である超強豪の怪獣。硬度の高い鱗に覆われ、背中に二つの火口を持ち、マグマを噴出しながら高速移動、マッハを超える移動速度のソニックブームで周囲を粉砕し、焼き尽くす。マグナイト自身がミサイルとなったその体当たりは一撃で全盛期のアブソリュートミリオンを卒倒させた。アブソリュートミリオンは最期の切り札ホリゾン・ブラスト光線を使用し、己の命と引き換えにマグナイトを倒すことに成功した。後にアブソリュートミリオンは蘇生され、レイ、ジェイド、アッシュの兄弟が生まれたが、ミリオンにとってはトラウマ怪獣であることに違いはない。ミリオン本人も口にするのも恐れるほどの怪獣だ。
強豪ではあるものの、フォール星人が制作したロストテクノロジーのイッテンモノ怪獣であり対策を立てる必要が薄いこと、父が死ぬ姿を見るのはショックが大きいという理由で三兄弟はその戦いを見ることは家族に禁じられていたが、レイは放浪中に、ジェイドはXYZを倒した後にそのアーカイブを見ることとなる。
「あんまり魅力感じないなぁ。ロードがあの兄弟に嫌がらせする以外に作る意味感じなぁい。火炎の怪獣だってクジーで十分じゃないですか」
「そういう賢さのあまりに慎ましさのないヒトミちゃんのストレートな言動、わたしは大好きよ。それが恋をするのに邪魔だって気づくまでは褒めてあげる」
「さすが年の功っすねぇ。もうちょいXYZ様の記憶を探ってみますけど、マグナイトのBトリガーは要らない、わたしはそういう方向で考えてますんで。誰が使うんですか?」
「わたしの思い描く通りの未来ならフジ・カケルになるはずだけどね」
「まだ言ってんですね。もういいじゃないですか、フジ・カケルは」
「だってフジ・カケルの力があればマグナイトのBトリガーが完成するんだもん。そしたら自分で使いたくなるのが人情よ」
「身内以外には人でなしが人情語るなんてウケますね」
「本当にヒトミちゃんのそういうところ……。大好き」
〇
タイミングは一瞬だ。
“鏖”の弾は使用しすぎて、ミリオンの記憶のフラッシュバックはほとんどない。“鏖”の次に使用している“光”もまだタイムラグが生じるが、ミリオンの弾だけはほぼノーリスクで使用出来る。実際“鏖”だけあれば十分かもしれない。“光”は緊急時の回復のみで、よほどの大ダメージを負っていないと発動出来ない。アッシュの“電”はピーキー、プラの“水”は邪悪過ぎた。
その“鏖”を訓練場で撃ち、一瞬だけ流れ込む記憶でマグナイトを探る。未だに勝利に恵まれない自分に似た気持ちをミリオンも敗北や絶命の中で感じていたら救われる。実子であるジェイドすら知らない情報を知ってしまうのは気が引けるが、無力を痛感するカイには、忍耐の指標が欲しかった。無鉄砲に勝ちをねだるのではなく、辛い時間に耐える先人の知恵が。
射撃場の的が“鏖”の弾でハチの巣になった。
「……」
“鏖”の弾は応えた。
マグナイトに一度敗北し、再戦で死んだ壮絶な記憶だ。
マグナイトとの初戦に敗れたアブソリュートミリオンは……。泣いていたのか? この戦いでミリオンは友を亡くしている。一切の攻撃が通用せず、今までにどんな怪獣の攻撃にも耐えてきた体が一撃で立ち上がる力を失う。生まれ持ったはずの素質も、鍛えてきたはずの技術も何も通用しない。彼の中にあった全ての情報が「絶望」と書かれたテープにグルグル巻きにされて差し押さえられていく。
距離を詰め、加速前のマグナイトを切り刻む? → 今の時点で距離がありすぎる。詰める前にミサイルタックルでやられる。
光線や手裏剣で牽制する? → マグナイトは硬い。無駄。
いっそ居合で待ちの姿勢? → マグナイトは速すぎる。とてつもない速度で加速する相手は見切れない。
ミリオンは初戦でミサイルタックルを一発食らい、ダウンした。そしてしばらく何も出来ずに転がり、勝てないことを悟って変身を解除した。その転がっていた時間の辛さはカイの想像を絶するものだった。
目標でありライバルでもあった初代アブソリュートマンなら、マグナイトには多少手こずっても勝てる。むしろ初代を苦しめたクジーの方が強かっただろう。そんなに初代は遠い背中か? 地球で怪獣や異星人を退け、どこか調子に乗っていた自分の愚かさを知った。
自分が立てなければ多くの人が傷つくのに、立つことが出来ない。強い無力感。ここで立ち上がれない自分に何の価値がある? その先にある死なんて……。
「うあああああ!」
これが敗北……。
否定されたのは自分ではなくミリオンなのに叫ばずにはいられない! 胸を締め付ける苦しみに悶え、喉がカラカラに渇く。積み上げたものの崩壊。二度と十割に戻れない勝率。一生まとわりつくトラウマ。
カイの二年の記憶の中には泣きそうになる程強い無力感を覚えたものはなかった。ジェイドの乱入で敗北がごまかされたイツキとの戦い、逃げられたXYZとヒトミとジョージ。
XYZを相手に負けがほぼ確定していた状況下でもアッシュやジェイドがどうにかしてくれると思っていた。カイは何も賭けてはいなかったのだ。
「僕は二度と負けない」
負けたことはないのに敗北の恐怖を知った都築カイ。Aトリガーから得た経験では最も貴重なものだった。ミリオンは当時三千歳? 二年しか記憶がないくせにミリオンと自分を同列に語るのか? 同列ではない。だが負けて失うものは多くある。負けていい理由にはならない。
その決意を待っていたかのように、射撃場に火花の円が散り、その真ん中にカイを吸い込んでいく。揺るがない覚悟と視線はその現象を受け入れ、円の中心に黒いつむじと漆黒の衣装が映る。重力に従って一七七センチのカイと一六三センチのイツキの視線が交差し、燈がやってあげた病みメイクの真っ黒な口紅が薄い唇を湿らせる。
一七七センチ。二十キログラム以上の装備を背負った今のイツキでもドロップキックを顔面にブチ込むにはなんの問題もない高さだ。
「メロンさん! 位置!」
「東京から直線距離で南西に約一千キロ。種子島よ」
カイは“鏖”を込めたAトリガーを、イツキはクジーのBトリガーの水鉄砲を構え、西部劇のように互いに突きつける。
ちょうどいい相手だ。ミリオンを通して知った敗北のトラウマ。払拭するにはもってこいの、人間の姿とアブソリュートの姿の両方で戦った相手。
「ヴァッ!」
「アシャ!」
〇
「カウボーイごっこなんてウケる。あいつにマックイーンの細胞は入れてないんだけど? エンドクレジットでイツキちゃんとカイを並べてもいいけど、イツキちゃんの方がちょっと上にしないと格の差がねぇ」
その頃、トーチランド。イツキがカイに負けるとは微塵も思っていない駿河燈! あれ程の身体能力を開花させながら燈にはまだイツキの潜在能力の全てを見てはいないと思っていた。何の根拠もない勘だが、頭脳やメンタルではヒトミに及ばずとも戦闘のセンスはヒトミ以上の高さを感じる。戦闘センスに恵まれないアブソリュート人として、多くの戦士を見送ってきたからだろうか。未完成のはずのイツキがカイに負けるとはこれっぽっちも思わない。
「着信だ」
次元の壁を突破して燈のデコデコスマホに着信が入る。発信者の名前を見て燈は思わず声が出た。
「もしもし? フジ?」
「引き抜かれてやるよババア。ただし条件がある。全Bトリガーを俺に試用させろ。それから風呂は全部混浴で水着の着用は俺のみ可とする。俺がそこの三下とババアを含めたメンバーをパシリに使う場合は、金額が二万円以内の場合はパシリ持ち。これでどうだ?」
「二万円以内でいいの? ニンテンドーswitchをパシる場合はフジ持ちになるけど?」
「ニンテンドーswitchなら持ってる」
「ウチならコピーを作れるけどね。フジにはどうしても来てもらいたかったの! 君のどんな形でも作れるバリアーなら、マグナイトのBトリガーの金型を作れる。だから君に来てほしかった。ポータルを開けるわ。場所は池袋でどう?」
〇
その頃。地球某所のスポーツバー。
「メッセさん……。っすね?」
「ええ、そうよ」
普段はド派手な恰好をしているメッセは清楚風のルックスでスポーツバーでちびちび飲んでいた。普段ド派手なメッセは地味な服を着るだけでカモフラージュになる。それでもナンパは絶えないが、今日は会う相手が決まっていたのだ。それがこの胡乱な男である。ハンチング帽に大きなショルダーバッグ、映画館の3Dグラスみたいなオーバーサイズのグラサンだ。メッセに声をかけた後もしきりに周囲の目に気を配っている。
「注文通りのヤベー品です。こんなもんが出まわったら……。俺の仕事はヤベー。ヤベーように扱わないでくださいよ。こいつぁ……。ヤベーですから。俺の名前と組織の名はお口チャックでお願いしやす」
胡乱な男が差し出したのは一本のUSBメモリーだ。メッセが掴まされたのがガセネタでなければ、この品はデラシネには劣るが、目標に多大な被害を与えるヤベー品である。おそらく、こいつをメッセが導いて最高の効率で暴れさせればユキでも頑馬でも止められない。
「ちなみにおいくら?」
「こいつがヤベーってわかればその情報に勝る報酬はねぇっす。まだ試運転もしてねぇ。メッセさん、頼んますぜ。あんたならこいつを扱えるはずだ。あんたならこいつで世界を焼けちまう」
胡乱な男は人目を避けて退店していった。薄暗い店内でメッセが目を凝らし、USBに刻まれた文字を読む。
「サイバーアブソリュートミリオン、か。皮肉なものね」