第15話 終わらない歌を歌おう
「食いたくないやつに強要はしない」
「ふええ……」
頑馬は大人になった。かつては弟やそのガールフレンドの為にワニやカンガルーを食わせようとしたが、弟もそのガールフレンドも別にワニやカンガルーより強くなりたい訳じゃなかったのだ。
「じゃあケンタッキーで」
波打ち際ではフジとユキが二人で並んで何かを話している。やはりフジの隣が一番似合う女性は寿ユキなのか。彼女は姉だけど。二人は鼎が咄嗟に回したレコーダーに記録された燈の犯行声明を再生する。
「今、データベースでアブソリュート・マインの情報を探してもらっている。あの規模と精度のポータル、カイや頑馬が戦ったヨシツネを作った技術、不完全とはいえXYZの復活、そしてわたしを倒せる花火。ただ者じゃあないはず」
「花火の位置はわかるか?」
「わからない。いつから仕掛けられていたのかすら掴めない。少し落ち着いたらメロンに探してもらいましょう。メッセもいる。せめて今日くらいは休みましょうよ」
「実はマジであのババア、本物の源義経を見たのかもな。ハァ……。本当に陰湿なババアだ。あのババアの言ってることが本当なら、カイを鍛えようとすれば姉貴は死ぬ。かといってやる気もねぇ俺に投資する意味なんてないのに。ちょっとだけ……。いや、もう俺のモチベーションの九割はカイには抜かれない、それだけだ。そして姉貴の愛を競えばカイが俺を抜いた時の火力は上がる」
「カイを鍛えるのはわたしじゃなくても出来る。頑馬だって」
「頑馬には無理だし、頑馬にはやらせたくねぇ。常にジェイドはレイより先を行かなきゃいけない。弟子の育成だってそうだ。まずはジェイドが成功してからレイが続く。こういう理想の押しつけはあのババアと大差はないな」
海底遊牧民の血を礎にするプライベートビーチにタバコの灰を散らせる。フジは目を細めて遠くを見た。
「だが悲しいことにXYZのガキでジェイドの弟子であるシーカーはそう遠くない未来に俺を抜くだろうな」
「あなたがわたしの顔色を窺ってビクビクすることはない。カイの成長は……。あなたには複雑かもね。でもあなただって、一時的に神器を使うことが出来た。その気になれば神器に認められることだって出来る」
「神器にゃ悪いがAトリガーの方が欲しかったぜ。あのババアはウソをつかない気がする。花火の件もマジだろう。フッ、なんならまだカイに対する姉貴の愛着が薄いうちに抜かれとくか? 今ならまだケガで済むかもな」
「鼎ちゃんを守ってあげてね。今日、あなたが鼎ちゃんを連れてきたのは、この面々が鼎ちゃんを守るって教えてあげたかったからでしょう?」
「あのババアのわらしべ長者はもう終わった。姉貴の弱点である俺に到達するために、俺の弱点の鼎を攻め立てた。もうババアは鼎に用はないだろう」
「そんなことはないわ。本当にマインがスゴウデで、わたしたちを敵に回すというのならアブソリュート・アッシュは無視出来ない存在よ。こんな罠を仕掛けたマインが潔癖にこだわるはずはない。追い詰められれば鼎ちゃんにだって……。過度に不安を煽るつもりはない。でもあなたには課せられた使命がある。わたしは何も変わらずいつも通りに過ごすわ。だって、可愛い弟のへの気持ちがそう簡単に抜かれるはずないもの。忘れないでね」
「……」
うああああああ!
シスコンという炉にビッグバンの薪がくべられる!! 何も言えねぇ。光栄。僥倖。幸甚。
偉大なる姉はそっとフジの傍を離れていく。弱点中の弱点にされた弟にしてやれることはこれくらいだ。
「頑馬」
「どうしたユキ。わたしが死んだら、なんて言うのか?」
「まさか。敵は頑馬のことも警戒してるはず」
「お前に言われなくてもわかってる。誰とだって戦う覚悟は出来ている」
「そうね。上から目線になっちゃったわね。でもマインはきっとあなたの弱点も見つけ出す。XYZと戦えるのはあなたにとっては最大のイベントじゃない? 戦わない方法もあるんじゃないかしら」
「例えば?」
「供養するとか。XYZの魂はアブソリュートの戦士に倒された怪獣たちの怨念。その怨念を晴らせるのなら戦わずに済むかもしれない」
「本当はわかってるくせに。いじくりまわされた死者の魂はもう救えない。せめて悔いなく戦いたいんだろう。殺すことでしか救えなかった。この結論に納得したいんだ」
「一段落したらミーティングしましょう。カイ。今度、礼服を買いに行かないと。これからは冠婚葬祭のマナーも覚えないとね」
こっちの空気が重くなってきた。鼎はケンタッキーの箱を持って波打ち際のフジに差し出した。フジは無造作にフライドチキンを摘まんでムシやつとワイルドに齧って骨をプッと吐き、唇を脂でテカテカさせた。
「ケンタッキー食ってると出てくるこの黒いのって何臓?」
「何臓っていう言い方がキモいんだけど」
「お前さんだって殺されて食われるときにキモがられるのはイヤだろうが。この部位はこういううま味がありますとかって解説されて美味しく召し上がっていただきたくないか? それとも全部まとめてハンバーグがいいか?」
「無理してんね。わたしもわかるよ。わたしはお姉さんを殺すわらしべ長者の最初のわら。あんたの直接の弱点でお姉さんの間接的な弱点。でもわたしとあんたが違うのは、強さにプライドがあるかどうか。あんたのプライドが傷つけられた」
「自分にプライドがないみたいな言い方するなよ。あのババアは全員コケにした。ああいう狂ったファンが初代アブソリュートマンすら貶めて、俺もお前もナメられた」
「ねぇ、フジ。もう何もしたくないよね。なんか、お姉さんたちが今までに倒してきた相手を供養するってよ。フジは敵を殺したことはあるの?」
「ああ、そういえばお前さんはアッシュの戦いは一回も観たことがないんだったな。殺したことならあるぞ。ゴア族族長外庭数。俺が殺すにはもったいない相手だった。っていうかあのジジイ、本当に死んだのかな? あのジジイほどの手練れならあの一瞬でどっかに逃げることだって出来たかもしれないな。だが俺の中であのジジイは死んだ。俺が殺した。供養だァ? あのジジイは死んで当然だしフェアプレイなんて俺には似合わねぇ言葉だ。供養なんてするかよ。あぁ、そういやこれ。お前さんにプレゼントがある。おっと、イヤホンを片耳ずつ入れてカップルごっこはごめんだ。一人で聴け」
フジがイヤホンでグルグル巻きにした古びたiPodを鼎に手渡す。なんだかフジの手がジメっとしてた気がする。お姉さんに危機が迫っているショックか?
フジが波打ち際を離れたタイミングで鼎はiPodを操作した。
〇
約一週間前。駿河燈が秩父の山奥で正体をバラす前日のことだった。
「今のショートが捕るのか!? ありえん。ありえねぇぞあのショート! エキサイトシート突っ込んで捕りやがった!」
「ええ、マジであのショート、反応、範囲、ハンサムの三つの“ハン”だけならMLBで一線張れまっせ。メジャー基準じゃ肩は物足りねぇすけど」
「誰だテメェ」
「居酒屋でそれはねぇですぜ、フジ・カケルさん」
「ますます誰だよ」
「H・O・U・K・A・K・U、HOUKAKU・イン・ダ・ビルディング。イェァ。誰だって聞きたそうな表情してるんで自己紹介させてらもうがよ、俺はHIP-HOPでメイクマネーしたくてマイメンのイリスDのフッドにやってきたHOUKAKU! 地球じゃあんたを訪ねろって言われてんだ。俺の顔と名前、覚えておいた方がいいすよ」
フジはガシッとライターで火を打ってタバコの煙をくゆらせ、メガネの向こうの目からいぶかし気でネガティブな目線をHOUKAKUに送る。イリスDはまだ群馬のテレビ局でディレクターをやっており、イリスDの番組『トゥルル! グッドルッキングガイ!』はuTubeを通して宇宙のあちこちで親しまれている。
素人同然の三流俳優、アイドル、ミュージシャンを発掘して研磨し、低予算で高品質のエンターテインメントに昇華させ、週に三十分だけ彼らを一.五流まで押し上げるのがイリスDの手腕。見るからにダメダメな出演者たちがあんなに面白くなるのなら、自分もイリスDに加工してもらえれば高いステージに行けるのでは、と考え自分を売り込む三流以下は少なくない。
だがイリスDも万能じゃないし、イリスDの番組は群馬ローカル局の制作だ。宇宙から履歴書を送ってこられても群馬で活躍させることは難しい。
フジはため息をついてレモンサワーを飲み干し、頭を抱える。
「イリスDも苦労してんな」
HOUKAKUはまだガキに見える。何星人か知らないが、地球人に擬態した姿は大学生一、二年生程度。ナンパ横丁とまで呼ばれ、周囲はラブホテルばかりで薄汚いピンクの欲望渦巻くこの恵比寿横丁に入れたのが奇跡なくらいだ。ヒップホップでメイクマネーしたくてイリスDにコンタクトをとったが、異星人であることや実力不足から、フジに丸投げされたのだろう。随分慕われたものだ、フジも、イリスDも。まだ二回しか会ったことのないのにヒップホップ小僧をフジに押し付けるなんて。
「イリスDはなんて? あ、待て。調子こいてヒップホップの用語使うなよ坊や。日本語で話せ。わかる言葉で伝えねぇとカッコよくもなんともねぇ」
「じゃあリアルを伝えますんで。とりあえずフジさんと一曲作ってこいと」
「バカじゃねぇのイリスD」
大人が全力でやる文化祭の出し物や夏休みの自由研究、と評されることもあるイリスDの番組制作。大人が全力で子供のことをやるから面白いのに、本物のガキがいても何の面白みもない。しかしあのイリスDが何も考えていないはずはない。このガキにも将来性、あるいは即効性の笑いの芽があり、イリス一派に入る素質を持つのだろう。
イリスDはシエル星人の成人の儀、即ち地球人百人殺しを拒否し、地球を去る予定だ。地球を去った後もイリスDが番組制作を続けるなら、環境を宇宙に移し、出演者を異星人に代えるはず。HOUKAKUはその将来を見据えた未来の出演者なのかもしれない。
「イキったガキのラップほど滑稽なものもないしな。お前には何が出来る?」
「リアルを伝えられます。テーマはフジさんに任せますけど、俺を通せば全てリアルになりますから。ラップにおいて俺に出来ないことはないす」
どうやらフジがイリスDに抱いていた友情は一方通行ではなかったようだ。アブソリュート人とシエル星人だが、二人ともこの地球での暮らしが故郷よりも気に入って、でも生まれの宿命に逆らえない立場。HOUKAKUを押し付けたことがイリスDなりの友情の形だ。
それにあの姉も……。自分より年下の子供と行動を共にし、一つの目標に向かっている。姉の気持ちを理解したい。イリスDの力になりたい。
いつかHOUKAKUがイリスDの戦力になるのなら、普通のラップじゃなくて笑えるものであるべきだ。母親に向けた感謝の気持ちとかみたいなものは何も面白くないし、ラップに対してあまり興味を持っていない人がラップに面白さを感じるのは独特の用語、独特の世界観、ノリを「変なモノ」としてネタにする時だ。その笑いにはラップ本来の魅力である「カッコよさ」はない。奇妙な文化とのカルチャーギャップとテンションのギャップが笑えるのだ。
「なんだっけ、あのラッパー二人が即興でディスりあうやつ」
「フリースタイル」
「あれはやらねぇ。即興じゃ俺は何も出来ないし相手も選ぶしなぁ」
「ディスリスペクトはリスペクトっすよ。どれだけディスろうとリスペクトがあればリアルが伝わるんで」
ディスをかましても怒らないような相手……。
ユキは……。ネタだってわかってくれてアンサーも返してくれるだろうが、ネタでもユキをディスりたくない。アンサーでユキが汚い言葉を使うのも勘弁だ。
頑馬は……。頑馬もネタだとわかってくれるし、宇宙での知名度もバッチリだ。イリスDも頑馬を知っているから、HOUKAKUの実力を教えるにはちょうどいい。頑馬は顔も広いので味方のラッパーを見つけてアンサーを返すだろうが、尋常じゃない完成度のアンサーをかますかもしれない。HOUKAKUはラッパーぶっているが意外と語彙も少なく、覚えたばかりの用語を無理に使い、「リアル」を繰り返すだけだ。HOUKAKUじゃ太刀打ち出来ないレベルの味方を見つけるだろう。
和泉は……。ネタだって理解しないな。
カイは……。ディスリスペクトが転じてリスペクトじゃなくて、ディスリスペクトしかないことをユキに見抜かれるだろう。
「鼎ディスラップだな」
宇宙での知名度はゼロ、ラッパーの知り合いがいるとも思えずアンサーを返すことも考えづらい。お遊びのディスで傷つくガラスのハートの持ち主。イリスDにHOUKAKUの実力を伝えるには何一つ理に適っていない。
だが、駿河燈の侵略で鼎のストレスはピークに達し、オタサーを道連れに自爆しようとしていた。鼎ディスラップで少しでも気が紛れればいい。そして上手くいけば返しのフジディスラップ……。鼎からのディスに隠れたリスペクトを受け取れるかもしれない。最近は打てど響かぬ望月鼎。停滞している関係を進展させるには劇薬が必要だ。
そして出来上がったのが、訳アリビーチで渡したiPodに入っている『鼎ディスラップ』である。
〇
イェア フジ イン ダ ハウス
HOUKAKU イン ダ ビルディング
望月鼎 聴いとけよ Check this out man
Dissのユニバース ここは掃きだめ
落ちこぼれのPRINCESSに言うぜ
口を開けば「みんなわたしに夢中」マジウゼェ
そのくせにJKには敗れ そして自棄で道連れェ
他にはセルフィーの 背景の時空が歪むハリボテェ
(中略)
K・A・N・A・E ダサイタマに帰れェ
K・A・N・A・E ダサイタマに帰れェ
You Love サークルだが サークルDon`t Love You
逃げ回ってろファックユー
でも遊んでくれてサンクユー
〇
「ダ、ダ、ダダダセェ……」
無理しただみ声、中途半端なライム、微妙に委縮した声……。あまりのダサさに鳥肌が立ち、自分が大恥をかいたみたいにとんでもない羞恥の嵐が吹き荒れる。たしかにこれは鼎とイヤホンを半分こしてカップルごっこしながら聴けるる代物じゃない。フジ自身も、例え一人だろうと二度と再生出来ないレベルだ。
鼎に聴かれた以上、フジがいくら忘れようとしても鼎の記憶にはタトゥーのように残り続ける。こんなことを気軽に頼める仲だったらいいが、自分がフジだったらユキに頼んでネフェリウム光線で殺してもらいたい。頑馬のガンマドライバーでもいい。
燈の犯行声明、地球人が自分だけの海遊び、落ち込んでたフジ……。そんな暗い出来事ばかりだったのに、『スプラトゥーン』のスゴウデとマッチングしたように一瞬で頭の中が「ダサい」一色で塗りつぶされる。フジってダメなやつだけど自分にはカッコつけた姿しか見せなかったはずなのに何故こんな醜態を晒す!?
自発的にやったとは思えない。あいつはユキや頑馬のような格上の前ではとことん三下になり下がるが、自分よりも下の存在には態度がデカく、カッコよく振舞おうとする。
このダサいラップに込められた言い訳程度のリスペクトがフェイクじゃないこと、このラップがネタであること、フジが鼎を気遣ってくれていることがリアルなのは伝わってるが、ここまで気を使わせてしまった自分の落ち込み具合も省みなければならないのかも……。
「フジ」
「……何も言うな。何も……。俺はバカだった! 絶対に頑馬には言うな……。イリスDに騙された……。とんでもねぇポンコツよこしやがって……」
「ありがとね。少し救われたよ。でも初めてですよ、ここまでわたしをコケにしたおバカさんは! 絶対に許さんぞ虫ケラ!」
だがなんだかんだでフジのこのラップが鼎に届いたタイミングはベストだった。秩父で燈が馬脚を現した直後ではまだ早く、ユキや頑馬も味方だってわかって燈の目的が確定し、もう鼎に用はないと判明したこのタイミング。やられるだけやられて完全敗北し、あとは癒すだけの心の傷から目を背けるにはピッタリだ。
フジを見殺しには出来ない。アンサーで自分も恥をかくべきだ。きっとそういった諸刃の剣で傷つけあって舐めあうが若気の至りで、青春ってものだから。
「……」
パラソルの下でスマホに登録された連絡先を検める。フジへのアンサーを一緒に作れるような人はいないだろうか。お互いに大して興味もないラップというジャンルでアンサーを送り合うなんてカップルに見える。フジのことは周囲の誰にも話していないが、そう思われても別にいい人。
『古谷春治』
「……」
望月鼎、当時十五歳。初恋の人、古谷くんか。中高一貫の私立の男子校に入ったもののバスケ部に馴染めず、放課後は地元の埼玉で小学校が一緒だった面々と遊んでいた孤独で残念なアウトロー。東京の男子校からバッシュ、ヘアジャム、エミネムといった文化を導入し、埼玉の女子から憧憬を集めていた。高校からは疎遠になったが、そういえば成人式で会ったっけ。中学校時代とは違うスレ方をしていたが、髪を染め、ピアスを空け、そこそこの大学に通っていた。
鼎にとっては、フジが現れるまでは忘れられない相手だった。
「怪獣を供養するの? そういえばわたしのお祖母ちゃんってアブソリュートミリオンに殺されたのよね。恨んじゃいないわ。会ったこともないし。お祖母ちゃんを供養するの初めてだわ」
メッセがムシャムシャと綿あめを頬張り、脳に糖分を回す。フジ、ユキ、メロンが目配せし、鼎を話題から遠ざけようとするがメッセは意に介さない。T県の偽札工場、そしてさっきの犯行声明。ユキ、頑馬、フジ、メロン、カイから聞いた情報を脳内で組み立て、燈の持つさらなる超能力の可能性にピーンと気付いたのだ。メッセの答えが正しければ、もう鼎を戦いから遠ざけるとか、そういうことは意味をなさない。
頑馬一味の頭脳の名はダテじゃない。
「怪獣供養もわたしたちの自己満足で終わってしまうけど、心の整理は必要よ。ごめんなさいメッセ。お気の毒に」
「いいのよ、別に。意外に効くんじゃない? あのババア……。燈でもマインでもどっちでもいいけど、あのババアは十中八九、“千里眼”を持っている。それもとんでもない性能のね。わたしたちが集まって何かしてれば絶対にババアは見てるわ」




