第73話 フジ・カケルvsディエゴ・ドラドデルフィン 決着
レッキ。
現在のトー横キッズのローティーンを束ねるド悪党。その年齢、実に十三歳! 既に飲酒と喫煙、それ以上など経験済みだ。
彼はかつて中野で小学生を使った組織的カツアゲ活動を行っていたが、飛燕頑馬ことアブソリュート・レイに説教されたところ格闘技による更生を申し出、一か月後にはその技術でカツアゲを再開していた。
そして“退治”された。手加減に手加減を重ねたワンパンチ。気絶もしないし吐血も嘔吐もしない。ただしばらくは呼吸に苦しんだ。当時レッキは中学一年生。レイに“退治”された相手としてはぶっちぎりの最年少、今後悪党サイドとしてもこれを下回る人物が出てはならず、アブソリュートマンサイドとしてもこれを下回る人物を殴ることは物議をかもすだろう。だがレイは殴った。そしてレッキは家出して中野から出て、ボスではなくなったが悪い大人の下につき、ローティーンの管理職としてロリコン相手に組織的美人局を行ってホストたちにも「トー横のレッキには気をつけろ」と警戒される将来が約束された悪党である!!
「ヒャハハハ!」
今日も何か知らないが、悪事に酔ってやつは笑っていた。
「ヒャヘエエエエエ!?」
刺激と破壊を際限なく求める飽和と消費の街、新宿。そこにおいても横に落ちるような勢いで突っ込んでくる青年は常識外だ!
「アブソリュート・アッシュ……」
「あぁ……? なんだお前さんは」
「俺は……。レイもいるのか?」
「兄貴に何の用だブッ!?」
突如、雑多な色彩の中に描かれる絶対的な緋色の円弧。ディエゴ・ドラドデルフィンのパンチがアブソリュート・アッシュを襲い、レッキをかばったアッシュは完全に対処可能だった一撃を七割の威力で受けてディフェンスに使った腕を振り、痛みと衝撃を散らした。
「消えろ、ガキ!」
フジは怒鳴った。ここにいるとレッキも巻き添えを食う。レッキはようやく思い出した……。フジの兄レイの気迫、そして、カツアゲをはじめてから自分がガキ……子供扱いされたことがなかったことに。
「潔癖は良くねぇぞアッシュ」
「んだぁ?」
ディエゴは腕を回して肩の可動域を確かめながらタイミングを計っている。言葉のテンションは全盛期に限りなく近くなり、威力も覇気も戻ってきている。だがもう全盛期に戻ることはないのだ。
「俺ァ天国も地獄も生きてきたからよくわかる。地下格闘技で鞭を入れられたように賭けに狂うクズ。はじめはディエゴ選手、やがてディエゴさん、ディエゴくん、最後にはディエゴと呼び方を変えるタニマチのカス。俺が金を持てば株券握りしめてすり寄り、人の人生を売ったり買ったりするゴミ。どこにでもゲロ以下の人間はいる。そのガキはそれだ。一目見てわかる。かばう価値はねぇ」
「かもな。だがこいつが何をした?」
「状況から見ればそいつの周りで酔っ払ったりラリったりして倒れるガキでわかる。そいつだけが正気だ。つまり、そういうことだ」
「今は俺が裁くに値する情報はない。というか俺のようなチンピラアブソリュートマンに他人を裁く権利が……」
「それが違うってんだよアッシュウ! 前も言ったな。テメェは私怨がある相手としかガチで戦えねぇ。だからウラオビや金田一と戦えたが、恨みのない俺やブレイズが相手だとモチベーションが上がらねぇ。だがそのガキが鼎の乳を揉めばテメェは今すぐそのガキをブチ殺すだろう」
「そうだな」
「アブソリュートマンとして正しくない。そして! ブレイズに超えられたくない、ブレイズより自分が格上であると自分の価値を死守しながら、俺の前では俺の介錯人として格が低いと遠慮する! すべて! テメェの世界が閉ざされているからだ!」
「……」
「私怨以外で戦え、アッシュ。そして誰かと誰かの間でいたいテメェにとって都合のいいポジショニングは、他人から見れば矛盾やダブルスタンダードだ。それを解決する魔法の言葉を教えてやろう。プライドだ!!!」
「プライド……。あるだろ。ブレイズには負けたくねぇと……」
「それはアブソリュート・アッシュのプライドだ。テメェに必要なのはアブソリュートマンのプライドだ。初代アブソリュートマンからはじまり、最新のプロアブソリュートマンであるアブソリュート・アッシュ。それは資格の上での話だ。テメェはまだ精神的にアブソリュートマンじゃねぇ。そこのクソガキを救おうと、ウラオビや金田一を倒そうと、ブレイズに負けたくなかろうとテメェがアブソリュートマンを名乗る時の枕詞にチンピラやボンクラをつけている限り、テメェにアブソリュートマンとしてのプライドはない。覚悟を決めろ。初代アブソリュートマンから始まった系譜……。テメェの親父ミリオン、俺の人生最大の好敵手キッド、兄姉のレイとジェイド。テメェが並ぶ覚悟を決めてプライドを持てれば、もう並べる」
「……」
アッシュは何も浮かべず、それでもどこか爽やかな顔で構えをとった。そしてやや図々しい笑みを浮かべた。謂わばアブソリュート・アッシュという戦士のルーティーン、ホームポジションだった。
「魚子」
「おう、メッセさんかい」
歌舞伎町のホストクラブの総支配人にしてナンバーワンホスト、しかし男装の麗人……つまり女性の伊藤魚子。水のように透き通る声、そして巨大な水の集合体のような圧力と重量を持つ。口調には強い西のイントネーションを帯びていた。そして彼女は今夏の次期ゴア族族長選を制した三川温子に見いだされ、事実上の副族長となっていた。本質的根本的に悪とされるゴア族でありながら、伊藤魚子は善人ではないが優れた経営者にして為政者、そしてアブソリュートとゴア族の全面戦争を防いだ立役者だった。
「ここは危ないわ」
「じゃあどげんする? ここはウチの街でもあるっちゃん」
「わたしが守ってあげる。わたしもこの戦いを間近で観たい。あいつ……。ついに殻を破るかもね」
「皮ば破るの間違いやろ。二十二歳でプロアブソリュートマンになる才能があるとにあのナヨナヨ態度は見過ごせん。ズル剥けディエゴがどげんかするやろう」
アブソリュート・アッシュが跳んだ。そして不可視の速度で打撃のラッシュ! ディエゴは歩幅の大小様々に五歩後退し、脇腹を抑え込んで苦悶に顔を歪めた。それでもアッシュはまだ滞空していた。魚子には何が起きたか何も見えなかった。だが! メッセが宇宙一なのは美貌だけではない! その美貌の中心である目……つまり動体視力も宇宙一だ!
「五連撃」
「五連撃?」
メッセの顔が光っていた。メッセ自身が放つ光ではなく、アブソリュート・アッシュの埒外の技量と速度、急成長を唯一認識し、その光が反射しているのだ。
「跳んだ体勢から、ディエゴがブレイズ戦で痛めた肋骨にピンポイントで五連撃! 拳三打、蹴り二打! そしてその勢いで滞空を続行! 計五連撃がクリティカルにディエゴの古傷を抉ったわ。……あいつ」
アブソリュート・アッシュの才能を疑っている人間はこの一年でかなり減った。初代、ミリオン、ホープといったレジェンドが認め、兄のレイが認め、ジェイドのみが戦士ではない幼い弟としてのアッシュをあまりにも密に知りすぎているが故に彼を過保護に案じている。アッシュを侮ったウラオビと金田一には数万倍返しを食らわせた。メッセももう疑ってはいなかった。が! ここまでポテンシャルが発揮されるとは! 今までの戦いがむず痒く感じる程の鮮烈、痛烈!
「跳んだ体勢から敵の一か所にピンポイントで五連撃、そして敵を弾いた勢いで滞空続行……最終的には打撃のたびに舞い上がり、降りてこない。そげん非人間的速度精度強度の離れ業ば出来る人間ば複数知っとうと、昔ゴールデン街で飲んだおっさんが言いよった。曰く、一人は週に八日の修行の末に習得。もう一人は統計学や歴史ちゅう概念ば破壊する天賦の才能の持ち主が偶発的に習得。そのどちらも習得した自分、こげん技が存在する現実ば恐れて発狂寸前に陥り、決して名ば明かさやったちゅう!」
「じゃあはじめてその技の使い手として名を知られたのがフジという訳ね。あいつは努力と才能、どちらでしょうね」
「どっちの可能性もあるけん怖かね」
フジはまだ滞空していた。そして血相を変え、咄嗟にバリアーを張った。だが咄嗟では強度が足りない! ディエゴの剛腕が繰り出す殺人ラリアットには!
「エマ・ストーン・クローズ!」
「セゲェエ!?」
ラリアットのモーションで回転するディエゴの頭はミラーボール! 戦場が一気にディスコと化す! バリアー粉砕! 空中でラリアット轢殺! フジの網膜に焼き付いたディエゴの頭の光は危険に明滅し、トー横キッズの座り込みを避けるフェンスに激突して千鳥足で踊り狂った。
「XYZがテメェらアブソリュートマンに殺された怪獣の怨念集合体ならよォ……。俺のラリアットは墓の中の先祖も飛び起きるぜ」
言葉の意味は分からないが、フジは嬉しく思った。こんな風に陽気で傲慢なディエゴ・ドラドデルフィンだからこそ倒しがいがある。ディエゴの言う通りに私怨がないと本気を出せないのが自分なら、恨みのないディエゴに本気を出すことで暴君の言うアブソリュートマンのプライドを持てそうな気がする。
「ドドアッ!」
「セエアッ!」
カウンター! 旋風脚! ばきりとディエゴの奥歯が砕けて膝が笑い、目が焦点を失った。
「もう一発食らっとけ!」
折れた膝を踏み台に駆け上がり、顔面に膝! そして飛び出した勢いで顔面にエルボードロップ! 現状フジが実行可能な最長にして最大ダメージの連撃である! 上野の地下の戦いではこれでもディエゴは立ち上がった。だが今度のダウンは相当に長い!
屹立し、見下ろすフジ・カケル。フジは日本一の山。踊るウインドブレイカーはさながら富嶽三十六景の波濤! それだけの迫力があった。
ぐわっ!
「セエエ!?」
ディエゴは突如再起し、樹状に血走った眼球でフジを威圧して怯ませた。そして俊敏極まりない動きでフジをロックし、そのまま後方へ橋をかけた。
「ビリー・アイリッシュープレックス!」
ジャーマンスープレックス! 二一〇センチの長身に手負いの火事場力、そして少なくとも五十年以上現役のディエゴは、五十年無敗という時間が積み上げた暴力、そして勝利のノウハウの集積である。力は老いても技術は錆びない。
フジは断末魔もあげずに上下逆さまに地面にめり込み、辛うじてメガネが守られた。それでもぐしゃりと下半身が崩れて地面に倒れ、蜘蛛の巣状に割れたアスファルトから血が……溢れない! それ程深く地面を割り、フジの血は地下深くまで浸透している。脳へのダメージが描く不思議な光の不穏なプラネタリムの中、フジの意識は想定外にクリアだった。このディエゴ・ドラドデルフィン……。レジェンド級アブソリュートマンの基準から見ても怪物と認識される強さであることは間違いない。こいつが何度も語ってきたvsキッドの武勇伝。自らの惜敗という結末で常に締めくくられるその逸話はもはや疑う余地もない。
「セエアッ!」
「ドドダッ!」
そこからしばし、両者再起とダウンの繰り返し。メッセがフジから預かった電話には、先程からヒジリ製菓の富良野フェラーリからの着電が止まらない。既に倒産した反社企業の社長とストリートファイトなどマーケティング的に印象が最悪すぎると言いたいのだろう。だが、実際に見ればわかる。
「セアラッ!」
「ドガァ!」
フジとディエゴの間の空気はからからに乾いて不純物が消え去り、気合の雄叫びは相手へ向けた睦言というには乱暴すぎる愛の言葉になっている。そうする間にもまた一発ディエゴが蹴られる。フジが投げられる。
「ガアアアアアアアッ!!!」
バキィ!
クリティカルなアッパーカットがディエゴの顎を捉え、何かが砕ける音がした。一拍置き、ディエゴの頭に剃り残された“敗”の字が一瞬にして白髪へ変わった。既にディエゴは気力を担保すべく、体力や寿命を前借するシークエンスに入っている。
ラーナは砕ける程に鼎の手を握り。スマホを強くタップした。ヒジリ製菓の株を売ったか買ったか……。勝敗を悟ったのだ。そして顔を歪めて片目だけ閉じ、そこからすぅーと一筋流した。
「チッ」
「逃げんなァ!」
フジの動きが変わった。真正面からの殴り合いを放棄し、大ダメージでバラバラになった足取りで逃走を開始した。その速度はあまりにも遅い。すぐ後ろにディエゴの手が迫っている。そしてフジはトー横キッズ用のフェンスをくぐり、そこでウインドブレイカーのフードをディエゴに掴まれてつんのめり、急に詰まった息で頬を膨らませた。
「捕まえたぞ、アッシュウ!」
「俺の方がな」
「あぁん!?」
このフェンスの隙間。フジは抜けられるが、ディエゴの巨体は通らない。だが暴君はその隙間からフジのフードを掴んでいる。つまり!
「セエアッ!」
フジの方から引っ張れば、この枠にディエゴはハマるのだ! ……切れた。ディエゴの中の決定的な何かが。暴れれば造作もなく破壊出来るフェンスのはずなのに、ディエゴは……。
戦いという迷宮から常にディエゴを勝利に導いてきたアリアドネの糸。緊張感。すべて切れた。
「これで終わろうと思う」
「そうか」
フジは身動きのとれないディエゴの頭を脇に抱え、ヘッドロックをかけた。……。第三者の目から見れば、随分と悠長にその体勢で過ごしていたように見えただろう。だが二人にとっては必要な時間だった。宇都宮での引き分け、上野ではディエゴが勝利。ディエゴが巻き込まれたフジとブレイズの因縁。ただのクズ怪獣かと思いきや、力に違わぬ誇り高さ。ディエゴも何か思うものはあっただろう。やがて抵抗を再開した。ヘッドロックに抗う物理的な攻防もあり、フジの中のメーターとサイトが最高のタイミングで釣り合った段階で、彼はそのまま後ろに倒れ込んだ。そしてディエゴの脳天をアスファルトに叩きつけ、容赦なく叩き割った!
「セエアッ!」
「ドエッ……」
フェンスの枠を使った疑似雪崩式DDT! 摩天楼が倒れるようにディエゴの巨体が浮き上がり、ごじゃあと凄まじい音を立ててディエゴは倒れ伏した。フジの中で、プロレスラーであるディエゴの流儀に則りプロレス技でトドメを刺そうと思った時、得意技のDDTしかないと考え至った。だが、この枠を使った雪崩式DDTにしないと勝ち目がないところまでフジは実際追い詰められていた。
「ハァ……」
地べたに座ったままフジは凶暴な呼吸を繰り返し、動かなくなった暴君を眺めた。……。
「鼎……」
鼎の手を握っていたディエゴの最愛の人ラーナはビッと中指を立て、スマホの画面を指さした。フジのメインスポンサー、ヒジリ製菓の株を買っていた。あの段階でラーナは察してしまったのだ。
「勝ったのか。ああああああああああ!!!」
強い熱風がフジの心を突き抜けた。今までの敵は倒してようやくマイナスが帳消しになるようなクズ野郎どもだった。ディエゴも社会的にはそうだろう。だがディエゴに対する私怨はなかった。過去の二度の戦いで勝っていないのに恨んでも憎んでもいない……そんなフヌケな自分をも倒した。
明らかなプラスの熱風が、フジ・カケルを勝利の絶頂へと誘った。
「ラーナさん」
「何?」
「わたし……。就職活動をしていて、面接練習でアブソリュートマンのことは就職で話してはいけないって教わったんです。いろんな思想があるから、と。でも、尊い……」
フジは起立し、倒れるディエゴに最敬礼した。まだ……まだ足りない。だが座礼はブレイズの猿真似のように思えるし、自分はブレイズの上を行かねばならない。
「ディエゴ……。お前さんにまだリーゼントがあったら、お前さんが勝ってたぜ」
上野の地下の戦い。フジはこのDDTでディエゴを仕留めようとしたが、あの時ディエゴはリーゼントを床に突き刺してフジのフェイバリットを防いだ。そしてリーゼントドリルでフジはKOされた。今はそのリーゼント……最大の防具にして最大の武器がない。もしも、無敗のままのディエゴだったら勝てていたか? 実際にブレイズはそのディエゴに勝ち、ディエゴは負けの禊としてリーゼントを失った。ディエゴが背負ったハンデはあまりにも大きい。
拍手をするものはいない。讃えるものもいない。静かフジ・カケルは空に去った。もう星クズではなく綺羅星だった。
ディエゴ・ドラドデルフィン引退マッチ
〇フジ・カケル/アブソリュート・アッシュ(疑似雪崩式DDT)ディエゴ・ドラドデルフィン●




