第70話 猿渡耕平vs虎威狐燐
シカリとエコー、二人の同級生にして仮免アブソリュートマンが今日、引退する。フジにとってはどうでもいいことだ。小学校しか同じじゃないし、話したこともほぼなかった。シカリとは大人になって仲良くなり、頼りにしたが彼が選んだのなら止められない。エコーはプロレスをやっている方がいいから別にいい。メッセの探偵事務所の屋上でフジは一人タバコを吸っていた。兄は追ってこない。一人、また一人と知っている人間がいなくなっていくこと、自分は残る側、残るべき側であることが一つずつ証明されていく重責と孤独。自分はレイやジェイド程のハイブランドじゃないのに。
「孤独が辛いか?」
「俺は孤独じゃねぇ。メロンもメッセも狐燐さんも犬養もいる」
音も気配もなく、背後から重低音の声がフジの横隔膜を静かに揺らした。ディエゴ・ドラドデルフィン。うんざりする程聞いたのに、かつての迫力や気迫……そういった面影はない。やかましいくらいの気配ももう失ってしまった。
「カワイコちゃんばかりで羨ましいぜ。そしてそこにジェイドとレイの名前はないんだな」
「お前さんの孤独に比べりゃ俺なんて」
フジが振り返ると、あまりの眩しさに目を細めた。二メートル超の身長の頂点に輝く電球……。否、剃った頭。そこに五分刈りの髪で“敗”の文字を烙印めいて残し、残りのスキンヘッドの部分が昼の陽光を激しく反射して歪に輝いていた。
「剃髪したのか」
「負けたら剃髪。そういう誓いだ。俺はブレイズに負けた。リーゼントはもうない」
「じゃあどうする? また五十年かけてあのリーゼントを育てるか? それとも坊さんにでもなるのか? そんな訳ねぇよな。まだ女への欲がある。チャンピオンベルトはどうした?」
「ブレイズに送ってやった。着払いでな」
「じゃあ戻ってくるぞ。あの貧乏人じゃ払えねぇ」
「話は聞かせてもらった。シカリとエコー。あの二人があの日、上野の地上を制圧したせいで株式会社DD興業は倒産した。脊髄をブチ抜いて殺してやりたかったぜ。……だが、もういい」
「……そうか」
虚しい。戦闘種族アブソリュート人。フジは多くの敵と仲間が去っていくのをこの一年と少しで経験し過ぎた。都築カイ、碧沈花、大黒顕真。あと少しで勝てた、再戦があれば勝てたはずの相手に限って再戦のチャンスの前に死んでいく。そしてディエゴもそうなりつつある。
「俺と戦え、フジ・カケル」
「……ガチでやる気じゃねぇくせによ」
「ああ、ガチじゃねぇぞ。そうだな……スパーリングパートナーってのはどうだ? テメェはこれからブレイズを倒し、ブレイズに憑依したXYZを倒す。調整はどうする? このままいじけて待つのか? そうだな。クラウンにとってはテメェが勝つこと込みの計画だ。今までの俺ならここまで舐められてたら殺してきた。ならやることはわかるよな?」
「……XYZに憑依されないように、ブレイズを殺すしかねぇ」
「そうだ。曲がりなりにもやつは俺に勝った。俺に勝ったんだぞ? キッド以来だ。そう考えると、重いぞ、ブレイズの存在。俺の無念を背負ったやつをXYZ如きにはやれねぇよな? 覚悟を決めろ。憎悪でもなんでもいい。テンションを上げろ。俺を糧にしろ。あのディエゴ・ドラドデルフィンに勝った。やつも一人の有望株になったと認めろ。そんなやつがXYZの依り代になるヤバさもわかるだろう?」
「要はお前さんがきれいに去りてぇんだろ。死にてぇなら俺に求めるな。なんならお前さんがブレイズともう一回やったらどうだ? それでベルト奪還してこい。そんなお前さんならやりがいがある。俺はお前さんに一度も勝ててねぇ。格で言えばお前さんの方が上だ。いわばブレイズ以下だぜ、俺はよぉ。ガチでお前さんに勝ったブレイズ、スパーリングでお前さんに勝った俺。虚しい勝ちだ」
「だが、お前だから任せられる。格はテメェの方がブレイズより上だ。ディエゴ・ドラドデルフィンの引退試合、受けちゃくれねぇか?」
「……」
なんでいつも俺は残る? 確かに俺は死にたくない。虫になっても生き延びるし、死なないためなら命乞いや死んだふりも辞さない。なんでそんな俺がいつも残る? 碧沈花も大黒顕真もこのディエゴも気高い。だから気高く勇敢に終わっていくのか?
俺は死にたくないし負けたくない。だがこんな俺がいつも残っていいのか?
臆病者扱いは受け入れてきたはずなのに……。
「プロレスラーと政治家と宮崎駿の引退宣言は信用しねぇ。お前さんがまたいつか戻る。その前提でお前さんの最初の引退試合の相手をしてやる。その代わりその頭のくだらねぇ文字を消せ。それが条件だ」
「サンキューな、アブソリュート・アッシュ。俺を救え、ヒーロー」
ディエゴ・ドラドデルフィン引退マッチ “スパーリング”
フジ・カケル/アブソリュート・アッシュ
VS
ディエゴ・ドラドデルフィン
〇
「審判はなし。スタート地点はここ、秋葉原電気街交差点。スタートから十分間はお互いの位置は表示されない」
誰も二人を気にしていていない。今の秋葉原では、いかにもオタクといった風体のシカリもまた悪く目立つ。そして重度の風邪を患ったような極厚マスクに極厚半纏の狐燐は、顔出しもしている天才マンガ家なのに誰も気にしなかったのだ。
「正々堂々と汚い手を使おうね」
「よろしくお願いします」
二人は同時にキャンドルに火を点け、シカリは真空管が並ぶポータル、狐燐はマンガ家の技法に彩られたド派手なポータルで消えた。
まずは転送先はどこでもいい。メイド喫茶の並ぶ通りに飛んだシカリはステルスを発動し、姿を隠した。
……。地球に来た時、この街を自分の拠点にしようと思っていた。自分はオタクだし、秋葉原はオタクの街と聞いていた。だが結局彼は中野ブロードウェイを選び、そこでジャンク屋の店長に惚れこんで店員となった。不滅で不変の砦、中野ブロードウェイ。だが大都会秋葉原は姿を変え続ける。
「痕跡を感じない」
狐燐のアロマキャンドルの香りを感じない。やはり今はまだ相手を知る時間だ。
……。
秋葉原は自分の街ではなかった。今の秋葉原はアニメにコンカフェにと派手になり、人の“好き”に応え、来る人間は観光客か団体のオタク。その外国人もオタクも派手になり、帷子めいた缶バッチの鞄や他の街なら指をさして笑われるようなアニメのTシャツ。ここでは自分を解放し、“好き”に忠実にいられる。いわば聖域だ。ここには同じ趣味の仲間がおり、誰もオタクであることを笑わない。
「何をしてるんだ、あの人は」
スマホを覗くと、狐燐は自ら自分の情報を開示していた。秋葉原駅でわざとファンに見つかり、即興の写真会を開いてその情報がSNSに流れていた。だがあれだけ人が集まっている中に突入してキャンドルを吹き消すことは出来ない。そして、人に囲まれた狐燐がいかにしてキャンドルを守っているかも想像が出来ない。そして、天才マンガ家が存在感をアピールしてファンサすれば騒ぎになる。やはり秋葉原は自分の“好き”を解放する街なのだ。いや、解放とは少し違う。
シカリは静かに素早く街並みを移動する。客引きのメイドたちも観光客も、シカリがステルスを解いても興味を持たないだろう。それがこの街の本質だ。自分に興味を持つ人間にしか興味を持たないのだ。
「孤独ではない」
シカリは一人の時の方が割とテンションが上がる。自宅掃除の時なんかは歌ったり独り言を言ったり、リモコンを取るために手を伸ばす瞬間に戦闘時じみて「ホロアッ!」と発したりする。一人は好きだ。でも孤独ではない。強がりでもない。
だが秋葉原の住人には孤独への耐性が欠けているような気がする。同じ趣味の人間を見つけてコミュニケーションをとり、補完しあい、時にはどちらの方が“好き”の熱意や知識が上かでマウントをとり合う。
メイド喫茶の店員は美貌やサービスを認められなければならないが、認められた時は大いに満たされるだろう。喜びが他人に依存しがちな街、秋葉原。この街で一人、マイペースを貫くのは難しい。
「時間が過ぎたか」
狐燐の位置情報がシカリのスマホに表示された。神田明神から徒歩と思われる緩慢なスピードでジャンク通りに進み、情報が消えた。どうやら神田明神は中心位置から離れすぎと認定されるようだった。シカリは気配を殺し、追跡のためにジャンク通りに向かった。
「……」
中野ブロードウェイは秋葉原とは違った。簡単に言えばテンションが違う。自分の“好き”を他人と無理に共有しなければ楽しめない訳ではない。自分の“好き”を好きなようにさらけ出し、他人と来たい人間はそうすればいい。一人でも楽しめる場所が中野ブロードウェイだった。自分の“好き”を名札めいて主張しなくても過ごせる場所だった。それでも自分のラボに『MASTERキートン』の初版セットを置いているのは誰かに何かを伝えるための符丁やイクトゥスでもない。フジが気付いてくれたことは嬉しかったが貸す気も読ませる気もない。一人でもいいし集団でもいい。それが中野ブロードウェイだった。そして今は郷土のように愛している。
「痕跡だ」
狐燐のアロマキャンドルの香りであるミントが漂ってきた。痕跡だ。シカリはオタクからハンターへと気持ちを切り替え、息を殺して潜伏した。
シカリ。
それは狩猟を生業とする狩人マタギが、集団で狩りを行う際の頭領に授ける称号。
シカリの家族は今はみな都市で仕事を持っている。だがシカリの幼少期はゴミ捨て場で拾ったものの修理で家具家電を、野山を歩いて狩猟と植物の採取で生き、文明を拒絶していた。その時代にはシカリも獲物を追い詰めていた。
狩りのセオリーは統率と効率、つまりシステム化だ。シカリの好きなハンティングゲームも、プレイヤーが最終的に行きつくタイムアタックは統率と効率。そのシステムに当てはめられないイレギュラーな獲物に対しては時間を使ってじっくりと痕跡……情報を集めるしかない。
「……」
香りが急に途切れた。……途切れた? 遠ざかったのならば薄っすらと消えていくはず。ポータルか? 違う。“すりぬけ”だ。
「つまり狩人の天敵ということか」
狐燐はアデアデ星人だ。
アデアデ星は非常に文明の進んだ星だが、代償も大きい。種族単位で労働こそが至高とし、休むことは労働者として強度が弱いと判断される。胃潰瘍等の疾患を防ぐための機械の内臓への置換や過労死はむしろ勲章。そして経営者も労働者を搾取しようとせず、とにかく働き続けることが目的となっている。
そしてアデアデ星人は芸術を失った。そんなものを嗜む時間はなく、統率と効率が最優先される量産品を作ることが目的のアデアデ星人においてイッテンモノで再現性の乏しい芸術に用はない。
だが、時折生まれる狐燐のような芸術タイプのアデアデ星人は常軌を逸したイマジネーションと超能力を有する。その白眉はステルスやポータルとも異なる特殊能力“すりぬけ”とされ、ビルの五階で戦っている時は敵の背中に飛び乗ったまま“すりぬけ”を発動して床を抜け、地下一階まで叩き落した。さらにはレイに変身した状態の頑馬の隙を突き、レイの姿をすり抜けさせて人間態に強引に引きずり戻したなんて噂も聞く。
要はポータルよりも厄介な能力だ。壁一枚が大きな障壁となる。そして、統率と効率と慎重が求められる狩人にとって、イマジネーションで遊ぶ大胆な芸術家は天敵だ。
だが重要なのは、負けたくないと強く思ったことだ。引退試合だから負けてもいい訳ではない。奨学金まで出されたのだから、一定の結果は出さなければ奨学金を出したミリオンの顔に泥を塗る。シカリは安全圏と確認したジャンク通りの狭い雑居ビルの屋上に上り、狐燐用に調整したスポーツチャンバラ用の剣を構えた。壁や天井をすりぬけた奇襲がないこの場所なら純粋なタイマンになる。狐燐はエコーがズタボロにされたスカーを軽く倒したくらいに戦闘能力も高いが、それは周囲の環境が味方をした。ここでのタイマンなら種族の差でシカリに分がある。
「……どういうことだ?」
かなり長い間息を潜めていたが、狐燐の位置情報が再度POPした。突如として秋葉原駅の東側に出現し、時速十から十五キロの高速移動、なおかつ急減速と急加速、右折左折を繰り返すようになったのだ。まったく意味が分からない。虚弱体質の狐燐はそんな速度では走れない。アブソリュート人のシカリならば可能だが……。
「ふっ」
「えっ!?」
極厚マスクがすっとずらされ、誕生日のケーキで自分の年齢分の蝋燭を消せない弱い吐息がシカリのキャンドルの炎を消した。背後には妖艶にさえ感じられる虚弱体質の天才マンガ家。その手のキャンドルではまだ火が燈っている。
「君の負け」
アブソリュート・シカリ引退マッチ “秋葉原変則かくれんぼ”
〇虎威狐燐(消火)猿渡耕平/アブソリュート・シカリ●
これで終わりなのか? 俺のキャリア……。そもそも惜しむようなキャリアはあったのか?
「最後のトリック……。どうやったのか教えてください」
「君がこの辺に隠れていることはわかっていた。ニアミスはあったよね。お互いにお互いの香りを感じた」
「はい」
「君は安定択をとる。ここが中心地点から近くて離れすぎにならないこともわかっていたし、お互いの距離が離れすぎてもすぐに安全地帯に戻れる。だから君をここに張り付けることにした。君の平常心を乱すことでね」
「最後のあの位置情報の不規則な動きは何ですか?」
「シェアサイクルだよ。秋葉原にはシェアサイクルのポートがたくさんある。でもあのシェアサイクルね……。前の利用者がカゴに忘れ物してても気にする人っていないんだよね。どこかに捨てるにしてもゴミなら汚いから触りたくないし、急いでる人は交番に届けることもない。だからスマホを、なるべききれいで充電の残りも多い台のカゴに置いてきた。そうすれば次の利用者の走行でスマホの位置情報は勝手に暴走する」
「でもスマホがないと俺の位置はわからない」
「でも君は安定択をとるでしょ? タイマンならわたしに勝てそうな、何もなくて狭い場所。そして位置情報的にも安全圏。そういう場所をしらみつぶしに探したよ。君が賢くて助かった。……君は無力じゃない。非力でもない。フジから聞いた。君は“個”であろうとしたから、Z飯店の馴れ合いという弱点に気付いていたし、自分の強みや役割を理解して人とも連携がとれる。フジとメロン副所長は随分君に助けられたと聞いた。君は誰かと組めば十分に強い。残念だよ、引退なんて」
つまり、獲物を仕留めるブッパ役として構えていたシカリは、狐燐のシェアサイクルを使った勢子に既に誘導された獲物になっていたのだ。
効率、統率、慎重、丁寧。それゆえに負けたのだ。ジャンク屋の店長も言っていたように、ジャンクは玄人が完璧に直さないからこそ価値がある。素人が自分なりにいじってみれば、専門家の知る正解以上のことが起きるかもしれない、と。結局、シカリは……。
「……そうでもない。フジも狐燐さんも一人で戦えて、誰かと組めばより強い。誰かと組まなきゃ強くない時点で俺はここまでの戦士だった」
「君がそう思ってるならそれでいいかもしれないけど、わたしの種族アデアデではそうではない。みんなブラック企業体質のアデアデをおかしいとか憐れというけど、群れることも悪くはない。このキャンドル、なかなか火が消えなかったでしょ? アデアデの仕事です。君が……プライドと尊厳を持ったまま去れるのなら、わたしも気が楽だよ」
「ありがとうございました」
さようなら、俺の戦場。でも俺は確かにここにいた。




