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アブソリュート・トラッシュ  作者: 三篠森・N
第7章 アブソリュートマン:ニュージェネレーションスターズ
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第40話 プロレスラー

「アラ、また来たのね。一週間も経っていないけど」


 尼僧……というのは便宜上で、実際は女装の巨漢であるこの人物は、品のよい抑揚のバリトンボイスで若者を出迎えた。


「あんたのこと、なんて呼べばいい?」


「名前は紅錦(ベニシキ)鳳落(トリオ)だけど……。最近は物書き仕事や僧侶の名前として、こう名乗っているわ。“ディグニー”」


「ディグニー?」


「気品を意味する“Dignity”、そして過去の語り手だから過去の叡智を掘り起こす。そして才覚ある若者を発掘し、叡智を授けるという意味で、掘るの“Dig”。アタシの理念とアタシの行動を現すペンネームね。これでこの寺院のブログを書いている。オカマなのに掘る、だけどそういう意味じゃないわよ。アナタのエコーというヒーローネームやリングネームと同じよ、愛波ちゃん。どっちで呼ばれたい? エコー? それとも愛波?」


「エコー」


 ぶっきらぼうに答えた巨女はコンビニのレジ袋からファミリーマートのチョコチップクレープとベビースターラーメンを取り出し、ディグニーに渡した。……。ディグニーは……。確かに一九〇センチ台後半の巨漢でエコーより身長は高く、そしてその巨体と隠せぬ筋肉で一目で男性とわかるのに女装をしている。本職がプロレスラーのエコーは見た目にインパクトのある人物に耐性があり、事実ディグニーの奇妙な外見に怯んではいない。だが、奇抜な見た目に怯んでいないだけだ。実際はディグニーを直視し続けることが出来ず、険しい銀嶺を仰ぐように視線がうわずる。ディグニーの高潔な精神が放つ光……法力。それは大きな体も含めて才能だけでここまでやれてきてしまったエコーに劣等感を生じさせ、それに直接火を放つような眩い熱を持っていた。


「じゃあ、エコーちゃん。前回来た時と今回、何か変わった?」


「何も」


「そう……。ここは寒いわね。中に入りましょう」


 ディグニーはホウキと桶を持ち、片足を引き摺って歩き出した。屈強な筋肉を備えてはいるが、前回来た時に見たようにディグニーは今後戦えない程の古傷を足に抱えている。その状態の自分に勝てば碧沈花の強さの秘訣を教えてくれると言ったが……。やはりディグニーを前にすると、攻撃する意思を持っていても体が動くことはない。


「あっ」


 ディグニーが足に後遺症があるのならば、荷物を持てばよかった。そう気付いた時にはもう遅く、ディグニーは水道の横に桶とホウキを置いていた。


「祭壇に礼を」


「はい」


 ここは寺……なのか? 寺社巡りなどロゼの趣味だと興味も持たなかったエコーだが、この寺院は異質だった。仏像の類はなく、僧侶は法衣、おりんなどが仏教風であるだけで、実際は仏教の寺院ではないようだった。そして、広間の中央に構える祭壇に飾られている遺影は、表情に乏しかったり共感を拒むような動物……つまり怪獣だった。


「怪獣を供養しているのか?」


「そうよ。アナタは確か、アッシュの同級生。ならばアッシュの姉のジェイドはもちろん知ってるわよね?」


「全宇宙最強の戦士」


「そのジェイドがかつて倒した最強の怪獣、アブソリュートマン:XYZは、アブソリュートマンに殺された怪獣の怨念が紡いだ一つの意思を魂とする。だからジェイドはここでその魂を鎮めることにした」


「でも、昨年の夏にXYZは蘇った」


「そういうこと。つまり怪獣供養はジェイドの自己満足かもね。でもそれで切り捨てられる?」


「それは……出来ない」


「そしてこの寺院では、アタシのように贖罪を望む怪獣がそのポーズとして僧侶の真似事をする。そして、普通の場所に眠れない怪獣たちの墓を守る。アタシはディグニー……“掘る”という意味もあるけど、墓は掘り起こさない。でも彼らの記憶は掘り起こす。さて……強くなりたいとのご要望ね」


 ディグニーが安楽椅子に腰かけた。よっぽど足が悪いのだろう。……。ずずずずず、ずしん。そのままディグニーの座った椅子は畳にめり込み、その重量でひたすら地球の中心に向かって沈下を続けていった……。


「エコーちゃん?」


「アッハイ」


 今のは幻覚だった。ディグニーの持つ人間的情報量を質量と錯覚し、今のような恐ろしいイメージを与えたのだ。実際はエコーの方が一.五倍の体重がある。だが、畳がただ窪むだけだ。


「先に言っておくけど、アナタは少しは顔つきが変わってるわよ。DD興業のシャオシャオ・シルバーシュリンプ、ヒジリ製菓のスカーとの戦いの時とはね。だから! アナタに届かなかったシャオシャオやスカーの言葉を、今は受け入れてくれると信じて言うわ」


「はい」


「まず、ブレイズが世代ナンバーワンアブソリュートマンを目指し、フジを超えたいと望むのは結構よ。それはもちろんOK。フジにもナンバーワンとしてのプライドや責務がある。でもね、フジはブレイズの夢のための踏み台じゃないの。ワカル? これはプロレスじゃないの。アナタから見ればフジは恵まれた血統、恵まれた環境で必然的に強くなったヒールだったかもしれないけど、彼はすごく苦労したし努力もした。今は何の問題もなく地球担当アブソリュートマンよ。負けたら彼が何を失うのかきちんと理解しない限り、アナタたちにはフジに挑む権利はない。フジを舐めるな」


「……はい」


 みり、と少し自分の足元の畳が窪んだ気がした。


「次に、アナタはブレイズが誰よりも苦労し、それを見たから自分も頑張れたと何度も主張した。今の強さも、今のプロレスラーという仕事も。頑張るブレイズを糧に手にしたといったけど、その女子プロレスとしては反則級の体、アブソリュートマンであるよりもプロレスラーであるのにスカーやシャオシャオとあそこまで戦えた実力、それはアナタの才能よ。努力の過程にブレイズはいたかもしれない。でもその手柄を全部くれてやるのは惜しい程、アナタは才能に恵まれたし、努力もしたはずよ」


「……はい」


 めりり、とさらに畳が窪む。いや、今度は自分が沈んでいるというのか? あまりの恥ずかしさに、穴があったら入りたいという言葉を体現するように自分が沈んでいっているのか……? いや、これも錯覚だ。だがそう感じる程、ディグニーの言葉は重く、そして重くその言葉を受け止めている自分がいる。シャオシャオやスカーに指摘された時は雑音としか認識出来なかった言葉が、ブレイズと距離を置いたことで正確なブレイズ評、エコー評、Z飯店評として理解出来る。皮肉なのは、もうZ飯店が存在していないということだ。だがもう遅いと絶望することはなかった。手遅れな部分はあるが、まだ間に合うかもしれない。


「つまり、今のアナタに必要なのはプライドという概念に対する正しい理解よ。相手のプライド、自分のプライド。それをリスペクトすることで、アナタは変われるはずだわ」


「はい」


「そして、アタシも一応メロンネットワークに加入しているの。だからメロンから伝達があった。上野公園でDD興業が暴れているわ。アナタは行く?」


「ディグニーは?」


「このケガじゃあね。アタシは一生戦えない。だからアタシはアナタのように埋もれていた才能を掘り起こすだけよ。そして未来に託す」


 埋もれていた才能。埋もれていた才能! 今までエコーをそう扱った人間など一人もいなかった。幼少期から怪物じみた巨体、中学高校では相撲の公式戦で六年間無敗。鳴り物入りで女子プロレスに行き、実働五年も経っていないのに既にGOAT扱い。誰もが彼女を、苦労知らずで恵まれた天才とチヤホヤしていた。ジョバーの経験すらない。

 そうだ、わたしは恵まれていたんだ。だが、それだけだった。


「……ッ」


「行くのも行かないのも自由よ。誰も責めはしないわ。多分、前回よりかなり強くなったはずのアナタでもやっぱりシャオシャオ・シルバーシュリンプには勝てないでしょうしね」


 プライド……。プライド!


「わたしは……」




 〇




「ポボッ……?」


 オスカーは冷たい床に転がされていた。ディエゴが破壊した地盤の厚さは約二〇〇メートル分。横、上にかき分けられた土砂の影響で上野公園の地上は古墳めいて盛り上がり、地割れも生じている。当然、この地下空間に落下したものもあったが、オスカーが社長のためにモップ掛けをして道を整えれば廊下の床は元のピカピカに戻っていた。

 ……。上野地下宝物殿を守る用心棒怪獣は二人。彼らには名乗りの権利も義務もない。そのため、用心棒(若)、用心棒(老)と、ディエゴとオスカーは認識していた。

 用心棒(若)は実際油断ならない敵だった。種族すらも不明だったが、おそらく見た目通りに怪力とタフネスが自慢の怪獣だったと思われる。

 その用心棒(若)は既にダウンしている。オスカーによるモップの殴打、そして拳打にキックの雨霰を叩き込まれたのだ。だがオスカーも無事では済まない。敵は相当のパワーファイターであり、額が割れて血が流れ、筋繊維や骨にもダメージがある。


「オヌシは何を隠しておる?」


 用心棒(老)。こちらもやはり名前も種族もわからなかったが、こちらは奇妙なサイキックを使う。小さく展開した半球状バリアーをバックラーじみて突き出すことでオフェンシブに防御し、パリィして作った隙を狙って鋭い打撃を素手で叩き込む。狭いフックワークの中で完結するテクニカルな戦い方の方程式が出来上がっていた。


「怪獣というものは、人並外れた怪力や脚力……つまり身体能力か、人間の持ちえぬ特殊能力を持つもの。オヌシは怪獣の波長を持つにも関わらず、どちらもない。何者だ?」


「俺は……DD興業のジョバーだ」


 転がされたオスカーは歯の隙間を血で埋め、モップを杖代わりに立ち上がった。モップという武器が用心棒(老)のバックラーバリアーとの相性が悪すぎる。長いリーチがハンデにしかならず、懐に潜り込まれて強打を受けるというラリーが何度も続いている。


「もうよい。オヌシが戦うか? ディエゴ・ドラドデルフィン」


「別にいいが、その場合はお前を殺すぞ、ジジイ」


 「殺す」。コンビニでコーヒーでも注文するように簡単に、DD興業の暴君は殺害を口にした。その言葉の重みがわからない馬鹿な男なのではない。わかった上で軽いのだ。つまり、ディエゴ・ドラドデルフィンにとっては殺害行為ですらも軽く聞こえるような日常茶飯事なのだ。

 あまりにも無造作な殺害宣言とその質量に用心棒(老)は不快感と少しの恐怖を抱いた。


「オスカーは俺たちのジョバー。ジョバーってのは、つまりプロレスの試合の噛ませ犬、負け役レスラーだ。だがジョバーの仕事はスーパースターの噛ませ犬だけじゃあねぇ。組織の強さを示す時にも使われる。調子に乗った道場破りの鼻をへし折りたい時、そして今みてぇな場面。最弱のジョバーにすら敵わねぇということで俺たちのレベルを伝えてやれる。だからジジイ。テメェはオスカーに負けて、DD興業のジョバーにすら負けたと俺たちの伝説を語り継いでいけ。だが、ジョバーとはいえオスカーもDD興業だ。テメェがオスカーに勝つとDD興業が負けた前例が出来る。その場合は口封じに俺がテメェを殺す」


 ……。

 実に奥深い男よ。用心棒(老)は極めてシリアスな場面でありながら、センチメントに浸った。ディエゴはディエゴ、そしてオスカーはオスカーと個々の立場やプライドを切り離し、行動も理念も別としている。ジョバーという言葉は侮蔑でもあり尊重でもあった。そして最終的にはDD興業のプライドへと帰結する。個の話をしているはずが、結局はDD興業という群の在り方を示しているのだ。


「おい、どうする、オスカー」


「社長……。上野地下宝物殿の収蔵品……。全部欲しいですか?」


「まぁな」


「その扉を開いて……。通気性を確保すれば俺は勝てます」


 そうだ。

 今のオスカーはまるっきりに人間並みのスペックしかない。用心棒(老)が感じたように、今のオスカーは超達人ではあるが人間の域に収まる身体能力と技巧。特殊能力はなかった。それでもオスカーが用心棒(若)を倒したことは驚嘆に値する。人間並みの出力しか発揮出来なかった怪獣が、怪獣用心棒を二人相手取り一人は倒したのだ。

 だが、あるというのか!? これ以上の何かが!?


「だが、ここを開けて宝物殿と繋がったままお前が能力を解放すれば、宝の一部が壊れるかもしれないな」


「そこはなんとか制御しますが、どっちをとります? 俺が負けてDD興業が舐められる方をとるか、お宝を守るか」


「言うまでもねぇ」


 ……テレポート? 用心棒(老)のメガネと網膜にはディエゴの違う姿が映っている。ディエゴは一瞬にして用心棒(老)の背後に移動し、宝物殿の鉄扉の前に立っていたのだ。


「いい目をしているな、ジジイ。俺を目で追えるとは」


「や、やめ」


「ドドアッ!」


 オスカーに追い風が吹いた。宝物殿の扉が開いたことで廊下の空気が逆流し、後ろからオスカーのもじゃもじゃ頭をさらにかき乱し、その下に隠れた意外に端正な目が爛々と輝き出した! 炎のごとく!


「サンクス、社長」


 用心棒(老)はもう任務失敗、そして死を覚悟していた。一瞬でもディエゴのカリスマに心を乱された時点でもう負けていたのだ。だがオスカーに特別な感情は抱いていない。オスカーを倒してもその先で自分がディエゴに勝つことはないだろう。

 だがオスカーは倒す。それが用心棒のプライドだ。

 極めて流麗な動きで用心棒(老)は構えた。おそらくこれが自分の引退試合だろう。

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