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アブソリュート・トラッシュ  作者: 三篠森・N
第3章 絶対零度
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第10話 夏はカッパと水遊び

 和光樹林公園を駆ける一人の女性がいる! なんだか高級そうな生地とロゴのジャージに真新しいランニングシューズ、長髪をポニテにして炎天下のランニングコースを走り、雑木林の陰で膝に手を当て深呼吸する。


「ハァ……。ゥフゥー……」


 望月鼎(20歳)だ。

 サークルの夏のレクに川でバーベキューをすることになり、急遽体を絞っているのだ。燈に勝てている部分はゾンビのようにガリガリな憎いあいつより肉感的な体だが、余分なものがついているといけない。


「大丈夫?」


「お姉さんは大丈夫なんですか?」


「わたしは大丈夫」


 そんな真夏のダイエットにあの寿ユキが付き合ってくれた! フラッと連絡をくれて、流れで一緒に走ることになったのだ。こういう機会でもなければ「そのうちやればいいや」で結局当日の朝になって「もうどうにでもなれ」と言ってしまうのだ。どうせ勝てないんだから、と。


「辛くなったら言ってね。冷やしてあげる」


 余計なことを……。疲れたり辛くなったりしたら冷やされて治される!? もはや滑車を回るリスのよう、血を吐きながら続ける悲しいマラソンだ。ボディビルの芸人だって苦しくて大会前はテレビでギスギスする。鍛えることは苦しいのだ。鼎がコースを一周する前にもうユキには三回ほど抜かれた気もするが、相手はアブソリュート人だし……。ユキに追いつこうとか一緒に走ろうなんて思ってない。体型を調整するのが目的だから! っていうかもうやれるだけやつたろ!? 真夏の一キロのランニングは冬の四倍の消耗に値する。春と秋は暖かいから冬の二倍、夏はさらに暑いからさらに倍で四倍だ。なので実質四キロ走っている。なのにユキは鼎から「熱中症になりそうなんでここらでやめておきます」の決めゼリフを奪った。


「お姉さん……。ヒマなんですか?」


「ヒマじゃないよ。鼎ちゃんがヘバらないか見ておかなきゃいけないし。あと奇遇ね。わたしの知り合いが鼎ちゃんの弟とお友達なの。都築カイっていう子」


「あぁ、カイくん」


「知ってるの?」


「弟がよく話しています。足が速いらしいです」


 ケンヂはカイがアブソリュートの戦士だということは鼎に隠しているようだ。なのでユキもバラさない。本当は言いたいよ! カイは自分の弟子で、本当によくやっているいい子だって! 真っすぐで、よく吸収するし理不尽な目に遭ってもヘソを曲げない。自分の高い理想にも負けずについてこられる心身共に優秀な若者だ。鍛えても鍛えてもゴア族にちょっかいだけ出されても結果が貰えなくてもいじけない! 次は倒すとより熱くなる。本当はいくらだって、鼎が熱中症で倒れたって気にせず続けてカイを自慢したいのに!

 今日はそんなカイの休養日だ。先日のゴア族のウサギの巫女が狙っていたのは多分アッシュの方だろうが、鼎が襲撃に気付いていたら大きな恐怖を与えたはずだ。しかし今日はユキがついている。それだけで敵への抑止力にはなりうる。敵が来たら自分が処理するし、複数で襲ってきたりするようなら頑馬やメッセを転送することも出来る。


「カケルも足が速いんだけどね」


「名前もそうですしね」


「ヒドい名前だと思わない? (カケル)なんて。あの名前はカケルの地球行きが決まった時、父さんがつけた。欠けているものがある、って」


「フジとお父さんは仲が悪いんですか?」


「全然。あの子が一番可愛がられた。頑馬は十三歳で脱走したけど、それまでも父さんはほとんど家に帰らず仕事をしていた。わたしも師匠のところに半ば養子の状態だった。あの子は可愛がられたのに。自分で育てたからこそ、父さんにはあの子に欠けているものが見えてしまったのかもね。欠けているものがあるのはみんな同じよ。わたしにも、頑馬にも、メロンにも、欠けているものはあるわ」


「わたしなんて欠けているものばかりですよ。偏差値とか」


「誰だってそうよ。完璧な人なんて一人もいない。各々の理想が違う限り誰の目から見ても完璧なんてありえない。限りなくそれに近い人はいるけど……。でも鼎ちゃんはカケルに欠けている何かを補ってくれた。今日はそのお礼のつもりもあるのかもね」


「だったらもう今日はもうやめさせてくれないですか」


「フフッ。ほら、こうやってわたしも人の苦しさがわかってなかった」




 〇




 「共犯者」。

 フジは鼎にこう言った。


「俺とお前さんは共犯者だ。お望み通りに川遊びに行ってやるよ。サークルのカスどもを皆殺しにする手伝いをしてやる。だが殺すなら完膚なきまでにやれ。史上最高の望月鼎を見せつけて、それを俺がそいつらから奪ってやる。お前さん自身が姫を辞めるのが惜しくなるくらいに史上最高のお前さんになれ。それが一番効くだろう。金はいくらでも使え。ハァ……。トラッシュ様に戻っちまったぜ。ほんの少し、殊勝なことを考えたが俺はこれでいい。金に糸目を付けるな。最高の水着を買え。最高の化粧をして最高の美容師にセットしてもらえ。見返してやれ」


 ズッキュゥーンだ!

 それに備えて高級ジャージと高級ランニングシューズを用意し、クローゼットにしまったままだったが、この姉弟にまたお世話になってしまった。

 そして犯行当日が訪れる!!!


「お待たせぇ!」


 集合は池袋! これより埼玉県飯能市の山奥まで進み、川で遊び倒してやるのだ! 集合に来たのは鼎が最後だったが、オタサーどもが早く着いたのは少しでも長い時間、燈と過ごしたかったのだろう。不似合いにセットした髪が崩れてキモイ光沢が湧いている。


「望月さぁん! 待ってたんだからぁ!」


 まだ池袋なのにもう浮き輪に空気を入れて膨らませた燈が鼎に抱き着いてスリスリする。高校の制服じゃなく私服、しかも浮き輪を使うということはこのあと脱ぐ! オタサーの膨らんではいけない……妄想。膨らんではいけない妄想が膨らむぞ! あぁ、いい想いをしろこの野郎ども! 残さず皆殺しだ! フジは現地でサプライズ登場する!


「望月さんも来てくれてワクワクバーベキューね!」


「ええ、駿河さんも来てくれてワクワクバーベキュー!」


 ギラーンと狂気の光を目に灯し、鼎も燈の頭を撫でてやる。このまま首をへし折ってやつたっていいんだ! ヘッドロック→初期テリーマンの必殺技(フィニッシュ)の初期型の仔牛の焼印押し(カーフブランディング)で灼熱のアスファルトに沈めてやりたい。だが腐ってもオタサーの姫。テリーマンのような荒々しいファイティングスピリットは似合わない。もうすぐ……。

 オタサーと二人の姫を運ぶ電車は高架を抜け、市街地を抜け、都を抜け……。次第に田畑や背の低い建物ばかりの風景になる。この線路の先にある何か得体の知れない領域に進むのは昔観たあの映画のようだ。恐怖もワクワクも、縋る思いもある。だがあの映画では辿り着いた先に一番会いたい人が迎えに来てくれた。

 そうなるはずだった。


「ハハハッ、火加減もこんなですかなぁ!? しばらく練習する故、川で遊んでしまって構いませんよ!?」


 現地につき、チームプレーの掛け算ではなくスタンドプレーの足し算でテントの設営やコンロのセットを行うオタサーたち。全ての毛細血管が辿れば心臓に行き着くように彼らの行動はバラバラでも下心に集約される。ここからはチキンレースだ。鼎と燈、どちらが先に水着になるか!


「じゃあ着替えちゃう? 望月さん」


 ついにこの時が来るのか。オタサー共が生唾を飲むゴクリって音まで聞こえてきそうだ。ヨシダ、ナカムラ、ホウジョウ、マツモト、ミヤネ、タミヤ……。……タミヤ?


「アレ? タミヤさんは?」


「タミヤさんですか? その辺で食べられる草でも探してるか、サワガニに足の指つねられて泣いてるんじゃないですか?」


 マジでギャグセンスねぇよこいつ……。せっかく水着になるのに全員にいないんじゃ皆殺しにはならない。だがこれってそれ以上にヤバくないか?


「……ガチでヤバくない? タミヤさん流された!?」


「怖いよう望月さぁん。わたし泳げないのにぃ」


 普段とは違う薄手のTシャツで鼎にピッタリ密着する燈にオタサーはそれどころじゃない。空気読め!! タミヤァ!!!


「そ、その辺にいますよ。ちょっと探してみますけど。タミヤさん? タミヤさぁーん!! ヘグゥ!?」


 木陰の角を曲がったヨシダが奇声をあげる。足を滑らせたのだろうか? どっちにしろこれはもう無事な事態ではない! へばりつく燈を邪魔に感じながらもヨシダの後を追うと、彼は気をつけの姿勢で硬直したまま仰向けで河原に倒れていた。「ユニクロで売っていたのだからダサくないしオタくさくない」と判断したポケモンTシャツを天に向け、ブッ倒れていたのである。


「え? なにこれ。フ、フ、フジ……」


「グエエエ!?」


 今度はさっきまでいたテントとコンロの本営の方からの悲鳴だ。ナカムラ、ホウジョウ、マツモトの三人分の声だったが、男としての矜持は微塵も感じられないネズミの断末魔のような情けない声だ。死にかけのセミの方がもっと命を感じる。


「怖いよう望月さぁん」


「わたしも怖いんだからさぁ、やめてくれる? そういうの」


 ともあれオタサーは全滅か? ならばもうカワイコぶることはない。まだ一度も見せたことがない剥き出しの敵意を燈に向ける。ナカムラ、ホウジョウ、マツモト、ミヤネも倒れていれば誰に媚を売ってそんな声を出す? 女の子同士のイチャつきだって見てる人がいなけりゃ何も可愛くない。いや、むしろ見ていてくれ! 無事でいてくれ、ナカムラ、ホウジョウ、マツモト、ミヤネ! 申し訳程度の武器にゴツゴツした石を握り、一度ヨシダを諦めて本営に戻る。何事も起きていないでくれ……。


「キエエエエエ!?」


 そんな希望は儚く打ち砕かれる。

 本営ではナカムラとホウジョウとミヤネが仰向けに並べられて倒れ、マツモトの腰部に手を当てる異形の生物……。ありえないほど前傾姿勢で素肌が緑色の人型の何かだ! 一体何が起きているというのだ! ガパッと緑色の何かのクチバシが開き、中の防水ボイスモジュレーターが露わになる。


「黙れェェェ!」


 オタサーの中に、妖怪に詳しいやつはいただろうか!

 水棲の妖怪の中でも、淡水生では最もポピュラーな妖怪、河童(カッパ)。人型に近い形状、頭頂部には硬度の高い皿、背中には甲羅、緑色の肌、水中に適応した水かき! 馬を水中に引きずり込む馬鹿力に、尻子玉と呼ばれる謎の臓器を人間から摘出し無力化する能力を持つという! 実際にマツモトから何かを摘出したカッパが目が今、二人の乙女に向けられる! 女の子まで尻子玉を抜かれてしまうというのだろうか!? せっかく武器にと思って手に取った石も恐怖と驚愕で投げられない。


「あのカッパは望月さんを襲わないよ」


「何?」


「あのカッパ、わたしの部下なの。みんなにはちょっと黙ってもらったけど、やっとお話し出来るね、望月さん」


 鼎の体から燈の体温が離れた。アンニュイな目を爛々と輝かせ、氷のような冷たさの笑みを浮かべてカッパにウィンクする。子供のような無邪気な微笑だが、悪意で満たされた老醜さも感じる。そしてカッパはコクッと頷いて緑の素肌で腕組みをした。指示通り待っているのだ。


「お前……。何者?」


「何者だろう? わたしの目的と手段はたくさんある。アブソリュートマン:XYZの復活、初代アブソリュートマンの賛美、アブソリュート・ジェイドの殺害。そのロードマップにはアブソリュート・アッシュやレイ、ゴア族も組み込まれている。安心して、望月さん。わたしはあなたを負かすつもりなんてサラサラない。あなたからこのサークルの人たちを奪う気もない。あなたが望むならこの人たちからわたしに関する記憶を消去して二度と姿を現さないわ。でもあいつは貰う。ねぇ? アッシュ。やっと会えたね。もう望月さんは用済みだけど、むやみやたらに殺すのは趣味じゃないの」


 水面の乱反射が空でも瞬いた。上空にバリアーの板を作り出し、そこでフジが胡坐をかいてタバコを吸っていた。トントンとタップすると透明な板に灰が積もり、不快感を隠さない吐息が川に灰を散らせる。


「お前、マジで何者?」


「あなたもわたしが誰だかわからないの? アッシュ」


「アッシュじゃねぇ。今はフジだ」


「そう……。フジ。わたしの部下になって。わたしの元には“喜怒哀楽”を象徴する部下がいた。でも“喜”に空席が出来たの。“怒”も空きそうね。“怒”の後任も目星はつけてるけど、“喜”にはアブソリュート・アッシュが適任ってずっと思ってたの。戦力も申し分ない。それにあなたは“喜び”を知っている。抑圧から解放される喜びを、承認欲求が満たされる喜びを……。誰よりも自由な人間があの座にふさわしい」


「ガキが」


 足場が消失し、スニーカーの着地で河原の石がカリカリと鳴く。トボトボとアンデッドの足取りで鼎がフジに助けを求め、燈は余韻のように手を振った。薄いTシャツ越しに鼎の体が押し付けられる。こいつこんなにいい体をしていたのか。今まで棒に振ったチャンスが本当に馬鹿みたいだ。だが今はそれどころじゃない。


「いろいろ考えたけど、やっぱりあなたしかいないわ。ジェイドに弱点を作るには。いえ、作るんじゃない。既にあなたはジェイドの弱点。ジェイドを殺せるのはジェイドが一番可愛がっているあなた」


「あぁーあ、言いやがった! 一番言ってはならねぇことを言いやがった! 鼎。このクソオタク野郎どもは死んでない。悪いが邪魔だったからあのカッパの襲撃から守らなかった。今からカッパ野郎をブチのめして元に戻す。それに姉貴ならどうにか治せるだろう。俺は今からあのカッパを殺す。ガキの方は半殺しにして拷問して全部吐かせてやる。目と爪を潰す時は呼んでやるよ。お前さんもあのガキに恨みがあるんだろ? 今はどっか行ってろ。メロン。鼎を安全な所へ」


「うん、どっか行った方がいいよ望月さん。知ると今までのようには暮らせない」


 フジの肩から分身メロンが一人飛び移る。もう今の鼎には何もわからない。メロンに促されるまま避難し、後ろ髪を引かれてフジを一瞥した。


「鼎」


「何?」


「虫よけスプレー」


 フジがブン投げた虫よけスプレーが鼎の足元の石ころに弾かれた。フジはシスコン心を最大級に踏みにじられたショックを分散させ、落ち着こうと努めている。だが努めているだけだ。炎天下の日光を屈折させ、川が沸騰しそうな程の激しい憎悪の炎が燃え上がっている。


「でも、そうやって怒るってことはジェイドの弱点だって自覚があるからでしょ? ジェイドに認められたいと思う反面、ジェイドの強さにはついていけないと劣等感を抱いている。ジェイドに認められれば認められる程、ジェイドの弱点であることが強く浮かび上がる。違う?」


「あの姉貴についていけるやつなんていないさ。出来て兄貴くらいだな。カイの野郎だって無理さ」


「カイは行けるかもよ?」


「あぁ?」


「だってあの都築カイは、XYZ様の息子だもの。正確には、XYZ様の細胞とわたしの細胞で作った、わたしとXYZ様の息子。あいつは初代アブソリュートマンとアブソリュート・ジェイドとアブソリュートマン:XYZに並べる存在になる。……はず。ジェイドがそう育ててくれるはず」

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