第39話 ロックンロール(パートツー)
「ワックス掛け、小さい車だから楽だったでしょう?」
「いえ、そんなことは……。立派な車ですよ」
「ごめんなさいね、わたしがやれることは『ベスト・キッド』のミヤギのモノマネだけ」
乾いた草がかさかさと鳴く冬の荒川河川敷。彩凛が手入れした車で、メッセ、メロン、彩凛の三人はまた河原に来ていた。少し前には彩凛に絶対会心の習得のために修行した場所だが、今の彩凛は強くなるための身体的な修行を禁じられ、体力のキープや拳法の型の確認など現状維持以上に体を動かすことが出来ない。
メッセは倦んだ仕草で、角砂糖の入れすぎでどろどろになったコーヒーを飲んだ。マグカップの底にはまだざらつく砂糖が残っている。彩凛はメロンがブレンドしたハーブティーを飲んだ。温かいマグカップは冬空の彩凛の手には過剰に熱く感じた。それでも味はぴったりとはまって体の芯から温かくなる。それくらいに彩凛はこの事務所に浸透していた。だがメッセはこのまま彩凛を引き取るつもりはない。心身の傷を癒し、戦える力を与えれば、その先はその力をどう使うかだ。そこまで指導する権利も資格もメッセにはない。
「ワックス掛けの円を描く運動。前も話したように、曲線と円は動きを効率化する」
「わたしの父がやっている拳法の道場でも、防御は柔らかく曲線的、固く直線的と二通りがあります」
「どっちを選ぶかはケースバイケースね。フジのように両立可能な場合もあるけど、あいつはまずは防御をギチギチに固めるタイプだから、技術は参考にしても立ち回りは参考にしない方がいいわ。あれが出来るのは完全に適性とミリオン一族の埒外のスタミナがあってこそ」
「薪悟やみちかちゃんとの戦いではそうには見えませんでしたけど」
「あいつが強くなって戦い方がより攻撃的になったのと、ハッキリ言えばブレイズもロゼも鉄壁を使う程の相手ではなかったということね」
「……」
「あなたのかつての仲間たちに関する想いもわかる。でも今のあなたは、恋人と別れ、仲間と距離をとった若い女の子らしく絶望し、わたしやメロンに甘えなさい」
「それはいつまで許されるんでしょうか?」
「あなたがわたしに甘える罪悪感に苛まれたり、あなたはもう大丈夫とわたしが判断した時。さて……。少し体を動かしましょう」
「はい」
メッセと彩凛は念入りにストレッチし、凝り固まった体をほぐした。そのたびに強調される脚線美、豊満なバスト、周囲に広がる甘い匂い……。それだけでお金をとれる程の準備運動だった。
「目の前に川があるわね」
「はい」
「向こう岸まで約一八〇メートル。届かなくていいから、可能な限り遠くまで石を投げてごらんなさい」
「えぇと、周囲に釣り人は……いないですね」
「ええ、水中にカッパもいないはずだわ」
確かに周囲に人はいないが、そもそも地面が素焼きのように変色して草すら生えていない場所もある。その素焼きの地面は直線を描き、なおかつ何本も引かれていた。……。あの死んだアブソリュート・シーカーが最初に出現したのが、この浮間舟渡に近い荒川河川敷だった。
「では、この石で」
重さは五〇グラム程だろうか。彩凛は普段は社交場で働いているため、お客の話題に合わせるために各種スポーツは見る。野球やサッカー、オリンピックの陸上競技もだ。今年、プロ野球界で所謂無双の活躍をしたピッチャーがいた。そのしなやかかつコンパクトなフォームを真似、彩凛は石を投げた。
「よくて十五メートルってところね。石が小さすぎて力が伝わらず、軽すぎて投げた後の減速もすぐに始まる」
「石の問題でしょうか?」
「ヒントはいくつかあるわ。でも教えてあげるのは一投ごとに一つだけ、そしてあなたが何かを掴むたび。そうね……。今回は石の問題でもある。大サービスよ。あなたのスペックなら、一五〇メートルは遠くに飛ばせる」
「一五〇……」
「まずは石よ。その石ではよくなかった。答えは今言った通り。小さすぎ、そして軽すぎ。……ちょっと漠然とし過ぎたわね。まず、一五〇メートルというのは理論上の値であったし、この投石訓練で絶対会心は使わない。でもこの投石訓練で得たものを絶対会心に落とし込むことで、見違える程技はブラッシュアップされる」
「でも、問題は石ではなくわたしの思考とかフォームですよね?」
「そうね。でもまずは思考の部分で石を選んでもらう。弘法筆を選ばずというけれど、選んだ筆ならなおよい」
彩凛は周囲を見渡した。さほど石の多い河川敷ではない。草むら、野球場やゴルフ場。コンクリートの護岸。石の数は限られている。そしてメッセは指導慣れしていないのか厳しさに欠け、またヒントをくれた。やはり問題は石なのだ。
「ダメ元で訊いてみますが、成人女性のソフトボール投げの平均記録は?」
「わたしに訊くまでもないわね。その程度のことはスマホで調べてもいい。もちろん、スマホで一五〇メートル飛ばす方法を調べてもいいわよ」
「でもそれでは修行にならない」
「わかっているならOK」
野球ボール、遠投と仮定する。女子のプロ野球選手では約五〇メートルという情報も出た。彩凛は競技経験はないがアブソリュート人だ。技巧と努力がなくても種族のスペックで四〇メートルは投げられるとしよう。
次に野球の軟球の重さは一三八グラム、直径は七二ミリ。このどちらかが投げることに適している条件であると彩凛は考えた。ならば七二ミリで野球ボールに近い大きさの石を選ぼう。重さはアブソリュート人のスペックで多少はカバー出来る。
「この石にします」
「じゃあ、試してごらんなさい」
投手のモーションではダメなのだ。遠投……外野手のように投げねばならない。大きく振りかぶり、幼少期からアブソリュート拳法で身に着けた関節単位の加速、特有の柔らかな筋肉のしなりとすらっと長い腕で勢いをつけ、石を投擲した。石はゴマ粒程の大きさになり、ぽつんと水面で小さな冠が立った。これでは物足りないと思うようなクラウンだ。
「さっきよりはいいわね」
「今の飛距離はせいぜい四〇メートル……」
それでも彩凛はメッセを疑わない。理論上一五〇メートルの遠投は可能なのだ。そして、かつてプロ野球において強肩で鳴らした守備の名手ですら、遠投は一三〇メートルが限度だったと言われている。
「野球を参考に考えているの?」
メッセはある意味で極めて傍若無人に彩凛の後ろからスマホを覗き込んだ。スポーツ観戦全般が趣味のメッセである。ヒントは野球かもしれないし、野球ではないかもしれない。
「野球です」
「あっているわ。野球にヒントがある。……もう一つ、ヒントをあげるわ。この訓練の目的は当然石を一五〇メートル先まで投げることではなく、絶対会心の威力を弱めることによる発動モーションの簡略化と使用回数の上限を増やすこと。つまり最適化、効率化。必要なのはパワーじゃない。じゃあ問題よ。剛速球を投げられない投手……。いえ、剛速球を投げることはない投手の特徴は? 剛速球がなくてもタイトルを取った投手がいるはずよ」
「……ッ」
スパーク! 彩凛の頭にスパークが走り、必死で石を探した。条件に合った石が必要だ。草をかき分け、メッセもメロンも見えなくなる藪の中に入り、ようやく求める石を見つけ出した。
「これなら行けるはずです」
今までの彩凛は大振りのオーバースローだった。今までの戦いでは使ってこなかったダイナミックな動きと筋肉であり、今回の修行の目的が新規技能の取得ではなく既存技術の改善であるという前提がある以上、今までのオーバースローは無意味だったのだ。
彩凛は前傾姿勢、半身の構えで足を開き、腕を後方に突き出して肘から先を脱力する天秤の構え。メッセが明確に「改造する」と宣言した絶対会心発動モーションだ。
「アトァッ!」
絶対会心に似たモーションで石投擲! 水平方向に振り抜かれた石は数メートル先の水面に着水する……。が! 跳ねる! ジャイロ回転した平たい石は水面を切り、もう一度水面へ、そして再びバウンドする! 五回程跳ねた石はようやく沈んだ。小さな小さな消え入るような飛沫だった。だが、先程までの中途半端に派手な飛沫の王冠よりはずっと価値があった。
そうだ! 今年、歴史的な剛速球とは無縁のサイドスローの投手が投手二冠に輝いたのだ! 行ける気がする。オーバースローはとにかく筋力が必要とされるが、水切りならば柔軟性、回転をかける指先と、いくらでも改善の余地がある上に彩凛の身体的特徴に適性がある。
「五〇メートルってとこね」
「これが正解ですか?」
「正解の入り口に立った。今まであなたは、絶対会心を当てるために他のすべてを犠牲にした。絶対会心を当てるためならばダメージを負っても良いなんて本末転倒だわ。技を当てる。技はあなたを守るためにある。ええ、オーバースローでもよかったわ。馬鹿力をぶつけてもいいし、臨機応変にフォームを変えてもいい。それは石もモーションも同じ。あの川を見なさい。あのカーブ」
川。
彩凛にとって、川とは絶望の象徴だった。あの秋の川で味わった生き地獄……。薪悟が燈してくれた希望。その薪悟からも離れ自立が必要な今、彩凛は過去のトラウマなど乗り越えて川をメッセとの修行で大事なものを掴んだパラダイムシフトの地として定義を新たにしなければならない。
「一八〇メートルの広い川幅ね。じゃあ、一番流れが強いのはどの部分? 物理の問題よ」
「水の流れが最速なのは……遠心力がついた一番外側?」
「確かに遠心力がついた外側は速い。でもそれは無作為な自然の物理よ。人間の体は自分の意思で動かせる。漫然とした遠心力に抗い、筋力で最短距離に収める。モーションが小さくなれば威力や動作の誤差も小さくなり、エネルギーのロスも減って威力が上がる。大きければ、派手ならばいいってものじゃないのよ」
ぐっと彩凛は拳を握ってみた。
サイドスローのように柔よく剛を制し、矮小化することでエネルギーロスと誤差をなくす……。絶対会心を教えてくれた時のメッセはとにかく技の理屈を固めて叩き台を作っただけだった。威力の追及とその過度な依存に陥ってしまったのは彩凛個人の判断だ。
「ちょっと甘すぎません? メッセさん。もう修行が終わりそうですよ」
「寒いからわたしが早く帰りたくなっただけよ」
徹頭徹尾気障でエレガント。現段階の絶対会心、そして今回の件を踏まえて改良する絶対会心、どちらであろうともメッセに当てれば一撃でKO可能だ。当たるか当たらないかは別の話だが、当てればKO可能。だが、やはりメッセには勝てる気がしない。
メッセが何故ここまでよくしてくれるのか、彩凛にはわからなかった。だが、Z飯店では得られなかった全幅の信頼を……。いや、Z飯店の仲間も信頼は出来た。だが、信頼したことによる安心を得られることは出来なかった。
彩凛は初めて、誰かに守られたのだ。
同時にメッセも考える。何故、自分はこの子に与えようとしている?
今のメッセはフジを補佐する立場にあり、そのフジがようやく築いた牙城を揺るがすZ飯店はフジのプライドを傷つける。確かにもうZ飯店は解散してしまったが、そういう問題ではない。一人でも多くのアブソリュートマンがいれば確かに地球は安泰だ。だが、ジェイドとレイという歴史的に見ても極端な英雄から立場を手渡されたフジが守ることに、どれだけの価値があり、フジがどれだけ背負っているか……。
彩凛に与えるのは贖罪なのか? あの悪党時代の清算として探偵家業を始めたが、彩凛に与えることを贖罪だなんて表現するのは彼女に失礼だ。
おそらく、今までのメッセの中になかった心境と行動なのだろう。
「ところで……。メロンネットワークに新たな情報が引っかかったわ。上野公園でDD興業が大暴れ。倒しに行くのも放っておくのも自由。これは本当に自由よ。正解はない」
〇
地面を叩き壊し、およそ十路線以上の電車を止める地形破壊で地下に潜ったディエゴ・ドラドデルフィンは、まるでクッキーでも割るようにトンネルの天井をブチ破って地下空間に到達した。その穴はシャオシャオが予測した通りの座標にピタリ、深さもピシャリ。上野地下宝物殿へと繋がる地下通路だった。深さは約二〇〇メートル! 二〇〇メートルもの地盤を筋力だけで叩き壊したのだ! 薪悟は建設作業員として建物の建築や、修行として大規模道路敷設の場にも従事したが、ディエゴ・ドラドデルフィンは薪悟が見たどの重機よりもパワフルだった。だからこそ、人間と怪獣は共存出来ない。その証左のような桁違いの暴力だった。
そして、ディエゴが殴り抜いた穴から、DD興業のジョバーであるオスカーが降りてきた。実際、二〇〇メートルを飛び降りて平気な彼も尋常ではなく、やはり人間化した怪獣に他ならない。彼は社長の足元に積もった土砂や瓦礫を私物のモップで掃除し、道を整えた。
「ハァッハァ! おぉい見ろよオスカァー! シケたツラの怪獣がいるぜ!」
上野地下宝物殿の入り口と思われる巨大で無骨……ボルトが直に何本も打ち込まれた黒鉄の鉄扉の前に、レッドの蝶ネクタイとベスト、膨張した筋肉と長い腕で七分丈になったカットシャツ、はち切れそうなスラックスにオールバックの偉丈夫が葉巻を咥えて立っていた。実に陽気ないで立ちで、このような殺風景な場にはそぐわない容貌だった。だが、どこか海外の用心棒じみていた。
もう一人は粗末で質素な着流しの痩身の老人。こちらは時代劇や武侠ものの用心棒といった風体だった。
二人とも武器は持っていなかったが、ディエゴとオスカーには一目でわかる。こいつらは怪獣だ。
「俺たちは……」
「テメェらに名前に興味なし」
バウンサーの声は即座にシャットアウトされた。そしてディエゴは……。二人の用心棒に憐憫の目を向けた。
「世の中には企業怪獣というやつらがいると聞くぜ。地球人が自分たちの企業を守るための秘匿社員だぁ。会社を守るために専守防衛、私闘は許されず、無断での報復も不可能。やつらにあるのは正当防衛と攻撃命令を受けた時のみの戦い。そして! この上野地下宝物殿を守るお前らはつまり、日本政府の企業怪獣……。ガバメント・ビーストってところだな!」
「間違ってはおらぬ。確かにワシらはこの日本を守……」
「テメェの言葉には興味なし! だがテメェらが憐れなのは、結局どれだけテメェらが活躍しようと表に出ることは決してねぇということだ。だってよォ……。日本の平和を守っているのは、純粋な地球人である警察! 自衛隊! そしてアブソリュートマンだ。テメェらが表沙汰になると警察も自衛隊も権威を失う。テメェらが表に出るとアブソリュートマンは機嫌損ねるかもなァ!? 憐れだぜ。アブソリュートマンは地球も日本も守ると約束したわけじゃない。契約書もねぇ。アッシュやレイやジェイドは親しい人間には地球も日本も平和も守ると言っているかもしれねぇ。だがオフィシャルじゃない。お前たちはオフィシャルだ。だが! 日本人はテメェらよりも、アブソリュートマンの機嫌を選んだ!!!」
「ならば黙らせてやろう。ワシらの仕事はオヌシの言った通りにすべてが抹消される。随分派手にやらかした目立ちたがり屋のディエゴ・ドラドデルフィンも、最後は誰も知らぬ怪獣に負けて死すら隠匿されるのだ」
ふぅん、とディエゴは鼻を鳴らし、愉快そうに嘲笑した。彼は嘲笑に愉悦を覚えるのだ。
こいつらガバメント・ビーストはこの間出会ったブレイズとかいうガキと同じだ。野心がない。野心のないものは愛もなく、守るものもない。
だからディエゴに勝てるはずもないのだ。
「オスカー。お前が片をつけろ」
「俺っスか」
「お前の敵じゃあねぇだろう?」
「いや、敵ッスよ。ここは狭い。俺の能力が使えないし、万が一使ったら宝物殿も無事じゃすまないかも」
……。ディエゴは二人のガバメント・ビーストを明確に下の存在と位置付けた。だが、ガバメント・ビーストの二人はディエゴもオスカーも区別なく敵として認識している。ただ、オスカーの方が御しやすいとは考えていた。二人の用心棒は無言のうちに、オスカーを倒した後に二人でディエゴを始末……或いは足止めし、応援を待つつもりだった。
「じゃあ能力なしで倒しちまえよ」
「仕方ない」
オスカーの纏う空気が変わった。気の抜けた清掃員から、熱や棘こそないものの静謐で揺るがぬ闘志を持つ戦士へと眼差しを新たにした。DD興業の誰もが持たない静かなファイティングスピリットだった。
「よっし、やるか」
得物のモップを華麗にトワリングし、演武して槍じみて構えた。その動きは洗練に洗練を重ねたことが容易に想像出来る程堂に入り、完成の域に達していた。空気が凝縮し、張り詰めた。
そして、先程モップで拭ったはずの土砂や瓦礫は激しい動きの中でも全く飛散せず、むしろその軌跡は墨汁で描いたような質感を放っていた。
そこにいるのはDD興業では類を見ない清らかで溌剌とした、清掃員らしい“クリーン”な男だった。
こいつは少し骨が折れそうだ。二人の用心棒は認識を改めた。
「俺はオスカー・オレンジオクトパス! DD興業終身ジョバー! 以後お見知りおきを!」




