第3話 薄らと闇
イシダ・マリ(19歳)。この微妙な町で一番大きなレンタルビデオ店のアルバイトだ。イケメンがピカピカするだけの映画や内輪ネタメインのお笑い番組やイケメン声優が好きで、よくこの店に来ていたら、
「そこのアナタ! 私と働いてみませんか?」
とマンガで有名な“宇宙の帝王”のセリフを差し替えたお寒い募集ポスターにギャグセンスを感じ、レジ打ちを始めた。レンタルビデオほど客の人生がわかる職業はないだろう。この人は筋肉&火薬の大バカ映画が好きなんだなぁ、とか、週に一回、子供に観せるのか、古い特撮を一巻ずつ借りていくサラリーマン、韓流ドラマを爆借りするおばちゃん、どこで公開されていたのかもわからない、この映画がはるばる海を超えてやってきてDVD化していることが不思議な程チープなアクション映画を必ず最新作で借りていく駄作マニア……。
「いらっしゃいませ」
「探してるモンがあるんだけど」
今来たこの客はどんな人だろうか? 薄い遮光のメガネ、ヤニのにおいが染みついた服の男だ。だがキチンとした少しいい服を着ている。薄手のパーカーをいけ好かないTV業界人みたいに巻いているのはご愛嬌だ。自分と同い年ぐらいだろうが、育ちのいいボンボンが精いっぱい悪ぶっているように見える。きっといいお家の期待されていない次男とかなんだろうなぁ。こんな真昼間からウロついてるってことは大学生? ようやく一人暮らしを初めて羽を伸ばしてるって感じだ。
「伺います」
「いい? 結構あるからメモとってくれよ。えぇと、まず『おしおき! 女優だらけの大反“性”会!』」
「!?」
「あ、大反性の性は、性欲の性な。次に、『大型新人! 小桜愛留 ロリロリ限界突破』、それからタイトルわかんねぇんだけど、あの、アレ。女子アナに透明人間が意地悪するシリーズ。ルールのわからねぇ将棋の解説やらされてる女子アナとかにするやつのpart2から5、それから『アブソリュート・ボインvsペロペロ怪獣』」
「……」
検索機にタイトルを打ち込む手が止まる。普通、エロビデオを借りていく人って忍ばないか!? 普通のDVDと挟んで来たり……。男の店員を選んでやるはずだ。つまりこいつは、エロビデオを借りるのと同時に、自分にセクハラをしに来た! クズ野郎!
「メモった? 一応復唱してくれねぇ?」
「すみませぇん。代わります」
イシダも一端のレンタルビデオ店員。エロビデオを借りに来る客は珍しくない。だがこんなことは初めてだ! 見かねた先輩のナカタが係を代わってくれた。ナカタは脂ギトギトの髪のベテラン店員だ。
「只今お持ちします。全部で八点ですね。ご利用泊数はいかがなさいます?」
「一泊で」
「一泊!?」
この日、この店はセルフレジの導入を決めた。
〇
「おっふ、最近望月さん調子が良さそうですな」
「うん、そうなんだー」
「金回りのいい彼氏でも出来ましたかな?」
「……」
望月鼎のことを望月鼎以上によく見ているオタサーの観察眼と頭脳は明晰だ! このスキルを受験勉強に向けていればもっといい大学に入れたはずなのだが……。ヨシダの言うことは確かである。鼎は最近、整体に行ってバキバキに歪んだ骨を戻してもらった。ネイルサロンで爪もキレイにしてもらったし、わざわざ銀座のデパートまで化粧品を買いに行った。鞄や財布も中国製や中国人バイヤーじゃなく、お店でブランドを買った。アイテムやなんかはもうオタサーじゃなくても通用するぐらいの姫だ。
「……そういえば、この間、新しい努力値配分のポケモンの育成に成功したんですぞ! 実戦を踏まえて使い方を伝授させてもらいたいのですが」
ヨシダの考えは正しいが無力だ。鼎が新しい人間関係によって自分たちの手からさらに遠いところに行ってしまったことを察したが、ヨシダは女の子が喜ぶような化粧品とかスイーツとかをプレゼントすることは出来ない。喜ばせるセンスもないし、あげる度胸もないし、買えるお金もない。出来るのは綿密な計算でなりたった、プレイング次第で環境にぶっ刺さる新しい配分のポケモンを献上することぐらいだ。そして鼎にはそんなポケモンをもらっても使いこなせるプレイスキルはない。
「ごめんね、今電池切れちゃってるんだぁ」
「フッ……」
やっぱりバレるか? 最近ちょっと贅沢していること。
フジ・カケルはクズ野郎。フジに会ったことのある人間や異星人は口を揃えてこう言うだろう。レンタルビデオ店の店員も、会員証でフジ・カケルという名前を覚えてブラックリストに入れただろう。だが、フジには敵わないが鼎も結構なクズだった。マネーロンダリングすると受け取った一千万を結構使い込んでいたのだ。自分を好きだと叫びたいが見つめるだけの日々を終わりに出来ず、自分だけ見つめてる夢のハイテンションなオタサーには変化を見抜かれてしまったが、フジにはまだバレてないといいのだが。
「そろそろ有料ダウンロードコンテンツに向けて準備と戦力の見直しをしないといけないですぞ。新キャラのデザインがパクりとか抜かすドアホもいますが」
一回『スラムダンク』好きって言っただけで、人気キャラの口癖「ドアホ」を繰り返すヨシダだが、ヨシダは今、鼎にプレゼントくれた。アイディアという名の!
「新キャラのデザインがパクりってあれだよね? 『屍滅の刃』の」
「そうそう。ピンク髪とか、和風とかってだけでパクりパクりと言うドアホ共です」
「流行ってるもんねぇ」
「雑誌で読んでる時は打ち切りコース確定と思ったのですが、アニメ化してから人気ですな。どこのも品薄だって。でも『屍滅』の魅力なんかがニュースで流れてる時って大体、主題歌か声優かアクションが褒められてて、それって全部アニメ化して受けた恩恵であって原作のマンガでは」
「ごめんねヨシダさん。ちょっと用事あるんだぁ」
「ふっ」
我らが姫は『屍滅』が好きで地雷を踏んだのかな? ヨシダはしばらく悶々と過ごすことになる。だがヨシダはアイディアと言うプレゼントをくれた。そこに感謝を言えないあたり、所詮、鼎はこの程度のオタサーの姫でしかないのだ。全国サークルの姫選手権に出れば、東京地区では余裕の予選落ちだろう。ちなみに全国サークルの姫選手では美人度、小悪魔度、サークルクラッシャー度などが競われるが、鼎はどれもイマイチだ。
目利きのひったくりの視線を一手に引き受ける高級バッグの鼎はすぐに大学の近所の本屋に行き、フジに電話をかけた。
「もしもし、フジ?」
「なんだ」
「いい儲け話があるんだけど」
「よしきた」
フジは乗ってくれるようだ。鼎のこのアイディア、上手くいけば、使い込んだ分の補填も出来るし、一千万から金額に変化をつけてネコババをごまかせる。
「ちょっと今、手が離せないからウチ来てくれ。住所は知ってるだろう?」
「うん? いいけど」
電話の向こうでは女性の卑猥な喘ぎ声が聞こえる。手が離せない? フジは地球の何が好きだと言っていたっけ?
「……」
鼎はいざという時のために用意した高性能ICレコーダー、高性能スタンガン、高性能ブザーが鞄の中にあることを確認し、タクシーでフジの家へと向かう。
“201号室 不二欠”
フジの部屋は、東京のハズレ町にある少しボロめのアパートの一室だ。宇宙最強の一族が住んでいるとは思えない。
「よぅ」
チャイムを押すと、薄手のTシャツ一枚でなんだかいつもより切羽詰まっている様子のフジが出迎えてくれた。さすがに卑猥な音声は聞こえてこないが、かつて勤めていたパチンコ店と同じくらいタバコのにおいがする。
「お邪魔します」
台所の窓の前には、灰皿代わりにされた牛乳パックが二つ並び、六畳一間の居間には灰皿代わりの二リットルペットボトルがいくつもある。畳に火を落としてしまったのか、焦げ目は黒くて楕円のあの害虫に見えて驚いた。だがキッチンや洗面所、食器や衣類は意外にもキチンと洗われ、畳まれている。
「昼飯食う?」
「いや、わたしは食べてきたんで」
「じゃあ俺は食うわ」
フジが冷蔵庫を開けると!
「何これ! 壁がコンビーフ柄!?」
「コンビーフ柄なんじゃなくてコンビーフを積んでるんだよ」
スーパーでも見たことがないほどギッチリと並ぶ大量のコンビーフ! そしてドアポケットには、すき焼きやステーキの時に使う無料の牛脂がまた大量に収納されている。
フジはパッカンと慣れた手つきでコンビーフを開け、かじりながら電子レンジでご飯を解凍、その上に牛脂とバターを乗せ、ドバドバ醤油をかけた。脂が溶け、醤油と混ざって退廃的かつ魅力的なにおいを放つ。大学の帰りに焼き肉屋の前を通った時に漂ってくるにおいだ。正直これは……。においだけで二杯はいける! そしてフジは夢中になってスプーンでがっつき、よく噛みもせず飲み込んだ。あっという間にご飯のパックが二つ消える。
「いつもこんなもの食べてるの?」
「いっぺんやってみろ。絶対にハマるから。俺は宇宙人だから太らねぇし栄養バランスとか関係ないからいつもこれだ」
自分磨きにハマっている鼎には我慢することしか出来ない。こんなものを一度でも食べてしまえばきっとハマってしまうだろう。だがそれでは全国サークルの姫選手権で勝ち抜くことはさらに困難なコンディションになる。
「で、何するって?」
「うん。今人気のこのマンガ『屍滅の刃』!」
とりあえず入手できた一巻から三巻をフジに渡してやった。本屋で四百四十円+税だ。フジはパラパラとページをめくる。
「今は何をやっても『屍滅』のパクリって言われるくらいブームよ。蘇った屍軍団を相手に、マッチョな兄とクールな妹の屍殺しの兄妹が活躍する」
「なるほど。確かにこれはパクられてるな。これをパクってるのを二つほど見たぞもう」
「でしょ?」
「ああ。この間、会社の金を使い込んだ大手自動車会社の外国人経営者が保釈中に海外に脱走するときに、この妹みたいに箱に入って逃げるって手口使ったろ。あともう一つは……。まぁ……。パロディコスプレAVだな」
ヤバい……。金の使い込みがバレてる?
「AV好きだって何も悪くはないわ! ゴジラ松井だってAV大好きじゃない! 恥じることはないわ」
ここはご機嫌取りと話題チェンジの一手! 鼎のご機嫌取りはフジには今までにも刺さってきた。今回もごまかせるはずだ!
「いや、でもゴジラ松井のAV好きが許されてるのは、紳士の球団の不動の四番という実績なのにブ男という男受けに特化した路線で、ユニフォームを着てても着てなくても太い棒を振りぬいて白いものを飛ばすのが得意っていうオヤジギャグでなりたっているからであってな。……あんまり若い女がAVAV言うな。はしたないぞ」
「あぁん!? 諭されたぁ!?」
恩を仇で返された気分だ。だがこれ以上イラだってはいけない。
「……お酒が一番、高く売れたのはいつだと思う?」
「さァな」
「禁酒法時代のアメリカよ。酒が法律で締め付けられたことで、マフィアが中心となって密造酒や闇の酒が高騰した。それを今の日本で起こす。これは消費社会学で習ったことよ。購入を促進させるために意図的な陳腐化などってボードリヤールが」
「要するに『屍滅』を買い占めて、闇市状態にして転売でボロ儲けるってことだな。そして確かにパロディコスプレAVは陳腐だった」
「資本はある! ……一千万。善は急げよ。本屋に行きましょう!」
「わかった。ちょっと待ってくれ。DVD返さなきゃいけないから」
自分の体で隠しながらパソコンの中のディスクをケースに入れる。そしてパーカーを羽織った。
「……当日で済んだな。よし、行くか!」
〇
「あった!」
鼎とフジは既に九軒の書店でマンガを買い占めていた。最初こそ調子は良かったが、どこの店でも全巻は揃わない。
「十一巻ゲット!」
十軒目は、商店街から外れた個人経営のこじんまりした書店だ。おじいちゃんかおばあちゃんかわからない店長が近所の人と談笑している。新刊専用のコーナーもなく、ただギッチリと本が詰められている棚から十一巻をピックアップし、フジに見せようとするが、宇宙最強のヒーローの息子はピンク色の棚の前で腕組みをしている。
「え? 小桜愛留ちゃんって二本目出てたの?」
往々にして、こういうおじいちゃんかおばあちゃんかわからない店員の個人商店は、チェーン店と違って恥じらうことなくエロ本コーナーがあるのだ。
「もぉう、いい加減にしなさいよ」
「これも買っとくわ。プレミアつくかもしれないし」
年齢制限のある雑誌と人気マンガを買い、日の暮れかけた街を歩く。フジの自転車のカゴは人気マンガでギッチリだ。後輪の上には何もないが……。
「今日はこんなとこじゃねぇ? アガリは五割、お前さんにやるよ」
「五割も? いいの?」
まぁ実際は……。そのアガリの五割以上使い込んでいるのだろうが……。
「デートに付き合ってくれた駄賃ってことで」
デート?
デートだった。鼎は男性と二人で町を出歩いたことはなかった。高性能ICレコーダー、高性能スタンガン、高性能ブザーといったグッズで武装していたが、これは鼎にとっての初デートだったかもしれない。確かに、少し楽しかったのだ! 行く先々の本屋で、少しでも多くマンガを発見して一喜一憂し、それを共有する。フジはクズだが、フジと一緒にいる間は異星人ヤクザのことだって少しも怖くはなかった。だが鼎の理想の初デートは夕暮れの中を彼氏の自転車の後ろに乗ってけてもらって二人乗りし、警察官に注意されたら「ヤッベ!」とか悪びれずに笑うようなものだった。
「ガメた分も含めて、それだけありゃ多少は小ぎれいに見えるだろ?」
「このクズ野郎!」
ごまかすように鼎は怒鳴った。