第4話 秒速830センチメートル
フジ・カケルは変わった。
飛燕頑馬とその部下は彼から余裕を奪い、マートン、バースとの戦いでフジに流れる戦闘種族の血は強い戦意を帯びて少し覚醒した。そんな戦闘種族の血を拒み、より戦いから遠ざかるためにスマホを冷蔵庫に放置して世捨て人となり、草津でブラブラと過ごした。ハワイアンパブの女性たちにチヤホヤされ、カナちゃんに憧憬と恋慕を向けられて悪い気はしなかった。PCのアドレスは鼎にもユキにも教えていないので、PCで『トゥルル! グッドルッキングガイ!』を一気見した。メロンとユキが放っておいてくれたのは幸いだ。あの二人は大人だ。
いきさつはどうあれ、フジは宇宙屈指の強豪怪獣、未来恐竜クジーを倒した。土壇場で神器を一時的に使用出来たとはいえ、宇宙で用心棒の求人があれば履歴書には「二〇二〇年六月 未来恐竜クジーを単独で撃破」と書ける。そうなったら次に身につけなきゃいけないのは内定辞退のやり方だ。
長男のレイは十三歳で“アブソリュート六大レジェンド”の一人で師匠のアブソリュート・ブロンコを叩きのめして放浪の旅へ出た。
長女のジェイドは十五歳でアブソリュートマン:XYZを倒し、アブソリュート最強の称号を手に入れた。
それと比べると未来恐竜クジー撃破は霞んでしまうが、それでも二十一歳の若手としては誇れる戦歴だ。だが偉大過ぎる兄姉はあまりにも強すぎた。フジは初めから二人の対決を邪魔する気でいたが、その横槍を入れることすら至難の業だった。
もうやーめた、だ。雑魚狩りだけしてるやつは雑魚だが、自分はもう雑魚でもいいのでは? バース以上……。バースの強さを百点満点で評価したら八十以上は確実だが、フジの手に負えるのは六十五のマートンまで、頑張って何とか七十のメッセ、七十五のオーまで。
一連の戦いでは、フジはまず一番弱いマートンを倒し、その次に強さと頭脳の掛け算ではバース以上に厄介なオーを倒す予定だった。Δスパークアローはそのオーのエウレカ・マテリアル製の装甲を貫くための切り札として開発したが、ジェイドはオーを完封した。なんなんだよあの兄姉!
フジは双子の兄姉と三十歳の差があるなんてことは言い訳にはならない。二人はアブソリュートの星の就職関連イベントで「ブロンコ越えの若き天才」や「XYZを倒した宇宙の救世主」なんて看板を立てて講演するだけで生計を立てられるほどの偉業を十三歳と十五歳で成し遂げた。
このまま地球人になっちまおうかな。ジェイドが地球を守ってくれることで一番苦しむのはフジだが、一番助かるのもフジだ。
草津の温泉で雑念と悩みを落としたフジは……。
〇
「ミリオンが地球にいた頃、吸っていたタバコの銘柄は?」
「両切りのピース」
「ミリオンが好きなスポーツ選手は?」
「悪のオーソリティ、ビルド・マクミラン」
「ミリオンが地球にいた頃、好きだった食べ物は?」
「アイスクリーム」
「お腹すいて来たわね。あなたもミリオンの記憶を通してアイスの味を思い出したんじゃない?」
さぁみんな! アブソリュートの星の学校ってどんなだと思う?
かつてのアブソリュートの星は親から戦いを習っていたが、約六十年前から五十年前に活躍した初代アブソリュートマン、アブソリュートミリオンは地球の文化を持ち帰り、地球と同じく学校が設立された。極一部のエリートは師匠を見つけ、戦いに特化した訓練を受ける。
レイ、ジェイド、アッシュの三兄弟はいずれも六大レジェンドを師匠に持ち、レイは格闘を追求し、ジェイドは全体的な底上げに加えて女性ならではの治癒を持つオールラウンダー、アッシュはバリアーという一芸を極めた。
戦士としてはイマイチだったがジェイドの育成大成功というアブソリュートの星に残る功績を挙げたプラは控えめな性格で、ジェイドを育てた後は家族も弟子も持たずに隠居していたが、我が子のように可愛がったジェイドから孫弟子が出来たと聞かされた時はジェイドがXYZを倒した時と同じくらい嬉しかった。
ジェイドと同じように育ててもジェイドのようにはなれない。むしろジェイドを育てたプラの訓練を受けたのにこの程度か……。なんてため息をつかれると全員が損をする。ジェイドもいつか弟子をとるのなら、その弟子はジェイドを知らない方がいい。弟子がよく育ち、ジェイドがもう一人で死地に赴くことがないといいが。
「抹茶ラテとカフェオレのグランデを一つずつお願いします」
訓練を一休みし、夏休みに入って髪を染めちゃったバイト高校生コンビニ店員からカップを受け取る。アイスを選んでいたカイは慌てて五百円玉をユキに差し出すが氷柱のような手はそれを受け取らなかった。
「奢ってもらうのは悪いよ」
「いいの。わたしが付き合わせているんだから。お金には困ってないし、あなたはよく頑張っている」
ユキによるカイの訓練は上手くいっていた。プレッシャーをかけず、無理のないペースで訓練の習慣を作りながら一つずつ出来ることを増やし、自信をつけていく。かつて自分がプラにしてもらったことを自分もやる。自分が成功例だという意識はあったが、それは驕りではなく事実だし、レイ程の早咲きではなかったが早熟型だった。バリアーの名手だったのにプレッシャーに負けた弟のこともある。まずはカイのことをよく知ろう。
「ごめんね」
「使うだけで他人の記憶が流れ込んでくるなんて大変な負荷のはずよ。本当に頑張ってる」
「だからこそ、この記憶が新鮮なうちに力にしないといけないんだろうけど……。この記憶ってこれ以上にないほどの手本でしょ?」
「地球にだっていくらでも手本になる人はいるわ」
例えば、頭が固すぎて空気が読めないが格闘、拳銃と今のカイに必要な基礎技術をパーペキに備えている和泉。一芸特化だが得意ジャンルを必殺に昇華したフジ。拘留されているが、バース、マートン、オー、メッセからも学べることは多くある。
「まずはメロン」
「メロン?」
「わたしが一番信頼している人。恥ずかしがり屋だけどあなたの力になってくれている。今日の訓練はここまでにする?」
「なんで?」
「なんでって、原付免許は持ってる?」
「持ってる訳ない。戸籍も年齢も不明なんだから」
「原付の法定速度は時速三十キロだけど、実際の原付は時速三十キロ以上で走れるように作られている。なんでかわかる?」
「うぅん、非常時?」
「辛い上り坂でも三十キロで走るためよ。いつでも全力じゃなくていい。辛い時や、いざって時がすぐ来る場合に備えて為に温存しておくのも大事」
今日の訓練では今でも一部のプロスポーツ選手に信仰されている走り込みとフォームの確認と反復練習だ。八月の東京の昼でオリンピックやスポーツイベントは辛すぎる。カイはやる気だが、体力も体格も未完成のカイに無茶を覚えさせるのは良くない。よくクーラーの利いた部屋でも出来るメニューはないだろうか。
「メロン」
「はぁい」
ユキの肩に分身メロンが一人現れた。今までは姿を隠しており、フジも鼎も一人にしてやりたかったので善意ストーキングはやめていた。カイにもまだ姿を見せてなかったが、ユキとメロンは密に連絡を取っていた。カイの射撃をあらゆる角度から観察し、フォームやクセを記録していたのだ。ユキが地球で一番信頼しているのがメロンだというのはウソじゃない。誠実で真面目、そして分身による索敵、観察、運搬は信頼に値する。本人はおだてれば調子に乗れるけどプレッシャーに弱そうなので言わないが、本人がその気になれば頑馬一派のオーとメッセの二人を凌ぐ司令塔になれると見込んでいる。多くの情報が必要な今、メロンの重要性はさらに増している。
「アブソリュートの記憶が込められた弾。アブソリュートリガーでAトリガーとでも呼ぼうかしら。またどこか場所を借りて試し撃ちをして、その記憶とあなた自身の記憶の整理をしましょう。今のカイにとって一番使い勝手がいいのは?」
「ミリオンの“鏖”かなぁ。シンプルだけど、だからこそ難しくない。中距離ではミリオンの“鏖”、遠距離ではアッシュの“電”だね。搦め手ならプラの“水”、ジェイドの“凍”。接近戦は格闘で補う」
「アッシュの弾はあんまり使わない方がいいかもね」
「どうして?」
「あの子はちょっと変わってるから。あの子の記憶は、ハイリスクハイリターン」
「変わっている人って言えば初代アブソリュートマンが一番変わってるなぁ。初代以外の弾は使うと記憶と感情が流れ込むのに、初代だけは感情がない気がする。弾の使い道もわからない」
「無理をする必要は全くないからね。決していい記憶だけとは限らない。敵を殺したり、攻撃された痛みも流れ込むかも。ミリオンも死んだことがある。体力的にも精神的にも余裕がある時に弾を使って、フラッシュバックによるフリーズを減らしていきましょう」
足元に落ちているアイスの棒にアリがたかっている。ユキがパリっとモナカをかじるとパラパラと粉が降った。十代の夏休みを過ごす少年を束縛してこんなこと、ちょっと犯罪チックだな。
「あ、アタリだ」
〇
「和泉、お前、最近どう?」
久々の焼き肉チェーン店でタンをレモンに浸して食う。コリコリとした食感! 弾ける脂! やつぱり焼き肉不動の戦闘バッターはタン!
「どう? アバウトな訊き方だな。忙しいよ。怪獣災害もあるし、飛燕頑馬関連もまだ片付いていない部分もある。どっちにしろ夏休みは忙しい時期だ」
「へぇ、そう。夏休みの警官って忙しいんだ?」
最近流行りの二番打者最強論! カルビを箸で口へと運ぶ。ジュワッと広がるうまみ! 焼き肉でカルビが嫌いなやつなどいない!
「またアバウトな聞き方だな。交番勤務は特にな。夏祭りの交通整備の最中に緊急車両が来ると大変だ。青少年の非行も増えるし」
「交番勤務時代の武勇伝聞かせてくれよ」
「武勇伝? そんなものはない。法の番人たるもの……。おい待てフジ、お前。さっきから話の振り方が雑だと思ったらお前、俺に長くなりそうな話を振って俺の分も肉食ってるだろう」
「……」
「この野郎……。ジェイドと都築はよくやってるぞ。見習え」
「ああ、あのガキな。お前のところで訓練してるの?」
「興味が?」
「お前の話次第だ」
「都築はよくやつてる。Aトリガーを何度も試し撃ちして、拳銃の扱いもメキメキ上手くなってる。見どころがあるよ。お前やジェイドと違って申請がまだ通っていないから変身は出来ないが……。オイッ! 食うな! タンがなくなっただろうが! 俺はひと切れも食ってないぞ!」
最近多い怪獣災害にはこのクズ野郎とジェイドにしか頼ることが出来ない現状……。カイが苦戦したゴア族の巫女をジェイドは瞬殺したが、アッシュでもあの程度の敵なら圧倒出来るはずだ。力はあるのに使おうとしない。代わってほしいぐらいだ。
「やめようかな、アブソリュートの戦士。……。何食ってんだお前」
「知らんな。やめないでくれと言うとでも? ミスター・SASUKE山田と宮崎駿とジャッキー・チェンの引退宣言は信じない。お前も似たようなもんだろ? やめて何をするんだ?」
「お前馬鹿だな、またベラベラ喋りやがって。ロースいただき。……お前と違って、アブソリュートの戦士じゃない俺を見てくれるやつもいるんだよ」
〇
「イツキちゃん、おかえり」
出た! 駿河燈だ!
インテルとGoogleとディズニーから内定を貰っているとか言っていた、侵略者の女子高生だ! 電光石火でオタサーの姫・鼎から国民と城を奪った恐るべきインベーダー!
姉の鼎のところには駿河燈! 弟のケンヂのところには犬養樹! 望月姉弟は狙われていたのか!?
「全然話を聞いてませんでしたマイロード。敵もあんな武器を使えるとか、ジェイドが出てくるなんて」
「なんて可愛イ脳ミソ! こっちも武器を持たせた時点で敵の抵抗は考えなきゃいけないし、巨大化すればジェイドかアッシュが来るのはわかってるじゃない!」
「ごめんなさい。考えてませんでした……」
「イツキちゃんはそれでいいの! 全部キャワイイから大好き! だって一から十まで説明してあげれば無駄なことはしないし、全部想定内だもの! キャワイイから!」
ピコピコ、バシーン。テレレ。
先日閉園が決まった遊園地としまえんが燈の根城だ。選ばれしゴア族が持つ空間操作能力でとしまえんに裏側の世界を作り出し、看板をスプレーで「トーチランド」と上書きしている。表の世界から盗んだ電気で遊園地とプールを稼働させ、としまえんを丸ごと占領しているのだ。一日に一回全盛期のとしまえんをリロードし、ゴミや汚れは異空間にポイ捨てる。
ジェイドやバースも異空間の移動が出来るが、彼らが移動できるのは0、1、2、3の数字だとしたら、外庭や燈はもっと細かく0.1から0.9に移動し、場所を作ることが出来る。ジェイドやバースが0と1の間に行こうとしても、0と1の間の空間は突き抜けてしまう。
燈に認証されたイツキはBトリガーに内蔵されたキーでトーチランドにアクセスした。ジェイドに敗北したが命令通りに都築カイを痛めつけ、そして帰還したのだ。全て燈の読み通り。
「イツキちゃん、原付乗れる?」
「乗れません」
「原付って法定速度は時速三十キロだけど実際はもっと速度出るの。なんで出ると思う?」
「わかりません」
「すぐにわかりません、って言えるのがイツキちゃんのキャワイさ! 出来ないことは出来ないって言わないと、中途半端なバカに時間をむしられるだけだもの! イツキちゃんは時間をキャワイがってるのね! 上り坂でも三十キロで走るため。イツキちゃんも上り坂の時に三十キロで走れるように頑張ってね! それがネフェリウム光線で負った傷?」
「痛いです。許せない。ロードが可愛がってくれる体に傷を」
「スーパー銭湯に薬湯を入れてあげたわ。飛兎身ちゃんもそっちにいるから、治してまた働いてね。イツキちゃん」
張り付けたような笑顔のままゲーセンの筐体を陰湿八つ当たりグーパンチでぶっ壊し、鞄の缶バッチをカチカチ鳴らせる。
「Bトリガーを返して」
「嫌だ……。わたしはまだやれます」
「没収じゃないの。おかしいおかしい、これは話してたはず。イツキちゃんの経験値が溜まってるから、コピーするの。クジーの力はまだイツキちゃんに必要でしょう? イツキちゃんという働きバチが集めたハチミツは栄養満点だもの」
「ごめんなさい」
「わたしも後でスーパー銭湯に行くから待っててね!」
いじけて背中を丸めて歩くイツキを見送り、イツキのBトリガーに蓄積された経験値を……。
としまえんのプールに沈められた巨人に捧げる。全身に巨大な鎖を巻かれて身動き一つとれずに拘束され、口に六本の鍵が待ち針のように突き刺さって縫われている。その針の間からは抑えきれない無尽蔵の怨念による邪悪な宿痾の炎がバーナーのように噴出し、プールの水を惨禍のチョコレートファウンテンに変えている。
「都築カイ。調子乗ってんなぁ、あのガキ。そろそろ一回起きる? アブソリュートマン:XYZ様」