第1話 少年χの青春
望月鼎(20歳)。
大学の女子の中で魅力はあまり多い方ではないがスマホに登録された異星人の数は彼女が通うガッカリ私立文系では断トツだろう。フジ・カケル、寿ユキ、飛燕頑馬の三兄弟に、異次元から侵略してくるゴア族主流派の元幹部網柄甜瓜。役所にも異星人関連のインチキNPOにも務める気のないただの女子大生には四人も入っていれば多い方だ。
そんな彼女に危機が迫る。また? しょうがないだろう。宝くじに複数回当たるアメリカ人だっている。異星人関連で望月鼎に迫る危機の数が多いんじゃない。鼎は世界について知りすぎて、自分に迫る危機を知ることが出来るだけだ。だが残念。一つ目の危機は純然たる地球人関連のトラブルだ。
「合宿って」
無理っしょ。合宿は無理だ。男六人の女一人ー!? 鼎の所属する“超常現象研究会”は男六人に対し女子は鼎一人。さすがに自分が中途半端なガッカリ大学生でも、望月を見れば男はオオカミ男になる。嫌でもあるし危険だ。
下心なんてないんですよぉって羊を気取ってるのバレバレだし、逆に泊りがけなのにオオカミ男に出来ないくらい魅力がないのもまた悲しい。エロとロマンスの世界観が昭和ポルノで止まってるのだ。
「おイヤですかな? 実際はワタシの卒業旅行と就職記念のようなものですよ。あとはナカムラさんにキャプテンの引継ぎもありますし」
「あ、そうなんだ。オメデトウ、ヨシダさん」
「ワタシも晴れて社会人です」
断りづれぇ……。今年で引退するヨシダさんは合宿が終わったらもう姫に用はないから一抜けピーでいいだろうが残される他のメンバーは、鼎が態度を間違うと残りの数年間本当に辛い思いをする。そして一番辛いのは鼎だ。そういうところだよ! モテない理由!
「望月さんには本当にいい夢見さしてもらいましたよ。三年と少しゴミクズ大学生やつて、少しの間だけは楽しかったですよ」
こんな見るからにギスついた会話をオープンキャンパスの当日にブースでやつてるくらいだ。ヨシダも鼎も新入生が来るなんて期待しちゃいない。鼎もこのサークルは女子がいない雑魚の集まりだから自己肯定感を持ててイキれると思っただけだ。アブソリュートミリオンやアブソリュート人に興味を持ってからは会室の書籍を読んだりしたが、過度に踏み込まれないように、あまり質問したりはしなかった。あとは……。ヨシダは少し、オタクなりに尊敬すべき生き様を見せてくれたこともある。軽んじてもいないし重んじてもいない。鼎が感謝や居心地の良さを感じていたのはオタサーではなくオタサーの姫という立場だったのだ。クズじゃねぇか。
弟のケンヂの偏差値が高くてよかった。ケンヂの頭や要領の良さならこんな大学は視野に入っていないからオープンキャンパスにも来ていない。姉がいるってだけで滑り止めに挙がるかもしれないが、ケンヂのようないい子はこんな掃きだめに来るべきじゃない。
「アブソリュートミリオンの研究してるんですか?」
そんなオタサーに一人の女の子がやつてきた。高校の制服を着ているのに妙な色気とアンニュイな空気があり、真っ白に透き通ったきめ細かい肌に、幾つか空いたピアスと触ったら折れちまいそうな病的に細く筋張った足が危うさを、鞄に下げられたストラップや缶バッジや眼差しが幼さというエッセンスを加え、意図的にデザインされたアンバランスさで既に鼎以上に完成された魅力を持つ。
「駿河燈って言います。この本はあなたが?」
「ヨシダって言います。ワタシが書きました」
「わたし、インテルとGoogleとディズニーからスカウト貰ってるんです。なんで大学はどこでもいいから大卒だけ取れればいいんで。だから四年間遊ぼうと思って。サークル単位でミリオンの研究?」
「実際はゲームばかりしてますよ。たまぁにね、超常現象の研究もします」
「なんのゲーム?」
「何かが流行れば流行りを、何も流行っていないときはレトロを!」
えぇ? 何このキビキビした口調……。
下剋上が早すぎる! 入学してない奴にもう負けた!? いや、下剋上ですらなかった……。最初からこの子の方が全てにおいて上だった……。さっきまで合宿に来ることを熱望される姫だったのにもう下野した。
〇
「ケンヂは進学?」
「進学だけど私立は親に負担かかるしなぁ」
望月研二(18歳)。
鼎のよく出来た弟だ。バイトし、勉強にも励み、楽しめるようにバイト先の仲間たちとフットサルチームを結成して運動と青春を楽しんでいる。規則正しい生活は健康にも人間性にも勉学にもよい影響をもたらし、幼少期に可愛さだけ褒められ過ぎて調子に乗った姉のようにはならず、堅実に掴み取った評価で人からの信頼も厚い爽やか少年だ。
「一応、教師目指してんだ。俺はさぁ、ほら、恵まれたいい学生生活送れてるって思えてるから。充実してるし、そのおかげで教師っていう夢を持つことも出来たし、それを選択して進むために必要なものを揃えてもらってる。そういう青春を少しでも多くの人に過ごしてもらうなら、自分が教師になって若い人を導いたり、環境を作ってやるのもアリなんじゃないかな、って。あと……。嫌味になるかもしれないけど、ウチは親が結構稼いでるから……。そういう甲斐性ってもんも公務員なら持つことが出来るし、よその子だけじゃなくて自分の子の環境も作れる」
高校生にしてこの将来像! 鼎は高三の頃何をしていた!? 就職の面接もしたくないし受験もしたくない。将来は試験も何にもないオバケの学校に行って墓場で運動会するしかないダメ学生だった。しかも何もかもが早熟型で中学、高校と下り坂で、今のようにオタサーで自己肯定感を養うことも出来ずネガティブで無気力だった。もちろん部活もバイトもしていなかった。
「カイくんは?」
「んん~? バイト」
都築カイ(??歳)。
この夏にケンヂたちのフットサルチーム“青雲”に加入した少年だ。スラっとした細身で手足の長い体だが、フィジカルが強く当たり負けしない。責任感も強く、割と熱血なところがある。コートの狭いフットサルではあまり使わないが、広く展開して戦うサッカーではアーリークロスを入れたくなるタイプのフォワードだ。
しかしカイには記憶が欠落していた。
文字もわかるし自転車の乗り方もわかる。一般常識もこの年頃の少年としては不足なかった。覚えている総理大臣を順に並べてみたが抜けも間違いもなかった。だが自分が誰から生まれてどこから来たのかがサッパリわからないのだ。
彼はある日、気づいたら自室にいた。まるでその部屋に今、生まれたかのような錯覚。この部屋でセーブしたゲームを再開したが、セーブする前に何をしていたか忘れてしまったような感覚。自分の部屋にいたのに、急にどこか知らないところに来たような違和感。そんなことがまずおかしい。
真っ白な冷蔵庫、扇風機、ラジオ、ベッドしかない部屋で彼は寝ていた。白くないのは自分の髪ぐらいで、その手には……。鈍く光る拳銃が握られていた。まさにセーブ前を忘れたゲームだ。どこの村から旅立ってどこの村に行って魔王攻略の情報を集めるかは覚えていないのに、はがねの剣……カイの場合は怪しい拳銃の装備は外れていない。
それでも彼はポジティブだった。
自らの素性がわからないながらも、片っ端から声をかけて仕事を探した。最低限のものしかなかった部屋を様々な色の家具で埋め、偶然目にした自分と同じ年代の少年たちのフットサルチームにも二か月前に入ってみた。こうして記憶を喪失してから約二年。彼は行方不明になった素性ではなく新たな素性の続きを構築し、この世界、日本、東京(たまに埼玉)を行き来し、質素ながらも生きている。
ケンヂはそんなカイを差別しない。かつて、ケンヂたちのチームにはリーチ星人のローゼンがいたし、助っ人としてあのフジ・カケルと寿ユキが来て、ゴア族のチームとも戦った。スポーツを通して交流することが全てを解決するとは思わないが、スポーツで解決出来ることもある。そんな風にポジティブな理想ばかり見るのは、ケンヂのような若い少年にのみ許された特権だ。
良い友人に恵まれたカイは、この年頃の少年たちが青春と人生を振り返って自分を構成する経験や思い出から、見つけるべき将来や現状で出来ること……つまり使命や運命の再確認をするための情報に欠けていた。赤ん坊として開始された自我ではなく、少年として再開された自我で、人として人と共に模索する。まっとうな人生を送るケンヂはカイにとって道しるべだった。
セミの鳴く真夏。少年たちの青春は、終わりを告げる。
「都築カイ」
ケンヂとカイは二人で荒川の河川敷に来ていた。互いを高めるためでもなく、トレーニングでもなくただなんとなく二人でパスを出したりたまにドリブルしたり……。
そこでカイは唐突に名前を呼ばれた。
「誰?」
彼の名を呼んだのは、金属製の巨大なタンクとそれに直結されたバレルの長い水鉄砲を腰のホルダーに、手には六十センチ程の長さの筆を持った、黒い生地にやたらヒラヒラした白いフリルのスカートを履いた暗い表情の若い女性だった。タンクからは透明なチューブが伸び、左の水鉄砲、右の筆に直結されている。カイの気持ちに漣が生じる。
自分がまだ名乗ったことのない相手に名前を呼ばれるのは初めてだ。自分の過去を知っているかもしれないのならカイは喜んで訊きに行く。だがこの女性は何かが違う。
表情や佇まいからネガティブ、怨念、諦念、低いビートで不愉快に刻まれる敵意を感じる。そのビートは同じネガティブでもかつての鼎とは違い、何か邪悪なものとしてカイに認識される。
「ケンヂ。離れろ」
こいつは恐らく、自分とケンヂに暴力を振るう。自分ならこいつをどうにか出来るのか? 誰かとケンカをした覚えはないが、カイは反射的に肌身離さず持ち歩いていた拳銃を女性に向ける。
「おい、カイくん、それ拳銃か!?」
「本物かはわからない。気付いたら持ってた」
ケンヂをかばって暗い女性との間に立ち、震える手で銃口を敵に向ける。
この拳銃こそ自分の過去を知る唯一のアイテム。自分が失った過去から唯一持ち越したものだ。
「使い方、わかるんですか?」
暗い女性がどんよりした声で尋ねる。ザラザラとした不快感を煽る。敵に目を向けたまま手探りで鞄から弾丸を取り出し、装填する。
「カイくん! その人はまだ何もしてない! おかしいぞ!」
「今はね。さっさと離れろって言ってるだろケンヂ!」
ジャキッ。シリンダーを回転させ、撃鉄を起こす。あとは引き金を引くだけだ。カイの覚悟を感じ取った暗い女性が目に涙を浮かべる。
「やっぱり、ゴア族は遺伝子レベルで嫌われる運命なんですね。特にアブソリュート人には。わたしはまだ何もしてないのに」
チューブの中を真っ黒な液体が伝い、巨大な筆の先端が表面張力で束ねられて墨汁が涙の代わりに滴った。
「アシャア!」
暗い女性の足元の草が爆ぜる。人間離れした脚力で根を張った土ごと引き剥がされ、重い装備品を背負っていてもボルトを超えそうなスピードでカイに迫る。明らかに人間を超えたものすごい速さだ。フットサルチームにいても速すぎてチームメイトもパスが出せない。
至近距離に迫った敵の姿にようやくカイの目が追い付く。だがすぐに何も見えなくなる。筆を顔面に叩きつけられ、墨汁で一時的に何も見えなくなってしまう。
顔に付着した墨汁を拭うカイの腹を筆で突き、また真っ白なTシャツに墨汁が飛散する。痛みと墨汁でカイは傷を負ったゴア族のように苦しみながら黒い液体をまき散らせる。間髪入れず、クラウチングでもないスタートで地面を抉る強靭な足で墨塗れの胸を蹴り飛ばされ、記憶喪失の少年は『スプラトゥーン』のナワバリバトルのように荒川河川敷をドス黒く塗っていく。
「なんなんだよ」
人に暴力を振るわれることがこんなに痛く、恐ろしいとは知らなかった。筆で突かれたダメージは小さいが、人に暴力を振るわれたことはカイを動揺させる。強力な蹴りは、さっきケンヂに分けてもらった弁当を胃の中からこみ上げさせる。消えた記憶は知っていただろうか? 再開した人生で初めて振るわれた暴力はカイに恐怖と怒り、そして使命感を発生させる。ケンヂにこんな思いをさせてはいけない。
十八年の人生を重ねたケンヂとたった二年のカイ。自らも暴力の道に踏み込み、敵を倒すのは自分であるべきだ。ケンヂには過去と未来がある。
「?」
上体を起こすと少し離れた場所にいる敵が自分よりちょっと上に水鉄砲の銃口を向けていた。タンクと水鉄砲を繋ぐチューブは既にドス黒く変わっている。
「Bトリガー、“未来恐竜クジー”」
ボウッ。
水鉄砲から発射された墨に火が付き、火炎弾がゆっくりと放物線を描いてカイに迫る。急に世界がゆっくりに見えた。墨が燃えるということは、あの火炎弾が着弾すると、髪や服が墨塗れの自分は大炎上するだろう。おそらく、さっき筆で殴られたり蹴られたりしたのとは段違いの痛みと恐怖のはずだ。直撃しなくても周囲に撒き散らされた墨が燃え上がり、自分に引火する。だから敵は距離をとった。背負ったタンクの墨が誘爆してしまうから。
「こうだ!」
恥も外聞もないルパンダイブで川に飛び込み、火炎弾から逃れて墨を水に溶かす。墨汁が水面に向かって伸びながら消え去っていく。まるで流星だ。水面を隔てた向こう側が一瞬、真っ赤に染まった。やはり炎上したようだ。
「……」
可燃性の墨と、水鉄砲の域を出ない弾速と射程の火炎弾。
墨を食らってから中途半端に距離をとると火炎弾が来る。だが近づきすぎても筆で墨を塗られ、驚異の脚力での蹴りが来る。あの蹴りをまともに食らうのは危険だ。
ケンカなんてしたことがないのに何故、こんなに頭が回る? 自分の知らない過去が「戦え」と言っているのだろうか?
その力があるのなら、ケンヂを守るために戦いたい。羊水のように自分を包み、安らぎを与える川。だが生きるならば羊水からはいずれ出なければならない。
「プハァ」
ものの焦げる不穏なにおいと真夏の灼熱の空気を肺一杯に吸い込み、拳銃を構えて周囲を警戒する。もう手の震えはない。ケンヂが傷つくくらいなら自分が手を汚す覚悟は、水から上がった瞬間には出来ていた。
「カイくん……?」
炎上する河川敷から人を逃がすべく避難を促し、警察への通報と個人的な知り合いである特殊警察ACIDの和泉岳への連絡を終えたケンヂは、川に飛び込むまでと別人のようになってしまったカイの冷たい眼差しに戸惑った。
〇
その頃。地球某所。
「Aloha。フジ=サン、マタ来テクレタノネー。ワタシ嬉シイヨー。フジ=サンノ“ダイヤモンドヘッド”、疲レデ輝キ失ッテルンジャナァイ?」
「フジのダイヤモンドヘッドはいつでもカッチカチのギンギラギンでジゴカラットの輝きだよカレンちゃん。じゃあ今日はカレンちゃんを指名しちゃおうっかなぁ?」
浅黒い肌の女性がアロハシャツにメガネの男性の首に花の輪っかをかけてあげる。
「横取リシナイデヨー! フジ=サン、今度ハワタシ指名スル番ヨネ!?」
「あらあらラグちゃんまでぇ。参ったなぁ! ハワイアンパブは人をダメにするなぁ! ハァーハッハ!」
地球、日本国、群馬県。鼎を自室に放置したままさすらいの旅に出たフジ・カケルは、結構近場の関東地方にいた。温泉街に一か月以上滞在し、ハワイアンパブに入り浸ってモテモテ気分を味わっていたのだ。
「大変よ! あぁ、フジさん、いてくれてよかった! 大変なの!」
ハワイアンパブの女性達はほとんどがカタコトでハワイアンの真似をしているだけの日本人だが、ここの店長の娘のカナちゃんは違う。いつか温泉街を飛び出して、大都会東京で華々しく暮らすことを夢見ているよくいる田舎娘だ。ハワイアンパブに毎日来ているフジとも顔見知りになり、彼の持つ都会の空気と、雑さとナーバスの入り混じったデンジャラスな風来坊の雰囲気に少なからず憧れていた。
「フジさん! 大変なの! サルが暴れてるわ!」
「どうしたカナちゃん。刀狩りか? それとも太閤検地か?」
「信長目線の秀吉じゃなくてモンキーよ! ジャパニーズモンキーが観光客のアイスを奪って暴れてるの!」
「ったくしょうがねぇな」
シャツの背中にブラの浮くカナちゃんに案内され、ニホンザルが暴れている店までやってくる。いやん、どうしよう。フジさんがわたしの背中を見てるわ!
「おぉい! コラ! コラァ! サルが! 失せろサル野郎! コラァ! サル! あぁ!? サルが! 口から手ぇッ込んで胃袋からヒン剥いてカラスのエサをするぞ! あぁコラァ! へっ、口程にもねぇな。たかが畜生だ。人間様をナメるんじゃあねぇ! 見ろよ。尻尾巻いて帰ったぜ。フジ・カケル様に敵うと思うなよ! バァーカ!」
こうして見事、暴力を使わず言葉だけで平和的にサルに勝利したのだった。