第11話 弱点保険キッス
「メロン! 頑馬はどこだ!」
「スマホに位置を送ったわ」
ユキの住むキャッスル祖師谷のベランダにバリアーの足場を作り出し、病み上がりの体で飛び乗ってメロンが送った位置情報を確認する。頑馬がいるのは福岡……。鼎が今朝着いた町だ。フジの脳裏に嫌なものがよぎる。自分がどれだけ眠っていたか知らないが、頑馬がもう福岡にいるということはユキのポータルを使った可能性がある。姉貴は何をしようとしているのか?
フジを包む祖師谷の風景……。もう祖師谷じゃない。神奈川県、静岡県……。東海道の景色は木星の表面のようにフジの背後に流れる線になる。変身すべきか? 変身すればもっと早く福岡に着けるかもしれないが、頑馬や倒し損ねたバースを刺激するかもしれないしいざって時の為に温存すべきか。逸る気持ちを抑えつけ西へ向かう。
「メロン、簡易だがミーティングがしたい。お前さんが集めたバースの情報をよこせ」
「頑馬は?」
「頑馬は無理だ。勝てねぇ。あれに勝てるのは姉貴だけだ。メロン……。お前さんがついていながらなんで頑馬を向かわせた!?」
「信じたかったから……」
「頑馬をか?」
「ええ。この地球上で、頑馬を一番敵視しているのはフジくん、あなたよ。悪いことは全部頑馬のせいにしようとしている」
〇
「メロンさん。わたしは、野球が嫌いなんです」
「どうして?」
「プロ野球選手がみんな高校球児だったからです。ウェーイが飛び交って三年生の引退では強引に思い出を美化して全員泣く。そしてオタクが思いを寄せてるあの子と夏休み中にヤッちゃって、夏が終わると坊主頭を伸ばしてチャラくなる。わたしはこれでもオタサーの姫ですから。野球部にも狙われない程度の女子が大学で自尊心を保つためにイキるためのポジション。そしてわたしはオタクの味方」
「なんとなく気持ちはわかるわ。わたしも陰キャラのオタクだもの。でもスポーツは健全な精神を育むこともある。あなたの弟みたいにね」
「ケンヂは元がいい子ですから。あの子は“争う”なんてことはしたくないんですよ。遊びでも競技でも」
福岡ドームを見上げる鼎の上半身の影が消える。空に現れた一つの輪が光を遮り、その内側の東京の景色からあの恐ろしい飛燕頑馬とすり寄りたい人物ナンバーワンの寿ユキがやってくる。
「キエエエエエ!?」
「落ち着いて! 鼎ちゃん! 頑馬を怖がらないで」
「お姉さん? お姉さん! 話が違くないですか!?」
「落ち着いて話を聞いて! あなたは今、宇宙ヤドリギのデラシネに寄生されている状態なの! デラシネに栄養が行き渡り、成長すると爆発して死ぬ」
「キエエエエエ!?」
「わたしと頑馬がどうにかする! 頑馬とそう約束した!」
「お兄さんがしくったり裏切ったりしたらどうするんですか!?」
「その時は……。殺す! わたしが責任をもって、アブソリュート・ジェイドの名にかけて必ず殺す!」
何もわかっちゃいねぇ……。
①頑馬がユキを
②裏切って自分を見殺しにする
③ユキが全力で頑馬を殺しに行く!
④ユキvs頑馬! とびっきりの最強対最強!
⑤頑馬、殺されようと本望
なのでは!? だが腰が抜け、足が震える鼎には何も出来ない。ここにきて深夜バスの疲れが鼎を追い詰める。
「落ち着け鼎! 俺がどうにかする」
「キエエエエエ!? 名前を覚えられてる!?」
メッセから聞き出したデラシネ情報を頼りに頑馬が鼎との距離を詰めるが、鼎の脳裏には果てしない量の遺言が走る。一つずつ書き出して分身メロンに「勝訴!」っぽくバーンと出してもらっても福岡ドームが埋まるだろう。深夜バスに乗って東京から福岡の間に通った全ての街燈の数より多いかもしれない。頑馬が筋肉と血管が浮いたバキバキの手を鼎に伸ばす。腰が抜けて悲鳴を上げる女子大生とそれに手を伸ばす一九〇センチを超えるムキムキマッチョマン、これはもう地球の法でも裁ける犯罪の現場では!?
「落ち着け鼎。お前、体調良くないんじゃないか? すごく疲れたとか。なんらかの要因があって、デラシネの根が浅い。普通ならもう死んでるはずだ」
「そんな『北斗の拳』の雑魚みたいな状態!?」
「ああ、そうだ。経絡秘孔が突かれているはずだが死んでいない。つまり、秘孔が機能していないということだ。栄養失調のデラシネは養分を求めてる」
……。
「……ッメロンさんッ!」
「頑馬の言っていることは、わたしの情報では半分は裏付けをとっているわ。あなたには何か仕掛けられている。それが何かはわからなかったけど……。頑馬の言っている宇宙ヤドリギが本当ならばあなたには今、生きている理由がわかるはずよ」
「キング・オブ・深夜バス……」
昨日の夜から鼎を苦しめ続けていたキング・オブ・深夜バス、はかた号!
お盛んなはずの鼎を猛烈に絞り上げ、ブッ潰し、叩き壊し、時空の歪みの中で己の非力さに泣きそうになった。実際ちょっと泣いたことはメロンがチクらなければ誰にもわからないが、正直な話、ここまでへこんだのは初めてだったかもしれない。そもそも深夜バスに乗る前から精神的には疲弊していたのだ。疲れが一周したのか、現在はゴア族のメロンをWikipediaと同じくらい信じるほど奇怪なハイ状態に近くなっているが、そんな精神状態になってしまったのは深夜バスによる肉体と精神の極度の消耗故だ。
深夜バスに乗っていなかったら死んでいた!? さっきのラーメン屋でもう少し栄養を摂っていたら死んでいたのか!?
「俺がお前の近くでオーラを開放する。腹ペコのデラシネは栄養を求めて俺に移るはずだ」
「ヒッ……。メロンさん!」
鼎の肩の分身メロンが仮面越しに渋い表情で頷いた。分身メロンの一人は今、福岡に向かっているフジのスマホをフジの肩から見ているが、デラシネの爆発のタイムリミットは過ぎているはずだ。そうならないのは鼎が栄養不足であるからなのだろう。それを引き剥がすなら体力満タン頑馬をデラシネの鼻先にチラつかせ、移すしかない。分身メロンが耳打ちでとっておきの情報を囁く。
「鼎ちゃん。フジくんが来るわ」
「フジが?」
「ここは頑馬を信じましょう。それしか……。出来ないもの……」
歯がゆい。もうメロンには出来ることは何もない。メッセに虫と間違われるほどメロンは小さく、鼎のデラシネを引き受けることは出来ない。その時、福岡ドームにもう一つの影が降りる。ピカピカの真新しい革靴、インチキ二流ホストのような漆黒のスラックス、シャツ、ジャケット、ド派手な色彩のネクタイ。テカテカ輝くオールバックに触角のように一筋垂れる前髪、そして緊張感に欠けるマヌケ面……。
「バース……。ダメだ鼎! テンションを上げるな! 秘孔が開いて死ぬぞ! 何をしに来たバァースゥ……」
「お前こそ何をしている頑馬。いや、レイ」
「こいつを助ける」
「そんなことを……。レイが……? お前は、お前はレイだろうが!」
バースの眉間に皺が寄り、目じりから涙が伝う。こんなのが自分たちの憧れたレイか? こんなレイじゃなかったはずだから、自分たちはレイを試すためにデラシネを使った。自分たちが憧れたレイのイメージが間違っていないと確認するために……。
「相手が誰だろうと関係ない、雑魚だろうと神だろうと力で叩き潰す。情もなく……。力こそがレイのはずだ。あのガキがお前を変えちまったのか? それともジェイドか?」
「そんなこたぁねぇよ。そんなこたぁ……。ジェイドやアッシュと戦いたかったのは事実だ。だがお前らにも情は沸いてる。俺を変えたのはお前らさ」
武和ッと頑馬が陽炎のオーラを纏う。大の男の大人が泣くところを初めて見てしまった鼎は何も言えずにしっくり来る遺言……。なんてものはもう考えていない。目の前の茶番はもうどうでもいい。
まずどう罵倒するかだ。あのクズ野郎を。
あのクズ野郎は、自分に何か仕掛けられたことをメロンさんから聞いていたのに黙っていた。メロンさんもメロンさんだが、自分が爆死するならメロンさんも巻き込まれて死んだはずだ。それでもメロンさんは自分のそばを離れなかった。
あのクズ野郎……。クズ野郎!
「お前はこの飛燕頑馬の最強の部下。お前は別格だったよバース。お前にしか背中は預けられなかったぜ。マートンでも、オーでもメッセでもない。お前だ。そんなお前のそんな顔は誰も見たくはねぇ。晒しちゃいけないんだ」
「ずるいぜ頑馬……。俺たちの理想は裏切ったくせに、俺に理想は押し付けるのか?」
頑馬がスポーツグラスを外し、目を充血させたバースにかけてやる。涙で霞むバースに目には、頑馬の腕の表面を走る太い筋が映る。血管や筋肉ではない。デラシネの根だ。カタログで見たとおりだ。
「頑馬、頑馬! 行くな!」
太陽に呼び寄せられるように頑馬の体が宙に浮き、バースの手がついに届かなくなる。ユキも手でひさしを作るが、最後まで頑馬を見送れたのはサングラスをかけていたバースだった。
このままデラシネをどこか遠くまで持っていこう。部下たちと観た『天空の城ラピュタ』のエンディングのように地球の丸みが見えるほど高く飛び、九州を見下ろす。片っ端からエネルギーを吸収され、無敵の頑馬は生まれて初めて疲れを覚えた。左目に左手を当て、特殊な波長の光線を照射する。
「やっぱダメか」
変身は出来なかった。変身出来れば楽勝で耐えられるはずなんだが……。ゴツンと頭頂部が何か硬い板のようなものに触れる。
「おお? いつからいた?」
「さっきからな」
「お前のガールフレンドは助かるぞ」
「礼は言わねぇ。ダセェ言い回しだな、ガールフレンドなんて。レイらしくねぇ」
「ジェイドに言っておいてくれよ。お前は強かったとな。お前にやられた目がまだ治ってねぇと……」
「当たり前だ。姉貴の方が強いに決まってる。お前と戦った時も姉貴は街や人を守ることを最優先に考えた。何もないお前とは違う。あの戦いはフェアじゃなかった」
「そうか。そろそろ俺から離れろ。死ぬぞ」
「……あばよ、頑馬兄さん。あんたはちょっとの間だけ、チョイイイっとの間だけ兄貴だったぜ」
頑馬の弟は足場を消滅させ、重力に従って地球に向かって降りていく。もう自分の声も届かないだろう。
「……ジェイドォォォ!」
怒豪ッ!
宇宙最強クラスのパワフルマッチョマン飛燕頑馬の栄養を吸いつくしたデラシネは急成長し、一気に花を咲かせる。だが種は宿主の持つ太陽の力に焼失し、月面に出来たゼータストリームショットのクレーターに細かい灰が降る。この大爆発で密かに衛星を打ち上げ、地球征服を企んでいたアメリカの富豪、リッチモンド・リッチー(52)による野望も衛星と共に潰えた。
「このチンピラが」
急速に落下し、日本の輪郭が消え、九州の輪郭が消え、緑や青よりも人間の築いた建物の灰色が目立つようになり、銀色の球体がフジの視界の大半を占める。
「鼎!」
「この童貞野郎が!」
「ご挨拶だな。もう童貞って言葉やめねぇか? 無職だってちょっとかっこいいニートって言葉になってるだろう? 男で大人だけど子供っていう意味でMr.Childrenってのはどうだ? 複数形なのも近年増えてるってことで。ミスチルが」
「マジでキツイ。結構ミスチル好きなんだけど」
フジが手を伸ばすと鼎がパシッとハイタッチに応じる。役目を終えたメロンの分身はユキの肩に乗る一体だけを残して解除される。
「おい何終わってんだ? 終われると思ってんのか?」
漆黒のバースの背中から伸びる影が福岡ドームの屋根まで覆いつくす。バースの頭部から鹿のような神秘的な角が伸び、燕尾状の甲羅が背中を守る。服と肌が一体化して筋肉が隆起し、頑馬の最強の部下バースが本来の姿、四十二メートルの未来恐竜クジーへと変身する。福岡県民たちのスマホがいっせいに福岡ドームに向けられた。
「バギ!」
「テアーッ!」
福岡ドーム一帯を目掛けて未来の火球が放たれる。しかしユキが作り出した氷の防壁が、福岡ソフトバンクホークスファンが最悪の結果を知る未来を回避する。初夏の福岡に真冬のシベリアのようなブリザードが吹いて日光を遮った。やがてブリザードが三十六メートルの純白の巨人の姿に収束し、神器ジェイドセイバーを構える最強の戦士アブソリュート・ジェイドが九州に初上陸する。その美しい姿はインスタに映える。だがあまりにも多くの人が彼女の姿を目にしすぎた。プレミア度は高くないだろう。
「テアーッ!」
「マズい、姉貴が不利だ。人が集まりすぎた」
鼎とフジの周囲の氷は分厚かった。何があろうと絶対に二人は守られる防壁だ。その氷の中はスマホを向ける福岡県民もジェイドもバースも見えない。分身メロンももういない。
「……フジ」
氷を砕いて姉に加勢しようとするフジのパーカーのフードをグイッと掴み、バリアーの足場から引きずり下ろし地面に押し付けて床ドンし、目睫の距離まで顔を近づける。あまりにも顔が近づきすぎてもうフジのメガネには鼎の目しか映っていない。
「ヤドリギの下で男の子が女の子にしなきゃいけないことって何?」
そして口と目を閉じる。もう誰にも見えない……。
「……」
鼎の顔に何か細く硬いものが触れる。唇に柔らかいものではない!? 今度は刺激臭が鼻を突く。このにおいは……。タバコ!?
「フジ!?」
目を開けるがフジの顔がよく見えない。度のキッツゥーイメガネを顔にかけられたのだ! ぼやけた像の中心に赤い蛍が見える。タバコ!?
「無理無理。タバコ吸っちゃったから。スパーですよスパー。いきなりお盛んに戻りすぎだろ」
「この……。ミスター・チルドレンが……」
ちゅっ。初めてのキスはタバコのフレーバーがした。
「絶対に今、俺スゲェキモい顔してたわ。危ねぇ。メガネかけさせといてよかった」
バキィ!
ヒビも入らないほどの超高速でフジのバリアーが氷を穿ち、福岡の空に舞い上がって宿敵バースと最強の姉、そして福岡の被害を確認する。やはりだ。やはりジェイドはバースの攻撃から街を守ることに優先して不利を被っている。
「この畜生がァーッ! 姉貴!」
メガネは鼎にかけてしまった。あと絶対に今、俺はスゲェキモい顔をしてただろう。ごまかす手段はなくはない! 顔そのものを変えてしまうことともう隠れることだ!
「俺とバースをジェイドリウムに閉じ込めろ! 変身して中でブッ殺してやる!」
アブソリュート・ジェイドが消える。いや、消えたのではない。一五三センチの寿ユキに戻っただけだ。最強の敵ジェイドの代わりにバースの周囲を巨大なネズミ花火の縁が囲い、その内側に誰も住んでいない造り物の街が現れた。ジェイドが有事の際に地球人を避難させるために作ったジェイドリウムだ。大怪獣バースは円の中に落下し、半月状の建物の先端に背中を強打し悶絶する。
「セアッ!」
小型の哺乳類のような真っ黒な目に流星が映る。真上の福岡の空から真っ直ぐに落ちてくるその流星は空中で球状の青い稲妻に包まれて三十九メートルに巨大化し、バースの顔面をジャイアント馬場の十六文キックなんて比べ物にならないストンピングで地下鉄まで押し込む!
「バゲェ!?」
顔を押し込まれ、バースの目に強制的に地下鉄の駅の看板が映る。漢字が苦手なので読めはしないが“横浜”と見えたような気がする。
「このガキ」
「ガキじゃねぇ。俺はアッシュ。アブソリュート・アッシュ! さすらいの星クズは、ジゴワットの輝きだ! どうだバース? 俺はまだキモい顔してるか?」