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第76話 稲尾サラ

「リンダ」


「はい」


 前方からの声にリンダはスマホをタップし、イヤホンを外して返事をした。


「大阪に着くよ」


「あとどれくらい?」


「数十分ってところだね」


「あと何回かこの歌を聴けます」


 ザ・ブルーハーツの『リンダリンダ』。リンダはもう一度曲を最初から再生した。すぐ後ろの大型バイクのド派手な音をノイズにしながら。


「少し話をしませんか?」


 ……。リンダは数拍おいてヒロトの声を耳から引っこ抜き、この旅で溜まったレシート……。お土産、食費、宿泊施設などのレシートの端を咥え、片手を使って引き裂いた。何度も何度も、その音を鼓膜と心に染みわたらせるようにゆっくりと、寂しさを破るように。なのにむしろこの音は、この旅を否定するようで寂しさを加速させる。これらのレシートは全て、サラにとって不都合だ。ヒジリ製菓に反旗を翻したリンダたち導架に加担したことが会社にバレるとサラにとって不都合。リンダはそんなことを考えていた。もうサラもヒジリ製菓に気持ちがないとも知らず。


「ヨロコンデー」


「わたしの真似ですか?」


「似ている、以上だろう?」


「わたしの命はもうすぐ尽きます」


「そうだろうね。メタ・マインの繭に同化するんだから」


「そうしなくても死にます。わたしたち導架の寿命は短い。知らぬ姉御ではないはずです」


「……君ももうすぐなのか?」


「今日が最後の一日でしょう」


「実りある来世にすると良い」


「その前に実りある一日を、です。姉御にとって、レイとメッセは邪魔ですか?」


「まさか、戦おうというのか?」


「もしも、の話です。瞬殺でしょうね。レイのパンチ一発で死ぬ。メッセの電撃一撃で丸焦げ。一瞬で勝負はつきます。でも、それはわたしにとって実りある最期です」


「何故?」


「導架は死ぬのが仕事でしょう。戦って、敵を削り、敵の手の内を探り、姉御やスタバに繋いで死ぬ。それが仕事。どうしても! タダで死にたくないんです。メタ・マインになるか、レイやメッセを削って姉御のために死ぬか」


 リンダが明日の夜明けを迎えることはない。

 聖透澄が与えた中途半端な人権と人格、人としての尊厳に従い、ふとんの上で安らかに、最も幸せな死とされる寿命による自然死か。

 導架本来の使命に従い、主戦力にタスキを繋ぐために死ぬ仕事をまっとうして死ぬか。

 導架が目覚めた新たな使命、“自分たちを呼ぶ声”に従い、メタ・マインとなって消える……生き続けるか。

 人間として最も幸せな死。最高の仕事。存在の証明。

 人間の尊厳をまっとうする死。生まれる前からの仕事。使命に従い生きた証明。

 どれもリンダにとって……。


「君が選べ」


「もう少し、考えさせてください。わたしから姉御へのお願いはたった一つ。レイに勝って」


「勝つ! 串カツ食べる?」


「二度漬け禁止! ……ユニバーサル・スタジオ・ジャパンで降ろしてください。二度漬けはないです」


「もちろんだ。少し流すよ」


 二台のバイクは太陽の塔のあった場所を横目に見る。一度は崩れ、雑多に無機物と有機物の混じっていたサナギは徐々に形成が進み、黄金の繭にも見える。

 ここに行かなくていいのか? 安全運転のサラはリンダの様子を窺えない。後ろを走るレイとメッセの様子もだ。だが、通り過ぎてしばらくしてもまだ排気音は自分たちを追ってくる。今のところはまだレイとメッセはメタ・マインを静観するようだ。

 二度漬け禁止。そしてUSJ。リンダは串カツを食べる気はない。


「レイに伝える手段はないだろうか」


「何をですか?」


「USJ及び、大阪港近辺でレイと勝負する」


「ツーリングの疲れは?」


「それはレイも同じだ。それにわたしはアスリート。コンディションは調整出来る。そしてレイは戦士だ。コンディションを言い訳にはしない。アスリートと戦士、その差が吉と出るか凶と出るか、対等と出るか」


「姉御はどう思います?」


「アスリート、戦士、どっちの肩書きが勝つかはわからないけど、この勝負はわたしが勝つよ。それともレイに串カツを盛ってやる? さすがにもたれて戦いやすくなるよ」


 大阪の街を通り抜け、水の腐ったにおい、潮風。

 降りたくなかったシートから、サラは降りた。


「随分と長いこと運転したな」


「お前たちは新潟からついてきたんだもんな、レイ」


 厚情。サングラスの奥の眼差し、胸板の厚さは情の厚さ。

 冷徹。美女が優しいんじゃ、世の中にとって贅沢すぎる。

 そんな二人が後ろに立つ。


「そのガキをどうする気だ?」


「どうにかするためにメッセを連れてきたんだろう?」


「その通りだ」


「わたしは彼女に任せる」


「そうか。じゃあ俺はそのガキに何もしない。そのガキに」


「ガキじゃない。リンダだ。名前はリンダ。稲尾リンダ。糸泉リンダかもしれない」


「……。リンダに用はない。メッセに任せる。用があるのはお前だ、稲尾サラ」


「始めるかい? 始めるきっかけはたくさんある。お前がリンダの邪魔をするとか……」


「そうであってほしかったんだろう? 俺がリンダの邪魔をするから、リンダのために戦う。そういう筋書きを考えていた。ちょいと聞こえたぜ、スーパーアスリート。能動的に戦うきっかけがねぇんだろ、アスリートには。特に、俺のようにアスリートでもなんでもねぇチンピラ相手には。どこかで決めた試合開始までのカウントダウンが必要だ。俺にはない。いきなり(レイ)から始まる」


「そのレイはいつ?」


「いつからでもいいって言ってんだろ。串カツ食ってからでもいいぞ」


「リンダ。行け」


 ……。


「サラの姉御。わたしはドブネズミになります」


「ああ、君の美しさは鏡には映らない」


 リンダは別れを告げずに背を向け、走り出した。ブラウンのロングコートがはためく。そして、ベージュのトレンチコートは潮風を孕むだけだ。


「どうしたメッセ。追わないのか?」


「悪いわね頑馬。わたしはわたしの情、つまり人情と感情を優先する」


「その情はなんて?」


「わたしはあんた以上に耳も目も勘もいい。あの子はまだ迷っている。一度は決めて走り出したようだけど、実際に行動してからじゃないと自分の本音すらわからない。あの子が本当に本当の、最後の決断を済ませるまでわたしは待つ」


「だそうだ。俺たちは戦うか」


 パキ……。薄いガラスにヒビが入る音。西部劇のガンマンならこれを合図に銃を抜いたかもしれない。しかしここにいるメンバー、特にサラとリンダはよく知った、すべてに優先される危険な音だ。


「ヒトミ。何しに来た」


「どぉうも、サラ姉さん。今日の夕方から親友と大阪で遊ぶ約束でしてねェ」


「じゃあ夕方来たらどうだ? まだ日は高い」


「ンフフ。その前に、今日を最後に壊滅する大阪が無事なうちに観光。そして姉さんとリンダちゃんにプレゼント」


 袖にファーのついたスーツ、蝶ネクタイ、三つ編みにウサ耳バンド、破れ網タイツ。服装の緩いヒジリ製菓威力部門でも許されない学生気分の衣装。これは頑馬とメッセが知っている。トーチランド時代のユニフォーム。どうやらヒトミはヒジリ製菓を完全に見捨てた様子。


「メッセェ!」


「OK、頑馬。しばらくの間リンダを守る。然る後殺す。スタバには手を出さない。あれはベローチェの獲物」


「百点満点だ。行けっ!」


 ……。


「気張って行けっとか言ったけど、わたしはリンダちゃんを追わない。リンダちゃんがここに来る。リンダちゃぁん。これなぁんだ?」


「もう見えてねぇよ。眼中にねぇんだよ、てめぇなんか。誰かのため、何かのために走れるような人間の目にてめぇみてぇな地を這うカスは映らねぇんだよ」


「サイバーマインのオリジナルだよォ。こいつをメタ・マインにブチ込めば、メタ・マインはマインの思考と記憶をインプット出来るよォ」


 ヒトミはUSBメモリーの入ったジップロックをふりふり。リンダの足が止まる。そして振り向き、視線を注ぐ。透明なジップロックの向こうのサラのところまでリンダの視線は届かない。USBに集中して止まっている。


「メロン! 今すぐベローチェを呼べ! ゴングは早まったと伝えなさい! でないと、今すぐにわたしがこいつを殺すわ!」


「ンフフ。行動してから分かる本当にとりたい行動。ちょっとは時間をちょうだいよ」


「ダメね、ドブウサギ。お前は走れば誰より速い。お前には迷いがない。その悪意にはね。だから休まず、戸惑わず誰よりも早く走れる。それだけでも一番なのに、お前は亀を休ませようとする性根の腐ったドブウサギ」


 まずはUSBを狙い、威力を抑えたエレジーナ電磁流PDx! 鬼畜はハンマー一振り、エレジーナのBトリガーを起動させ、電撃の威力を受け流した。エレジーナのBトリガーがある限り、エレジーナ電磁流PDxは有効打にならない!


「リンダ! リンダ! 走れ!」


 リンダが本当にとりたかった行動はわからない。だが彼女はUSBを無視したのか、諦めたのか……。鬼畜に背を向け走り出した。


「しょうがない。わたしがUSBをメタ・マインに届けよう」


「メッセ! 全部お前に任せた。俺はこいつを倒す」


 頑馬は皮ジャンを脱ぎ捨て、ヘヴィメタルバンドのTシャツ一枚になって筋肉で大きく隆起させた。


「どうも頑固だな、稲尾サラ。邪魔をするとかしないとかさせねぇとか、どうでもいいんだよ。俺を倒すのが目標だろ? いいかよく聞けスーパーアスリート。アスリートにとっては、試合以外は全てが不純物だ。リンダ? スタバ? メッセ? メタ・マイン? 気になって戦えない、バイクの疲れ。ベストパフォーマンス以外はすべて不純物。ああ、アスリートが悪いとは言わねぇよ。俺だってスポーツを観るのは好きだ。コンディションを整えずに不甲斐ないプレーをするのはプロ失格だ。だから諦めろ、稲尾サラ。アスリートのうちは俺とは戦えねぇ。戦士になれ。牙を剥け。爪を立てろ。格式や礼儀を捨て、勝ったら吼えろ。それが、戦いだ。ここはリングでも土俵でもピッチでもコートでもグラウンドでもねぇ。行くぞ、スリー、ツー、ワン」


「ゼロ」


 “天才” 飛燕頑馬/アブソリュート・レイ 191cm 116㎏

  Vs

 “スーパーアスリート” 稲尾サラ 180cm (女性の体重は秘密)


「ジバァーッ!」


「ジャラッ!」


 後れを取った! 先制はサラ! 頑馬の顔面を(バチ)ッと弾く。愕云(ガクン)と揺れたグラスに映る獅子の娘にしてスーパーアスリートの目はキチンとレイを捉えている。もうリンダもメッセもヒトミも映ってはいない。


「いいパンチだ。だがまるでプラモデルだ。まるで模型。そのツギハギ。既存のパーツの組み合わせでしかない面白みに欠ける攻撃だ」


「褒め言葉としてとっておこう。目新しい……。知らなかった領域だ。戦いの最中にしゃべるのか」


 同時にサラは、烏頭との戦いの最中に自分が喋っていたことを思い出した。烏頭を侮っていた証拠に他ならない。サラは無意識に、あれを勝負ではないと感じていたのだ。


「ああ、審判がいたら指導だな」


「野蛮だと揶揄したんじゃない。ここは、アスリートであるわたしにとってアウェーだ。馴染んでいかなきゃいけない」


「無理して慣れる必要はねぇよ。ここで俺をブッ殺せばここから出られる」


「ギア、上げてく」


 獅子の瞳が輝いて。

 頑馬のワンツーコンビネーションの一撃目を余裕をもって避け、二発目はあえて間一髪での回避。いや、髪は掠っていた。レイの攻撃を間近で見極めること、そしてスリルによるテンションアップ。ここからテンションとコンディションを上げ、ピークとピークを結ばせる。


「ジャアラッ!」


「ジッ!」


 ジャストタイミング! カウンター! 今のところ、レイは力を振るい、サラはそれとの正面衝突を避けて技術と経験値で上手く流せている! レイの力の流れをサーフィンよろしく上手く滑った拳が、レイの分厚い頬にグリリとめり込み、グラスを上ずらせた。

 パキッ。型にハマった相手としか戦ってこなかったが、型破りなレイに攻撃が通用する。

 パキッ。プラモデルと揶揄された自分の戦いが、競技という名のランナーから強引に引き剥がされて、音を立てて摘出されていく。ニッパーで切り出すのではなく、手でパキパキと。丁寧こそが至高である競技の枠組みから、サラは勝利のためなら何でもよい、という(いくさ)の思考に切り替わり、闘志の(フレーム)で徐々に徐々に熱が上がる。

 ……。子供の頃。道場に通い始めた直後、サラはその技術を使って男子とケンカし、ケガをさせて両親にメッチャクチャに怒られた。母からはビンタもされた。だが! そのことで怒れるような真っ当な両親を作ったのは、サラが生まれる前に両親がレイに敗北し、ブッコローガになり、顕真にケンカ生命にとどめを刺されたからだ! 迂遠的だが、ケンカ屋だった獅狼がスーパーアスリートのサラを育てたのは、レイにも遠因がある。

 その真面目で潔白なサラが、チンピラアブソリュートをどつきまわす? 道場で鍛えた技でアブソリュート・レイをしばく?

 父はいい気分になって娘の戦いっぷりを喝采し、ビールの一つでも空けるだろう。

 娘がレイにリベンジしてくれるからではない。ケンカなど許されないスーパーアスリートの娘は、誰かのために、何かのために……。レイの言葉を借りれば地を這うカスなど眼中から消える程の没頭と熱中で、今!


「殻を破ったな。ここからだぞ」

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