第62話 GOLD/SILVER
「下品な町は嫌いじゃねぇぜ」
「新宿は下品な町じゃねぇですよハンマーの兄貴。下品なやつも上品なやつもいる。下品なやつが目立つだけだ」
「それが下品だって言うんだよぉ! それに俺は下品な町が好きだって言ったろう? アスファルトに転がるゲロ、それにたかるデカいドブネズミと太ったカラス。たまんねぇ。港区の白金や芝では見られねぇよ」
ヒジリ製菓の主力四人のうちの二人、ハンマーヘッドとスカーフェイスの二人は、Google検索してiPhoneでメッセの事務所を探していた。ポータルで直に向かうとメロンによるポータルサーチが厄介だ。故に、徒歩! スカーは方向を掴めずスマホをぐるぐる回し、事務所の位置を探る。そのうちに区役所の近くまでやってきた。
「ここっぽいな」
「よし、カチコミますか」
スカーの意気が高揚する。あの忌々しいファッキン・アブソリュート・アッシュは戻ってきたという。スタバがしくじったのではなく、スタバが尽くしたベストを超えてきたのだ。それでこそ! 殺し甲斐がある! それにあのファッキン・スタバがミスったというのならそれも愉快だ。
そしてメッセの事務所兼住居のあるビルの敷居をまたいだ瞬間、スカーとハンマーの目が回った。
「ポータルだと!?」
この無重力にも似た浮遊感はポータル……。だが聖透澄やヒトミのポータルに比べると、そういった不快感を伴う分練度が低く感じられる。転送にも時間がかかっているようだ。ハンマーはこのポータルの転送者は犬養樹だろうと、転送終了までに推論を立てた。
「夜?」
ハンマーが立っていたのは完全に日が落ちているのに、空を貫く摩天楼に照らされる街。周囲にいるのは白人、黒人、アジア人、ラティーノ……数えきれない。ファッションの方向性もバラバラ、聞こえてくる言語もバラバラ。大きくそびえるビルボードには一切日本語がない。なのにハンマーにはその場所に見覚えがあった。
「ハッハァ! ハロー、ニューヨーク! タァイムズスゥクエアァ! クソアメリカ人どもめ! 日本観光する時にゃ多少は日本語を覚えてきやがれ! 道を訊くときゃ日本語を使え! その仕返しだ! 俺も仕事帰りのニューヨーク観光じゃ日本語しか使わねぇぞ! 道を訊くときだってまぢそんすくえあがあでんはどこですか!? って訊いてやる! お前はどうだ? 仕事の前にデートでもいいぜ!」
スカーとははぐれてしまったようだが、目の前には日本人の姿の怪獣がいた。周囲を見渡してもこんな美女はいないってぐらいのとびっきりの上玉、メッセンジャーだ。
「せっかくアメリカに来るならきちんと空港から入国したかったわ」
「お前も所詮はチンピラだろうがぁ。今更ポータルによる密入国ぐらいでガタガタ抜かすなぁ!」
「What’s the purpose of your visit? 入国の目的は何ですか? これにきちんと答えなきゃ。スーパーモデルの仕事、ってね」
「顔面ボコボコ体アザだらけでランウェイを歩けるかなぁ!?」
ピンピンとメッセのピアスが揺れる。伝令だ。
「メロンよ。作戦は半分成功、半分失敗」
「じゃあ狐燐の方は成功したってことね。失敗したのがわたしの方でよかった」
「伝令は問題なく出来るわ。伝令だけならね」
〇
メッセ、ハンマーのいるニューヨークとの時差約十四時間。午前十一時。
スカーは都内の錆びれたレストラン街にいた。かきいれ時だってのに閉店している店も多いくらいだ。目の前にいるのは、紅白のチェックの半纏、前髪をゴムで括った野暮ったい髪型、額には冷却シート、極厚マスク、黒ぶちメガネの冴えないオタクだ。先輩はタイムズスクエアで絶世に美女とダンスだってのに、ついていない男だ、スカー。しかしスカーは歓喜していた。冴えないオタク、虎威狐燐の後方で待機しているのはフジ・カケルことアブソリュート・アッシュ。絵にも描けない絶世の美女より会いたかった相手だ。全身の骨がバキバキに砕けるまで抱きしめて首の骨がぐにゃぐにゃになるまでナデナデしてやりたい!
「伝令よ、狐燐。メッセの方が遠くまで行き過ぎた」
「チッ、やっぱ失敗か。メッセ所長はどこまで?」
「ニューヨークのタイムズスクエア」
「完全にミスりましたね」
「そっちはどう?」
「国内ではありますねぇ」
狐燐の後ろにいたフジは場所を知っていたかのように迷うことなく真っ直ぐ自販機に向かい、ドクター・ペッパーを買って飲みながら場所を伝えた。
「ここは練馬区大泉学園だ。そしてここはリヴィンオズ。練馬区屈指の大型ショッピングモールだ。隣は東像アニメのスタジオ兼ミュージアム」
「『マジカルフェアリボン』を作ってるところだね」
「ああ。『サマーウォーズ』の仮想空間OZのモデルはこのリヴィンオズだ。向かいは映画館のT-JOY大泉、その周辺を囲むのは『ファラオ戦隊! カーメンジャー!』と『マスクファイターS』を作ってる東像スタジオだな」
「詳しいね」
「大泉学園は俺の住んでる石神井公園の隣町だ。デカい買い物をするときはオズに来る」
「戦場になるのは仕方ない、と割り切れるかい?」
「もちろんだ。どこで戦っても誰かにとっては不都合だ」
……。
メッセとハンマーをタイムズスクエアに、狐燐とフジとスカーを大泉学園に飛ばしたのは、マディ・ザ・フロッグから教わった狐燐の隠し球トラップ型ポータルである。
既にハンマーとスカーはメロンによってマーキングされており、二人が特定の場所、この場合はメッセの事務所にやってきたら自動でポータルが起動し、ランダムでどこかへ飛ばすことになっていた。
狐燐のポータルは彼女の性格を映すように丁寧で精度、速度に優れ、基礎能力が高い半面で範囲は自分を中心に一万キロと狭く、異次元へのアクセスも不可能。そこにトラップ型のオプションを追加すれば、多少の誤作動が生じるのも無理はない。オートでの起動、行き先ランダム、同時に複数の展開、送る人数も五人となれば、それは仕方のないことだった。おそらく、大泉学園に転送されたのは、トラップ型ポータルを研究する際にイツキと楓と共に開発とリハーサルをしたので、楓がイエローソーサラーの力を得て最初にポータル移動した大泉学園の東像アニメーションの履歴が残っていて混線したのだろう。
だが作戦は概ね成功だ。
ヒジリ製菓の主戦力で厄介な稲尾サラには頑馬を、イツキの意思を尊重してヒトミにはイツキをぶつけるため、ハンマーとスカーの二人はメッセ、狐燐が請け負い、いざという時のセーフティにフジ。さらに最後の砦のユキは狐燐以上のポータル使いでどこにでも駆け付けられるため、どっしり構える。……というのは建前で、事実上は頑馬によるユキへのペナルティの謹慎、そしてユキなしで勝利したいという意気込みのせいだ。まぁ、要するに戦力が揃ったからこそ出来ることだ。
「よぉう、フジ・カケル。会いたかったぜ」
ここ、大泉学園は古くから映像産業で栄えた町。その黎明期を支えたのはヤクザ映画である。スカーはそこにお似合いの任侠の口調で唸るようにフジを威嚇した。
「誰だてめぇ」
「てめぇ……。まぁ、てめぇが知らねぇのも無理はねぇ。だがてめぇ、一年前に闇カジノの金庫から一千万円奪ったろ」
「なぁんのこと?」
「あの時、金を奪われた組……。あの組はでけぇが、言っちゃなんだが、構成員は弱小種族だ。アブソリュート・アッシュには手を出さず、泣き寝入りしろということでてめぇは野放しだが、ケジメで指詰めたやつも腹切ったやつもいる。殺しのバリエーションてこんなにあるのかという程、構成員が粛清された。……俺が兄弟と慕った親友もだ」
「やったぜ!」
「ファックオフ!」
「てめぇの友人が死んだことじゃねぇ。ヤクザの親友を雇ったとあれば、ヒジリ製菓も最早反社認定だ。スポンサー契約は切っても誰も咎めねぇな」
ごほんと咳払いの後、じゃきん、と金属とバネの軋む音。これ以上フジの犯した罪を知ると狐燐も深入りせざるを得ない。一千万の強奪? 抱えきれない。これ以上フジとスカーがヒートアップして、ヤクザにまで狙われるなんてまっぴらごめんだ。八つ当たりヤクザと戦うことは贖罪の戦いではない。
「ステープラーアーマー、アクティブ!」
会話の流れを強引に断ち切り、アーマーをスカーに向けてヒーロー然としたポーズをとった。狐燐は先の戦いで大きな戦果を挙げたステープラーアーマーでスタートを切る構えだ。
「一千万のことは、聞かなかったことにする」
「あざっす」
「その代わり、わたしが先発する」
「狐燐さんの頼みなら断れねぇな」
「ありがとう」
狐燐は頭の中で戦闘を組み立てる。相手はツルギショウ。その特徴は熱した砂鉄の放出と無呼吸ラッシュだ。おそらく自分の防御力なら、生身の部分にいいのを一発食らえば即KO。砂鉄の方はどうにでもなる。どっちにしろワンパンKOならば、攻撃力の代わりにスピードに欠けるハンマーの方がやりやすく、メッセならツルギショウの無呼吸ラッシュのスピードにも対応出来ただろう。だがニューヨークはポータルの圏外。スイッチは出来ない。一方で、ツルギショウは短期決戦向きの怪獣でスタミナに欠けるという特徴がある。じっくり時間を使って消耗させれば勝てない相手ではないし、仮に敗北してもフジにいい形でバトンタッチ出来る。
「よっし、やるか」
一方のスカーの作戦はシンプルである。虎威狐燐の持つ超能力のレパートリーは非常に厄介だが、生身の部分に当てればワンパンKO。殴って勝つ! それだけだ!
「スカラァッ!」
狐燐の視界はクリアだ。コンディションは良好。敵が良く見える。周囲の環境もだ。その上で考える。ここはあまり、自分に味方する場所ではないらしい。
「じゃあこうするか」
スカーの初撃は、助走をつけてから飛び上がり、重力を味方に上から振り下ろす大振りのパンチ、通称“スーパーマンパンチ”! ステープラーアーマーを破壊してから即座に二の矢で勝負を決めようというとしている。狐燐はステープラーアーマーで堅実に防御したが、隙もモーションも大きなスーパーマンパンチは実際大きな威力を持ち、楓のパンチを遥かに上回る衝撃だ。狐燐は一旦脱力してスカーの体の行先を重力に任せた。スカーは着地の衝撃で少し前傾になり、即座にアクロバットじみた動きで狐燐が上に回り込んだ。
「このフロアはつまらない」
「ルカネッ!?」
次の瞬間、ポータルでもない未知の感覚がヤクザ者のツルギショウを襲った。重力が消え失せ、まずは靴のサイズと寸分違わぬ穴が開き、スカーは床に吸い込まれた。これぞ! 芸術タイプアデアデ星人の超能力の白眉、“すり抜け”! 狐燐はスカーのパワーを危険視し、なおかつこのフロアは自分の強みが活きる場所ではないと判断して床をすり抜けさせたのだ!
5F レストランのフロア(アミューズメント・スポーツクラブ・歯科診療室・中華料理・インド料理・とんかつ・レストラン)
↓
4F 専門店のフロア(ファミリーウェア・レディスウェア・ヘアカット専門店・書籍・メガネ・靴・リラクゼーション・時計・教室・和装・きもの・中古買取)
「本屋がある。本は大事にしなきゃダメだ。このフロアもダメだ」
「ルカネエッ!?」
四階の床をすり抜けさらに下のフロアへ!
4F 専門店のフロア(ファミリーウェア・レディスウェア・ヘアカット専門店・書籍・メガネ・靴・リラクゼーション・時計・教室・和装・きもの・中古買取)
↓
3F 暮らしのフロア(生活用品・家電・玩具・寝具・文具・ガーデニング用品・ペット用品など)
「アッシュの人形が売ってある! 出世したねぇ。少しでも多くの子供に手に取ってもらうためにも、売り物になるまま残しておかなきゃ。このフロアもパスだ」
「ルカネエエッ!?」
3F 暮らしのフロア(生活用品・家電・玩具・寝具・文具・ガーデニング用品・ペット用品など)
↓
2F 紳士・子供ファッションのフロア(ファミリーウェア・教室)
「無印良品があるね。わたし、あの店好きなんだ。ここで戦うのもやめとこう」
「ルカネエエエッ!?」
2F 紳士・子供ファッションのフロア(ファミリーウェア・教室)
↓
1F 婦人ファッションのフロア(DPE・婦人服及装飾品販売・洋菓子・カフェ・生花・宝飾品)
「コージーコーナーだ! 甘党でねぇ。ケーキに目移りするしこんないいにおいの場所じゃ集中力が乱れる。それに出入り口のあるこのフロアで戦うとお客さんが逃げられない。もうちょい行ってみよう!」
「ルカネエエエエッ!?」
1F 婦人ファッションのフロア(DPE・婦人服及装飾品販売・洋菓子・カフェ・生花・宝飾品)
↓
B1F 食料品のフロア(クリーニング・洋服のお直し・惣菜・お寿司・和菓子・たい焼き・たこ焼き)
「ここでいいか」
「ルガ……!?」
最上階である五階から地下一階まで、すり抜けで一直線! 要するに、スカーは五階から地下一階まで上に狐燐を乗せたまま落下した。そして床に全身を強打! 鉄を食べて作った頑丈なツルギショウの体でなければこれで勝負がついていてもおかしくない程の衝撃! 全身の骨が軋み、息を吐くだけで肋骨が悲鳴を上げる!
虎威狐燐は搦め手豊富というのは当然インプットしていたが、その中でも最もシンプルな能力で最もシンプルとも言える攻撃! そして大ダメージ!
もう虎威狐燐はスカーの上から離れたが、スカーがファイティングポーズをとりなおすにはもう少し時間を要しそうだ。却って好都合。相手をナメていたこと、フジ憎さで狐燐と向き合っていなかったことを反省し、闘志の再点火を図るにはいい時間だ。
スカーは目を閉じて、束の間の瞑想をした。自分の顔に、狐燐の代表作『東の宝島』の主人公、ダメニートのルイの印が捺されているとも知らずに……。遠くで、バチンとステープラーで留めるような音がした。
べちゃ。
「なんだこれはぁああああああ!!!!!」
突如として顔を襲った冷たい半液体の感覚にスカーは絶叫をあげ、跳ね起きた。頭の傷を隠すための自慢のオシャレ帽子も飛んで行ってしまった。
「カニみそだぁああああああああ!!!!! クソッタレがあああああああ!!!!! ブッ殺しゃああああああああ!!!!!!!!?」
ステープラーアーマーで束ねた本日最初のアイテムは、とりあえずカニみそ!
怒りの噴火でスカーの本能と声帯は直結された。
その大咆哮は、五階に取り残されたままのフジにも聞こえた。