第61話 掌/くるみ
「誰だこいつら」
「テアトル・Qのメンバー」
「じゃあなんでこいつらがここにいる?」
「少なくとも、そこの楓は狐燐に負けたら協力する、という条件で戦って負けたからよ」
「さっすが狐燐さん。そして、うっはぁきれいなお姉さん! たまりませんなぁ。他のデクノボーはどうした?」
ビッチャビチャの服でメッセの事務所に転送されたフジは幾重にも敷かれたタオルの上に突っ立って、髪を伝って落ちてくる水滴を顕真から貰った手拭いで拭いた。
事務所にいたのはメッセ、メロン、狐燐、イツキ、ユキ、楓、烏頭、船場、木楠。むしろこの場にいないのは頑馬と金吾くらいだった。
「ヒジリ製菓に挑んで負けた」
「人の手を借りて自殺すんな。それだと他殺になるだろうが。VRエロビデオマニアとパパ活親父、これも何かの縁だ。お前らを倒したやつは俺がブッ倒してきてやるよ」
「フジ、あんたは少し休みなさい。とりあえず服を乾かさないと。少し、ハイになっているみたいね。体は冷やさず、頭は冷やしなさい」
メッセがバスタオルをフジに投げた。柔軟剤以上にめっちゃくちゃいいにおいがする……。ミスター・チルドレンのフジが、こんなきれいなお姉さんが普段使っているバスタオルを使えるはずもない! それにハイになってしまっているのも本当だ。本来ならばユキの前では楓に対するセクハラ発言などする訳ない。
「とりあえず、一旦家に帰る。狐燐さん、お願いします」
「OK、フジ」
狐燐がポータルを開き、フジを石神井公園のボロアパート、コーポ・蓮見の浴室に転送した。誰も地獄での出来事を訊かなかった。地獄というだけに悲惨な想いをしたのだろう。その内容によっては、一時停戦となった寿ユキ一派とテアトル・Qも再び敵同士になるかもしれないと悲観的に考える心配性の者もいた。
テアトル・Qの若者たちは多数決で誰とも組まないと決めたが、結局は敗北を経てメッセの事務所にいる。もうフォックスが帰ってきたからと言って後ろ足で砂をかけていいような相手ではない。自分たちの力を試したいという欲も満たされたし、フォックスも帰ってきた。もう望むことはそんなにない。あるとすれば、フォックスを止めて、ユキと顕真には話し合って平和的に終わらせてほしいということ、事務所の面々から聞いた話と実際に見て感じたヒジリ製菓の脅威、具体的には頭のネジの吹っ飛んだ危険すぎるスターバックスこと因幡飛兎身を野放しに出来ないという正義感だ。
「あんたたちはどうする? 戻ってもいいわよ、フォックスのところに」
「メッセ所長。そらぁ、僕らの力を必要に感じたこともあるけれど、また敵になっても脅威じゃないってことかい?」
「損得勘定の話は今はしていない。あんたたちの気持ちの話」
「……僕ぁ戻りますよ。そもそも僕ぁ月岡先輩のためにやってるんだ。月岡先輩のために顕真さんを戻すため、メッセ所長に協力した。僕ぁ月岡先輩のところに戻るよ。みんなは好きにすればいい。イツキちゃん? この函館のお菓子、美味しかったよ」
イツキは龍之介の兄の非礼を詫びに行った函館で出会った“燈台の聖母”という菓子を気に入り、度々購入して事務所に差し入れていた。特に名前がいい。
「君にはまた会いに来るかもね。顕真さんの使いで」
「木楠」
「なんですかメッセ所長」
「あんた、サッカー詳しいのにサッカーゲーム……ウイイレ弱かったわね」
「それは戦力が揃ってるからですよ。僕がゲームで使ったのはマンチェスター・ユナイテッド。権利の問題で、ゲーム上では名前はぼかされていたけどね。イングランドきっての強豪だ。僕は弱いチームを奇策と鼓舞、そういったもので底上げしてジャイアントキリングを狙うのが得意で、それが仕事だ。えぇと? メッセ、メロン、虎威狐燐、ベローチェこと犬養樹、アブソリュート・レイ。これだけでもすごいチームだ。銀河系軍団だ。そこにジェイドとアッシュが戻ってきたとなれば、それこそウイイレでも作れない最強軍団だよ。そんなチームがジャイアントキリング? これ以上のジャイアントがいるのかい? 悪いね、メッセ所長。ここからはあなたたちというジャイアントに立ち向かっていくのかもね。それにウイイレはメロン副所長が強すぎるんですよ」
「木楠」
「まだ何か?」
「チャンネル登録、しておいたわ」
「そいつぁいい。サッカー初心者向けの入門編動画もアップしてるからいいねをよろしくお願いします。僕ぁチェリーボーイだけど、フレンドも募集してますよ。……。ハハハ! ウイイレのオンラインのフレンドのことさ! メッセ所長、あなたは自分を繋ぎの中盤の底だと思っているかもしれないですけど、本来はバチバチのファンタジスタだと拝察します。ピッチはあなたのキャンバス! 自分を押し殺して縁の下の力持ちに徹する献身的なプレーより、もっとお好きに自分の好きな絵を描かれてみては? 最終ラインに頑馬さん。ゴールキーパーのユキさんも戻ってきた。ストライカーにフジくんと、いいのが揃ってますよ。メロン副所長とのドイスボランチよりもっとお好きになさってください」
そして木楠程爽やかにではないが、船場、烏頭も挨拶をして去っていく。誰も引き留めもしないが、メッセとメロンはそれぞれに小さく励ましと労いの言葉をかけた。
「楓さん、君も行くといい」
「でも狐燐さん、わたしはあなたに負けました。負けたら協力するという条件です」
「君を解放する。無論、戻りたくなかったらここにいてもいい。願ってもない。だが、君はテアトル・Qに必要だ。フジ……あの子は多分、独力ではここに戻ってこられなかった。地獄でフォックスと協力したはずだ。その恩がある。それにあの子の性格なら、地獄でフォックスに嫌な思いをさせられたならここでもっと口汚く君たちを罵っただろう。それをしなかったということは、フォックスに恩義を感じているということだ。立場上、わたしが直接フォックスに礼を言うことは出来ないけれど、行動では示せる。テアトル・Qにはポータル使いも、凸・楓・リーバイスも必要だ。ただし、さっきも言ったけどここに残ってくれてもいい。それではフォックスへの礼が出来ないのが残念だけど……。一度フォックスの元へ帰り、その上でまたここに来てくれるというのならそれはそれで歓迎するよ。ありがとね」
「こちらこそありがとうございます、狐燐さん。色紙、大事にします」
「フォックスのところへ行くのなら、まだ仲間が近くにいるうちに行きな」
楓はテアトル・Q唯一のまっとうな社会人らしく、丁寧に事務所のメンバーに挨拶して事務所の敷居をまたいだ。階段を降りると、フォックスからリーフを授けられたメンバーは楓も来ることがわかっていたように集合していた。
「顕真さんと月岡先輩のところに戻る前に少し話をしよう。ああ、顕真さんに提案しよう」
木楠が口火を切った。
「何をですか?」
「楓さん。君は見たんだろう? ヒジリ製菓の因幡飛兎身という人物を」
「ええ」
「話を聞いていただけでも背筋が凍るような極悪党だ。野放しには出来ない。僕たちは、メタ・マインを復活させるという方便でジェイドの気を引こうとしたけど、彼女はそんなことでは動かないということはわかっただろう? あれでは顕真さんは嫌われるだけだ。でも僕たちはチームだ。何もしない、という選択肢はない。目標と活動、成果が必要だ」
「それで、ヒジリ製菓を止める、と?」
「君も知っての通り、僕と船場くん、烏頭くんはヒジリ製菓の主戦力の三人に負けた。情報を整理したところ、僕の見立てでは、因幡飛兎身が一番強い。次に稲尾サラ、その次にハンマーヘッドこと堤乱、最後にスカーフェイスこと穴吹鉄男。だが僕は凸・楓・リーバイスならハンマーヘッドまでなら無理ではないと考えている。それ以上の稲尾サラ、因幡飛兎身は大黒顕真に任す。渡りに船だと思わないか? 寿ユキの最愛の弟、フジ・カケルを殺しかけたヒジリ製菓を倒せば、顕真さんはもう一度寿ユキと話が出来るよ。テアトル・Qは決して戦力に恵まれたチームではないけれど、だからこそ僕の策略と鼓舞が必要なんだ。……僕が、戦いではもう戦力外の僕が、自分の力を発揮したいという欲もある。みんなもそれでいいね? 大黒顕真をスーパーヒーローにしよう」
「はい! ではその方向で……。ポータルを開きます」
ハートマーク、音符、リボンなどで縁取られたマジカルなポータルが開き、都内某所の50`sのアメリカ風ダイナーに転送された。ごうごうと轟くドライヤーの音。長髪の顕真愛用の強力なドライヤーの音だ。四人は洗面台の鏡越しの顕真に挨拶し、パソコンの前で頭を抱える金吾のもとへ向かった。まだフィルターの湿っているタバコが何本も灰皿で燻っていた。
「よう、帰ったのか、君たち」
「月岡先輩、すみませんでした」
「いや、気にするな。君たちが顕真を助けようとするなら、寿ユキ一派と手を組むのが最善だったさ」
きゅぽんと軽快な音を立て、ステテコを履いた顕真がラムネの蓋を開けて泡を溢れさせた。そしてラムネを一口飲んでビンをカウンターに置き、寝間着代わりの年季の入ったバンドTシャツを被って頭を出し、髪を後ろで括った。
「すまない。心配かけたな。金吾から話は聞いた。楓、烏頭、船場、木楠。よく戻ってきてくれたな。お前たちを責める気は毛頭ない。帰ってきてくれてありがとう。ふぅ……。俺もお前たちも戻って来て早々だが、俺の目的について変更があった。聞いてくれるか?」
顕真は椅子に座って足を組み、テアトル・Qのメンバーもそれぞれ、指定席のようになっている所定の場所へ。目的の変更……。やはりヒジリ製菓に睨みを利かし、超危険人物“鬼畜のスターバックス”こと因幡飛兎身の撃破。こうであってほしい。
「俺はこれから、可能な限り生命を殺す」
「は?」
「聞こえなかったか? 可能な限り多くの命を絶つ。お前たちにリーフを配ったのは正解だったな。俺とお前たちの五人ならば効率よく命の数を減らせる」
「何を言っているんですか?」
楓の問いに、顕真はラムネを飲み干して顔を背け、小さくげっぷを吐き出した。
「昨年の九月、マインは眠りについた。起きる条件はただ一つ。“夢の中で全宇宙の全ての生命をシミュレーションし終わるまで”。それを促進するため、命の数を減らしてマインのシミュレーションを加速させる。どうせならメタ・マインなどというニセモノではなく、本物のマインを起こそう」
「それもユキさんの気を引くためですか?」
「いや。俺も地獄に行って心境の変化があった。船場は聞いたかもしれないが、かつてアブソリュートミリオンが海底遊牧民という民族の兵士を皆殺しにした時、兵士は戦士に敵わないと言ったそうだ。兵士は命令を受けて群で戦う。だがミリオンのような戦士は自ら使命を定め、一人で戦う。だから兵士は戦士に敵わないという理屈だそうだ。だが戦士では戦い、守ることは出来ても変えることは出来ない。世界を変えるのはもっと上の存在だ。幸いにも、俺は外道の聖母をよく知っている。彼女なら世界を変えられる。……彼女が作った疑似地獄は完璧ではなかったが、それでも一個人が趣味の範疇であれを作ったと思うと恐ろしい。彼女が、理想とする完璧の存在、完全無欠の戦士とやらを従え、世界を変えようとしたらどうなるのか見てみたい。俺たちは、ヒジリ製菓はもちろん、どの組織のメタ・マインも許さない。本物のマインを復活させるんだ」