第57話 頭がたカイ
フジがある意味で最も恐れている人物、都築カイ。
姉の愛を独り占めし、一時は自分よりも愛された人物。憎悪、嫌悪しているからこそ、自分の方が強いということで優位に立てて一方的に嫌うだけで済んでいた。今のユキの最愛は誰だろうか? また自分に戻ったのか、未だ都築カイのままか。そしてリスペクトがそのまま恐怖に結びついてしまう性分のフジである。
都築カイを知り、フジ・カケルは強者の素質に触れた。遠すぎてぼんやりとしか見えなかった初代、ジェイド、レイ。自分の前では優しく甘くホワイトカラーだったミリオン。完成、確立されていた彼らと違い、年齢が近く、下からすさまじい勢いで追い上げてくる若者、それが都築カイだ。その都築カイの持つ素質を知り、彼が志半ばで散った後、フジの仮説が正しいことは碧沈花が証明してくれた。
つまり、ポジティブ、怖いもの知らず、無鉄砲。失敗を恐れずガンガン攻めていく図々しい勇気! それはやがて自信という最大の武器になる。
鳳落が褒めたフジの「臆病で我儘な勇気」ではダメなのだ。それではカイや沈花には敵わない。だが顕真の言葉は救いでもあった。「実際に生き、戦い抜いたのは自分たち」。カイは約十六歳、沈花は二十一歳で死んだ。今のフジは二十二歳。そしてその臆病さと我儘さであと何十、何百年も生き続けるだろう。そうすればいずれかは、フォックスに匹敵する実力をも……。フォックスぐらいのバカでお人好しでもこれだけ強くなれたんだ!
その楽観でここまでは来られた。だがどうだ? 自分と同じ年頃まで成長した都築カイ、いや、駿河カイ。その強さは……。
「セアッ!」
フジが顕真から借りている剣は小さく軽い。まずフジは雑魚鬼を殺すように、余計な心配や気負いなく切っ先で自由な線を描いてみた。しかし大胆不敵な笑みの青年は歯牙にもかけず、楽々と躱す。
「これを過程ととるか、一つの結果ととるか……。授業と考えるか、試験と考えるか」
過程、授業ならばもう少し剣でいい。だが顕真に先を越されること、二人まとめてカイに敗れる場合などよくない結末はいくらでも頭に浮かぶ。この場面、剣で描く未来絵図は着想の閃きが弱い。何も照らせない程度の閃きしか生まれない。
鳳落の褒めた「臆病で我儘な勇気」を全否定するつもりはない。いつか自分はそこに落ち着くだろうとフジは考えていた。だがその過程で、カイや沈花のような若い戦い方をして、「臆病で我儘な勇気」が自分に合っていると確かめねばならない。
「スワーッ!」
「ヴァッ!」
カイは顕真の太刀筋をも楽々と躱し、腕をとって体を密着させ、顔面に肘打ちを二発! ガツンガツンと骨が鳴る。怯んだキツネの胸板に両の拳でラッシュを叩き込んで呼吸の暇を与えず後退させ、大きく溜めを作ってフィニッシュにサイドキックを見舞い、カンフー映画のワイヤーアクションめいて顕真を吹っ飛ばした。顕真は巨大な岩石に背中から打ち付けられぐりんと大きくのけ反ってからぐにゃりと岩の表面を垂れた。十番目の戦士は大きく息を吐いて気持ちを切り替え、九番目の戦士フジに視線を滑らせた。その目は自信に直結する無邪気な殺意に満ちていた。フジの知る幼い都築カイには出来ない、碧沈花と同じ色の目だ。
「さぁ、来いよ、九番目の戦士」
流れるような連撃を決めた十番目の戦士はビシッと、畏怖をポンプに冷や汗を拭き出す九番目の戦士を指さして口角を上げた。まだこいつにとってはウォーミングアップ、或いはお遊び……。
「クソが……。フォックス! まだやれるか?」
「少し時間くれ」
「文学大好きの義兄さんならイカした辞世の句を考えるのも一瞬だろう? 死ぬ用意を済ませたら早く戻ってきてくれ。それともマインがチラついてそのガキをブッ殺すことに抵抗があるか? もうマインのことは諦めろ。現世でお前さんを待ってるお前さんの元カノ、世界で二番目にいい女だぞ」
誇れる自分になりたい。ただ帰還して鼎を喜ばせるだけでなく、土産を持ち帰りたい。そして、今の鼎ならフジの成長やコンプレックスの解消なんていう、鼎の手元には物理的に何も残らないものでも我が身のように喜んでくれるはずだ。
「俺ぁ恥に強い人間だ。だが恥知らずじゃねぇ。恥をかく勇気、恥への耐性だけはお前らにも負けてねぇ。悪い、フォックス。今回ばかりは俺のやりたいようにやらせてくれ」
「好きにしろ。そもそも勝ち方にこだわって勝てる相手でもないようだ。だが下を向くな。ここに落ちてる小銭は現世じゃ使えない六文銭。ネガティブは伝播する。特にこういう共闘の場面ではな。強さ、才能の優劣と流した汗の優劣を一緒にするな。閃き、自信、勇気は三種の神器。どれがお前の武器だ?」
「……閃き」
ネガティブが伝播しあって互いのパフォーマンスを下げないよう気休めで傷を長々と舐め合ったが、顕真へのダメージは決して軽くはない。ごつごつとした岩肌に背中を預けた顕真は目を見開いた。これが……これが、カイ!
噂に聞くマインとXYZの息子! 情報通りの強みがある。即ち、フジも恐れているポジティブと思い切りの良さといったメンタリティ。閃き、自信、勇気の三種の神器は全て最高級にして最新鋭の一級品。メンタルに難のあるフォックスにはない大きな長所だ。
顕真の武器は自信、つまり楽観。フジと一緒ならここからでも勝てると思い込んで自分を鼓舞し、情報整理を開始する。事前情報との乖離で最も大きなものは見た目、つまり年齢だが、戦法としてはAトリガーの不所持だ。だがジェイドの動き、教えを踏襲した連撃をメインとする格闘技は情報通りだ。
このカイが完全にマインの理想通りの戦士なら、Aトリガーがないのは納得出来ても初代を完コピした泥臭い空手プラスプロレススタイルの格闘技でないのは合点がいかない。
顕真は考える。燈の理想の戦士は初代アブソリュートマン。理想の戦士を思い通りに作れるなら、それは初代アブソリュートマンの完コピになるはずだ。そもそもこのカイは燈の思い描く理想のアブソリュートマン像から、「ベラベラ喋るな」で脱落している。
そこに顕真は燈の人情を見た。生まれつき根明だった息子のパーソナリティはそのままに、燈でさえも「初代以上の最強」と認めていたジェイドが反映されている。憎悪の対象はリスペクトの対象でもある。顕真が知る由もないが、燈もフジと同じ性分だ。
「おいコラァ補欠野郎。そのベラベラうるせぇ舌を薄くスライスして炙って塩とレモンで美味しくいただいてやるぜ」
フジは剣を丁重に地面に置き、アブソリュート拳法とゴア族カンフー守りの奥義のハイブリッドな型に入る。そして挑発を開始。挑発で攻撃を誘い、守って敵のスタミナとやる気、平常心を削ぐいつもの戦法だ。
「低レベルなユーモアだね。パワーワードはもっと短い方が印象に残る。余裕が見えなきゃ挑発に聞こえないよ」
アップバングにセットした髪をさらっと撫で、カイはどこか燈に似た残忍な笑顔を浮かべた。
「お前の戦い方、姉貴にそっくりだ。ジェイドに教わったのか?」
「ユキのこと?」
姉貴、ジェイド、ユキを同一人物として認識出来ている。やはりこいつはAトリガーがないだけで死んだ都築カイの延長線上の存在。あのまま修行を重ねたカイのIFの未来の姿だとフジは推察した。
「姉貴のことなら俺が誰より知っている」
「……」
三人の男に一瞬の間が訪れた。
最愛の弟、最愛の弟子。この二人がかつて、寿ユキの最愛だったことは確定している。では大黒顕真は? 最愛の恋人は、ほんの短い間だけでも、誰よりも寿ユキに愛されただろうか?
「大好きな姉貴だから、姉貴のことはなんでもわかる。素早く精密。だからこそ俺は効率的かつ惨くブッ壊す方法を知っている。姉貴とお前が同じなら、つまりそういう壊し方が出来るってこった」
「試すといいよ」
「頭が高いぞクソガキ」
カイはユキのそれに酷似したフォームのハイキック! しかし一五三センチのユキと一八三センチのカイでは体重、体格に差がありすぎて角度と威力が違う。フジはアブソリュート拳法の教科書通りのガードで防御、教習所で教官にハンコ以上の花丸さえ貰えるレベルのきれいな守りだ。それでも威力はまるで芭蕉扇! 蹴りの余波の風がフジの背後の炎を消し、敵に次の動作に移る余裕を与えない続けざまの二撃目が守りの名手を焦らせ体温を上げ、三撃目の衝撃で飛び散った汗が雨のように降る。すぐに攻勢に移ろうと、ゴア族カンフーではなくアブソリュート拳法で守ったことが仇になり、三連撃で大きく体勢を崩された。
「エクスパーダ!」
駿河カイ……アブソリュート・エックスの右手が瞬いた。アッシュを火葬するかの如く、黒のファイアパターンに縁どられた真っ白な光がエックスの左手を覆い、素早く振りかぶって袈裟斬りの空手チョップ! 即座にそれと対照の軌道でチョップを見舞い、黒い炎に縁どられた白い光がアッシュの胸にXの文字を描く。その深いダメージとデータにない攻撃、つまりユキの教えにないムーブにフジの弱気の爆弾に迫る導火線が短くなり、判断を遅らせる。そしてエックスの字の交差点にカイがジャブを打つと光のX印はエネルギーを解き放ち、起爆してフジを吹っ飛ばした。フジは数センチ浮き上がってから尻もちをつき、混乱する頭を無視して本能的にバリアーを張った。
「セエエ……?」
「伏せてろカケル!」
赤黒の狐火の弾が複数エックスに襲い掛かり、アブソリュート・フォックス復活を彩る提灯になる。間一髪、フジの導火線は持ちこたえた。しかし狐火の弾は片っ端からカイが手に纏う光の刃、エクスパーダに切り裂かれ、白い炎で燃え上がって落日のように儚く散る。カイは細かく首と目を使って自分を挟むフジと顕真の双方のポジションと動きを正確かつ素早く確認する。
アッシュの臆病と我儘を内包する若さ、顕真の楽観と優しさを含む甘さ。両方を天秤にかけ、燃えるように爛々と輝く目は顕真にフォーカスを合わせた。
「食らえ!」
フジはバリアーの円盤を二枚投げつけるが、カイは極めて流麗なターンでエクスパーダを二振り。あっという間にフジの攻撃を無にし、目からは母譲りの鬼火の力が宿った暗黒のエネルギー……アストラルビームを放ってフジを牽制し、バリアーを張らせる。半透明なバリアーの表面で弾ける鬼火の光線を見てフジは……。
「レックジウム光線・Δ!」
飛来する無数のエメラルドの矢じり! カイは体操選手並の側転でレックジウム光線を回避し、自らを追う顕真の指先をフジのバリアーに誘導した。エメラルドの矢じりがアクアマリンの壁にぶつかって砕け散る。
「しまった!」
「ヴァッ!」
ダッシュからのフライングクロスチョップ! 失敗作のキツネの胸板とその奥のハートブレイクした繊細な心に大きなダメージを与える。カイはそのまま顕真にマウントを取り、右パウンド!
「ヴェ……」
しかしカイの右腕は空を打ち、そのまま硬い地面の岩を砕いた。マインとXYZの息子でも、さすがに岩を殴れば痛い。しかし恐るべき戦闘センス。痛みの伝達よりも早く状況把握を開始、一瞬にして姿を消したフォックスの位置を狂おしく求める。
「スワーッ!」
カイの前腕に鋭い痛みと熱が発生。本来の姿、キツネに似た妖怪野干に戻った顕真はマウントポジションをとるカイの股をくぐり、後ろから噛みつき、口から狐火を放ってゼロ距離から攻撃を加え、エクスパーダの核となる腕にダメージを与え、光の刃を解除させた。
「チッ、厄介だ」
カイが腕を振るとキツネは牙を離して離脱し、駆けてカイの視界から消える。キツネとしては大型だが、それでも相手は動きの読みづらい四足歩行の小さな的。エクスパーダで焼き切ることにこだわれば下ばかり見て、顕真の言う通り落ちてる小銭を拾う羽目になる。だからここでの選択肢はシンプルだ。距離を取り、アストラルビームを撃ちこめばいい。野干の姿の顕真に攻撃を当てることは難しいが、野干のままでは顕真の攻撃力もイマイチのようだ。先程、顕真を見失った最大のチャンスの攻撃があの程度の噛みつきと狐火。決定打にはならない。
「ヴァッ……ヴェ!?」
走る、迫る、駆ける、フジ・カケル! カイは顕真に不意打ちされたことでフジから意識が逸れていた。カイの脳内にアラートが鳴る。フジの表情を理解出来ない。恐怖、憎悪、恍惚、懇願、快哉……。生き生きとはしていないが、生きてる人間の顔だ。
顕真は言った。ネガティブは伝播すると。しかし顕真の楽観もフジに伝播していた。そしてアブソリュート・アッシュは閃いた。
「死にやがれぇ!」
フジが一番気に入っている技、世界に一つだけのドロップキック!
「ヴェ?」
……。しかしフジは防御姿勢をとるカイの横を飛び蹴りで通り越え、体を翻しながら着地してカイにメンチを切った。そのメガネのレンズに映っているのは顔を自分に向け戸惑う駿河カイ、そしてその背後で体のバネとフラストレーションを思い切り解放させる白狐の戦士!
「スワーッ!」
「ヴェエエエ!?」
顕真の得意技、後ろ回し蹴りがクリーンヒットォ! カイは頬を腫らしながら帯を悪代官に引かれる町娘みたいに回り、目を白黒させた。ようやくマトモなダメージが入った!
チャンスを作って要所で後ろ回し蹴りを当てて来る。これはかつての戦いでフジが見抜いた顕真の基本スタイルだ。そのチャンスは自分がアシストして作ればいい! そして顕真の楽観が強くなればなるほど、それは自分にも伝播して導火線が長引く。
「セアッ!」
……。あれは本物の都築カイとフジが初めて出会った時。ちょっかいを出したフジは足払いでカイを転ばせた。そして今だ顕真の乾坤一擲にして会心の一撃を引き摺るこのカイも! 足払いで転ばせる! そして顔面が下りて来る。脳だけではなく、物理的にフジ・カケルが閃光を纏う。強化形態を数秒だけアクティブにし、一瞬の動作のみを強化するメソッド、ディレクトだ。そしてフジは、体勢を沈めたまま踵で三日月を描き加速をつけ、離陸してカイの横っ面を蹴り上げた! インパクトの瞬間、フジの閃光は顕真とカイの目を一瞬ホワイトアウトさせる程の光を放った。憎い憎いあいつの歯は血の尾を引きながら吹き飛び、十番目の戦士は仰向けに大の字になって倒れて荒い呼吸を繰り返す。
「あのままドロップキックだったら当たってなかった。てめぇら精密な優等生と一緒にするなよ。俺は所詮、セオリーや常識みたいな明るいものをやるには後ろめたい、暗いところで生きてる臆病なチンピラだ。臆病だからこそ、てめぇみたいな優等生の常識とは嚙み合わずてめぇの隙をつける。精密は繊細。優等生が裏目に出たな」
……。外道のマインとXYZの息子という、暗黒の出生を持ち、マインの指導のもと陰で汗を流してきた幼少期のカイ。しかしそいつは素質で、日の当たる、スポットライトの当たる“ジェイドの弟子”という場で光を浴びた。
……。レジェンドのアブソリュートミリオンの息子であり、幼少期は脚光を浴び、汗を流す度に褒められたフジ。そのフジの現在地は、日陰者のチンピラだ。
「どうだコラァ!」
顕真から差し出された手にフジはハイタッチして、戦いで得た高揚と達成感で吠えた。碧沈花のように。ほんの少し、顕真と沈花に対する憧れや畏怖、恐怖が薄れ、劣等感を伴わないシンプルなリスペクトと共感へと変わった。
「いいキックだ、カケル。いい面構えだ」
「あまり俺に優しくするな。俺は甘っちょろい人間だ。ほんのちょっとの温かみで角砂糖みたいに角が落ちて、溶けてなくなる。角、尖りこそ若さだろ。義兄さんのカップの中で溶けても義兄さんの想像の範疇にしか収まらねぇ」
……。顕真、フジの二人は確かに、カイの急所である顔面にこれ以上ない蹴りを撃ちこんだ。しかし大器が割れた手ごたえはない。むしろ、駿河カイという大黒顕真以上の大器の上で踊っていたからこそ、小物の二人はたった二発の蹴りでいい気になれていたのだ。
「勝った気になるなよ」
理性と本能、冷血と高揚が拮抗したような、温度の読み取りがたく情報量の多い声が大の字に倒れる青年から発せられた。そして膝に手を当てて立ち上がり、キッと鋭い眼差しを二人の劣等生に向けた。大器の片鱗の声色は途方もなく大きな一枚の鱗を二人にイメージさせる。醸し出す空気が完全に変わった。カイは熱血漢のケがあるが、肌で感じるのは死の冷たさ。纏うオーラは黒に縁どられた白い炎。
「D-Generation X。これが僕の強化形態だ。ここからが本当の勝負だぞ」