第53話 してんのうのへやでなみのり
「凸さん」
「はい」
「おすすめの映画教えてください」
楓の派遣される会社の正社員で営業のエース、俵大輔(30歳)。遠回しなアプローチははぐらかされるとわかっている。サブスクで観られるものをエクセルでいいから教えてもらい、接点としたい。
「今は無性に、『ベイビー・ドライバー』をお勧めしたい気分です」
「理由を訊いてもいいかな?」
「わたしは洋楽が好きなのですが、『ベイビー・ドライバー』はとにかく挿入歌が多くてテンションが上がります。PEARLの楽曲が使われていないのが残念ですけど」
それだけではない。だが、そこまで自分を曝け出すつもりはない。
横浜は去る。当然会社も去る。立つ鳥跡を濁さず、過去からおさらばする。寂寥や郷愁は当然ある。それでもしがみつくことからやめて次を生きようと決意しただけで何かは変われた。
「それでは、お先に失礼します」
時給制の楓に定時を過ぎても会社に残られると困るのは人事と管理職だ。出勤簿を入力して会社を出て、横浜駅でポータルを開いた。
「お邪魔します」
「いらっしゃい」
約束通り、狐燐に敗れた楓は軍門に下り、テアトル・Qより寿ユキ一派への協力を優先せねばならなくなった。
寿ユキ一派の考えはシンプルだ。テアトル・Qは適度に泳がす。顕真不在のテアトル・Qは恐れるに足らず。だがクリプトを編み出したように、素人ならではの発想とビギナーズラックが何かを起こす可能性は大いにある。だから泳がせておいて問題なし。そもそもテアトル・Qは顕真、楓と強い順に戦力を失っている。楓も寿ユキ一派への協力を優先しなければならない事情をテアトル・Qに説明している。テアトル・Qはそれを承認した。既にテアトル・Qは敗北し、崩壊しているも同然だった。
そういう訳で、楓はもう何度目かもわからないフジ救出のミーティングに招かれていた。ユキ、狐燐、イツキ、楓。ポータル使い四人体制だ。それに加えて議長のメッセと副議長のメロンまでいる。頑馬は欠席だ。
「随分いい顔になったねカワイコちゃん」
狐燐は未だ目の下にクマ、マスク、冷えピタ。フジ救出のために頭も体も困憊した状態であの戦いっぷり。確かにウラオビが認めた通り、史上最強のアデアデ星人の可能性すらある。狐燐にとって楓の挑戦は些末ではないが二の次だった。
「カワイコちゃんの笑顔はどうやら最新型の空気清浄機やアロマディフューザーより環境にいいようだ。ホワイトハウスに意見書を提出しよう。二酸化炭素は排出していいから少しでも多くのカワイコちゃんを笑顔にすべきだって。ああ、本題に移ろう。君の変身の仕組みを詳しく教えてくれない? いや、その前に謁見の時間か。こちら、アブソリュート・ジェイド様だ。アブソリュート史上最強の戦士」
寿ユキは末席に座らされ、礼儀正しく挨拶をした。
「こんにちは、凸・楓・リーバイスさん。わたしの弟を助け出すのに力を貸して」
「顕真さんも一緒に助け出すというのなら喜んで」
「……」
不穏な間。
「わたしの変身は、顕真さんから譲り受けたフォックスゲートという道具でアブソリュート・ジェイドさんのリーフ、アブソリュート・プラさんのリーフを読み取り、お二人の力を反映させるというものです。狐燐さんとの戦いではミストレブルのリーフも読み取ったイエローソーサラー:クリプトという強化形態に移りました」
「オッケェイ。見立て通り、そしてユキの言う通りだ。で、ここからが問題だ。メロン副所長、あのファック野郎を……。失礼、虫ケラを」
メロンが虫籠用のプラスチックのケースをキャスター付きの椅子に乗せて持ってくる。プラケに入っているのはフリフリのレース付きのノースリーブのブラウスだ。メロンが直接プラケを抱えて持ってくる訳にはいかない。豊満なバストがプラケに押し付けられて抱えられると中のファック野郎が喜ぶ。
「起きろコラァ! ファック野郎が!」
狐燐の口調と表情が豹変し、プラケを掴んで激しく揺さぶる。中にいるファック野郎も目を覚まし、自分を囲んでいるメンツ……。タイプの違う美女六人、ファック野郎基準で狐燐を除く五人を見て身の振り方を考える。そして媚びることにした。
「ご機嫌麗しゅう、お嬢さんたち」
実際、このファック野郎はユキを含め全員を“お嬢さん”呼ばわり出来る年齢である。
あの日、照姫まつりの日、足を滑らせた鼎のボディプレスで鼎のブラウスに張り付いたマディ・ザ・フロッグは会社員時代に全盛期のアブソリュートミリオン、つまりユキが生まれる前のセリザワ・ヒデオと戦った経歴がある。そこから紆余曲折を得て芸術とリビドーに目覚め、鼎と狐燐にベクトルの違うセクハラを行ったため、狐燐には蛇蝎の如く嫌悪されている。
しかし生まれつきの芸術タイプの狐燐とは違い、無個性の一般的アデアデ星人から芸術の概念を知って超能力を得たマディでは狐燐とは超能力に対する知識や概念、認識が違う。そしてフジにインナースペースのパラダイムシフトを説いたことで美女に囲まれるこのミーティングに参加する資格を得た。
「みんな聞いてください。お前もよく聞いとけ虫ケラ。わたしの超能力には“すり抜け”というものがあります。その“すり抜け”の奥義はインナースペースへ干渉し、インナースペース内に収納されている姿を引っこ抜くことです。不意を突けば“レイ”の姿の頑馬隊長から“飛燕頑馬”を引っこ抜ける。要するに強制変身解除。当然、わたしは楓さんとの戦いでもそれを試みました。結果は失敗。隙がなくタイミングが合わなかったのも理由の一つですけど、変身した状態の楓さんは我々がインナースペースを使用して変身するのとは仕組みが違いました。インナースペースは確かにあった。でも触れなかった。おいコラ虫ケラ。答えがわかるのはお前だけだぞ」
籠の中の虫ケラは得意げに咳払いをした。
「坊ちゃんとフォックスを助け出したい気持ちはよぉく分かった。……。今回来たステキOL姉ちゃんが一番好みだが、姉ちゃんに着てほしいなんて贅沢はもう言わない。……。この体じゃ筆記が出来ない。だから六つの頭をコンピューター並に動かして記憶してほしい。ワタクシの知っている情報をまず整理しよう。まず、坊ちゃんはポータルの空間開設能力で開設された“疑似地獄”という場所にいる。それはOK?」
「ちょっと待って。書くわ」
メロンがホワイトボードにペンを滑らせる。
「それはベローチェのアプリで確認済み」
「では、ここでインナースペースと似て非なる概念、プランクブレーンを覚えてほしい。今まで探偵の姉さん方が、異空間だの異次元だのと呼んでいた、ポータルで開く、基本的には原理のわからない、厚みも距離も計測不能な空間を便宜的にプランクブレーンと呼びます。ワタクシもわかっているのはこのプランクブレーンにはエーテルというこれもまた計測不能の物質が存在し、エーテルへの干渉とプランクブレーンへの干渉がイコールで結ばれる。マイン、ウラオビ・J・タクユキはそのプランクブレーンを加工し、場所を作った。それがトーチランドであり、疑似地獄である。……というのがワタクシの仮説。ただし方法は不明なので再現は基本的に不可能であると考えてほしい。ただし生命体はエーテルを生産することが出来ないから、開設能力で開かれた空間にはエーテルでは何か……。今のところは“何か”としか言えないが、インナースペースに満たされている精神の力が満たされている。つまりあれはエーテルの中に作られたインナースペースのようなものです」
「インナースペースとプランクブレーンが似て非なるというのは?」
「インナースペースには始まりがある……。いや、正確にはインナースペースが存在開始する瞬間と消滅する瞬間がわかる。インナースペースは個人の精神の空間。当然、生まれた時にインナースペースが開設される。例えば、インナースペース方式の変身を習得していないセリザワ様にもインナースペースは存在している。それを使うアドレスをまだ持っていないだけで」
「そう言われると確かにインナースペースを使用した変身はポータルと似た概念だ。ポータルを使ったプランクブレーンへの干渉はプランクブレーン内で使うIPアドレスの取得がファーストステップ」
「つまり、そういうことです。プランクブレーンは誰が生み出したものなのか、そもそも最初からあったものなのか? 管理者はいるのか? それは今はどうでもいい。要するに、不出来な後輩アデアデ星人がステキOL姉さん」
「楓」
「楓さんの変身に干渉出来なかったということは、それはインナースペースではなくプランクブレーンだった可能性がある、ということです」
「じゃあわたしがプランクブレーンでも使える“すり抜け”を習得すれば、ダイレクトで疑似地獄にアクセスしてフジとフォックスを引っこ抜くことは可能? 一応、ポータル適合者だからプランクブレーンで使えるIPアドレスは持ってるけど」
「答えはNO。半分YES。不出来な後輩アデアデ星人のお前が既にプランクブレーン内を移動する手段を持っていても、まだ開設能力で作られた異空間へのアクセスは不可能。確かジェイドはトーチランドにアクセスしたようですが……。それでもアドレスがわからない限りはアクセスは不可能。プランクブレーンは広すぎる。いや、広さの概念がない。あてずっぽうで探り当てるまでに宇宙すら終わる」
「半分YESの理由がわかんねぇ」
「半分YES。それは、フジの坊ちゃんが、そこにいる楓さんと同じアイテムを持っているフォックスと一緒にいるということです。二人なら、自分で疑似地獄から自分を引っこ抜ける」
「……詳しく話せ」
「お前、教わろうとするな。自分で考えてみろ。答えは教えてやるが少しは自分で考えたか? プランクブレーンとインナースペース、共通点があるってわかったろ?」
「……ややこしいってことだね」
「それで正解だ。ややこしい、つまりルールがある。ルールがあるということはプログラムのようなものも存在する。インナースペースにも、プランクブレーンにも。だがこの二つは誰が作ったかもわからない“理”だ。じゃあ疑似地獄はどうだ? マインが“作った”もの。よりプログラムが雑で、不完全なはず。どれだけ精巧なゲームでもデバッグの末に作られる。その疑似地獄でインナースペースをバグらせることにより疑似地獄にエラーを発生させれば理論上脱出は可能。坊ちゃんはインナースペースを持っているので、そのインナースペースで、マインのインナースペースの一種である疑似地獄をバグらせれば……」
「バグらすとは?」
「坊ちゃんが“フジ・カケル”の姿の時、インナースペースにあるのは“アブソリュート・アッシュ”。その“フジ・カケル”が強引にインナースペース内の“アブソリュート・アッシュ”を無視し、“フジ・カケル”から“フジ・カケル”に変身しようとすればエラーが起きてバグが生じる可能性はある。ただしそれで疑似地獄をバグらせても坊ちゃんとフォックスはプランクブレーン内のエーテルの海に放り出される」
「じゃあ同じでは?」
「籠の中の籠からは出られる。そこで役に立つのが、楓さんの持つ鳥居、フォックスゲート! それがプランクブレーンにも干渉するアイテムなら、プランクブレーン内でそのフォックスゲートをバグらせることで物理空間への帰還は可能だというのがワタクシの意見です。ただし絶望的なのは、その肝心のフォックスゲートを使用するフォックスがポータル適合者ではないのなら、プランクブレーン内で自分を自分と定義出来ず、フジ・カケル、フォックス、フォックスゲートはそれぞれを区別、定義することなく一つのエーテル、つまり同一の存在となる。じゃあクイズだ狐燐。お胸と同じで貧相な脳ミソで考えてみろ。ベローチェのお姉ちゃんのお友達、スターバックスはそのエーテルの海で自分を定義出来ない状態から戻ってきた。理由を考えてみろ」
「土壇場……。いや、インナースペースとプランクブレーンの経由でポータル適合者となり、アドレスがアクティブになったから?」
「もっと常識的なことだボケ。学生でもわかるぞ。いいか、ポータル適合者の可能性があるからと空間開設能力で開設された空間に閉じ込められそうになったような犯罪者が、武装を剥がされていないはずがないだろう。それでもスターバックスはマインしか作れないBトリガーを所有していた」
「Bトリガーは現地調達したってこと?」
「ワタクシの推理が正しいのならば。ただしスタバの場合はフジの坊ちゃんやフォックスとは少し事情が異なることもあるから楽観するな、を前置きに聞け。ゴア族の変身メソッドもインナースペース方式だが、ゴア族の場合は“ゴアの守”と呼ばれる小刀にそのインナースペースを一時的に収納している。そうだろう? ベローチェの姉さん」
イツキはゆっくりと頷いた。ゴア族は原始の刃物ゴアの守に自らの姿を封印し、変身の意思を持って納刀、抜刀の動作をとると変身する。これはマートンや沈花のような純粋ゴア族、托卵であるイツキやヒトミも同じだ。
「おそらくゴアの守とフォックスゲートは同じような仕組みの道具だろう。姿の拡張、そしてゴア族に通じているマインが造ったフォックスゲート。外付けのインナースペースで、その仕組みはエーテルを参照している。つまりプランクブレーンとインナースペースのハイブリッドがその二つの道具だとワタクシは考える。スタバは何らかの方法でゴアの守をバグらせ、トーチランドのプログラムにエラーを起こして脱出した。それが意図的なものが偶発的なものかは不明。そこでエーテルの海に投げ出されたが、そこでもう一つ、プランクブレーンとインナースペースのハイブリッドの道具に触れた。それがおそらくBトリガー。Bトリガーにインプットされているのは、因幡飛兎身ではない。怪獣だ。それにトーチランドから異なるタイミングでプランクブレーンに流出したならばそれぞれの定義は異なる、別のエーテルだ。そこで偶然、Bトリガーに接触してスターバックスを定義したスターバックスはインナースペースをバグらせることで物理空間に帰還した……。そう考える。その過程でポータル適合者になったという狐燐の楽観的な考えには一定の理解をする」
「なんとなくわかった。対策と方法を教えろ」
「ハッキリ言って、ない。同一のエーテルとなった坊ちゃん、フォックス、フォックスゲートを再定義するための“何か”をプランクブレーンに投げ込むくらいなら、あてずっぽうで偶然疑似地獄にアクセスできるまでURLを打ちこむ方が効率的だ。バカなことをするなよ、ステキOLのお姉さん」
「バカなこと?」
「お姉さんの持つフォックスゲートをプランクブレーンに投げ込んで偶然エーテルと化した坊ちゃんとフォックスに接触し、二人の再定義を図るなんてことだ。フォックスゲートには、もっと有効な使い道がある。それはその道具が作られた目的通り、敵と戦い倒すことだ。今の敵はスターバックス。スターバックスを倒すことに使う方が正しい使い道だ」
〇
先のミーティングの議事録を渡されても和泉にはちんぷんかんぷんだった。ただ音声ファイルでは自体が絶望的だということは理解した。
「そういうことで、引き続きポータルゲートは警備するわ」
「フォックスゲートにはまだ使い道がある、か」
和泉は目を閉じ、歯を食いしばった。そして決意を下した。
生半可な気持ちではない。
「アブソリュートミリオンスーツをプランクブレーンに投げ込む。プランクブレーン内でフジたちとは異なる定義のエーテルとして漂流させ、接触させることでフジを再定義させる」
「何?」
「ミリオンスーツは既に役目を終えた。ミリオンスーツは……。ミリオンスーツは! あなたたちを必要としないための力だった。だが現実はどうだ? ミリオンスーツさえあればアブソリュートは不要、と断言するための祈りの結晶だったのに、今ではミリオンスーツと地球担当アブソリュートマン、アブソリュート・アッシュは釣り合わない。地球に必要なのは、ミリオンスーツではなくアブソリュート・アッシュだ」
「あなたに必要な友人は、ではなく?」
「それだと何か問題が? そうだと言ったら俺の覚悟は軽く見えるのか?」
「覚悟は軽んじない。弟をそこまで想ってくれることをありがたく、そしてあなたが弟の友人で誇らしく思う。あなたがどれだけ……。いえ、地球人がどれだけミリオンスーツを……」
「当然未練はあるさ。だが、戦うために生み出されたミリオンスーツが戦いの機会すら失われていることの方がよっぽど空しく悲しい。ミリオンスーツがいつ、死んだのかはわからない。だが、今はもう死んでいることはわかる。フジはどうだ?」
「生きている」
「ならば決まっている」
「それでもアブソリュートミリオンスーツにはまだ役目がある。責任が生じるわ」
「お払い箱だ。ミリオンスーツも、ミリオンスーツがお払い箱になった現在の俺も。それでも俺を捨てないのは、フジぐらいだろうな」