第50話 だけど今も、目を閉じれば
「メッセに従え」
「……」
「返事が聞こえねぇな。もう一度言う。メッセに従え。メッセが指示を出せない状態なら俺かメロンか狐燐。間違ってもお前がデカいツラするな」
頑馬は威圧的にタバコの煙を吐き、目の前の妹にクギを刺した。
「俺たちの……。プライドはどうなる? 最強のジェイドが帰ってきたらそれで万事解決じゃ、俺らのこれまでの行動はどうなる? 最終的にはお前の力なしでケリはつかねぇだろう。だが、今回の件に関してお前はリーダー面するな。ずっとこの盤面を支え、考え続けたのはメッセだ。メッセに報いろ。あのアブソリュート・ジェイドをコマにする。そんな司令塔として最高の名誉をメッセにくれてやれ。意味はわかるよな? それでヘソを曲げたり臨機応変かつ自発的な情報提供、協力を渋る程バカじゃねぇよな? 言わせるな。だが言う。今回の件に関しては、立場を弁えろ」
ミリっと灰皿にタバコを押し付けた頑馬は無言の反省をとる妹を一瞥して立ち上がり、メッセの肩を叩いてからレザージャケットを肩にかけて事務所を出ていった。事務所の外で待っていたのは正気とは思えない程派手、職質されずここまで来られたのが奇跡なくらいのマスクの烏頭説だった。
「よぉ烏頭」
「頑馬さん」
「お前、死ぬぞ」
「何がだ?」
「俺と戦う気だろう。しかも、その前に俺程ではないが相当ヤバいやつを相手にしようとしている」
「そのケンカ、頑馬さんに捧げさせてくれないか?」
「相手は誰だ?」
「ヒジリ製菓のホローガ。名は確か、稲尾サラ」
「おいお前……。マジで死ぬぞ。何故挑む?」
「顕真さんの敵討ちだ」
「……やつは死んでねぇ。だからお前も命を大事にしろ。安心しろ。行き場のない気持ちが、誰かに挑戦したいという気持ちに繋がってるなら俺がこの場で、峰打ちで鎮めてやる」
「フッ……。俺がうっかり頑馬さんを倒してしまったらどうなる?」
「それでしまいだ。おめでとう。次はジェイドかアッシュかメッセか狐燐が出てくるだろうが、レイを倒したならジェイドやアッシュやメッセもいけるかもしれねぇぞ。それをやったガキを知っている」
「顕真さんはもういない。いや、頑馬さんの口ぶりからすると、戻ってくるんだろうから今はいない、という言い方が正しいのかもな。……。なぁ。顕真さんをああしたのはヒジリ製菓なのか? それとも因幡飛兎身なのか?」
「ヒジリ製菓の聖透澄が狙っているのはメロンだ。因幡飛兎身は私怨のためにヒジリ製菓を利用し、カケルのついでにフォックスを飛ばした。因幡飛兎身の仕業だよ」
「だが、因幡飛兎身がヒジリ製菓についた以上は連帯責任だ。ヒジリ製菓をブッ潰す」
「じゃああれか? 狐燐に挑んだ凸・楓・リーバイスの連帯責任でてめぇが今ここで俺にへこまされるのはありか?」
「……。俺がヒジリ製菓のホローガに挑むのは意味なき挑戦じゃない。俺のマゼンタブラスターにはホローガの力が使われている。レイの力もだ。オリジナルを超えてみたいんだ。それを邪魔するなら順番を逆にするだけだ。先に頑馬さんを倒す」
「フッ、行ってこい。仇は取ってやる」
〇
ステープル弾はガガガと中華街の壁を打ち、『借り暮らしのアリエッティ』の梯子みたいに壁にステープルを撃つ。これは威嚇射撃と誘導だ。狐燐の身体能力が寿ユキ一派で最弱どころか、元来非力なアデアデ星人の中でも非力であることは木楠の解析がなくても楓の頭にインプット済み。迫り来る針金の弾は、緊迫感に満たされた戦場で笑える程集中している楓には止まって見えた。
虎威狐燐の体は非力。だが戦えば超強力。ここで狐燐を乗り越えれば、顕真を助け出してから顕真のために役立てる。それだけではない。楓の大きなモチベーションの変化は、金吾だ。顕真が消えてから最もアグレッシブだったのは金吾だった。金吾だけは安易な仇討や戦闘による憂さ晴らしに逃げず、可能な限り出来ることを……。楓は金吾をナメていたが、一番顕真を想っているのは金吾だったのだ。金吾にも報いよう。誰よりも大人の金吾のために。
「ホミッ!」
ステッキが大きく弧を描き、加速でしなって狐燐の顔面を狙う。接近戦ならフィジカルエリートの自分に分がある。しかし!
「そうはいかないよっと」
巨大なステープラーアーマーで赤ん坊が親指をしゃぶるように腕を上げるピーカーブーガード! 格闘技の基礎中の基礎のガードが虚弱なマンガ家を守った。ステープラーアーマーは見た目からは推定数十キロは下らないが、狐燐はまるで体の一部の如く軽々と扱い、連動して以前の戦いより身のこなしが軽いようだ。そして楓の見立て通り、ステープラーアーマーの重厚な防御力……。殴ったステッキが振動でビキビキと震えている。そのイレギュラーに楓は笑う。
「リタァ!」
ステープラーアーマーの先端の射出口で楓の腹をどつく。しかし針の刺さる痛みは感じない。それでも衝撃で数歩後退した楓は狐燐が巨大なステープラーアーマーを構え直す間にどつかれた点の確認をした。
「なんだ?」
打点に捺されていたいたのは狐燐の代表作『東の宝島』の主人公ダメニートの“ルイ”だ。超自然のインクで捺され、拭っても消えることはない。だが打撃以上に付加された痛みやダメージ、異変もない。
「ステープラーは! モノとモノを束ねる道具! 当然、ステープラーアーマーも同じ能力を有する!」
狐燐が中華街の店先の小籠包の籠にステープラーアーマーの先端で触れる。すると籠にもルイがプリントされ、そして、アーマーを閉じる! バチン!
「束ねろ、ステープラーアーマー!」
「ホエマアアア!?」
狐燐のメガネが曇る程の湯気が上がるあっつあつの小籠包の籠が浮かび、捺された印、そして割れた腹筋を隠す黄色の魔法少女の腹部の印が最短距離でドッキング! 肉汁と熱湯が溢れ出し楓の腹筋が爛れ、悲鳴を上げる。外そうとしても超常のステープルで束ねられた籠は離れはしない。状況を理解した楓はポータルで壁に穴をあけ飲食店に突入し、水道水で小籠包と腹部を冷却した。
「食らえ!」
「ホメエ!?」
痛烈! 一閃! ダイレクトでポータルを開いた狐燐がステープラーアーマーをグローブに楓の顔面に強力なブロォオオオー! 顔面だから急所を狙うという公約通りだ! 頬が腫れ、奥歯がぐらつき視界の端を銀色の蚊が這う。ビッと血が飛んだ。この厨房の食べ物はもう使い物にならない。
「ホイミッ!」
痛みはアドレナリンがごまかしてくれる。楓は血が飛んでダマになった小麦粉のボウルを掴み、そのまま狐燐にブチまけた。狐燐も咄嗟にステープラーアーマーのガードを挙げるが間に合わず、顔面にモロに小麦粉を食らう。メガネをかけている狐燐はある意味でこの攻撃からの防御力が低い。裸眼やコンタクトの人間は目を瞑ればある程度防げるが、メガネはノーガードだ。そこを見逃す楓ではない! 即座に足払いを仕掛け、狐燐はステープラーアーマーに頭を密着させてアーマーのサスペンションを活かし、衝撃を分散しながら厨房に倒れた。小麦粉で滑りが良くなってメガネと額の冷えピタが落ち、長方形とメガネのシルエットに肌色が覗く。
「プッフ」
フジと同等の視力しかない狐燐も自分の咳で吹き出る小麦粉の息吹を見た。そして!
「ホイミ!」
「間に合え!」
楓のサッカーボールキックを間一髪ステープラーアーマーでガード! ステープラーアーマーは狐燐の注文通りの場所にポジションを取り、楓の蹴りを防ぎ切った。
「娑婆僧だね」
サイケ光線、大文字型の火炎弾、ネフェリウム光線など派手な遠距離技を持つはずの楓が殴ってくる。そういった技を使わないのは狭い厨房で流れ弾を防ぐため……。なのだとしたら娑婆僧だ。一瞬の猶予が生まれる。狐燐は即座に念力でメガネをピックアップし、表面の小麦粉を落として装着し、視界をクリアにした。
「マジかっ」
「ホミッ!」
楓は水道を全開にし、指で蛇口を塞いで狐燐に向かって水を噴射する。そして再度、小麦粉! 今度はステープラーアーマーで顔面をガード。ステープラーアーマーを開閉させ、針の射出口の角度を調整して楓に向ける。
「ジャム!?」
ニヤリと笑った不敵な笑顔。楓には似合わない表情だが、元が良いから様になる。小麦粉! そして水! 固まった小麦粉の生地は射出口を詰まらせ、ネジやバネに絡みついてギシギシと動きを阻害する。狐燐は下唇を噛み、こめかみで小麦粉がダマになる。
「ステープラーアーマー、解除!」
このステープラーアーマーを問題ない状態まで戻すことはもう不可能だ。かと言ってこの狭い厨房でGペンスピアと三角定規シールドは扱いづらく、この二つで楓には勝てないことはわかっている。狐燐はステープラーアーマーを解除し、椅子を踏み台にジャンプしてテーブルの天板の上に飛び乗り、そして芸術家アデアデ星人の専売特許“すり抜け”を利用してテーブルの下へと逃れ息を殺した。すぐ目の前には右往左往するロングブーツと白く細く長い脚、そして巻きスカートのスリットから覗く太もも。すり抜けではなくポータル移動と勘違いしてくれているなら最高だ。
「ステープラーアーマー、アクティブ……」
再起動したステープラーアーマーは元の状態に戻っている。しかし小麦粉と水のコンボがステープラーアーマーに効果バツグンだとバレた以上、厨房はすぐ離れねばならない。このままポータルで逃げることも選択肢の一つだが、今は仕留める大チャンス! それに可能な限り真正面から……。
「ホイミッ!」
バキッ!
瓦割パンチが天板を貫き、狐燐の顔と目睫の位置に拳。ゆっくりと鉄拳が引き抜かれ、狐燐が見上げると毒々しささえ感じる程の歪な笑顔の白面。……あの子を思い出す表情だ。
「そのパンチが……。生身かもしれないってんだから驚きだよ。ステープル弾!」
穴に向かって弾を発射する瞬間、その白面は途方もなく暗く闇に満ちたような気がした。落胆? 絶望?
ステープル弾が天井の大型扇風機の羽を一枚撃ち抜き、バランスの崩れた扇風機は根元から壊れて吹っ飛び、吊るされていた北京ダックに突き刺さった。
「ホイミィッ!」
ステッキを異空間に収納し、黄色の魔法少女はドス黒い思いを込めた狂気の拳で厨房を殴り壊していく。豚の丸焼き、キクラゲ、月餅、イカ、カシューナッツ。冷蔵庫、まな板、鮫の牙骨、ソーセージ……。小麦粉塗れの手で殴られた場所にはぼっと白いエフェクトが発生し、その拳の威力を物語る。狐燐はステープラーアーマーを上手くハンドリングしながら後退、回避に専念し、フィジカルエリートの致命的なパンチを徹底的にケアした。
「……」
楓は……。こんな戦い方をしたくなかった。
魔法少女は魔法で戦う。こんな風に筋肉と骨格任せの打撃で相手を殴り倒すなんて実写の特撮ニチアサヒーローだってやらない。なんでだろう? 狐燐にパンチがスゲェと言われたことでいい気になったのか? それとも挑発や侮辱に聞こえたから?
バンバン。狐燐は楓にメンチを切ったままステープラーアーマーを後方に向け、弾で扉を跳ね飛ばして整ったフットワークでフロアへ。もうステープラーアーマーの大きさがディスアドバンテージにならない広さと間合いだ。
「ホイミィッ!」
木の壁を強引に破壊して楓がエントリー! もう心は笑っていないのに笑顔だ。いつもの笑顔。職場で洋楽や洋画の話をしてごまかす時の笑顔。必死に、本当に大切な『フェアリボン』に踏み入られないようにするために囮に差し出す偽物の笑顔。……本当は、心の中で自分も『フェアリボン』も蔑んでいる時の笑顔……。
「もうちょい頼むよ、ステープラーアーマー!」
「お気に入りなんだね」
「わたしはね。ジェイドのスノウブレイブやヒール・ジェイドのアティテュード・アジャストメントみたいな切り札を持っていない。そちらさんの大将と同じだよ。手札の多さ、手札の切り方で勝負する。マリルリ止めるならナットレイ、ナットレイを止めるならヒートロトム。新聞には明朝体。直線引くなら定規、空撮するならドローン。シチュエーションと目的にはそれぞれ適した道具がある。凸・楓・リーバイスに適した道具は、ステープラーアーマーだったということさ、お嬢さん」
「わたしたちの大将は顕真さんじゃない。金吾さんよ。それにわたしはあなたより年上なの、虎威狐燐さん。わたしは今年三十になる。『東の宝島』を描いてるのが年下なんて信じがたかった」
「わっかぁ! いや、これはお世辞じゃない。マジですごく若いよ。二十代前半に見えるよ。なんかいいコスメ使ってんの?」
……癇に障る。
楓は驕りではなく自己分析の一環として自分の容姿が優れている自覚がある。だが「若い」は「幼い」に直結する。人間関係の希薄さ、人生経験の浅さ、大好きな女児向けアニメ。女児向けを観ているからと諦めた恋愛や深いところでの人付き合い。テアトル・Qにも心を開けていない。だってまだ『フェアリボン』視聴のことを明かしていないのだから……。烏頭はバカな政治活動をしていたことを明かしたし、船場に至っては殺人の過去までカミングアウトした。木楠はああいう性格だ。リークされたフーリガン行為を犯したことを認めた。……金吾も、妻がいる時にAVに出て離婚されたことを笑い話として話してくれた。しかし楓は……。
若いのは遺伝や美容のせいじゃない。人間性、精神年齢が幼いせいだ。
しかし相手は。
十代でマンガ家デビュー、二十代前半で名声を掴み、二十台中盤で昭和のレジェンドマンガ家の構想を基にした完結編の作画担当。連載も読み切りも作画担当からも幼さは感じない程大人びており、なおかつ知的なユーモアで洒落ていた。そしてウラオビに洗脳されたり、知恵を絞ってメッセ、レイ、ジェイド、アッシュ攻略の策を練った末に可愛がった後輩を亡くしたり……。楓が知っている情報だけでも波乱万丈。加えて狐燐には婚約者までおり、その婚約者も事故で亡くしている。二十七歳の狐燐は酸いも甘いも知る、知識、エピソードともに人生経験豊富な人物だ。どうりで楓より老けて見える訳だ。
ノイズが発生する。
魔法少女としての自分の在り方に苦悩する。
妥協して受け入れていたはずの幼さを嫌悪する。
眼精疲労や腰、首の爆弾と引き換えに手に入れた老い……人生経験を羨む。
全部! 欲張ろう! 理想の魔法少女でありながら年相応の落ち着きと風格を手に入れ、大人の女性になりたい。肩書こそ“魔法少女”でも、その実は“魔性の女”でありたい。
「受け入れてくれるかなぁ」
……顕真が戻ってきて、もう一度テアトル・Qが全員揃った時。その時は全てを打ち明けよう。ならば勝利は必須だ。
楓が腰のフォックスゲートに触れ、精神が異空間へ飛ぶ。ここでは誰も覗きもしなければ踏み込んでも来ない。ノリノリだ。ノリノリで口上とポーズをこなす。
「ミストレブルさん! ジェイドさん! プラさん! “イエローソーサラー:C”!」
三枚のリーフが読み取られ、魔法少女の衣装のアクセントの羽が増えて客の残して行ったラーメンが湯気ごと凍り付いた。
Crypto! それはテアトル・Qが編み出した顕真にすら不可能な可能性の拡張! 元よりフィジカルエリートの上にトランスフュージョンに適性があり、素体となる怪獣リーフの中でもミストレブルは他の素体怪獣……。ブッコローガ、ツルギショウ、セラトーブよりも強力だ。顕真を除けば間違いなくテアトル・Qで最強。戦闘センスも経験値を積めば顕真と同等かそれ以上、要するに、狐燐が楓に勝てるチャンスは彼女が未熟で手探り手探り、或いは根拠なきバクチで戦っている今しかない。
「沸き立つねぇ。不満だった」
吹き荒ぶ冷気。まだイエローソーサラー:Cは冷気の中で羽ばたきに似た音を立てている。狐燐にはわかっていた。この勝負は大局に関しなんの意味もない。ジェイドが戻ってきたからポータル要員は足りている。ポータルに関して言えばベローチェもいる。テアトル・Qが虎威狐燐を倒したところで、最早大局は寿ユキ一派vsヒジリ製菓。だがどうでもいい勝負とは、狐燐本人は思えない。楓の気持ちも汲むし、ウラオビに加担した過去を清算するための贖罪が正しいと証明するために勝たねばならない。ウラオビに出会うさらに前の過去……。死んだ婚約者の整も、どんな理由があっても狐燐の不幸は望まない。なんだ……。結局、狐燐の全ては整、沈花といった死んだ人間のためのものなのか……。否!
「アデアデ星人は地球で地球人の標本を作ってて初代アブソリュートマンにブッ飛ばされた。それ以降、アデアデ星人は“怪獣図鑑”に載るようになった。アデアデ星人は獣なんかじゃない。人だ。……と、思ってたよ、今の今まで! まぁさか恐怖を……。スリルに酔うなんて。あの子みたい。ホント、どうかしてるみたい。凸・楓・リーバイスさん。『東の宝島』を読んでくれてありがとう。一番好きなキャラは?」
「……ルイ!」
「今すぐ色紙買ってきな。ルイのイラストとサインを描くよ。君が酸素マスクを被って寝かされるどっかの病室に飾っとけェ!」