第45話 希望
「……」
スーツの似合わない男、ナカムラ。
日差しのきつくなってきた五月、スマホをいじりながらオフィス街を歩く。今日の面接も手ごたえがない。そしてスマホに逃げた。ナカムラのよく見るオカルト系サイトは、アブソリュート・アッシュ失踪の話題で持ちきりだ。
ジェイド、レイは人間態も明らかになっており、最強の二人が今年の二月にテロリストのウラオビ・J・タクユキの子分の碧沈花に敗れたという衝撃のニュースが世間を賑わせた。そして弟のアブソリュート・アッシュは石神井公園でウラオビを倒して存在感を増した。しかしユキ、頑馬として目撃情報がSNSに上がるジェイド、レイと違い、アブソリュート・アッシュは変身しなければ世間はアッシュの動向を探れない。情報らしい情報と言えば、四月にアッシュとヒジリ製菓のスポンサー契約がヒジリ製菓のプレスで発表されたということくらいだ。
近場のスターバックスに入ったナカムラは関連記事をスクロールする。
事の発端は新規に設置されたSNSの謎のアカウント。それがアッシュ失踪をリークした。そこには煩雑に、横浜の地下にはアブソリュート・マインが残したポータルゲートがあり、アブソリュート・アッシュはそれに飲み込まれて時空の彼方に消え去ったとあった。
それをまず寿ユキが、続いて飛燕頑馬が、さらに虎威狐燐が、そして望月鼎がリツイートした。なお、スポンサーのヒジリ製菓は回答を保留しているが、リツイートした面々からアッシュ失踪を裏付けるには十分なエビデンスだ。ユキ、頑馬、狐燐の三人、そして鯉住音々も加わって四人のインフルエンサーによりこのツイートはバズった。つくばでポータルゲートを守るためにアブソリュート・アッシュが戦ったという未確認の情報もあり、ポータルゲートなるものは実在するという見方も強まっている。
「ホンマ、アホや」
アッシュ失踪最初にリークしたこのアカウント、これは鼎の作ったアカウントだろうとナカムラは見抜いていた。学祭で作った冊子に鼎が寄せた記事から察する文章のクセ……。アッシュへの想い。そしてここ最近の鼎の浮かない様子。アッシュが失踪した今、誰よりも鼎を見つめているナカムラだからこそわかったことだ。
「最後の仕事やで、キャプテン・ナカムラ。俺の、大学生としての最後の仕事や」
思い上がりだろうか? 鼎がアッシュの失踪をリークしたのは、超常現象に詳しいオタクサークル“超常現象研究会”にその事実を訴え、力と知恵と勇気を借りてアッシュを救出させようとしているなんて。もしそうだとしたら嬉しくもあるが……。
「怒りを抑えろ、ヤング・スカイウォーカー。捨て駒も噛ませ犬も下僕も、使われるうちは頼られるうち、つまり希望のうちや」
恋人がいることを隠し、自分の可憐さと純潔で武装して姫としてふるまう鼎が、自分の恋人のために国民……。或いは下僕を恋人救出のために動員しようとしている。とんでもない裏切り行為だ。しかし、“超常現象研究会”でこの真相、いや疑惑に気付けるのはナカムラのみ。それでも! やってやる! 尊敬する先輩にして超えられないと劣等感を抱く偉大な名君、前キャプテンヨシダ。そのヨシダの遺言しのぶれどに従い、必ず鼎を幸せにしてみせる。そして、一人の友人としてアブソリュート・アッシュではなく、フジ・カケルのこともだ。
ナカムラは“超常現象研究会”のグループラインを開いた。
〇
狐燐は鎌倉のセーフハウスからポータルで運んできたマッサージ椅子で体をほぐしながら思案を巡らせた。メッセはエナジードリンクを空け、メロンはホワイトボードに情報を書き連ねた後にヤケになってロビンマスクの似顔絵を描いた。頑馬、ユキはこの場にいない。今のところはこの二人がいてもいなくても同じだ。つまり、フジが送られた現地にいた狐燐とメロンの証言、メッセの知恵だけでまずは下地を固めるしかないのだ。
「まず、横浜地下ポータルゲートが成功したかどうかがわかんないんスよねぇ。成功した場合、どこに転送されたのかもわかんないスけど」
「因幡飛兎身の目的としては、フジとフォックスの両方を事実上消滅させればそれでヨシ、ということなんでしょう。因幡飛兎身は、転送先はフォックスが知っているところ、と言っていた。成功していた場合、既存の場所に送ることが出来るんじゃないかしら」
「転送が成功していた、と考えた場合、メロン副所長ではサーチ出来るかもしれないんスけど、それも出来ない。でも希望は捨てちゃいけない。メロン副所長のサーチが圏外の異星、或いは異空間」
「消滅、と考えるのが普通かしら?」
「マウント取る気はないんスけど、ポータル使いにもいろいろレベルがあるんですよ。例えばわたしのポータルなら東京を中心に一万キロ以内なら問題なく転送出来る。ジェイドはアブソリュートの星まで繋げるってんだから距離ではレベルが違いすぎる。外庭数は開けるポータルの大きさと運べる質量、物量がすごかった。ウラオビ、マインはポータルで場所と場所の間に異次元空間を設置出来るまたレベル違い。どうでしょう? ポータルを使える因幡飛兎身がわざわざポータルゲートを使ったのは、自分のポータルでアクセス出来ない場所に送るためだった、としたら?」
「ポータルゲートがマインのポータルを模造したものならメロンのサーチ圏外かつ異次元空間にアクセスした可能性もあるということね」
「希望を持ちましょう。わたしは弱い人間スから、希望的観測の中であがく方が性に合っている。因幡飛兎身はつくばのポータルゲートの開閉失敗で一度消滅したけど、こうやって戻ってきた。因幡飛兎身曰くは、ポータルゲートが失敗しても死ぬ訳ではないらしいです。物理的に消失しても意識は残り、自分を自分と定義出来ないまま異空間に存在し続ける。そこからやつは戻ってきた。異星や異次元に飛ばされたならもっと簡単です。だってジェイドはトーチランドのアドレスを割り出してアクセスしたでしょう? ジェイドは異次元を設置できなくても、アクセスは出来るんですよ」
「一つ一つあなたの希望を潰していくわね。因幡飛兎身が物理的に消失してから戻ってきた方法は不明。インタビューしたところで因幡飛兎身が吐くとは思えないし、因幡飛兎身自身にもわからない可能性もある。異星に飛ばされた場合はまだ希望が持てるわね。フジがアッシュに変身すれば宇宙空間を移動することも可能。そこでポータル使いに出会い、数珠繋ぎに地球に戻ってくることは不可能じゃない。あいつのコミュニケーション能力でそれが出来るといいけど。異次元の場合は……。トーチランドへのアクセスはフジがバースから盗んだBトリガーから逆算した。Bトリガーにはトーチランドのカギを開ける認証キーが内蔵されていたからね。じゃあ、どこの異空間に飛ばされたかもわからないフジの居場所をどうやって割り出し、どうやって逆算してアクセスするの?」
「わたしの見た限りでは、因幡飛兎身は横浜地下ポータルゲートを開けるのに持っていた打ち出の小槌で判を捺すような動作をしていました。因幡飛兎身の打ち出の小槌にBトリガーが装着済みなことは、頑馬隊長が武蔵小金井で確認済み。Bトリガーを作成可能なのがマイン本人だけだとしたら、既存のマインの遺品……。こう言うのは癪ですが聖遺物をポータルゲートと連動させれば、その異空間を割り出す方法はなくはないと考えます」
「で? その横浜地下ポータルゲートは?」
「因幡飛兎身のせいで木っ端みじぃーん。オシャカです」
「で?」
「実はもう一つあるんですよね、マインゆかりのポータルゲート」
「……何?」
メッセの指に力が入り、プルタブからエナジードリンクの炭酸が勢いよく音を立てた。メロンもロビンマスクの横にウォーズマンを書き足す作業を中断した。
「つくばに地球人製のポータルゲートがあります。それは確認済み」
「そのポータルゲートがマインと関係ある根拠は?」
「つくばのポータルゲートルームの壁はエウレカ・マテリアルでした。ジェイドや初代が地球人のポータルゲートに協力するとは思えない。あれは地球人がマインの聖遺物から作り出したものです。それにつくばのポータルゲートにはトーチランドのアドレスが登録されています。それはジェイドの協力であるというのは確認済み。そしてテアトル・Qのカワイコちゃんとマゼンタマッチョはポータルゲートをハッキングしてトーチランドにアクセスした。そして……。トーチランドに隠されていたゴア族紙幣の偽札の原版を盗み、それを止めようとしたわたしは怪盗ベローチェに妨害されたんですよ。なんてこった。こうなると一番現実的な方法はテアトル・Qと組むことだ! マインの作った偽札の原版を持ち、ポータルゲートをハッキング出来るマゼンタマッチョ! しかもあいつはマインのリーフまで持っている! それにトーチランドにアクセスするポータルを使えるカワイコちゃん! 加えてフォックスを取り戻したいという目的まで一致している! 今から汚い言葉を吐きますよ、ファックです!」
「ポジティブが過ぎてあまり賛同出来ないわね」
「言ったでしょう? わたしは弱い人間で娑婆僧。憧れた人間に似た部分があれば、真似すればそうなれると思い込んでいるんですよ」
「碧沈花にはなれないわ。碧沈花には組み立てられないロジック、経験値、そういうものを頼りにするのがわたしたちの役目だし、あんな若さはもうない。若さ故の才能も感性もね。ToDoリストを作っていきましょう。まずはつくばのポータルゲートの死守。そしてマインの聖遺物を入手する。そしてここからが重要よ。狐燐。あなたには一番重要な役目がある」
「いや、アドレスがわかってもフジのいる場所にはわたしのポータルじゃアクセス出来ないですけど」
「因幡飛兎身がポータル使いになった以上、因幡飛兎身のマークはあなたよ」
「……いや無理だこれ! 頑馬隊長をつけてください」
「頑馬じゃ因幡飛兎身は倒せない。やつのハンマーはエウレカ製になった。受けて返すスタイルの頑馬じゃエウレカハンマーによる因幡飛兎身の強打にはそう何度も耐えられない。そもそも打撃無効どころか反転させる因幡飛兎身はエウレカハンマーがなくても相性が最悪」
「じゃあメッセ所長なら勝てますか?」
「ハッキリ言って、因幡飛兎身に勝てるのはユキかフジだけよ。あなた以外ならね」
「両方いねぇや」
事務所のチャイムが鳴り、メロンが席を立ってインターホンを覗き込んだ。そして秘かに目に涙を湛えた。
「お邪魔します」
バカげた燕尾服、シルクハット、長いポニーテールのステレオタイプな怪盗は覆面で顔を隠している。そのマスクの下の顔がこの人物のパーソナリティである絶望や悲観か、それとも曲りなりにも一人で生き抜き、戦い抜いてきた自信や矜持、或いは三人の探偵が失った、碧沈花のような若さによる希望か……。絶望で勘の鈍ったアラサーの探偵三人ではわからない。
「これ、美味しいのでどうぞ」
函館銘菓“燈台の聖母・トラピスト修道院”のトラピストクッキー! 糖分が足りないと著しくパフォーマンスが低下するメッセにとってはいいお茶請けだ。
「頼むわベローチェ。何か……」
「うん」
イツキはスマホを取り出してテーブルの上にスマホを滑らせ、見たことのないアイコン……。いや、メッセには見覚えがある。やたらポップな駿河燈の似顔絵だ。
「まず、このアプリは燈さんが作った法に触れるアプリ。トーチランドが健在だった時のトーチランドメンバー、寿ユキ一派の居場所が非合法にわかる」
「まさか」
「そのまさか。フジの居場所がわかる」
ここでメロンはついに落涙した。突然失った娘が生きていたら同年代だったフジ、そして鼎。そのどちらも失いたくないし、どちらも悲しませたくない。それに自身の自己満足の贖罪を最初に受け入れ、信頼してくれたのはフジだった。もう娘への投影以外に、一人の親友として、そして尊敬すべきヒーローとしてフジを愛しリスペクトしている。
イツキのスマホに映っているのは、やたらポップかつ悪人顔に描かれたメロンとメッセの似顔絵。同じ座標にポップでキャワイらしく陰気な、当時のイツキの似顔絵が重なっている。そしてイツキがスマホを少しタップ、スワイプすると、悪意で人相を悪くされたフジの似顔絵が表示された。フジの周囲には似顔絵アイコンが存在しない。
「ここはどこ?」
「燈さんが昔教えてくれたところ。ポータルの空間開設能力で作った、“疑似地獄”と呼ばれる場所。つまり、フジは転送失敗による物理的消滅はしていない。でも通常のポータルで開ける場所でもない異次元にいる」
「それだけでも十分すぎる希望よ」
メッセは冷蔵庫からエナジードリンクを出し、紅茶に混ぜて糖分を補給した。いける。イツキがいれば……。
「場所はわかった。そこにアクセスする方法はある?」
「ごめんなさい、盗み聞きしてました。燈さんの聖遺物……。それをキーにポータルゲートを開き、アクセスすることは理論上可能。そしてわたしはその聖遺物をたくさん持っている」
イツキが手元にポータルを開き、Aトリガー、クジーのBトリガー、さらに(検閲により削除)から盗んだマイン直筆の古文書“三香金笛抄”の原本……。三人寄せて文殊の知恵でもどうしようもなかった問題を一気に解決する、喉から手が出る程欲しかった情報、アイテムが次々に出てくる。
「これで足りるかわからないけど。ただし、これでポータルゲートを開いてアクセスすることは出来ても、肝心のアドレスは不明。逆算してアドレスを割り出すのに足りるかはわからない」
「そういえば怪盗ベローチェ。何故、君はテアトル・Qに、トーチランドに遺されていた偽札の原版を盗ませたんだい?」
「それは……」
「悪いけど、君の手持ちで足りなかった場合はテアトル・Qの原版の力も借りるよ」
「全面的に協力はする。でも一つだけお願いがある」
「言ってごらん」
「ヒトミちゃんはわたしが止める」
「願ってもないね。でも君で勝てるの?」
「……わからない。でも確実なことが一つある」
イツキが再びスマホをタップ、スワイプする。そしてイツキらしくないセリフを吐いた。
「希望はある。絶望する方が難しい程に」