第43話 ウサギ→キツネ→ネコ
ヤベェ……。タバコが止まらねぇ……。
徐々に自分に近づいていく赤い蛍、新しい蛍を生むにも数に限度があり、その残数はフジを極めてシリアスにさせる。吸えばリラックスするはずのタバコは吸えば数程減る、ということで気分が滅入っていく。つまり、眼前の信じがたい光景の一部として、自分と憐れな腐れギツネは確かに物理的に存在しているのだ。
「出る方法を教えてくれないかなぁ~? 義兄さんもお姉ちゃんに会いたいよねェ~?」
ハエみたいに手を擦り合わせると摩擦で掌が熱を帯びる。物理法則もここでは通常のようだ。
「そんな声を出さずともここから出してやるさ」
「じゃあ早く方法を教えろタコ。殺すぞ」
「ハッキリ言って、ここから出すことが出来るのは燈だけだ」
「詰んでるじゃねぇか」
「だがここに入れたということは、例外があるはずだ。そう、因幡飛兎身がここに俺たちを転送したポータルゲートは燈が作ったものだ。燈の遺産の何かがあれば出ることは出来るはずだ」
「それがここのどこかにあるのか?」
「燈はゲーム好きだった。ならばラストダンジョンの奥に何かを隠している可能性は大いにある」
「ちょっと待った。ここに入ることが出来るのがあの横浜地下ポータルゲートなら、横浜地下ポータルゲートから出ることは出来るんじゃないか?」
「そう考えるのが普通だが、因幡飛兎身がその可能性があるポータルゲートをそのままにしておくと思うか?」
「なんでそこまで因幡飛兎身のことがわかっててここまでまんまと騙されたんだよ。情けねぇ」
「そうだな。俺の考えが甘かったことは反省し、謝罪する。心配なのは残された面々……。上手く逃げているといいが」
「狐燐さんがついてる。犬養が逆上しなきゃあの場は大丈夫だ。それよりもまずは俺たちだ」
「だが事態は絶望的だ。プランは三つある。一つ目。待つ。二つ目。自力で出る。三つ目。出してもらう。一つずつ説明していくぞ。まずは一つ目の待つ、だ。ここは仏教、道教の教えに基づく地獄が再現されている。そしてここは三途の川の畔の賽の河原。石を積む作業をひたすら繰り返すと、鬼がやってきてその積んだ石を蹴り飛ばしてやりなおしを強いられる。だがそのうちに閻魔大王の化身である地蔵菩薩が現れて転生、つまり出してくれる。しかし燈がそんな甘い仕組みを作ると思うか? それに地蔵菩薩がいつ現れるかは基本的にはわからない。そして地獄の裁判を取り仕切る十の裁判所のうち、五番目の閻魔庁のボスがご存知閻魔大王だが、地蔵菩薩は閻魔大王の化身。閻魔を倒すと地蔵菩薩も現れなくなる。それに地獄で派手に暴れて閻魔大王に目をつけられれば、地蔵菩薩による転生の目はなくなるだろうな」
「自力で出る、とは?」
「この先」
顕真が河原の向こうを指さした。火炎、亡者、鬼。フジの知る物理法則や異次元設置型ポータルの特性から理性で現実として受け入れるしかないがにわかには信じがたい光景だ。
「正確にはこの三途の川より先が地獄道だ。刑の軽い順に等活地獄、黒縄地獄、衆合地獄、叫喚地獄、大叫喚地獄、焦熱地獄、大焦熱地獄、阿鼻地獄。これが八大地獄と称される。この八大地獄にはそれぞれボスキャラがいる。そいつらを倒し、阿鼻地獄の最深部まで行ってみよう」
「何かある保証はあるのか? お前はマジでバカすぎて話にならねぇところがある」
「俺が以前にここに送られた時、ダイレクトで阿鼻地獄に送られて責め苦を受けた。その時に俺は燈にもらった土産物を忘れてきた」
「それをキーにしようとでも?」
「それしかない」
頼りにならねぇな、この腐れギツネ。それでも言葉に出さず、膝も折らないのは自分がしっかりしなければという適度な絶望と、ここでグダグダしていても何も好転しないという事実だ。この成長を鼎にも見せてやりたいくらいだ。
それにメロン、メッセ、狐燐、イツキなら……。何か考えてくれる。それにイツキはAトリガー、即ちマインの遺産筆頭を所持している。頑馬には今はゆっくり力を蓄えてほしい。来るべき時にこの腐れギツネを倒してもらうために。
「八大地獄にはそれぞれボスがいる。八人のボスの前に敵の戦力を知ろう。試しに石を積んでみろ」
「……」
フジは言われるがままに、平べったい石を選んでいくつか積んで石の塔を作ってみた。
「グラッバァー!? ジャガダァー!?」
すると人語ではない形容しがたき奇声、或いは怒声をあげた赤黒の和装の鬼がやってきてフジの作った石の塔を蹴り壊した。わかってはいたが一瞬にして頭に血が上がり、ここまで我慢に我慢を重ねたストレスの糸ははじけ飛び、反射的に鬼の顔面に鉄拳を叩き込んだ。その怒りとストレスの強さは着弾点で爆ぜた稲光が代弁している。
「セアッ!」
「ドッカガァー!?」
しかし鬼は倒れない。顔に傷も出来ず、出血もしない。何事もなかったかのようにフジに向かって襲い掛かってくる。
「なんだこいつ! 強いのか弱いのかわからねぇぞ!」
「実際は弱い。だが雑魚鬼は全て“ゾンビ化”の特徴が標準装備だ」
「“ゾンビ化”?」
「鬼の耐久値を百とする。百のダメージを食らうと鬼は死ぬと考えるんだ。今のお前の攻撃はなかなか鋭く重かった。だが鬼の耐久値である百を一気に削る程の威力はなかった」
「で!?」
「鬼たちはその百のダメージを通算で受けるまで、何をされてもダメージを受けない。しかし通算百のダメージを超えた時に即死する」
「セアッ!」
Δスパークアローが至近距離から鬼の眉間を貫く。脳漿も頭蓋骨のかけらも飛び出ず、ただ赤黒く粘っこい液体が後頭部から飛散して鬼は完全に動きを停止した。フジはこれで二つ、確認出来た。顕真の言う通り、鬼と戦う場合は基本的には速攻による即死一択。そしてここでもΔは使用可能。後は強化形態、カミノフルさえ起動すれば、賽の河原程度の鬼ではこの新人アブソリュートマンには歯が立たない。
「らしくねぇな」
「何がだ?」
「マインがここを作ったのがいつかは知らねぇが、マインの憧れは初代アブソリュートマン。初代のファイトスタイルは敵のヒレ、角、尻尾なんかの突起物をむしり取って着実に戦力を削いでいく戦い方だった。ここではそれが全く通用しないということになる」
「燈も初代のことばかり考えていた訳ではないさ」
「例えば息子やてめぇか?」
「Aトリガーもここも、確実に強くなるための武器や場所だと思うと合点が行かないか?」
「一つ言っておくぞ。お前がいくらマインを擁護しても俺の考えは変わらねぇ。やつはいい歳して女子高生の格好をしていたイタいババアだ。それからシーカーを殺し、姉貴を殺しかけた。それどころか鼎のプライドとポジションを踏みにじった。俺はあのババアを絶対に許さない」
「お前が燈をどう思おうが俺の知ったことじゃない。それに許すか許さないかじゃないんだよ」
「いつか選ぶ羽目になるぞ。姉貴か、マインか。あー、でも今のお前ならマインを選ぶだろうな。姉貴にはフラれてもう赤の他人、姉貴はお前の話なぞしたこともねぇぞ。……。ここまで言われて怒らねぇんだから実際すげぇやつだぜ。まだ自分と姉貴は繋がってるとでも思ってるのか?」
「女々しくてつらいよ。見ろ」
顕真は懐からファンシーな女の子向けのキャラグッズのブックカバーと同じような趣のシールの貼られた書籍を取り出して、フジに見せた。
「マインにもらった閻魔帳の写しだ。地獄のルールと地図と手引き、一部の人間の過去へのアクセス権がこの本にはある。気付くところはないか?」
「一部の人間の過去へのアクセス権という意味ではAトリガーと同じだな」
「この攻略本を頼りに阿鼻地獄まで行こう。ちなみにブックカバーとシールのチョイスはジェイドだ」
「イカれてんのかお前。なんで姉貴とマインを分離出来ねぇんだよ」
「月並みなセリフだが、大人になればわかる。さて……。等活地獄のボスは火車だ。えぇ~と、火車はこの世から亡者を地獄に連れて来る鬼だ。通常、亡者は裁判を受けて天国か地獄かを判断されるが、その前に奪魂鬼、奪精鬼、縛魄鬼という鬼より肉体と魂を分離され、肉体の活動を停止させられ、肉体の腐敗を開始させられる。火車に連れていかれる亡者は生前の行いで既に裁判抜きでの地獄行きが決定している極悪人だ。そのため、“葬式を火車に狙われるのは一族の恥”ということわざもある。この火車の正体はネコだ。元々ネコは仏教において葬式に現れると不吉な生物とされてきたが、この伝承と火車が混合され、元々は悪人の亡者を運ぶ荷車を指していた火車という名詞はネコの妖怪ということになった。マインはこちらを採用している。ちなみに同じく死者をあの世に引き入れる役目を担う神に荼枳尼天もいてこいつはキツネの神だが、俺とは無関係だ」
「はぁ~……」
「俺はお前を侮っていない。俺も以前ここに送られた時の俺とは違う。火車なら敵ではないだろう」
「そうじゃねぇ。お前、姉貴と付き合ってるときも同じことしてたんじゃねぇだろうな? べらべらどうでもいいことくっちゃべって知識でマウント。それ、マジでダセェから二度とするな。必要な情報と不要な情報が混ざってる。判断するのには困らねぇが、一手間かかるし時間も無駄だ。それともバカって言われたことが気に障ったか?」
「……全部的を射ているが不思議と気に障らない」
「俺がまだかわいい義弟になるとでも思ってるのか?」
「さぁな? 俺と同じく燈に失格アブソリュートマンの烙印を押されたシンパシーではないか?」
「まぁここで口喧嘩をしてても意味ねぇや。ここではマジの兄弟のように共闘するしかねぇ。お互いの手札を確認しよう。俺は一番使い勝手のいい技がここでも使えた。後は強化形態ともう一つの技が使えるかだ」
「おそらく使えるだろう。ここはあくまで異空間設置型ポータルの一つ。お前がトーチランドで因幡飛兎身をぶっ飛ばしたときに強化形態を使えたのなら、ここでもそれは問題なく作動する」
「お前のタイプチェンジは?」
「残念ながら、俺のタイプチェンジに必要なリーフは全て仲間に配ってある。俺自身が使うことは出来……。あれ?」
顕真が腰のフォックスゲートを抜き、フジにも可視化出来るよう設定するとキツネは鳥居を様々な角度からのぞき込み、怪訝に眉をひそめた。
「……壊れてる」
「壊れてるぅ?」
「全く起動しない。転送の際に壊れたか」
「問題ねぇだろう。だってリーフは仲間に渡してるんだから」
「問題大ありだ。唯一手元に残してあるアブソリュート・フォックスのリーフ、つまり俺が強化形態のネイチャー・ウォーカーに変身するためにはフォックスゲートに俺のリーフを読み込ませる必要がある。つまり」
「強化形態が使えねぇのか。ヴォォイ! 死ね! 死ねコラァ!」
「俺が強化形態を身に着けたのはつい最近で、あってないようなものだ。お前の兄貴との戦いが初陣だよ。それに一応、フォックスゲートなしでも理屈上は変身出来る。強化形態を使えないことは気にするな。俺の持ち味は技巧。フォックスゲートから武器を出せないことが最大の難点だが、そういったものは追々調達していこう。まずは刀剣を持った鬼を倒して鹵獲したいところだ」
「……」
武器なら出せる。そう、フジなら武器は作れるのだ。フジが和泉と組んでバースに挑んだ時、フジはバリアー製の剣を作って和泉に握らせた。しかしこれはもっと隠しておくべきかもしれない。もっと顕真から余裕が消えた時にスッと差し出してイニシアチブを握りたい……というかどこか物見遊山のケが感じられるフォックスに事態の重さを知らせたい。
「ん?」
その時、フジはどこかで聴いたことのあるメロディが近づいてくるのを感じた。しかしどこで聴いたかは思い出せない。連動する記憶もまだ脳内の検索でヒットしないが、地獄で聴くにしてはポップで不釣り合い、地球に来てから聴いたものだということは確信出来る。
「うっふん。干支はトラの次がウサギだけど、あなたたちはウサギからトラに手渡されたみたいね。ようこそ地獄へ! わたしが火車よ!」
大きくぴょこんとした猫耳、大きくはだけた和ゴスの着物から覗く巨大な谷間を包むトラ柄のビキニ。髪の毛はレーザーディスクのように角度によって輝く色が異なるサラサラのロングヘアー。超ロングブーツを留めるヒモもトラ柄で、丈の短い着物からは細く締まった生足がこんにちはしてアピールしている。ネコを連想させるチャーミングな目が、スタイルや服装に似合わぬ幼さのエッセンスを与えている。フジはその姿にヒトミ、イツキ、メッセ、メロン、楓の面影を見た。
「おいフォックス。お前が前にここに送られたのはいつだ?」
「三十年前だ」
「三十年前ならもう『うる星やつら』は世に出てるな。おい姉ちゃん。今すぐ俺たちを阿鼻地獄の最深部まで運べ。それが出来ねぇなら、死ね!」