第16話 キックオフ
鼎の大学はスラム街ではない。
鼎の大学は確かにあんまり頭の良くない学生しか入れないが、頭が良くないにも種類がある。無気力タイプと、どう頑張ってもバカタイプだ。
鼎は前者と言える。中学時代に与えられた大きな自室、スマホ、パソコン、大きなテレビ、多額のお小遣いといったもののせいで勉強せず、かと言って熱くなる趣味もなく、勉強もせずに浪費した時間。もし鼎が頑張ればもっといい大学に行けたのか? 鼎を例に出せばその可能性はあった。小学校時代も勉強はしなかったがかなり成績は良かったので生まれ持った頭の性能自体は悪くないはずだ。そもそも鼎は努力が関係しない部分ではハイスペックである。スタイルはいいし巨乳で美乳で顔も悪くないし、何より運がいい。頭だって勉強せずに通用する小学校まではどうにか……。両親は高学歴、そして弟もだ。中学時代に深夜番組にさえハマらなければ……。実らない暇つぶしが趣味、というのはなんとも無為である。その実らない暇つぶしが好きすぎて大学も就職もどっかに行ければいいや、で、後になってから気付く。だからいくら生まれ持った頭の性能が良かろうと、使わないのでバカになってしまうのである。もちろんバカになった頭は使おうとしても昔には戻らない。頭とは常時使い続けなければならないのだ。
鼎のかたちのきれいなヒップに火がついている。碧沈花の就活対策、そして永遠のクズニート、フジ・カケルはアブソリュートマンという職業を手に入れた。焦るばかりだ。
もう一つのタイプのバカ、どう頑張ってもバカタイプは文字通りだ。どう頑張ってもバカなのでどうしようもない。
だが“超常現象研究会”の前キャプテンのヨシダと新入生のタツだけは少し事情が違い、どちらのタイプでもない。ガチのオカルトオタクだったヨシダは試験に使えない形、つまり雑学で頭をかなり使っており、彼もまた頭の性能は悪くない。カンフーオタクのタツもだ。
鼎の大学は無気力タイプのバカが集まるため、低偏差値ながらヤンキーはほとんどいない。学校のランクと見合わない学費のせいかもしれない。そんな無気力タイプのバカ……ゾンビたちは何かに真剣になっているヨシダやタツのような人間を「バカのくせに真剣になってる」「バカはいくらやってもバカ」と嘲笑し、努力しないどころか努力を否定する。鼎もそっちサイドの人間だった。そんな不毛な環境から、どうやって傑物を輩出するか? もしくは、もう大学も傑物の輩出は諦めているのか?
しかし不毛な環境からでも傑物が出る可能性はゼロじゃない。アブソリュート・フォックスのように。
「フジ」
「おう、どうした?」
いつも通りに南池袋公園でだべっていた二人。二人とも互いに明かせない不安を抱えている。ダメな大学で将来不安、そんなことをフジに言ってもどうしようもない。最強のジェイドが元カレのせいで戦意喪失して敗北。不安がるから明かせるはずもない。
「フジならツボをキックで割れる?」
「当たり前だろう。それとも中にピッコロ大魔王でも封印されてるのか?」
「新入生の後輩がね、入学前にカンフー映画の真似をしてキックでツボを割ろうとして、骨折して松葉杖ついて入学、入会してきたの」
「バカかそいつ」
「そうだよね、バカだよね。でも嫌いになれないバカなんだ」
「あ?」
「そういう意味じゃないよ。必死になれる何かがあるバカはある意味尊敬する」
「なんつったか、あれ。そう、必死のパッチ。姉貴と碧は意図的にやらなかったやつか」
「そうなの?」
「あいつらは必死になりすぎて張り詰めると余裕がなくなるとか、ラッキーな上振れがなくなるとか、そういう天才ならではの理屈だ。俺たちみたいな凡才には関係のねぇメソッドだよ」
「……そうだね。ねぇフジ。ピッコロとフジ、どっちが強い?」
「大学生の会話かそれ?」
「うっ……」
「今はこれでいいや」
頑馬とメッセは随分とフジを評価しているようだがフジは未だに自分を信じきれない。今はまだメッセとメロンに任せておけばいい。今は備える時期だ。龍之介とも会ったし、鼎とも会った。何を守ればいいのかハッキリ確認し、どういう行動で彼らを守れるのかを固めていく。今はまだその時期、ということでいい。
「そういえばこれ、ケンヂから預かってるんだ。フジさんに渡してくれって。帰りに寄ろうかな、ケンヂのところ」
鼎が差し出したのは、フットサルの入門本。
「近いのか?」
「巣鴨」
その瞬間、二人は時空の断面を見た。フジは即座に理解した。今、フジは鼎ごとポータルで転送されたのだ。しかしポータルの練度が低く、転送に時間がかかっている。ユキ、狐燐はもっと手早く、鼎を巻き込まずフジだけ転送出来る。転送にかかった時間は、鼎が鞄から顔を隠すためのアブソリュートミリオンのお面を取り出して被るには十分だった。
「おや、お望みの巣鴨じゃねぇか」
二人を包む風景が安定する。線香のにおいに真っすぐな道、店、屋台、眼前にそびえる大看板。間違いない。巣鴨だ。
必死のパッチ。フジの眼差しはまさにそれだ。鼎を背後に回して壁際に後退し、索敵する。
「犬養。転送したのはお前さんか?」
「ごめんフジ、望月さん」
さっきまで二人がいた場所に閉じた輪の色は銀褐色。石神井公園の決戦で見た頼もしい助っ人のポータルの特徴だ。今回フジが助けなければならない犬養樹はAトリガーを構え、銃口を敵に向けたまま緊張で額に汗を浮かばせていた。
「おい鼎。犬養と逃げろ。出来るな? 鼎、犬養。おい犬養、鼎を頼んだぞ。鼎、犬養を信用してやれ。お前さんもそいつのことはそんなに嫌いじゃないだろう? ……おいコラ、パパ活親父。巣鴨で若い女の子を見つけられるなんてラッキーだったな」
フジの挑発が始まった。戦闘開始の合図だ。この場はフジが引き受けてくれる。そう認識したイツキは、かつて鼎に厚意を拒まれて負ったトラウマを押し、鼎の手を引いて駆けだした。イツキの不安定なポータルでは敵の追跡やこれから戦うフジを巻き込んでしまうかもしれない。もっと距離が必要だ。
「ハハハ参ったなぁ! パパ活親父と来たかい! 僕ぁまだチェリーボーイでね」
イツキのもとを訪れた敵……木楠士はお腹を太鼓にポンと叩き、豪快に笑って見せた。フジにはそれが不愉快だった。
「おぉう、犬養ぐれぇの上玉で卒業出来たらそりゃあ僥倖だったことだろうよ。残念だったな。お前を抱いてくれるのは女じゃなくて“鉄の処女”になるぜ」
「先輩のおさがりの、バンドの方のアイアンメイデンのTシャツに抱いてもらおうとしたけど僕にゃあサイズが合わなかったよ!」
木楠はポロシャツの裾をまくり、トレパンに提げていたフォックスゲートを突き出した。フォックスゲートはテアトル・Qのメンバー以外にも可視化出来るようにその都度設定可能だ。今回はフジに見えるようになっている。その方が都合がいいからだ。
「……」
ほら、フジの挑発が止んだ。喉から手が出る程情報が欲しい今、フジは木楠の行動を待って観察してくれる。木楠の作戦でもあるが、注目を浴びることを至上の喜びとする目立ちがり屋の木楠である。
「アブソリュートマンさん! ……XYZさん」
変身ポーズだってバッチリだ。闇の力を借りる時は少し躊躇い、覚悟を決めたように呼ぶ。
「トランスフュージョン! “ブラッククルセイダー”!」
「チッ。メッセの予想通りか」
これで組み合わせが一つ確定した。
フォックスの持つリーフが三十年前から増えていなければ八枚。明らかになっているのは六枚、不明は二枚。
そのうちジェイドとプラの組み合わせがイエローになる。そして今、初代とXYZの組み合わせでブラックになることが判明した。ならばメッセの予想通り、シアンの組み合わせはミリオン×N(予想はホープ)。マゼンタはレイ×N2(予想はマイン)。しかしレイの出した結論通り。倒してしまえば問題はない。
目の前のパパ活親父は、XYZを連想させるマッシブなボディと凶悪な形状の爪、肩から縦に伸びる三日月状の円盤、スズメバチのように吊り上がった目。初代アブソリュートマンの面影はなく、XYZの狂暴性、凶悪性が前面に押し出されている。
「ここでビビってちゃダメだな」
ビビるな。臆病を捨てろ。あの世に勝ち逃げしたカイと沈花を超えるなら、この敵が強ければ強い程チャンスだ。
〇
頑馬は栃木県の山中にある寒村にいた。焚火の周りに並べられた串焼きはマシュマロみたいなヤワなものじゃなくて鹿、猪、熊、イモリなどワイルドなものだ。頑馬はここを訪れたことがある。ここにはかつて、平徳子が住んでいた。
平徳子は平清盛の娘で帝に嫁ぎ、国母となったものの源平合戦で一度は壇ノ浦に沈み、源氏の熊手に髪を絡めとられて引き上げられた後に尼となった。嫁いだ帝が若くして御隠れになった後は、帝の父である法皇が後宮に納めようとした程の美女であったという。
しかし平徳子は壇ノ浦で一度沈んだ際に人魚の肉を口にして不死となっており、宿敵源氏の源義経とは秘かに相思相愛であった二人は来世では結ばれようと誓いを立てていた。そして義経は頼朝に討たれた……と思いきや義経も義経でモンゴルに渡っており、そこで今度こそ死んだ。二十一世紀まで生き続けた平徳子だが、二十一世紀になって義経は突如復活する。強大な野心と凶暴な性格、二四四センチメートルの腹心と十三人の天狗軍団を引き連れて偽札工場工場長を務める危険な存在、もはや別物となってしまった凶悪犯罪者ヨシツネとして。
かつての想い人が悪しき存在により悪しきものへと変えられたことに心を痛めた平徳子は全宇宙が誇る全宇宙最高の頭脳の持ち主にして超一流新聞ユニバース・スポーツ、通称ユニスポに天狗軍団の写真を送り付け紙面を飾り、頑馬を呼び寄せてヨシツネを止めることを願ったのである。そして平徳子は、「一度死を経なければ美しく生まれ変わらせることが出来ない」と外道の聖母に唆されたヨシツネによって殺害された。
というトンデモ歴史が、マインが作った偽のロマンスと偽物のブルースだ。しかし享年一万二千年歳のマインは本物の平徳子と源義経を見た可能性すらある。それでもここにいた平徳子とヨシツネは偽物だ。
つまり、この寒村はマインが平徳子と源義経を弄ぶために作ったテーマパーク。それでもポータルなしでヨシツネの偽札工場に行くならばここが一番近い拠点になる。
「腹が減っては戦は出来ぬ」
「勉強になる」
焚火でワイルドバーベキューをしていたのは頑馬だけじゃない。あのヒョロガリ覆面プロレスラー烏頭説もいた。烏頭は頑馬が来ると踏み、待ち伏せしていたのだ。
平徳子を入れておくだけの檻だったはずの寒村に残された自称“平家の末裔”たちもマインの作った人造人間なのかはわからない。しかし寒村の住人たちは平徳子を悼む心があった。頑馬がここに到着した時、既にここについていた烏頭は、そのキャッチーなルックスで子供たちの心を掴み、持ち前の真面目さとプロレス愛、そして元塾講師の技術ですっかり手懐けていた。もっとも、プロレスなんて見たこともない子供たちとプロレスなんか出来ないので、相撲に似た戦いごっこだ。頑馬の脳裏にメッセの言葉がよぎる。こいつらは本当は戦う気はないんじゃないか? 全ては、フォックスが元カノに構ってもらうためのはた迷惑なパフォーマンスなのでは? 子供と相撲をする烏頭は、子供たちを人質にとっているようには到底見えなかった。
敵を見つけ次第ブチのめす気でいた頑馬はすっかり虚を突かれてしまった。
「どうする? 輪転機が狙いならこんなところで何をしている?」
「今日はもう暗い。慣れない山を歩くのは危険だ。ここをキャンプ地とする」
「そうか。……そのマスク。マスク・ド・ドラゴンの意匠があるな」
「ああ。ドラゴンの門下生のトキワ・タツチカが俺の一番好きなレスラーだ」
「いい趣味だ」
「昔、恋人に……。トキワ・タツチカみたいな体だと褒められてな」
「……。お世辞だぞそれ」
「何だと?」
「ガリガリじゃねぇか。……聞かせてくれよ、その恋人の話」
周囲に咲く山桜は薄っすらと月明りに照らされている。満天の星空のもと、頑馬はタバコの煙を顔全面に浴びた。ジェイド不在で求められるリーダーシップ、戦うだけの戦士ではなく、ましてやケダモノでもなく、相手を理解するヒーローの慈愛、戦わない選択肢。この男との対話は自分を成長させてくれそうな気がする。
甘ちゃんだ、頑馬も烏頭も。
〇
「ザキィ!」
ブラッククルセイダーに変身した木楠は、互いに準備OKと感じ取った直後に強力なショルダータックルを仕掛けた。フジは破られてもフィードバックのない低硬度のバリアーで様子を見、破られた際の保険としてその奥でゴア族カンフー守りの奥義の構えをとった。そしてフジの予想通りだ。バリアーは突破されたものの、勢いを相殺された木楠のタックルをゴア族カンフーで受け……流せない! フジにダメージは入っていないが、ゴア族カンフーで流せない程のタックルでフジの自慢のスニーカーの靴底がギチチと焼けながらすり減る。今日はデートだからいいスニーカーを履いてきたってのに!
「おいおいカッチブーだなパパ活親父」
「ハハハ! キックオフもセットプレーの一環! それも両者にとって最も平等なセットプレーだ。パサーもいないタイマンなら速攻に限るよ!」
ゴア族カンフーで止めているのは木楠の右肩の円盤。まだ気は抜けない。止めるのが限界、押し返す力はフジにはない。ここでゴア族カンフーを崩すと押し込まれるが、逆にキープしていればこれ以上押し込まれることもない。木楠がそれに気付いて次の行動に移るまでは、待つしかない。しかし木楠の次の行動はフジの全く予想外だった。
止められているのは、右肩。右腕の可動域はまだ広く残っているし、左腕はフリーだ。その右腕を曲げて手首から肘をフジの体に向け、そこに左腕をクロスさせる。
「てめぇまさか」
次の瞬間、木楠の腕の交差点がスパークする。
「ファクティウム光線!」
「セアエエエエエエ!?」
ファクティウム光線。初代アブソリュートマンの得意技で、幾多の敵を倒してきた彼の戦力の代名詞、悪しき存在が初代アブソリュートマンに抱く恐怖の象徴的な技だ。
ゼロ距離からファクティウム光線を食らったフジは防御のカードを一枚も切れないまま吹っ飛ばされ、ブティックに突っ込んで仰向けのまま目を回して湿った咳を繰り返す。
「ザァァァラキッ!」
ようやく上体を起こせたところに、残ったショーウィンドウをブチ破った木楠が突っ込んできてフジに二〇一四年のワールドカップでネイマールが背中に食らって腰椎を骨折したような飛び膝蹴りを顔面に食らわせる。メガネがズレて像がぼやけ、脳へのダメージで銀粉の舞う視界で捉えたのは、まだ空中にいる木楠と、ファクティウム光線と左右が逆になった腕の構え……。半年前、羽田空港であの黒いアブソリュートマンがレイをダウンさせたあの……。
「イグジウム光線ッ!」
ブティックから行き場をなくした黒い炎が噴き出し、商品の赤いパンツが真っ赤に燃え、繊維がチリチリと縮みながら損傷していく。
ゼロ距離からのファクティウム光線、そして無防備に食らった飛び膝蹴りにイグジウム光線。
セットプレーからの三連撃を全てまともに食らってしまったフジ・カケルは……。