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第14話 友達に手紙を書く時みたいにすらすら言葉が出てくればいいのに

 この手紙を読んで察せられる情報を整理していくと、兄の行為の残酷さがわかる。

 白石春子は中学時代、兄と付き合っていた。しかし龍之介にはその記憶はない。何故なら一九九六年、龍之介はまだ生まれていなかったからだ。

 白石春子は高校進学と同時に遠くに引っ越した。どこに引っ越したかはハガキに書いてある。北海道だ。

 白石春子は慣れない土地での暮らしと兄への想いからホームシックを募らせていた。

 白石春子はその想いを手紙に認め、兄に手紙を送っていた。この量から察するにヤンデレ気質も多少あっただろうが、内容がまともであることを考えると兄とは親密だったのだろう。つまり遠距離恋愛ということになる。携帯電話もさほど普及していない時代だ。文通が主になるだろう。

 最後に、白石春子は兄からの返事を受け取っていない。郵便事故? そんなはずはない。白石春子からの手紙は届いているし、兄が白石春子からの恋文と同じ数の返事を書き、全てが郵便事故ならば郵便はインフラとしての役割を果たせていないことになる。

 しかし兄はこんな数の手紙を保管している。妻子を持っているにも関わらず、少年時代に受け取った恋文を捨てていない。何か未練があったのだろうか?


「やりきれないな」


 大森龍之介がナーガになり、響と会えなかった期間はどれくらいだろうか。響側から見れば会えなかったのは一か月だ。しかしその一か月は音信不通。どれだけ心配で寂しかったことだろうか。龍之介が中学生の頃、飼っていた猫が脱走して一晩帰らなかったがあれだけで龍之介は泣きそうになる程胸を締め付けられた。

 龍之介がナーガとして眠り、ミリオンの時代で覚醒するまでの間に過ぎた時間の長さは彼にもわからない。しかし彼がアブソリュートミリオン、未来アッシュ、イツキと過ごした時間は約二年。二年間も響に会えず、時代が違って無事も確認出来ない。加えて龍之介が眠る前はまだウラオビも健在だった。これもまた辛い経験だった。

 しかし白石春子の境遇は違う。物理的に会えないこともあるが、見捨てられたのではという非情な疑問を抱き、ホームシックと同時に心を痛めていく。少女の心には言葉に出来ない辛さだろう。

 もしかして白石春子は引っ越した先で上手くいってなかったのではないだろうか? 上手く友人も作れず、別れも愛の言葉も伝えない遠距離恋愛の相手に縛られて新しい恋人も作れず……。その結果、縋るものが東京での暮らしと、東京での記憶の象徴である恋人であるのならば、この量のハガキも不自然ではない。

 何の事情があって、兄は白石春子の手紙を黙殺した? 訊けるはずもない。兄も東京を離れているし、訊けば勝手に机の引き出しを開けたことがバレる。それに年齢差二十歳近い兄弟だ。あまり言葉は交わさない。


「俺が返事を書いてみるか」


「白石春子さんももう忘れているかもしれないし、今更返事が来ても困るよ。二十五年前の手紙だよ? 新しい生活もあるし、トラウマを抉られるよ」


「いや、一通一通、当時の白石春子さんに宛てて書く」


「何の意味が?」


「良心と言えば聞こえはいいかもな。でもバカップルと言われようと俺だって恋人を持つ一人として、こんな仕打ちは許せないんだよ。それに俺、大学で文学部に通ってるんだ。卒業論文と卒業制作を選択出来る。不幸中の幸いか、まだ論文はテーマ探しの段階で難航しててね。今からなら卒業制作に切り替えられる。卒業制作は小説でもいい。イツキさん、書簡体小説って知ってる?」


「知らない」


「交わされた書簡、つまり手紙によって物語を展開していく小説の一種だ。筆を執らない兄に代わり、弟である俺が白石春子さんに返事をする。そういう小説はどうだろう? 先生に相談してそれを卒業制作の計画として相談しないとダメだけど、龍之介なのに小説がダメなら名前負けもいいところだ。それとは別に、イツキさん、字が上手いでしょ? 代筆してよ」


 卒業論文、卒業制作。イツキには憧れの言葉だ。イツキもかつては大学生だったが、駿河燈に見つかり、托卵ゴア族であることを知らされて絶望し、やけになって大学一年の初夏に大学を辞めてトーチランドのメンバーになった。駿河燈の過保護から抜け出して幾分人間性を取り戻した今は大学への未練もある。自分では出来なかった大学卒業を龍之介にはして欲しい。無論、鼎にも。

 自嘲と自虐を捨て、フジからは信頼を、ミリオンからは矜持を、龍之介からは平穏を学んだもうイツキは誰かの優しさを疑ったりしない。代筆してくれ、は建前だ。気兼ねなく休みに来い、というのが龍之介の本音だろう。


「今日の映画はこれにしよう」


 龍之介は毎晩、映画を観る。父の映画コレクションからのピックアップだ。今日の映画はこれだ。『ユー・ガット・メール』。街角で小さな本屋を営む女性と、カフェ付きの大型書店チェーン“フォックス・ブックス”の御曹司は、メールの相手が本来は商売敵であるとも知らずメールで文通を交わし惹かれあっていく。




 “白石春子様

 兄の敦也に代わり、不肖の弟龍之介が二〇二一年の春からお返事いたします。

 一九九六年、僕はまだ生まれていなかったため、兄が何を考えていたのかわかりません。

 なので目黒のことをお話しします。二十五年経っても目黒川の桜は絶景です。

 ステーハウスリベラはご存知? プロレスラー御用達のステーキ店です。

 十六歳の兄では食べきることは出来なかったであろう一ポンドのステーキも、二十歳の頃には完食したと聞きます。いつか目黒にやってきたならば、挑戦してみてください。”




 勉強が終わると夜は映画を流しながら返事を書き、自分の文才のなさに辟易しながら数日おきにイツキに清書してもらう。イツキへの清書依頼は自己満足にすぎないものの、パソコンには卒業制作として書簡体小説が溜まっていく。そして妄想が膨らんでいく。

 ITガールという言葉がある。数年おきに現れる、映画界を象徴する時代の寵児の女優を指す。

 白石春子はどんな女性なのだろう。オードリー・ヘップバーン、メグ・ライアン、ウィノナ・ライダー、キャメロン・ディアス、シャーリーズ・セロン、エマ・ストーン……。

 妄想の中の白石春子はどんなITガールにも引けを取らなかった。


「イツキさん。乗り掛かった船だ。ポータル、頼みます。場所はここ」


 龍之介が指定した座標は一九九六年の白石春子が送ってきたハガキに記された函館のものだった。イツキには自分がバカな自覚がある。しかも沈花と違って質の悪いネガティブなバカだ。ネガティブなバカを自覚している人間は、自分より賢い人間がそう判断したのなら、と自分の意見や権利を主張しないことがある。今回はそのケースに当てはまらない。イツキもまた、白石春子のその後が気になっていたのだ。

 銀褐色の輪が開く。ナーガだった頃に何度もくぐった輪だ。


「まだ住んでいるかな」


 一九九六年の白石春子がハガキを送ってきた住所には一軒家が建っており、そこには白石、の表札が下がっていた。龍之介とイツキは祈る。頼む、頼むから、もう住んでいないでくれ。出来れば名字も白石のままでない方がいい。自分を見捨てた“敦也くん”に見切りをつけ、誰かと幸せになっていてくれ……。

 龍之介はチャイムを押した。


「はい」


 龍之介の父よりも老いた男性の声が応えた。


「あの、突然の訪問で大変失礼いたします。大森龍之介と申します」


「大森」


「以前、こちらにお住まいだった白石春子様から兄宛の手紙が届いておりまして……」


 おりまして? それでどうする?


「大森敦也くんの弟さんですか?」


「はい」


「はい、ちょっと待ってください。今出ます」


 好奇心に任せたノープランがようやく二人に焦りを思い出させた。兄の敦也を知っている。これから出てくるのが白石春子の父で敦也を知っているということはつまり、娘のかつての恋人を知っているということだ。どう伝えられているのだろうか。いくら手紙を書いても返事すら出さず、時効とはいえ妻子を持った男。初心な娘の心に傷をつけた男。


「敦也さんってどういう人なの?」


「見た目はのび太、性格はジャイアン、スペックは出木杉。大人になって性格はスネ夫になった」


「モテそうだけど厄介だね」


 板チョコのようなドアが開き、老人がやってきた。その目は怪訝である。白石春子が龍之介の危惧する通りヤンデレ気質ならば父から遺伝したものかもしれない。


「どうぞお入りなさい。その前にとても……。妙な質問ですが、そちらの黒い服のお嬢さん。あなたはゴア族? それともアブソリュート人? そして龍之介さんは……怪獣かい?」


 不意を突かれるどころではない。全く想定外の質問に答えられたのはイツキだけだった。


「アブソリュートの力を持ち、ゴア族の遺伝子を持つ地球人です」


「僕は……。怪獣だったこともある地球人です。生まれは生粋の地球人で、後天的にインナースペースに怪獣の姿を持ちました」


 白石老人は柔和な表情でゆっくりと頷いた。


「正直に話してくれてありがとうございます。つまり敦也くんは生粋の地球人なのですね。そしてかくいう私も怪獣でして」


「怪獣?」


「ええ。ヴェンレブルという種族の怪獣です」


 ヴェンレブル。イツキの記憶にはある怪獣だ。危険度はさほど高くない。そして白石老人がヴェンレブルだということは、白石春子もヴェンレブル、もしくはハーフ……。嫌なシナリオが若い二人の脳裏をよぎる。

 白石春子は怪獣ヴェンレブルだが、地球人として過ごしていた。龍之介の兄の敦也と付き合い、遠距離恋愛になるタイミングでその身上を明かした……。そして敦也は白石春子をフった。だって白石春子は怪獣だから、ということだろうか?

 何から話せばいいかわからない。白石老人には正直に、敦也の机を開け、敦也が返事を書いていなかったことを詫びればいいのだろうか? そのステップを踏まねば、白石春子が今、幸せになれたかどうか訊けない気がする。

 白石老人は二人が通常の人間でないことにどこか安堵しているようだった。

 そして龍之介はいきさつを話した。手紙のこと、ポータルでここへ来たこと。特にポータルのことを話せば、娘が怪獣差別に遭ったこの老人も心を開いてくれる気がした。


「春子さんは幸せになれたのでしょうか?」


「一時は」


 その先の白石春子の人生は波乱万丈。敦也に怪獣であることを打ち明けた白石春子は高校時代は敦也に手紙を出し続けた。それは敦也への恋心ではなく、かつての恋人が何の被害も出さず人間として過ごしている怪獣を差別しているなんて思いたくなかった気持ちでもあるのだろう。そして高校卒業と同時に敦也を諦めた。

 そして大人になり、白石春子は結婚した。相手はチョコレート会社の御曹司で玉の輿。しかしその夫も夭折し、今は残された子供と共に舅や姑たちと暮らしているという。

 決して幸せとは言えない白石春子の現在だが、敦也の呪縛を振り切り一時は幸せになった。龍之介とイツキは少し……。


「ありがとうございました」


 白石春子が嫁いだチョコレート会社の製品を土産にもらい、二人はポータルで東京へ帰った。

 もし龍之介が精神の中に怪獣の姿を隠しているとしたら響はどう思うだろうか? 響は出来た彼女。出来た彼女だから隠しても打ち明けても大丈夫、なんて思うのは響を都合の良い女としか思っていない証拠だ。出来れば隠し通したい。でもいつかは言わねばならないのかもしれない。


「龍之介くん」


「どうした?」


「また、地球に怪しい動きがある。やろうとしていることの規模はウラオビ以上かもしれない」


「俺もナーガに戻って戦わなきゃいけないのか……」


「そうしないためにわたしは頑張る。わたしを托卵ゴア族だと告げたあの人はわたしの人生をぶち壊したけど、その人のおかげで今のわたしがいる。白石さんは言ったね。わたしのことをアブソリュート人か? って。わたしはアブソリュートの力もほんの少し持っている。ならばアブソリュートぶって大切なものを守るために戦うよ。わたしが果たせなかった夢も、普通の人生も、全部龍之介くんは過ごしてよ。二度と龍之介くんをナーガにはしない。……卒業制作にするには悲しすぎる小説になるね。またテーマ探しから頑張って。わたしは話しているだけで国語の偏差値が低いと思われるくらいだから何の力にもなれないけど」


 もうイツキはここに来る気はないんだろうな、と龍之介は悟った。




 〇




「って話」


「お互い変な兄貴を持つと苦労するな」


 龍之介はフジに声をかけて息抜きに食事に出ていた。過去の世界にいた頃、フジはよく姉のジェイドの話をしてくれた。曰く、ジェイドは「一番休む戦士」。時間をかけて何かをやらねばならない時、根を詰めすぎて嫌になることが一番避けねばならない事態であり、休息とリフレッシュこそがパフォーマンスを向上させるという。必死のパッチはよくない。奇しくもジェイドもヒール・ジェイドも違う理屈から同じ結論に至っていた。ただし一度休んだ体と精神を再起動させるのもまた難しいことだ。龍之介にとってはそんな姉の教えが羨ましいやら疎ましいやら……。兄が四十一歳、姉が三十一歳、龍之介自身は二十一歳。奔放な父のせいで兄弟間の関係はいろいろ複雑だ。

 しかし龍之介とフジは家族構成がほぼ同じである。

 フジの母は存命だが、年の離れた兄と姉。加えてフジと龍之介は同い年で、かつては地球人同士のカップルだった龍之介と響は、今はフジと鼎と同じく異種間カップルになっている。


「フジさん。俺が力になれることはないか?」


「ない」


「きっぱり」


「どいつもこいつも助太刀しようとするな。気に障る。そんなに信用ねぇか? お前さんはもう二度とナーガになるんじゃねぇぞ。狐燐さんが引っこ抜いてくれるとしてもだ。ちょいと嫌な言い方になったが、お前さんが俺の力になることはねぇと言ったな。ああ。能動的にはそうだ。お前さんや鼎は、俺に守られることで俺の力になっている。つまり俺がアブソリュート・アッシュとして仕事をした時、お前さんらの変わらない姿と生活こそが、人々の平穏と日常を守り抜く使命を全うしたと達成感をくれる」


「彼女さんとはうまくやれてんのか?」


「未来アッシュはどこまでお前さんに話したんだ? ペラペラと面倒くせぇやつだな、未来アッシュ」


「イヒヒ、随分と寂しかったんだな。……(しるべ)だったよ。アブソリュート人と地球人が付き合えるなんて。俺は怪獣ってだけで自分と響の仲が不安なのに……」


「それは俺とお前さんと隠し事ってことにしよう。隠し事を共有し、口外しない約束を守り抜く仲。それが友人ってことでいいだろう。兄貴が昔、そう言ってた。これは説教じゃねぇぞ」


「友達、だからな。もう二人……。この時代にはもう一人、友達がいるだろう?」


「犬養か」


「イツキさんはどうしたら幸せになれる? ゴア族でも地球人でもアブソリュート人でもないのに、その全ての要素を持っている」


「この時代のアッシュにはまだやつのことはわからないな。一つ一つ、探っていくよ。やつには助けられたし悪いやつじゃあねぇ。意外と義理堅いんだよ、アブソリュート・トラッシュ様は。やつが何か言ったのか?」


「イツキさんも、もう俺にナーガになるな、と言っていた」


「なら決まりだ。二度とナーガになるな。俺がくたばりかけようが、レイが倒れようが、メッセが傷つこうが、お前さんは地球人の大森龍之介のままでいろ。そのうちは俺も兄貴もメッセも立ち上がれる。俺や兄貴は使命のため、メッセや狐燐さんは贖罪のため」


 龍之介は鼎に会ったことはない……鼎は石神井公園の決戦でナーガの姿の龍之介を見たが地球人の大森龍之介に会ったことはない。彼女がどんな思いでフジと異星間交遊をしているか知りたかった。誰もが誰も、兄の敦也のように異種を差別しているわけではないと……。確かに異種間では将来結婚して子を持つことは出来ないかもしれない。それでも別れを告げることくらいは出来たはずだ。唯一の救いは、結婚した白石春子は子を持った、ということだ。


「フジさん、口軽いというか、口滑りがちだね。そんなこと言われたらまた何か起きているってわかるよ」


 何かが地球に起きる時。イツキの言う通り、か。


「気にすんな。俺にカッコつけさせてくれよ、オープンな異星間交遊のためにも」


 フジはまだ知らない。

 あの寿(コトブキ)夕希(ユキ)大黒(ダイコク)顕真(ケンシン)も異星間交遊だったということを……。

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