第13話 兄の恋文
彼を覚えているだろうか?
大森龍之介(22歳)。
目黒の豪邸に一人で住む大学生。彼の家は代々個人輸入の骨董・雑貨商を生業としており、母とは死別、歳の離れた兄は所帯を持ち家を離れ、同じく歳の離れた残念美人な姉は独身貴族。お気楽で自由人な父は龍之介が大学に進学して一人暮らしを始めた二年後に長期にわたる世界旅行へと出かけた。バイタリティと商魂に溢れる父である。新たな顧客や仕入れのルートも見つけてくるだろう。その父は、龍之介に住み込みでの豪邸の手入れを頼んだ。豪邸での暮らしでかかる光熱費は父が持ち、食費として給料も振り込まれる。豪邸で過ごしている限り、龍之介は金の心配がいらないどころか金は溜まっていく。それに加え元より節約家、バイト三昧で貯金が趣味の龍之介はフリマアプリを駆使し、大学生のくせに四百万円もの貯金があった。この破格の待遇は、龍之介の兄が家業を継がないとわかってから生まれた子である龍之介への期待でもあるのだろう。なにせ文学好きの父が龍之介なんて御大層な名前を授けたほどだ。それに応えた訳じゃあないが、龍之介は大学では文学部に進んでいた。
その大学で龍之介は藤守響という女性と出会う。東北出身ですらっとした背の高いモデル体型にアンニュイな美人、古着と洋楽、そして最大の趣味である特撮で龍之介と意気投合し、二人は付き合った。互いの妻、夫も内々定しており、父も響のことはよく知っている。古着のセンスを見て、自営業の商人になれる程のいい目をしていると褒めていた。
しかしそれがやつの気に障った! 空前絶後のクズ野郎、ウラオビ・ヨハン・タクユキだ。出来た彼女、響との仲を嫉妬したウラオビ・ヨハン・タクユキは龍之介の貯金という趣味に付け込み彼を破綻させ、その取り立てとして彼を怪獣ナーガに変えた。
その怪獣ナーガから大森龍之介に戻れなくなった龍之介は深い眠りに着いた後に時空を超え、一九六九年(仮)に飛ばされてアブソリュートミリオンの相棒の怪獣となり、フジ・カケルと碧沈花の最終決戦の際に引き抜かれたアブソリュートブレイドが特異点となって元の時空と時代に戻ってきた。そしてインナースペース方式での変身を強制的に解除させる虎威狐燐の「すりぬけ」によって大森龍之介に戻ることが出来た。
龍之介がミリオンの相棒ナーガとして過ごした時間は相当長いものだったが、元の時空では一か月ほどしか経過していないのは幸いだった。彼が消息不明だったのは一か月程度で、つくづくいいオンナである響は彼を信じて待っていた。交際には何のヒビも入らなかった。
しかし取り返しのつかないこともあった。就職活動である。家業を継ぐにしても定年のない自営業。父はまだまだ働く気だ。龍之介は一般企業で経験を積みたかったのだが……。大学三年生の十一月から十二月という大事な時期を失ってしまった。卒業論文にも大ダメージを受け、大学四年生になってしまった。そして龍之介は決意した。
「響、悪いけど大学院に行くよ」
「全然悪くないよ」
大学卒業と同時に結婚。そういうビジョンだったので大学院進学となればその予定はしばらく伸びる。龍之介は温厚篤実、温故知新が座右の銘の男だ。ここからバチバチの就活戦線を戦っていくよりも勉強するほうが性に合っているし、響は待てる女だ。毎晩根を詰め卒論と勉強三昧。時折ラリってしまいそうだった。そういう時に限って響の方からお誘いが来る。自分で決める息抜きよりも響の決める息抜きの方がリラックス出来る。今日のデートのリードは響に任せて原宿を散策し、響いきつけの古着屋へと行った。
「こんちは」
「おう響ちゃん」
ドレットヘアーにピアスだらけの顔、不自然に手首まで覆うアンダーシャツの店主が挨拶する。レジのすぐ後ろには見せつけるようにビンテージもののシングルステッチのカレッジTシャツ。しかしでかでかと「売約済み」の札が掛けられている。ビンテージもののアメカジは響のフェイバリットだ。喉から手が出る程欲しいだろう。
「やっぱりそれ欲しいんですけど」
「これはダメだ。売約済み。でもしばらくオーナーは取りに来ない」
「そうなんですか?」
「響ちゃんには話そうかなぁ。他にお客さんもいないし、口も堅そうだし……。これを予約したのは、碧沈花だ」
「碧沈花……」
碧沈花。
テロリストのウラオビ・ヨハン・タクユキと怪しい関係があり、大宮と上野、札幌、木場、横浜で暴れたジェイドの偽物ヒール・ジェイドにして、彼女もまたテロリスト。しかも人間じゃない。そういうイメージが膾炙している。響が知っている情報でもそうだろう。フジ、ミリオンとの最終決戦は報道されなかったし野次馬もいなかったので、ヒール・ジェイドは横浜でジェイドを破った後に姿を消したということになっている。
龍之介がウラオビの下にいた頃はまだウラオビと沈花は仲間だったため、龍之介も沈花にいいイメージは持っていない。しかしミリオン、アッシュ、ジェイド、レイ、イツキといった面々は沈花を許している。龍之介はドがつくほどのお人好しである。必死に沈花を知ろうとし、恨まないための情報を探した。恨みに取りつかれ、人間性を失うな、とはアッシュが龍之介に説いた教えだ。結果的にウラオビへの恨みは深まったが、龍之介は碧沈花という人物の人柄を知り、恨めなくなった。
「沈花ちゃんがテロリストなはずない。ウラオビとかいうクズの虚言か、ウラオビに騙されたかだ。ほとぼりが冷めたらいつか絶対に戻ってくる」
ほら、やっぱりそうだ。これが人望というものだ。店長はそれ以上は何も言わなかった。
「この後、音々さんと女子会するから、じゃ、龍之介。勉強頑張って」
響とは原宿で解散し、龍之介は片道約一時間の道のりを歩いて帰った。帰ればまた勉強が待っている。
豪邸のロックを解除して玄関で靴を脱ぐと、人の気配がする。しかし龍之介は武器もスマホも持たず、警戒していなかった。
「イツキさん、来てんのか?」
「うん」
来客は犬養樹だ。ポータルを使えばセキュリティをすり抜けて豪邸にアクセス出来る。響というものがありながらイツキと? 仕方なし。一九六九年(仮)の世界でミリオン、未来から来たアッシュ、過去から来たイツキ、怪獣ナーガの四人で過ごした時間、くぐった修羅場と激闘は強い仲間意識を生んだ。しかしミリオンは一九六九年(仮)の住人。未来から来たアッシュは今のアッシュではない。あの思い出を共有出来るのはイツキだけだ。
イツキも沈花と同じような境遇だ。マインの元について家族と距離を置き、そのまま罪人となり帰らない家出娘。イツキのことを知っていたから龍之介は沈花を許せたのかもしれない。
たまにイツキはここに来る。ただし一線は越えない。イツキはここで日付を跨いでもいいが眠るの禁止等ルールは多い。龍之介は自分が怪獣ナーガだったことは墓まで持っていく。そして墓の下で響にそれを教えよう。イツキとの関係を説明するにはどうしてもナーガのことも必要不可欠だ。つまりイツキのことは話せないし、既に何度もイツキは大森邸を訪れているのでその事実は隠しぬかねばならない。それでもイツキが心を許せる誰かと話せるのは、怪盗ベローチェとして孤独にメタ・マイン復活阻止をする上で精神衛生にいい。
「イツキさんのお父さんって犬養格先生ってマジ?」
「そうだよ」
「普通に研究対象だよ。大書道家じゃん」
今回イツキがポータルを開いたのは、龍之介の兄、敦也の部屋だった。一時はウラオビの甘言で家具をほとんど売ってしまった龍之介もここと姉の奈緒子の部屋は手出ししていない。勉強机も残されたままだ。
「イツキさん、ケガしたのか?」
「ちょっとね」
怪盗活動で痛めたのか、イツキは痛々しく腫れている左手の指を見せた。そしてポーチから湿布を取り出して貼り付けたが、すぐにベロンと剥がれた。
「折れてるかも」
「とりあえずあるもんで応急処置しよう」
そして龍之介は、ふと兄の机の引き出しを開けたのだ。定規とか鉛筆とか添え木になるものがあればいいし、とりあえずセロハンテープでもいいから固定したい。それを切るハサミも必要だ、と。
「うん?」
しかし引き出しが開かない。カギがかかっているんじゃなく、かつかつとつっかえている感触。少し強引に引くと、引き出しからは大量のハガキが飛び出した。
「なんだこれは」
「敦也さんって龍之介くんのお兄さん?」
「そうだよ」
「全部お兄さん宛だね。差出人は……。白石春子さん。差出日は一九九六年。こっちは一九九八年」
「何通あるんだ? この量」
「恋文、文通……?」
イヒヒとひきつった笑み。好奇心と罪悪感がモハメド・アリvsアントニオ猪木の異種格闘技頂上マッチ級にぶつかり合う。そして本来良識ある真面目で礼儀正しい大森龍之介は、勉強のせいで少しその良心が濁ったということにして、イツキに応急処置をしてから兄に宛てられた恋文を読んだ。
“敦也くん
わたしが東京から引っ越した頃、東京の桜は満開でしたが、こちらは今、桜が満開です。こちらに引っ越してまだ一か月です。なのにもう東京が恋しくなりました。街並みも人々も恋しく、早くもホームシックです。
敦也くんはお変わりないでしょうか? お返事待っています。”
「おぉう……。結構ガチめの恋文だな。一九九六年というと、兄さんが高校に上がった年か」
「手紙から察するに遠くに越した恋人、もしくはそうなりそうだった相手からの手紙だね。どうする?」
「消印の日付が近いものを探そう」
「これが次みたい」
“敦也くん
こんにちは。ゴールデンウィークですね! こちらは観光客でいっぱいです! 川に足をつけて涼むには……少し寒いですけどね(笑)
ホームシックが治りません(笑) どうでもいい内容でごめんなさい。
敦也くんの近況も聞かせてください。ゆっくりとでいいので、お返事待っています”
「この人ヤバくない? ヤンデレってやつ?」
「いや、違うよ」
イツキは別のハガキを検めて眉間に皺を寄せた。
“敦也くん
こんにちは。白石春子です。覚えていますか? お元気でしょうか? 少し心配です。東京はもう暑いのでしょうか? あの暑さを思い出すとこちらも悪くはないかも、と少し思えるようになりました。
今年の夏の甲子園は東京を応援しようか、こちらを応援しようか迷ってしまいます。
便りがないのはいい知らせ、とは言いますが、少し……いや、かなり心配です(笑)
お返事を待っています。”
「返事を出していないんだ。お兄さんは返事を出していない」
「バカ兄……」
龍之介は頭を抱えてため息をついた。