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アブソリュート・トラッシュ  作者: 三篠森・N
第2章 拳を振る太陽
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第1話 世界中が俺を待っている

 東京の繁華街。

 ここは人種のサラダボウルだ。日本各地からやってきた人々はもちろん、各種外国人、そして異星人。この町で“人”は働き、学び、遊んだりして、生きている。

 一人の男がいる。

 鈴木(スズキ)(ヒロシ)(60歳)。表向きの職業は、健全な精神と肉体を育む老舗柔道場の館長。裏の職業は、ルールに保護されない暗黒武道の戦士だ。鈴木は裏の職業の戦いの方が好きだった。表柔道は判定や一本のルールに守られた戦い。だが裏は相手を徹底的に戦闘不能にさせるまで戦える。体育、なんて聞こえはいいが、鈴木は一人の男として自分の強さ、そして柔道が最強の武道であることを誇り、証明したかった。柔道が全格闘技最強であることを誇るためには、柔道vs柔道をやっていても意味はない。空手や合気道、ムエタイ、相撲、プロレスだって相手にする。それだって聞こえのいいきれいごとだ。本当はただ()りたかった。

 だが鈴木程の地位や年齢になると、裏の闘技場でもマトモなマッチは組まれない。ルール無用の無差別級とはいえ、還暦を迎えた老人、長年柔道界最強と称されたメンツには、結局気を使われてしまう。それに、今はもう若手の柔道家も裏に挑もうとはしない。他の流派もそうだ。

 平和な世の中や正しい教育、正しいモラル。“戦”は“武道”になり、そして“体育”になってしまったのだ。

 それでも抑えきれない、鈴木の中の戦への衝動と疼き。その欲望を満たす手段はもう一つしかなかった。

 ケンカである。血の気の多い若者を挑発、刺激し、突発的な戦闘を起こす。世間には鈴木のように戦に飢えた人間は少なくない。そういった若者向けの格闘技もあるが、結局そんなやつらはリングネームやあだ名をつけ合ったりしてベタベタ慣れあっている。戦の相手に人格はいらない。戦う間だけ戦力を見せてくれればいい。

 今日も戦を求め、街をぶらつく。


「……」


 おおっ、いい感じの相手がいる。歳は二十代後半? 身長は一九〇センチ超、体重も一〇〇キログラム以上ありそうだ。短く刈り揃えた短髪、オークリーのスポーツグラス、日焼けした肌。発達した筋肉をなんとか包んで、血管まで浮き出てそうなピチピチのレザーのライダースジャケットにジーンズ。それでも特注品のサイズだろう。まるで筋肉の砦だ。四人の仲間を引き連れているが、四人は大名行列のようにいかつい筋肉砦の数歩後ろを歩く。筋肉砦は退屈そうな無表情だが、こいつがリーダーだ。後ろの四人も悪くはないが、この筋肉砦のこの筋肉。ボディビルや体育で鍛えたものじゃない。戦において、威力を極めるためにつけた筋肉だ。鈴木は恋をしてしまった少年のように筋肉砦に視線を送る。


「フッ」


 筋肉砦が気付いた。そして不敵に笑い、ライダースジャケットを脱いで後ろを歩いていた黄色い服を着た女に渡して灰色のTシャツ一枚になる。デ、デケぇ……。鈴木には妻がいるし、若い頃は“寝技”でブイブイ言わせたプレイボーイでもあるが、この巨大な大胸筋はどんな巨乳よりも魅力的だ。飛び込んでしまいたい。

 その思いを汲んでくれたのか、筋肉砦は全身の筋肉を膨張させ、チョイチョイと鈴木を挑発する。筋肉砦が放つ戦のオーラにあてられたのか、通行人たちは無意識に距離をとり、鈴木と筋肉砦の戦が展開されるであろう範囲から消え、戦の純度を高める。


「ダッ!」


 襟を掴んで投げ! いや、投げられない。まるで樹齢千年の大樹……。そんな生易しいものではない。オーストラリアの観光地、“地球のヘソ”とも呼ばれる巨大な一枚岩“エアーズロック”を投げようとしたくらいビクともしない。


「ジジイだからって手加減はしないぜ」


「フン、わかっとるのう、若造」


 勝負はここまでだ。筋肉砦が右腕を引く。何が来るかはもうわかってる。パンチだ。大ダメージを受けるだろう。だが食らう前に降参することはない。真の戦に降参などないのだ。


「ジャラッ!」


 ()()ィッ!

 中世のバリスタのようなパンチが鈴木の顔面を打ち抜いた。頬の骨を折り、歯を折り、鼻から血が噴き出す。脳は峠を攻める出前ラーメン屋の岡持ちの中のラーメンのようにグワングワン揺れ、体から支配を奪う。ブッ倒れた鈴木は、筋肉砦の拳に心を奪われていた。受け切るのが戦とか、そういうことを超越し、筋肉砦のパンチに心を奪われ、見とれていて避けられなかったのだ。

 男冥利、格闘家冥利に尽きる。このまま死んでも本望なくらい最高に気持ちいい顔で笑った。


「名を……。教えてもらえんかのう。お主に恋をしてしまった」


飛燕(ヒエン)頑馬(ガンマ)。もしくは、アブソリュート・レイ」


 アブソリュート・レイ?

 ここで、かつてフジに一千万円を強奪された闇パチスロを経営する異星人ヤクザの記憶を覗いてみよう。

 カチコミエントリー者であるフジが闇パチスロの事務所を襲撃した時、フジはアッシュと名乗った。異星人ヤクザの記憶にはこうあった。伝説の戦士、アブソリュートミリオンの三人の子供。長男の“レイ”。長女の“ジェイド”。次男の“アッシュ”だ。次男アッシュはご存知の通り、宇宙一のクズ野郎フジ・カケル。長女のジェイドはアブソリュートの最高傑作と称される優等生で、現在は寿ユキの姿を借りている。

 かつて最強の柔道家の称号を手に入れた鈴木をイチゲキで殴り倒した筋肉砦・飛燕頑馬こそ、意図的にミリオンやジェイドが言及を避けた存在、レイだと言うのだろうか!?


「レイ」


「久しぶりだな。縮んだか? ジェイド」


 飛燕頑馬=アブソリュート・レイを裏付けるように、一人の少女が戦場に現れる。髪を複雑な形のギブソンタックに組み、白いブラウスにロングスカート、首から勾玉を提げる小柄な少女だ。我々はこの少女に見覚えがある! アブソリュート・ジェイドの人間の姿、寿ユキだ。ユキは鏡、顔面をパンパンに腫らした鈴木に手を当てて冷やしと癒しの波動を送り、双子の兄に不穏な視線を向ける。


「何をしに来たの?」


(イクサ)だ。相手はもう決めている。まず一人目。アブソリュート最強になったお前だ。俺のいないアブソリュートで最強になったな。もう一人、俺がまだ会ったことのない弟、アッシュだ。ゴア族族長外庭数が、自らを改造したメガサウザンとか言うバケモノを倒したと聞いた。よぉーし。ウォーミングアップはまだだが、やるか?」


 頑馬はテキサスの暴れ馬のように鼻息を荒げる。


「いいえ、やらない。わたしはアブソリュートの戦士よ。わたしが最強である以上、わたしは模範でなければならない。くだらないケンカに力は使わない」


「きれいごと抜かすなぁ。所詮アブソリュート人は戦闘種族。悪を討つという大義名分で敵を叩きのめし、戦を貪っているだけだ。本当はやりたいんだろ?」


「……」


 否定は出来ない。アブソリュート・レイは天才だった。もし、彼が道を誤らなければ、今頃アブソリュート最強の座はレイのものだったに違いない。レイの育成に失敗したことでジェイドが最強になったが、そういった経緯から、アブソリュート最強は「育成に成功したレイ」であり、育成に成功したジェイドは最強ではなく「アブソリュートの最高傑作」である、と未だに言う戦士もいる。例えば、レイの師匠でありながら、レイの育成に失敗したミリオンの弟、ブロンコなんかは今でもそうだ。ただひたすらに戦を求め、大義名分や使命、将来のアブソリュート最強の座すらも放棄したレイは、手始めに師匠であるブロンコに戦いを挑んで勝利し、アブソリュートの星を飛び出して放浪の旅に出た。まだアッシュが生まれる前のことである。これに端を発する出来事はまだあるのだが、今はまだ語るべきではない。だがあの未完成な素材の時点で、レイは六大レジェンドの一角であるブロンコまでも倒してしまった。

 そんな履歴を持つレイだ。そして今、レイは履歴書に飛燕頑馬の写真を張り、地球でジェイド=ユキ相手に興奮する。ユキも戦闘種族アブソリュートの戦士。強い相手との戦いを求めるのは本能だ。理屈で言っても、ジェイドの“アブソリュート最強”を完璧にするならば、レイに勝つしかない。戦うならこの上ない相手だ。


「やらない。理由はさっきも言った通りよ」


「じゃ、もう一人をあたるぜ」


「それは許さない」


「アァ!?」


 弟を理由にすれば、ここで戦う動機にはなるか? だが、やらない。この自制心こそ、ジェイドが最強にして手本と呼ばれる所以。


「せいぜい大人しくするのね。友達もいるみたいだし、父さんもブロンコ叔父さんもあなたを待っているわ」


 痛みの和らいだ鈴木を安全な場所に運び、ユキは雪が融けるように消え去った。逃げられることを察した頑馬のパンチが空を切り、舌打ちをする。


「所詮は優等生よ」


 臨戦態勢を解き、ライダースジャケットに袖を通す。人の流れが自然に戻った。頑馬は仲間を引き連れ、繁華街を歩く。その一部始終をジィーっと観察している者がいたことを、頑馬は知らない。




 〇




「フジ」


「なんだ?」


「……なんでもない」


 東京都豊島区池袋!

 西武池袋線や東武東上線、山手線、有楽町線、埼京線など多くの路線が入るターミナル駅を中心とするこの町は、ゲーセンやアニメイトなどが軒を連ねる日本屈指のオタクタウンでもあり、サンシャインシティに構えるポケモンセンターメガトウキョーはポケモングッズの総本山である! と、同時に一人で行くには敷居の高い店でもあり、男性が一人で入店すれば隠し撮りされてネットで晒される確率も非常に高い!

 ガッカリ私立文系のオタクサークル“超常現象研究会”の姫である望月鼎は、大きなピカチュウのぬいぐるみの値札を見てビックリした。


「お? おぉう」


「ちょっとフジ、写メはやめてあげなさいよ」


 こういうやつだ! 自分は女連れだからって、一人で買い物に来ている男にスマホのカメラを向ける。無精ヒゲ、シワシワのダサいチェックの服、ギトギトボサボサの髪……。


「……」


 フジに何か買ってあげたい。鼎はそう考えていた。

 鼎は、アブソリュート・アッシュに変身したフジとメガサウザン&GODの戦いを見ていない。テレビ中継でも見ていないのだ。何しろあの時、鼎はそんなメンタルじゃなかったし、フジが変身した姿を見られたくないと思っているのもどこかで察していた。だから見ない。しかし、鼎は宇宙一のクズ野郎、フジに惚れてしまったのだ。

 フジは酒、女、ギャンブル、タバコ、金が大好きなクズ野郎。テレビゲームでも平気でインチキを使うし、姉にボコられるくらいなら躊躇いなくプライドを捨てる。フットサルの試合でもケンヂを怒らせるようなプレーをしていたみたいだが、似てるのだ。

 初恋の人、古谷くん。彼も孤独で、そしてイキったアウトローだった。フジに古谷くんを投影しているわけじゃあないが、こういう人がタイプなのだろう。

 フジを好きだとわかったから、何かをプレゼントしたい。そしてフジを自分のものってアピールしたい。この積極性は、相手が古谷くんの時はなかった。一度“お預け”を食らったからだろうか? だが池袋は大学から乗り換えナシで来られる。オタサーに見られたら問題になるぞ!


「ハァ……」


 一方のフジも鼎の魅力に気付いていた。素材がどうこうではない。先日、回転寿司で大トロ、中トロ、ネギトロ、赤身、中落ちを爆食いしていたフジはこんなことを考えた。女性はマグロであると。

 女性はマグロという素材と一緒だ。だがフジが好きなのはマグロではなく、大トロや中トロの寿司である。女の子は、マグロを一本丸ごと持ってきて「召し上がれ」ではダメなのだ。ちゃんと寿司や刺身、ムニエルのような食べられる料理に仕上げてから「召し上がれ」なのだ。マグロを一本持ってきて、「あなた好みの料理にしてください」なんていうのは無責任だ。別れた後の面倒まで見られないし、後々になって「あの時あなたに刺身にされたせいでその後の人生に支障をきたした」なんて言われても困る。

 その点、鼎はよくやっている。鼎はオタサーで磨かれているので、素材の望月鼎ではなく、料理の望月鼎になっている。オタサー向けではあるが、黒髪のロングのぱっつん前髪姫カット、絶対領域を見せるハイソックス、ピンク中心のカラーリングのロリータ系ファッション、髪飾り。フジの好みかどうかは知らないが、鼎の素材、技術、経験値の最大公約数はこの“オタサーの姫”だ。それはフジに恋をしてからも変わらない。ベストを尽くしている。だから鼎を褒めてやってもいい。鼎は決して大トロや中トロではないが……。メガネを外して至近距離で見た鼎からはそういう最大限の努力や、ちっぽけでも守るプライドが見えた。

 だがそういう経験をしたことないくせに女性をマグロ呼ばわりするのは己が情けなくなるので、実際にこの話で鼎をほめるときは女性=マグロではなく女性=金塊と言い換えることにしよう。いきなり金塊渡すんじゃなくて延べ棒とか金貨にしてこい、と、つまりそういうことだ。

 もちろん、男の方もそうだ。ポケモンセンターに一人で来て、隠し撮りをされるほどの哀愁を漂わせてはいけない。

 お気付きのように、フジと鼎、相思相愛である。だが所詮は井の中の“オタサーの姫”と、女性に恥をかかせてまだ会わせる顔を持つ宇宙一のクズ野郎だ。だが、いろんな面で今は鼎がリードしているだろう。


「フジ?」


「あぁーあ」


 クッソ楽しい……。キャバクラやメイド喫茶とは違う。


「あぁああッ!」


 そして陰湿な人間に隠し撮りされそうなくらいに唸り、地団駄を踏む。


「鼎はどのポケモンが好きなんだ?」


「でんきタイプが好き。特にジバコイル。レアコイルのままでも強いし、それどころかコイルのままでも強いんだけどね。シナリオでいつもお世話になってるから」


「ふぅん。ジバコイル? それのグッズはねぇのか?」


 出来るだけ長く、鼎をこの場に引き留めなければならない。

 ポケモンセンターメガトウキョーはサンシャインシティの中。窓はない。外で何が起きているかなど、アブソリュート人のような特殊な感覚を持たない地球人にはわからない。

 空に二つの太陽が浮かび、地面から重力とは逆さまに吹雪が舞う。熱風と吹雪がぶつかり合い、東京を異常気象が襲っている。吹雪の中から発射された特大の氷柱のミサイルを人型になった太陽が殴り壊す。砕けた氷柱はすぐに融け、蒸発してしまった。


「ジャラッ!」


 人型の太陽がもう一つの太陽の光を背に受け、影を作って降臨する。

 深紅の素肌にシルバーのライン、巨大な岩石を想起させる膨大な量の筋肉、胸や肩を覆うプロテクター、頭部には巨大な一枚の刃が装着されている。

 ()(シャ)ァン!!

 五十三メートルの特大巨人の着地は大地を割り、東京大学付属植物園のガラスと植物が砕け散って燃え上がる。


「テアー!」


 吹雪が一か所に集まって渦を巻き、雪の繭から巨大な翅が伸びる。ラクーアのジェットコースターが氷の鱗粉をまき散らす。頭に髪飾りのような二枚の刃を持ち、振袖の趣がある衣装を纏った純白の三十六メートルの大巨人は、東京ドームのてっぺんに音もなくゆっくりと着地する。その丁寧さと柔らかさは巨大な風船である東京ドームをへこますこともしない。


「俺の名はレイ! 行く手を阻むものは、この手で叩き伏せる! それがレイの使命、それがレイの願い!」


「秋霜烈日、ジェイドの光が敵を裂く!」


 双子の戦士が名乗りを上げる。相反する高温と超低温のグラデーションは、両者のオーラのように顕現する。


「北風と太陽だな。引き摺り出すことに成功したぜ」


「強引なやり方ね」


「別にお前じゃなくてもよかったさ。今日に限っては、俺はアッシュの方を狙ってたぜ」


「何度も言わせないで。アッシュに手は出させない」


「いいぜいいぜ、そういうの! その姿! 強化形態か。やはりお前も持っていたな」


 レイの陽炎のオーラがより一層強くなる。五十三メートルでマッチョなレイと三十六メートルで華奢なジェイド、その体格差は暴力的だ。ジェイドは己を律する。ここは地球で、守るべき人々がいる。自分が楽しんではいけない。


「ジャラァッ!」


「テアーッ!」




 〇




「フジ、写真撮ってあげるね」


 鼎はピカチュウのぬいぐるみをフジに押し付け、スマホを向けた。フジはあんまりポケモンセンターにハマってないのか心ここにあらずだが、鼎にとっては天国。今後もフジと関係を維持、或いは発展させていくならば、自分の趣味はわかってもらうほうがいい。鼎はポケモンのプレイスキルはイマイチだが、オタサーについていけるぐらいには知識はあったし、キャラクターは好きだったし、配信者のプレイ動画も観ていた。でんきタイプが好きだということもウソじゃない。しかし鼎はフジの本来の能力が電気であることは知らなかった。


「おう、ありがとな」


「フジ……。アニメの『ポケットモンスター』の主人公のサトシっているじゃん」


「ああ」


「サトシは英語版では、アッシュって名前なんだって」


「へぇ」


「フジ……。行ってもいいよ」


「え? 何が?」


「今、スマホをチラっと見たらニュース流れてたよ。お姉さんが戦ってる」


「気にするこたぁねぇよ」


「そうは見えないけど、そうなのかな」


「気にしてんだぜ? シスコンって言われたこと」


 フジはため息をついてピカチュウのぬいぐるみをだっこしてポーズをとった。


「……スマン、行ってくる。鼎。安心しろ。お前さんにはそこそこいい守護霊がついてるみたいだ。お前さんの身は安全だ。そんな顔するな」


「そんなんじゃないよ……」


 ピカチュウのぬいぐるみを預け、一歩、二歩、三歩とどんどん歩幅が広くなり加速する。人垣を抜け、ガラス戸をくぐる。もう炎天下でも吹雪でもないが大気が不安定だ。バリアーの足場を上昇させ、周囲を見渡すと東京ドームの辺りに氷の鱗粉が残り、その遥か先の豊洲に陽炎がある。だがどこにもいない? これだけ派手に戦っていたはずなのに姉も相手もいない。


「うぅん」


 その時、不思議なことが起きた。


「飯田橋?」


 フジに直接、誰かが話しかけたのだ。バリアーの足場を作ったこの場所には誰もいないはずだが……。足場の向きを飯田橋に向け、法政大学の裏で高度を落とした。


「姉貴!」


 飯田橋の路上に、寿ユキは倒れていた。体中に青あざや火傷を作り、呼吸をするのが精いっぱいのようだ。だが衣服に乱れがない。変身後にやられたのだ。


「カケル」


「誰がやった? ブチ殺してやる」


「今のあなたじゃ無理よ……。相手はアブソリュート・レイ」


「レイだァア……? あのレイか?」


「強くなってた……。あの頃とは比べ物にならないぐらい強く……。“神器”や強化形態まで持っていた。わたしもやられてただけじゃないけど……。ジェイドリウムに閉じ込めて、海まで運んで被害は最小限に留めた」


「へぇ……」


「レイにもかなりの深手を負わせたわ。しばらくは動けない。今のあなたじゃ勝てないわ。でもレイは危険。アッシュ! 修行よ。今のわたしではレイに勝てないし、レイもわたしには勝てない。時間はある」


「ふぇぇ……」


「アブソリュートの星には三つの神器がある。一つはわたし、一つはレイが持っている。まだ一つ余っているわ。あなたが持ちなさい! そして強化形態を手に入れて、二人でレイを倒すのよ!」


「ふぇえええ……。あ、ダメだ。アニメの『ポケモン』が始まる時間だ!」


「アッシュ?」


「行けたら行くわ。今日は俺のガールフレンド、鼎ちゃんとアニメの『ポケモン』を観る予定だからダメだったわ。来週もだから日曜は忙しくて修行は出来ない」


「アッシュ!?」


「いやぁ、よく考えれば姉貴と同じぐらい強い相手と戦うとかマジ無理だったわ」


「でも、こうやって来てくれたじゃない?」


「漁夫の利狙いだ! 勝ち目がねぇ。俺はそんなケガ出来ないもん。俺のガールフレンド、鼎ちゃんが怖がるし心配するから無理ィ。知ってるでしょ? 鼎ちゃん。アブソリュートミリオンも知らない世代だよぉ。怖い世界から遠ざけないと」


「だから、鼎ちゃんを守るためにも……」


「姉貴! アブソリュートの戦士に限界はない! 守るものがあれば、いくらでも強くなる! 姉貴ももう一段階ぐらい強くなれるはずだ! 敵は何も守ろうとしてないんだろ? 姉貴は街や人々を守るために、わざわざジェイドリウムを使ってレイを海まで運んでから戦った。立派だぞ姉貴ィ! この勝負、実質姉貴の勝ちだ! 何も気にしないでいい更地……。グランドキャニオンとかエアーズロックとかで戦ってたら姉貴が勝ってたって! 次はそういうところでやってくれ。あ、『アニポケ』の時間だ。姉貴ももう大丈夫そうでよかったよ。じゃあな。いや、ホント……。無理なんで。勝てぬから!」


「でもメガサウザンやGODと戦えたじゃない!」


「確変! 確! 変!!」


 ついに地球に集った“レイ”“ジェイド”“アッシュ”の三兄弟。

 戦を求める戦闘種族アブソリュート人の血を巡り、宇宙最大の兄弟ゲンカが今、勃発しようとしていた。

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