第49話 ドリームガールズ
「わたし、この戦いが終わったら、ちゃんと大学に行こう」
「不吉なセリフね」
「わたしはあそこが好きだったんだ。あそこは何をしててもいい。学び、遊び、恋愛。そこでみんなはもう就活の準備をしてる。わたしだけがしてなかったんだ」
「……イタミ社で働くつもりだったのね」
「パァ! だよパァ! でも働くことの楽しさを知れた。きっとどこでも上手くやれるさ。狐燐さんや鳳落さんみたいな人はイタミ社にしかいない訳じゃあないよ」
そう簡単じゃない。もう碧沈花は大悪人として素性を晒されてしまい、社会復帰は叶わないだろう。それに目の前にいるのは、対峙しているのは寿ユキだ。
「じゃあわたしを倒して夢を叶えることね、『ドリームガールズ』。もうあなたはビヨンセよりも注目されて一挙手一投足で一喜一憂される」
ユキが人差し指をピンと伸ばして沈花に向ける。両者は悟った。この構えはゼータストリームショット。そしてケイオシウム光線だ。やはりヒール・ジェイドはジェイドの模倣であるようだ。
Splat!
水滴の弾丸の一発目はトキシウムエッジで振り払い、毒素が溶けだした毒液が弾けてコンクリをほんの少し腐食させた。
「チチッ」
次と、その次と、その次と線を引き続ける水の火線。このまま剣を振っていく。丁寧丁寧丁寧に。時間差で迫る水の弾丸は沈花の視界を覆い尽くしたが、順序も軌道もタイミングも全てピシャリだ。面で見えた水滴の弾丸を線で捉えて消していく。
やはりこのゼータストリームショット! 子供向けの市販品より性能のいい水鉄砲でしかない。いくらコーティングしても水滴では弾丸に適した形状にはならず、速度も威力もイマイチ、殺傷能力の調整がメインで決め手にはならない!
「チエ?」
Zap!
ユキの指先で何かが光った。背筋に氷をあてられたように鳥肌が立つ。来るのは水滴の弾丸ではない何か、速度と危険を感じる。
「直感優先!」
回避ではなく刃での防御を選んだ。この戦いのテーマは直感優先、そして精神論と結果論、結果はこの後わかる。そして舞い散る白銀のオーブ。
「アレ?」
鳥肌が立ったのは沈花だけではなかった。得物のトキシウムエッジも細かい毒液を鳥肌のようにけばだたせて霜と氷に覆われ、紫の刀身は白く凍り付いている。やられた! さんざんゼータを撃墜させたのは刃に水を付着させ、凍結させて毒そのものを封じることだった!
「わたしの氷はわたしの頭より固い。それで刃こぼれを起こせるかしら?」
最強の戦士の疾走は沈花に考える暇を与えない。そういった隙を消すための直感優先のはずだが、直感も時間が足りない。その疾走が離陸した跳躍は蝶の翅が舞うようにふわっと宙に浮かび、沈花の感性はその美しさに見とれてリアクションが一瞬遅れた。
「テアーッ!」
飛び蹴り一閃! フジのドロップキックよりは数段地味なはずなのにしっかりと紫の挑戦者の体幹を揺るがし、のけ反らす。脊椎と筋肉が直立を保とうと反応すると次々と打ち込まれる鋭い打撃!
「テテテテテテテテア!」
沈花の腹、胸、顔面に立て続けに肘、手刀、拳打がリズムゲームよろしく打ち込まれる。その数、実に九回! 沈花の体の反応と反射に連動したラッシュは沈花の感性を暗い色に塗り潰していく。
「ブリーチだ!」
「テアーッ!」
しなやかなる跳躍はフジのような溌溂さを感じさせないものの、物理法則を無視して浮かぶような滞空を見せ、ピンクの頭の中身を感性、思考までもベタフラッシュで真っ白に染める回し蹴り! ピンクの頭に降りた霜が蹴りの反動で沈花の中央を挟んで反対側に散って小さな吹雪になった。
ブリーチが利かない。反撃? とんでもない。無理をしてもポジティブが戻ってこない。
嫌なイメージを払拭するように闇雲に拳を振ると純白の戦士は一瞬屈んで下に躱し、斜めの屈伸運動で沈花のあばらに肘打ち、勢いのままにお土産屋の外壁に沈花を押し込む。大福の逆だ。大福は白い餅が紫のあんこを包むが、白い寿ユキは鋭く紫の碧沈花に包み込まれる……いや、めり込んでいる。
目の前の餅が利き手を引く。こいつは頑馬と比べて四十センチも小さい! 体重だって八十キロ差近くあるだろう。その拳が……。
ヤケじゃない。頑馬の拳を耐え抜いた過去が根拠。これが直感だ。耐え抜ける! 沈花はガードを上げた。
……。
……「沈花ァ」……。
「沈花?」
「アレ? 何してんの、チカコちゃん」
「あんたこそ何してんの? 周りで就活対策してないの、あんただけよ」
「まぁぁわたしゃあね」
「バイト先にエスカレーターなんて楽でいいね。あんただけよ、バイト代でリクルートスーツ買わずに古着買ってんの」
「就活は地獄って聞くよ。わたしは楽でよかったぁ」
「沈花。嫌味で楽でよかったねって言ってんの、わかんない?」
「何それ。同調圧力ってやつ? みんなと一緒に就活で地獄を見ろってこと?」
「それも理由の一つ。あんたのバイト先、クビになることだって潰れることだって無きにしも非ずよ。丸腰でいいの?」
そうして形だけ行った就活対策。
基本的にはどこへ行っても何をするにも三種の神器だ。
自己分析、企業研究、学チカ。
挨拶、敬語、清潔感。
面接、筆記試験、グループディスカッション。
度胸、愛嬌、ハッタリ。
正攻法、奇襲、強襲。
ついこの間まではイタミ社がなくなるなんて想像もつかなかった。それでもこの走馬燈は都合がいい。ヒントがここにあるはずだ。
自己分析。自分はバカだ。良くも悪くもそれが特徴、上手く使って特長にする。
企業研究。ジェイドの戦いは何度もおさらいした。
学チカ。今、まさにやっているこれがそうだ。メッセ、レイを倒した物凄い経歴があるのに学チカが『ファイナルファンタジー7』と古着屋巡りなんてもったいない。
挨拶。これは鳳落、狐燐にしつこく教え込まれた。いざって時の就活対策や不慣れな挨拶でこの二人が気分を害したからではなく、当たり前のスキルとして自然と身に着くよう指導が徹底されていた。
敬語。こっちは双右の教えの賜物だ。就活では役に立たないが、慣れてきた相手にはふとした瞬間に適度にタメ語を挟むことで人懐こさを強調させる。そのバランスはファール線ギリギリのバントのようなシビアなラインだ。しかし天然の人たらし沈花は、双右が理詰めで行うこれを天然で出来る。
清潔感。流石にまともな就活なら茶髪ともピンクとも古着とも一時おさらばだろう。それが嫌だから就活は対策しかしないんだ。
面接、筆記試験、グループディスカッション。就職先は決まっているのに、就職先の協力を得て就活対策というデタラメな境遇のおかげで、就職先から必殺のバカを授かった。
度胸、愛嬌、ハッタリ。これの才能は持っている。
正攻法、奇襲、強襲。今は正攻法、いや正防法……。
「テアーッ!」
「ヂ……」
結果論の結果から明かそう。沈花は大ダメージを負った。
寿ユキの脳から伝った電気信号は筋肉と神経で加速して威力を作り、打撃の瞬間に骨と関節を支えることでさらに攻撃力を高めた。
寿ユキは愚かな弟であるフジ・カケルと違い、偉大なる父アブソリュートミリオン最大の弱点である致命的な視力が遺伝しなかったため狙いをつけた場所を的確に射抜いた。天性のタイミング、経験則から敵が手薄になる瞬間もパーペキ。
沈花の体を通り抜けた衝撃はお土産屋の外壁にヒビを入れる。さながら羽を広げた孔雀の尻尾。その孔雀本体の場所にいるのが、あとは調理されるのを待つだけのチキンみたいに半ばひっくり返る形で足を放り出して尻もちをついている沈花だ。
「どぉした!? それで終わり!? プラの秘宝を使用しておきながらその体たらくはだらしがないわ!」
「まさか寿ユキがそんなトゲトゲしたフキダシで話すとはね……。確固たる……自己分析と学チカ……。問題は相手を知るための企業研究……。足りなかった」
本来のジェイドはクールとは程遠い。それは彼女が地球に弟の様子を見にやってきたときにもうわかっていたことだ。あの時、彼女は弟の力を見たいあまりに少し無茶な形で試したし、アブソリュート・レイとの最強の座をかけた戦いも楽しんでいた。
だが最強の戦士はそうした隙を外庭、マイン、ウラオビのような敵に悟られず隠しぬいてきた。その隙を沈花に晒しているということは、知ったからには殺すということか、アッシュやレイのように知ることを許される領域に到達したのか。
「盛り上げる意味なんてねぇぞ。既にそいつはメッセとレイを倒した大悪人。ジェイドが苦戦する姿は世間の安心を揺るがせる。トドメを刺せるなら刺すんだ姉貴。いや、ジェイド」
「黙ってなさい。あなたもわかっているはずよ。戦いというものは常時姿を変える異形の魔物。今のじゃ仕留められていない。一つ一つ慎重に摘む」
年齢、経歴、力量の違いがある本物と偽物のジェイド。二人の共通コミュニケーション手段は一つだ。戦うことだけ。それしかない。それでも沈花は指を伸ばす。こんなに震えた指じゃスマホで使いたいアプリのタップすら出来ない。
「イテテ、っていうかおっかねぇ。思ってたより強いよぉ……」
「あなた自身が、あなたが思ってるより弱いからかもよ?」
それではいけない。レイとメッセに面目が立たない。気持ちを奮い立たせろ。経験値で劣る自分には、それしか出来ないんだから。
「ケイオシウム光線……」
指の先に連なる波紋の径、数。そこにも如実に違いが表れている。
「チエ?」
その輪が……大きく、多い。そして輪の中心をくぐる紫の閃光は、くぐるなんてレベルではなかった。輪を飲み込む程の直径に膨れ上がり、破壊のエネルギーの稲妻、泡沫、火花を迸らせる。そして火柱を上げて炸裂した。今はまだ爆炎が晴れていない。見えるのはメガネの奥で目を見張る狐燐、片足に重心をかけて緊迫の反応を見せるフジ。徐々に紫の煙が散り、地球にもゴアにも当てはまらない文字で描かれた魔法陣の防壁の溝を浮かび上がらせる。その魔法陣の向こうには、相変わらず不動で純白のレンガの家だ。
「……」
余計な情報を与えないよう、愚かな弟はポーカーフェイスを装い、口をつぐんだ。
バリアーはアッシュの専売特許ではない。むしろ広く使われているアブソリュートの基本技。初代、プラも使用可能で、隠していただけでマインも習得していないはずがない。この技を上手く扱えないのはミリオンくらいで、レイの場合は必要とせず、シーカーはまだ習得していなかった。アッシュの場合はその才能に特化しており、バリアーの一点ならばジェイドさえも凌駕する。通常のケイオシウム光線ならばジェイドのバリアーでも防ぐことが出来た。しかし今の極大のケイオシウム光線をバリアーで防げないと判断したジェイドは咄嗟にネフェリウム光線を撃ち、相殺したのだ。あの魔法陣がその証拠。
沈花と狐燐の“企業研究”がキッチリしていれば今のがバリアーではなくネフェリウム光線だと見抜き、寿ユキの動揺を察知できただろう。
「フュージョンエンジンの効果ね」
「ん?」
「フュージョンエンジンはアブソリュート・プラの秘宝。プラは光化学スモッグやヘドロに汚染された空気や水を力に変えるためにその道具を使った。沈花さん、あなたはウラオビの言った通り、他の生物の力を吸収して自分の力に変える能力を持っている。それが味方をしてメッセとレイに勝つことが出来た。それは異物を還元するフュージョンエンジンと同じ仕組み。その左手。レイに切断された後、フュージョンエンジンで繋げたそうね」
「うん」
「フュージョンエンジンの力が左手に集まっている。異物を力に変える力が相乗効果を生んで、左手のみ過剰に強化されたケイオシウム光線を撃てる。そんなところ?」
「だとしたら」
「だとしたら?」
「プラにも感謝しなきゃ」
この戦いの結果を明かそう。沈花は、ジェイドがクールとは程遠いと思い知ることになる。
今はまだ知らない。自己肯定から自己PRと学チカが始まる。鼻っ先にぶら下がった小さな希望ですぐに調子に乗れるバカであるという特長。何度もリフレインする。これのおかげで! メッセとレイに勝てた! この楔を打ち込んで純白のレンガの砦をよじ登る!
「ケイオシウム光線ッ!」
火力がブーストされたケイオシウム光線の軌跡が地平線、そして横浜の水平線と並行でなくなり、空に向かって伸びる。横浜ガンダムベースの横を遠すぎた白い影、紫の閃光。それを追う青いはためき。
空に舞い上がってケイオシウム光線を躱した姉をフジは追った。ガンダムの機動に備えた一眼レフカメラ、港の見える丘公園のライブカメラ、中華街のニュースイーツでバズり狙いのスマホカメラのフォーカスが一瞬だけジェイドに合う。
「ッ」
弟とフォーカスを置き去りにソニックブームの彼方に消えたユキの姿はフジの目からも消えた瞬間、大きく光った。雲をくぐったフジはようやく万有引力の力に従った赤いフレームのメガネをキャッチする。そして虹が真下で真円を描いた。
「テアーッ!」
雲のない空からの雨でハロを作ったゼータストリームの嵐は高度が下がるにつれて軌道を変え、フジには視認出来ない着弾点に向かってマンガの効果線のように一点集中し、今度はその虹すらも消して見せた。ぴちっとフジの唇が裂ける。空気中の水分を使用して敵に発射したせいで空気が急激に乾燥したのだ。フジには空の彼方の姉も見えない。その姉が放った水の弾丸が敵に効いているかどうか、そもそも当たっているのかすら定かではない。その答え合わせがやってくる。
ZAAAP!
水滴のパースの集結した場所から放たれた稲妻、泡沫、火花を纏った紫の閃光は点、円、円錐、線の順でフジのメガネに映る。
ケイオシウム光線を見送ったフジの目が次に捉えたのは先ほどとは段違いの面積の……魔法陣!
ZAAAAAAAP!
翡翠色の光線がブーストされたケイオシウム光線の紫を緑で完全に上書きし、フジより少し下で何か小さなものに当たって光が弾けた。その遥か下で横浜の海に着弾し、水をまき上げて巨大な波紋を描いた。
バシャンという音は聞こえないが、ネフェリウム光線着弾の波紋の縁でまた波紋、まるで月面とその小さなクレーターだ。それは巨大すぎるジェイドの力に牙を立てたヒール・ジェイドの非力さを暗示していた。
フジにはわかる。これは出力を上げたネフェリウム光線だ。ヒール・ジェイドはブーストしたケイオシウム光線でいい気になったが、それをかき消すこのネフェリウム光線を放ったジェイドは、強化形態でもなんでもない、素。
「さしずめ、バラ色のキャンパスライフを夢見て入学祝のお小遣いで買ったVersace、新歓コンパでBersaceだって笑われた気分かしら?」
カッチブーだなポンポコジェイド。愛してるぜぇ。