『お人よし侯爵家』の事情・下
さて、その『お人よし侯爵』ことラベージ侯爵は現在、緑豊かな王都の、中心部より少し南に離れたところに住んでいる。
広大な敷地と歴史を感じさせるタウンハウス――もう少し詳しく言うなら、標準的な侯爵家のタウンハウスが五つ、六つはいって余りある土地と建国と同時期に建てられた屋敷、そこが侯爵夫妻の『本拠地』である。この土地以外にも、地方には領土や荘園が複数あり、それらはいずれもきちんと管理されている。
その結果王家よりも金持ちになったともっぱら評判のラベージ侯爵家だが、商売熱心なわけでもなくケチなわけでもない。人よりちょっとお人好し、気前がいい、あまり損だとは考えないタイプ、なのである。
たとえば――。
この広い土地、なにも侯爵が欲しいと思って買ったものではない。人助けのために購入したのである。
かつてこのあたりには、貴族のタウンハウスがいくつも建ちならび、まさしく富と権力の象徴だった。
だが、今から2、30年ほど前に、王国全土を前例のない不景気が襲った。発端は干ばつと寒波だっただろうか。領地からの収入が激減した王侯貴族は、あわてて己の利益や私腹を護ることのみにはしり、民の苦しみに蓋をしたどころか、領地からの税を重くし民には質素倹約を命じた。飢える民から食べ物着る物を奪い、自分たちはそれまでと変わらぬ暮らしをおくろうとした。
当然、民の怒りを買ってしまう。暴徒と化した民は、大臣や王族の家屋敷を次々と襲撃した。その時に誰かがあちこち火を放ったため、王都はあっという間に焼け野原になってしまった。
ラベージ家のタウンハウスが無事だったのは、奇跡といって良い。それも、地形の都合でほんの少し奥まったところに屋敷が建っていたことと、その時すでに、ラベージ一家が、当時の当主の意向で貧困にあえぐ民の救済、孤児院や病院の建設に力を注いでいたから暴徒がラベージ家は意図的に見逃したのである。
暴動によるけが人の手当てを終えて屋敷に戻ったラベージ家の人たちは、焼け野原に涙を落とし、自分たちの屋敷が無事であることに驚いたという。
そして、暴動がおさまったのち、ラベージ家にはひっきりなしに客が訪れていた。彼らは暴動により住む場所をなくした貴族である。
「助けてくれ……家も財産も何もかも失った……」
やつれて項垂れ、恥も外聞も投げ捨てた彼らには嘲笑が浴びせられ石が投げつけられたが――ラベージ侯爵家はそんな彼らに救いの手を差し伸べた。彼らが差し出すままに、土地や建物を買ったのだ。
なぜ助けるのだ、と、憤る人は大勢いた。もちろん、ラベージ家の身内にもいた。だが、先代のラベージ侯爵は、白いひげをゆったりと扱きながら穏やかに告げた。
「彼らは我らと同じ王国の民。困った時は助け合うのが民の務めでしょう。彼らが立ち直ればいずれ景気はよくなり国もよくなるというものです」
「父上、彼らが我が家をどうやって助けるというのですか!」
「我が息子ディルよ。我が家の子孫たちが――いずれ困窮するでしょうな。富が続けばそれを食いつぶす者があらわれるのが世の常。その時に、誰かが助けてくれる――かもしれない。もちろんそれを期待するのはどうかと思うが、まぁ、そういうものだよ」
わけがわからないよ、と、ディルは憤ったが、息子の妻・ローズは静かに頷いていた。
「わかる気が、致します……見返りは求めない。それでももしお返しをしてくださるなら、と考えるなら――そうね、今でなく、遥か未来で構わない。わたくしは、そう理解しました」
この時に息子――当代ラベージ侯爵は、円形脱毛症になるほどに深く考えた。経済学者や議員、長老や司祭やシスターらに面会し、考えを深め、世のため人のため、を、決意したらしい。
そしてここから怒涛の勢いで『お人よし侯爵』っぷりを発揮することとなる。
王都の人々のほとんどが、ラベージ侯爵の考えを理解しているのだが、困ったことにひとり、理解できていない人物がいた。
「ああもう、本当に信じられない。お人よし、世のため人のための精神の延長で娘の結婚まで決めるとか、ありえない!」
娘・アンジェリカである。
わたしのためなんて何も考えてくれていないのよ――と、アンジェリカは信じている。
「そんなはずないでしょう? あなたにピッタリの男性よ」
と、母や使用人、愛人のギィズまでもが口をそろえるのだが……。
「あんな男、今に追い出してやるわ。変な男を連れてきたおとうさまも、今に見ていらっしゃい」
と、鼻息が荒いのである。