使用人たちの事情
ギィズとアンジェリカが向かった薔薇園には、王家に献上するようなみごとな薔薇が咲き誇っている。
「お嬢さま、ギィズさん、いらっしゃいませ」
明るい金髪を無造作に背中で束ねた屈強な男が、恭しく薔薇園の入り口で頭を下げた。二年ほど前から薔薇園を任されている庭師のアニスだ。堀の深い整った顔だちと優雅な所作は、貴族の子弟と言っても通用する。が、庭師である。
「アニス、真面目に働いてるわね」
「はい、もちろんです」
アニスは恭しく頭を下げる。
「今日も薔薇がとっても綺麗よ」
「ありがとうございます」
アニスがギィズに花束を差し出し、ギィズはそれを恭しくアンジェリカに渡す。小ぶりだが綺麗な花束に、アンジェリカの頬が緩む。
「ふふ、嬉しい。ありがとう」
「お嬢さま、お茶の用意もできてます」
メイドがひとりいて、お茶とビスケット、テーブルとイス、パラソルを用意している。
「俺は、母屋に花を届けてきますのでギィズさん、お嬢さまの護衛と留守番をお願いします」
ギィズが小さく頭を下げ、わかったわ、と、アンジェリカは微笑んでテーブルについた。形の良い鼻が小さく動いて、ギィズが微かに笑う。
「だ、だって、いい匂いだったんだもの……」
「うん、わかるよ」
枯れ木のように細いメイドが無表情に二人の紅茶を用意し、テーブルの傍らに立つ。やれやれ、と肩を竦めたアニスが、宥めるようにメイドを誘導する。
「だってアニス!」
「なんだい、チコリ?」
「ご結婚なさったお嬢さまと、どこぞの男を二人きりにするなんてはしたないでしょう! とんでもない醜聞よ!」
キッと眉を吊り上げたアンジェリカがチコリにティーカップを投げつけようとするのを素早くギィズが留める。
「アンジェリカ、だめだよ」
「ギィズ、あなた、酷い言われようなのよ!」
いいんだ、と、ギィズは首を横に振る。チコリはそんな仕草にも腹が立つらしい。
「まったくお嬢様を誑かして……旦那さまも奥さまも、どうしてこんな男の出入りをお許しになるのか、あたしにはさっぱり理解ができませんね」
「チコリ、いけないよ。使用人の立場で、主のお客さまを貶めるような発言は控えないと」
は、と、アンジェリカはため息をつく。ギィズと自分は愛し合っている恋人なのに、どうして誰もかれもがギィズをお客扱いするのだろう。
「そうよ、早くあの男を追い払わなきゃね……」
しかし、父のお金が目当てのクヴァイン、簡単に離婚に応じてくれないだろう。
「まったく――どうしてこんなことになっちゃったのかしらね」
ギィズに敵意剥き出し――といっても社交界の普通の感覚だろうが――のメイドを宥めながら歩み去るアニスの経歴も、少し変わっている。
彼は、元王家お抱え庭師の嫡男だった。名人の誉れ高い父親と一緒に庭師として働いて将来を期待されていた。
だが父親が――一説には同僚からの嫌がらせで――脚立から落ちて大怪我を負ったことにより一族は職を失い、あっというまに食うに困ったらしい。そしてアニスは容姿と腕力に物を言わせて詐欺を働くに至った。警察や王宮の警備隊に毎晩追い回され、ガラの悪い男たちとの付き合いが増えるに至った。
そしてとある夜会で知り合ったアンジェリカを結婚詐欺のターゲットに選んだ。そつなくすり寄ったのだが――詐欺を、ラベージ侯爵夫人に見破られた。
侯爵夫妻の前に引き出されたアニスは、すっかり項垂れていた。己の美貌と弁舌、腕力でどんな相手でもねじ伏せられると信じていたのに、侯爵夫妻には全く通用しなかった。
アンジェリカは怒り狂ったが、ラベージ侯爵はアニスを警察に突き出すことなく、庭師の腕前をかって薔薇園の庭師として雇ってくれた。
過去を咎めることも、必要以上に同情することもなく、仕事と住む場所を差し出してくれた。アニスは己の所業を恥じた。罪悪感に苦しむアニスを、近所の教会へ連れて行き、然るべきタイミングで奉仕活動に混ぜてくれたのも、ラベージ侯爵だった。
給料はたっぷりともらえたため、彼は悪事から足を洗うことが出来たし、彼の父は病院で治療を受けることが出来ている。
もちろんお金を持ったことで、それまでの仲間が彼に群がる様になったが、悪い仲間から守ってくれたのも、縁の切り方を教えてくれたのも侯爵夫妻だった。
――本当に、本当に良い人なんだ……ラベージ侯爵夫妻は……
アニスは何があっても侯爵夫妻に尽くそうと思っている。あの夫妻が娘の結婚相手として選んだクヴァイン。きっと、何か見どころがあるのだろう。
夫妻が娘の結婚相手として選ばなかったギィズ。きっと、何かがあるのだろう。
「俺は使用人として、主一家が心地よく過ごせるように心を砕くだけさ」
「あたしは、そんなふうには、割り切れないのよ!」
アニスの数歩前を、肩をいからせて歩くメイドのチコリ。そろそろ二十歳だと聞いているが、その体つきはどうみても十代前半の少女のそれだ。
「旦那さまも奥さまも、あの男のことは認めていないのよ! それはつまり、御二方の心を乱す不穏分子。追い払うのがあたしたちの役目よ!」
「だけど、ギィズさんを追い払うと、お嬢さまが泣く」
「お嬢さまは、少しくらい泣いた方がいいんです!」
足の裏を地面にたたきつけんばかりにして歩くチコリ、メイド服の襟元からちらちらと見える彼女の首回りには、無数の傷がある。
そう、彼女もまた、侯爵夫妻に助けられた人物のはずだ。