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アンジェリカとギィズの事情

 そのころアンジェリカは、ギィズが奏でる竪琴を聞きながら湯船に浸かっていた。

「苦労して手に入れた甲斐があったわ。いい気持ちよ……」

 それは宜しゅうございます、と、腕まくりしたメイドが二人、口をそろえる。彼女たちはアンジェリカ専属のメイド、離れの大広間で沸かしている湯を、桶でせっせと運んでいるのだ。

「なぁに、つんけんしちゃって。あなたたちも、お風呂に入ればいいのよ」

「お嬢さま、これらの制作費用、お水や薪などの費用がどれだけかかっているかご存知ですか。お金がいくらあっても足りませんよ!」

 小太りのメイドが額に汗を浮かべて喚くがアンジェリカはお構いなしだ。

 この国――マイゼンターク王国には入浴という文化がない。そのため、当然バスタブもない。そこで、ギィズに絵をかいてもらって王都で一番の鋳物職人にたのんで大きな金盥を作ってもらった。しかしそれだけではシンプル過ぎる。美しさや遊び心が足りないと感じたアンジェリカは、王都で一番の銀細工職人を呼んで特別に装飾を施してもらった。

 当然、安くはないお金が動いている。

 知ったことではないわ、と、アンジェリカは鼻を鳴らした。

「お父さまが、あの男の家を支援するために捻出するお金より少ないと思うわよ。なにせ、王家もお手上げの貧乏貴族、借財の金額は国家予算並みとのうわさですもの。お父さまもあんな男の何が良くて支援することにしたのかさっぱりわからないわ。きっとね、あの男、お父さまを騙したに違いないと思うの」

「お嬢さま! 仮にもご自分の結婚相手を捕まえてあの男呼ばわりはいかがなものかと」

「いいのよ。あんな仮の婿なんて!」

 仮の婿!? と、メイドたちの声が揃った。

「そ。正式に婚姻届け出したし教会にも夫婦登録したけど、どうせお金に目がくらんで結婚の承諾をして、お父さまに見捨てられないよういい子ぶってるだけでしょ。だから仮の婿よ。そのうち化けの皮が剥がれてお父さまに追い出され……」

 言葉が不自然に途切れた。アンジェリカが言い終わらないうちに、桶のお湯が二筋、アンジェリカの頭上から一気に注がれたのだ。

「な、な、なにするのよっ」

 濡れないように軽く結ってあったこげ茶色の長い髪は崩れてしまい毛先から雫が垂れる。文字通り頭のてっぺんからずぶぬれだ。

「お嬢さま、あんまりな言い様はご自身のご両親様をも穢すことになるとお心得ください」

 目を吊り上げたメイドたちの脇から、上等なタオルが差し出された。微苦笑を浮かべた異国の衣を纏った背の高い男性――ギィズがタオルでアンジェリカを包んだ後、バスタブから引き揚げた。

「湯の中で頭に血がのぼると倒れてしまうこともあるんだよ」

 入浴という文化をアンジェリカに教えてくれたのは、諸外国を旅してまわっているギィズだった。

「アンジェリカ、このバスタブは決して安くはない買い物だ。それはわかるね?」

 こくん、と、アンジェリカは頷く。

「購入資金の内訳、どうなっているか知ってるかい?」

「半分はお父さまがだしてくださったわね、残りはいつの間にか支払いが済んでいたわ」

 それはね、と、ギィズが再び微苦笑を浮かべる。この国では珍しい灰色の瞳がアンジェリカをまっすぐに見つめている。アンジェリカは、彼のこの瞳が大好きだ。

「君の歓心を買いたい、君を喜ばせてお父上と近づきたい、そんな男たちが払ったんだよ」

「やっぱり男は――あなた以外は、お父さまのお金が目当てなのね。あの男と一緒だわ」

 そうかなぁ、とギィズはつぶやく。

「ならばどうしてお父上は彼を愛娘の結婚相手に選んだんだろうね? もっといい条件の男はいくらでもいたはずだよ」

 なにせアンジェリカは社交界で一番モテるレディだ。

 同年代の令嬢たちの中で誰もかなわないほどに美しい容姿と、破滅的に社交的な性格もあるが、王家より資産を持っていると囁かれる侯爵家の一人娘、結婚すれば莫大な資産が転がり込んでくる。それに惹かれない男はいないだろうと言われる。

 ただし、常に複数の男との浮名が絶えないし、自分の誕生日に劇場を借り切ってオペラを演じさせながら豪勢な誕生パーティーを開いてみたり自分の為だけのオペラを書かせてみたりと、遊び方も相当激しい。

「お父さまがあの男に騙されたとしか思えないの。たまに見かけるけど、いつも善人面してお父さまに媚び諂って、嫌いよ! ああ、ギィズ、早く離婚してあなたと一緒になりたいのに……」

 アンジェリカは白い腕をギィズに巻き付ける。その腕を、ギィズは優しく撫でた。

「アンジェリカは侯爵令嬢。ぼくは、旅の吟遊詩人。しかも異国の男で過去を一切明かしていない。一緒になるには課題が多すぎるね?」

 しょんぼりするアンジェリカの体にタオルを巻き付け、ひょいと抱き上げる。

「さあ、薔薇園に特等席を用意したんだ。ティータイムにしながら新作の恋歌を聞いてくれるかい、姫?」

 よろこんで、と、アンジェリカは微笑んだ。


 ギィズはちらりと母屋を見た。

 アンジェリカを愛しているのかと聞かれれば、返事はイエスだ。

 だが、アンジェリカの夫になりたいかと聞かれれば、返事はノー。


――金も地位も花嫁も私には必要ない。


 頃合いを見計らってアンジェリカを、あの桁外れに人の良い侯爵夫妻のもとへ、おそらく最高の婿であろうクヴァインのもとへ、帰さなくてはいけない。

 そう思ってはいるものの、天真爛漫な彼女といるのは楽しい。彼女といる時だけは世の中が明るく見えている。

 いつどうやって別れを切り出すか。ギィズは心を決めかねていた。


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