ラベージ家の事情
「父上、母上、おはようございます」
王都中央通りの端に位置する三階建てタウンハウスの一階に、青年の朗らかな声が響き渡った。
青年が立っているのは、派手過ぎない程度に装飾が施された食堂である。
食堂の大きな木製のテーブルには美味しそうな朝食が並び、びしっと並んだ執事やメイドが恭しく館の主人であるラベージ侯爵夫妻を迎える――この国ではありふれた、貴族の朝食風景である。
「おお、パンもベーコンも焼き立てだね。いい香りだ」
「わたくし用のスープもできたてですわ、あなた」
きちんと身だしなみを整えた夫婦が、まるで食べ盛りの子どもたちのように目を輝かせる。それでいて下品に映らないのは、彼らが醸し出している、洗練された雰囲気のおかげだろう。
「さあ、冷めないうちに、お召し上がりください」
彼らの傍らでにこにこと笑う青年は、スマートな仕草で夫婦をエスコートする。
「毎日、出来立ての朝食を用意するなんて……大変でしょう? 無理はしなくていいのよ?」
夫人が、ふたたび忙しく働きまわりはじめた使用人たちを見ながらしみじみと言うのにはわけがある。
この国では、朝食といえば貴族のもの、しかも前夜の残り物を食べるのが普通なのである。出来立ての朝食をテーブルに並べるなど、この家くらいだろう。
「ときに、クヴァイン。夕べの残り物はどうなったのかね?」
「はい、父上。残り物がでないよう料理長が計算したのでほとんど無駄はありませんでした。そのうえで、慣例に従って裏通りの棚にも並べました」
「そうか、ありがとう」
貴族の屋敷の裏、そこにはたいてい、木製の大きな棚が置いてある。
毎日の夕餉の残りや、着なくなった衣服や読み終えた本が並ぶのだ。これは貧しい人のための『施し』であり、何百年と受け継がれてきた王国の伝統である。
ゆえに、それを行わない貴族は『ケチ』『器が小さい』とみなされてあっという間に社交界で笑いものになってしまうため、貴族たちは多少無理をしてでも棚にいろいろなものを並べる。
民もまた、何のためらいもなくそれらを持っていく。
それらは過剰に作用し、働かなくても施しだけで食べていける民が出るほどである。ラベージ侯爵は、この制度を改善しようと試みていた。
「各家庭が無駄なく食べ物を消費し、国や領主が貧困の民を救済する組織をつくるのが、一番良いと思うのだがなぁ……」
夫人も、傍らの青年も静かに頷く。
「長年の伝統だ、いきなり壊すと反動や反発もある。少しずつ無駄をなくしていこうと思う」
そう呟く侯爵の席には新聞と手紙の束、印鑑とペン、資料が運ばれてくる。
そして夫人の席には訪問者カードや手紙の束とペンが揃えて置かれる。本来なら執事の仕事であるが、この家では青年――クヴァインがそれをする。
主人夫婦が朝食をとりながらそれらの仕事を捌くのをサポートするのは、どこの家でも執事の役割である。そのため執事は大抵、主人夫婦の傍にいるものだが、この家の場合は少し事情が異なる。
ベテラン執事のチャービルは、使用人たちを指揮して朝食の総仕上げに取り掛かっているため、手いっぱいである。そのため、クヴァインが代わりを買って出たのだ。
チャービルの指揮下でくるくると働く使用人たちを眺めながらテーブルに着いている侯爵夫妻はゆっくり会話を始めた。
ともに白髪の目立つ年齢に差し掛かっているが、上品に年を重ねていて今も仲睦まじい。
理想の夫婦だと、クヴァインは思う。
「ぼくらも、こうなれると良いのだけど……」