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はじめに

大宝(たいほう)元年(西暦七〇一年)、藤原不比等らの編纂によって大宝律令(たいほうりつりょう)が成立、施行されました。然し乍らその中身は唐で用いられていた律令に近く、日本で使うには支障の大きいものでした。そこで、藤原不比等は大宝律令施行後も律令の改修作業を続けていました。しかし養老(ようろう)四年(西暦七二〇年)に不比等が鬼籍入りし、この作業は長く停止しました。

その後、孝謙帝の御代であった天平勝宝(てんぴょうしょうほう)九歳(西暦七五七年)、藤原仲麻呂の主導によって作業の停止されていた新律令が施行されました。これこそが養老律令(ようろうりつりょう)なのです。大宝律令との違いとしては、語句や表現の変更や法令不備の修正にとどまるとされていますが、一部異論も唱えられています。この話は本題から外れるので深く言及しません。

養老律令の施行後、桓武帝の御代にこの律令の改正が試みられました。刪定律令(さんていりつりょう)刪定令格(さんていりょうかく)の二つがそれに当たります。刪定律令は神護景雲(じんごけいうん)三年(西暦七六九年)に成立し、延暦(えんりゃく)十年(西暦七九一年)に施行されました。続いて延暦十六年(西暦七九七年)に刪定令格が成立し、同年施行。養老律令を補うものとして期待されていましたが、民心の不安を招いたとして弘仁(こうにん)三年(西暦八一二年)に刪定律令が停止され、事実上廃止されました。令格についても同時に停止されたと考えられています。

以降新たな律令が作られることはなく、また養老律令廃止の宣言も無かったので、名目上は明治維新まで存続しています。尤も、平安中期までには形骸化していますが。


以上、大宝律令成立以降の律令の変遷を簡単に述べました。今回私が皆様にご紹介するのはこの内の「養老律」であります。現代の刑法と比べられるものですが、当然古代人と現代人の価値観は異なるため、現代では既に無いような内容も存在します。昨今の男女同権思想やら人権思想やらに相反する内容もあるでしょうが、原典を尊重するために、かの主張に従った配慮などは行なっておりません。予めご了承ください。


原文は全て漢文で記されています。そのため、本文構成としては、白文と訳文を併記した後に解説を記載する形をとります。白文内の旧字や則天文字などは支障無い範囲で新字に置き換え、振り仮名は訳文に振り、解説では用語解説などを主とします。他にも分からない単語などあれば感想にてお書きください。出来る範囲で解説し、また必要によって本文に書き加えます。

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