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真っ白の空間。

いつものように車掌室の前に乗り込んできたこのみちゃんを見つけて、僕は小さく手を振った。すると、彼女がいつものようにニコッと笑う。


安全確認を済ますと、僕は運転士へとGOの合図を送り、その日も通常通りの業務、そして同じようにこのみちゃんに癒される日になると思っていた。


けれど、いつもと状況が違ったのだ。


まず五駅目のいつもの駅で、このみちゃんは降りなかった。僕がおかしいなと思って首を傾げると、このみちゃんはバックから本を出して、車掌室の窓に押しつけてくる。よく見ると、大学案内のパンフレットだった。


平日ではあるが、ガイダンスか何かがあるのだろう。志望大学が知れたということとその大学が最終駅にあると気づくと、僕は今日はラッキーだと思い嬉しくなった。


そんな気持ちを抑えながら、僕は納得したという顔をして、ふんふんと頷いて親指を立てた。このみちゃんはニコッと笑い、パンフレットをバックの中に仕舞う。


(来年の春には大学生、か)


ぽっと浮かんだ考えで、胸がドキッと鳴った。高校生はマズイが、大学生なら普通に付き合える。


彼氏がいるかも知れないが、僕でももしかしたら告白ぐらいはできるかも、と恐れ多いことを思いながら、このみちゃんを見た。バチッと視線が重なる。重なって照れたように下を向くが、彼女は直ぐにまた僕を見る。


(うわあ、あからさまに見てくるなあ。これはもう、俺に気があるんじゃねえのかなあ)


自信はないが、そうだといいなぁと、素直に思う。


このみちゃんが行く予定の大学が、あと二駅と迫った駅を離れて、電車がゆっくりと走り出す。


次の駅まで距離もあり十分な時間もあるので、車内アナウンスを流そうとマイクを持って、カンペを取り上げた。


いつもなら乗っていないこのみちゃんが不思議そうに首を傾げたので、僕は窓にカンペをくっつけて見せた。

このみちゃんはそれを読むと、顔を上げて、嬉しそうにニコッと笑う。


僕はその笑顔にやられそうになりながらも、カンペをこちらに戻すと、マイクのスイッチを押した。


「毎度、ご乗車ありがとうございます。この電車は高畑方面、北町行きです。お降りの際は、お忘れ物のないよう、お気をつけください」


マイクを離し、フックに掛ける。


彼女の方へと顔を向けると、このみちゃんは笑顔で、小さく小さく拍手をしている。


彼女の唇が、すごい、と言った。


僕は、真っ赤であろう自分の顔を隠すように右手を口元で握ると、ごほごほと二回、咳払いをした。


心が満たされていく。熱を持ったほわっと温かいものが、どんどんと身体中に溜まっていく。


これはもう、恋だ。


僕は、そこで観念したのだ。終点の駅に着けば、車内点検をするので、その前に多少の時間の余裕がある。その時、僕はこのみちゃんを呼び止めて、ラインとかメアドとか、そういうのを訊こうと心に決めた。


(連絡先を聞けたら……デートに誘って、それから告白すればいい)


そう思っていたのに。


終点のホームで電車が止まる。


「このみちゃんっ」


勇気を振り絞った。


ドアを開けると、車内から出て車掌室の横を通って改札方面へと行こうとするこのみちゃんの名前を呼んで、声を掛けた。


彼女は振り返って、いつもするように手を振った。そして、そのまま踵を返して行こうとする。


「あ、ちょっとっ‼︎ このみちゃんっ‼︎」


今度は、呼び掛けても振り向かない。「このみちゃん」と二度と呼び掛けたが、後ろ姿のままだ。


僕は痺れを切らして後を追い掛け、彼女の肩をぽんっと叩くと、彼女はようやく振り向いた。


その顔に「?」を感じると、何度も呼んだのに振り向いてもらえなかったという羞恥心が途端に湧いてきて、僕はつい「無視しないでよ」と言ってしまった。


このみちゃんは、驚いた顔をしてから、慌ててバックに手を突っ込んだ。中からメモ帳とペンを出すと、何かを書いている。


その様子を見て、バカな僕は。自分の心が以心伝心でもして願いが届いたと思ってしまったのだ。メモにメアドを書いてくれたのだと思った。


けれど見せられたメモには、メアドでも携帯番号でもない、思いも寄らない言葉。


『ごめんなさい。無視ではありません。耳が聴こえなくて』


え、と思った。


耳が聴こえないってどういうことだ、と思った。


このみちゃんは僕の驚いた顔を見て表情を曇らせると、慌てて右手を顔の前に持っていき、人差し指と親指で眉間をつまむようにしてから、手を開いて上から下へ下げると、ごめんなさいのジェスチャーをした。


手話だ。


そして、手話を知らない僕でも、その意味は分かるくらい、このみちゃんは頭を何度も下げた。


けれど、僕は思いも寄らぬ事実に衝撃を受け、「うそだろ、じゃあ、さっきのは何だったんだ?」と言ってしまった。


そうだ、さっき車内アナウンスを聞いて、拍手をしてくれたじゃないか。


このみちゃんは、すぐにメモにこう書いた。


『聴こえませんが、何を言ってるかはわかります』


ふちの方に、『くちびるの動きで、』と追加してある。


腑に落ちた。


そうか。


だから、じっと顔を見ていたのか。


僕は、さっきまでは有頂天になっていた自分の足元を、すこんっと払われたような気がした。あまりの衝撃で、倒れそうになる自分を支えるどころか、立て直すことも出来ない。


「何だよ、それ。騙された、な」


ぽつりと溢れた言葉に、彼女の身体がビクッと揺れた。僕の唇に注がれていた視線は、徐々に下へと落ちていき、そして。


ぽたっと、彼女の足元に水滴が落ちた。


それが、このみちゃんの涙だと、直ぐには気付かなかったという失態。


彼女は直ぐに、手話で何度も謝ると、くるっと背中を向けて、走り出した。エスカレーターを駆け上がる後ろ姿。僕は、それをぼけっと見送った。


ピーンポーン、ピーンポーン……


目の不自由な人向けのチャイムがホームにではなく、立ち尽くす僕の胸の中に響き渡っていった。



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