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一度だけの駆け込み乗車。


その女子高生は、僕が車内アナウンスのマイクを離すと、ニコッと笑い小さく小さく、とても小さく拍手をした。


彼女の唇が、すごい、と言った。


✳︎✳︎✳︎


幼い頃からの夢だった電車の運転士になるため、僕は市営の地下鉄を運営する鉄道会社に就職した。 研修を終えた僕は、まずは運転士になる前段階の車掌となった。


いつも通り駅の駅員室を出ると、ホームで先輩の車掌と交替する準備をする。パアンッと汽笛を鳴らして、地下鉄の電車が、車体を若干斜めにしてホームに入ってくる。


「佐藤、お疲れ〜」


電車から降りてきたのは、運転士に憧れるちびっ子たちの夢を片っ端からぶち壊していくチャラ男の花田先輩だ。


「お疲れさまっす」


「なあなあ、ちょうクールなハンドサイン考えたんだけど」


そう言って、右手の指を二本だけ立たして、電車の進行方向を指す。


「何ですか、それ」


面倒に思いながら訊くと、「前方に女子大生・かくに〜ん」と言う。


僕は、はあそうですか、と生返事を返してから、車掌室に乗り込む。車掌室のドアから半身だけ出して、目視でホームの安全確認をすると、ドアの開閉ボタンに手を掛けた。


「ちょ、さっきのやれってー」


「やったら、何かいいことあるんすかね? 例えば、その女子大生に惚れられる、とか」


先輩を諌めながら、少し大きめのボタンをぐっと押し込むと、プシュっと音をさせて、電車のドアが閉まった。


「咲ちゃんにモテる」


咲ちゃんとは沿線の保育園に通う、電車大好きっ子の女の子だ。乗る時にいつもバイバーイと、大きく手を振ってくれる。


僕は呆れた顔をしてみせると「発車オーライ」と声を上げた。


車掌室のドアの窓から見る景色は爽快だ。僕は、次第にスピードを上げながら、後ろへと流れていくホームとオリジナルのハンドサインを披露している花田先輩の姿を見送った。


✳︎✳︎✳︎


ある日のことだった。


朝のラッシュがひと段落して、一旦は乗客の足が途切れる時間、僕がいつも通り車掌室から上半身を出しながら、ドアの開閉ボタンに手を掛けていると、僕の斜め後ろから、さっと人影が視界の端に入り込んだ。


(おっ……と、危なっ)


ドアが閉まるのを案内するチャイム音は、すでに鳴り終わっている。


車内にさっと滑り込んだ制服のスカートが、地球の重力をまるで感じさせないというような柔らかさで、一瞬ふわっと浮いてから消えていくのが見えた。


見覚えのある制服。それは、この駅から五つ目にあるホームで毎朝、程よく混雑を引き起こしてくれる、とある私立高校の制服だ。


「……オーライ」


一呼吸置いてから、ドアを閉める。


ドアに何も挟まっていないことを確認し、運転室へと繋がっているブザーをプッと鳴らすと、電車はゆっくりとスタートした。


僕はいつものように安全確認のためホームを見送ると、車掌室から車内を見渡すことができる大きな窓へと寄った。


車内へ通じるドアには通常カギがかけられており、客が車掌室の中を覗き込めないように、窓にはブラインドが掛けられている。


僕は、そのブラインドを上げて、車内放送用のマイクを持つと、スイッチを入れて、口を近づけた。


「お客様にお願い致します。駆け込み乗車は大変危険ですので、お止めくださいますようお願い申し上げます」


丁寧な言葉で告げ、マイクを切って定位置に戻そうと顔を上げた時。


先程、車内に滑り込んでいった制服が、こちらを見ていた。


(さっきの女子高生、か)


肩までの黒い髪が電車の揺れに合わせて左右にサラサラと揺れている。その女子高生は、バックを両手に抱えながら、右側のドア口に立っていた。


目が合った。目が合って、それから彼女が、ぺこりと頭を下げた。


僕は一瞬、何だと思った。何の動作なのだと疑問に思った。


挨拶なら軽く顎を打つだけだろうから、頭頂部のつむじが見えるぐらいに深く頭を下げたということは、「謝罪」なのだろう。


そして僕は、彼女が先程の駆け込み乗車を謝っているのだ、ということに気が付いた。


女子高生の真っ直ぐなその行為を見て、僕はこれ見よがしに車内放送を使ってまで注意をしてしまったことに、少しの羞恥心と後悔とを覚える。


(いやいや、これが仕事だから。俺は間違ってないんだよな。ごめんね、仕事だからね)


何度も心で繰り返す。


それくらい、心で言い訳やら何やらをしてしまうくらい、その女子高生は可愛らしかったのだ。


サラサラと揺れる黒髪だけじゃなく、弓なりの眉毛の上で切り揃えられている前髪。バックをぎゅっと抱える仕草。


僕は、女子高生に真摯に謝られて居たたまれなくなると、僕も頭を下げてから、手を軽く振った。けれど、手を振ってからこの動作が、「いいよいいよ大丈夫だよ」という意味をまるでなさないことと、そして手を振るなんてまるでチャラ男先輩がよくやるナンパのようだと気がつくと、慌てて親指と人差し指でマルを作って、OKサインを作った。


すると、彼女はにこっと笑って、再度頭を下げた。可愛いつむじが見えなかったから、今度は挨拶だったのだろうと思う。


(良い子だ)


僕の胸は、一気に暖かくなった。それが、彼女との出逢いだった。



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