甘い年越しと恋人
果たして年の始めにこのサイトの新着小説を覗く方はいらっしゃるのか……あけましておめでとうございます!
この一年ですっかり生活感が増した四畳半。中央に設置された炬燵と、そこに収まる私たち。
「……もう十一時か。今年最後は何が観たい?」
「『こーはく』がいいわ」
「はいはい」
実際は観ているわけでもなく、ただ何となくチャンネルを合わせた年末特番。
淡く光る長方形の中では、熱唱するアイドルグループが観客たちの声援を浴びている。年末に遠出など全くご足労なことだ。
視線を巡らす。
半開きのカーテンから覗く外の世界も、心なしか落ち着きがない。夜にどんちゃん騒ぐのは、好きじゃないけれど、この心地よいそわそわ感は嫌いじゃ無かった。
視線を巡らす。
––––今年は本当に、色々な事があった。
隣でふぅふぅと蕎麦を冷ます少女を微笑ましく思いながら、私は感慨に浸っていた。
「はえ、ほおーひはほほふき。ほんははひはひひへ」
「飲み込んでから喋れお嬢様」
「んぐっ……いい加減そんな風に呼ぶのやめてよ宇希ぃ」
言いながら、純日本人的黒髪の持ち主は、私の肩に寄りかかってくる。長い髪からは、ムカつくくらいイイ匂いがした。
私を呼ぶ彼女の名は深雪。私の隣人であり、いつの間にやら恋人と化していたお調子者だ。
「重い、重い。離れて」
「もぅ〜、ツンデレさんなんだからぁ」
「あんたのパーソナルスペースが狭すぎなんだよ!」
「ふふふ……ほんとにツンデレさん」
え、何その微笑み。可愛い。
「……うっさい」
口では悪態をつきつつも、満更でもなく彼女を迎え入れてしまうのは、この数ヶ月で私が絆されてしまったから。
なんだかんだ可愛いこの子のことが、心底好きだから。
「宇希も早く食べなさいよ。ちょっと甘いけど美味しいよ」
「言われなくたって……って、あっま!? 何これ、砂糖味!?」
自分の分の蕎麦を啜ると、砂糖漬けにされた甘っこい蕎麦の味がした。
味付けを担当した深雪を睨むと、顔立ちだけはお淑やかな彼女はこてんと首を傾げた。
何か変な味した? とでも言いたげなその表情に苛立ちを覚えた私は、砂糖漬け蕎麦を再度箸で掴むと、深雪の口元へ持っていった。所謂あーんの体勢。
「……食べろ」
「えっ!? あーんしてくれるの!? わぁっ、すごいレア! 宇希が寝室でも無いのにデレてるわっ!」
「…………食べろ」
「はいはーい! いただきまーす! ……別に普通の味よ?」
「お、ど、れ、の、味、覚、が、原、因、か!」
「ひぃぃっ、いひゃい、いひゃいよ離ひへよぉー」
頰を引っ張ってやる。が、瞳に涙が浮かんだのを見て、すぐに止める。痛がらせたいわけじゃないから。
「あんたに少しでも調理ができると思った私がバカだった……」
私と深雪が親しくなったキッカケは、隣の部屋に越してきた彼女が初めての料理で大失敗し、窓からモクモクと黒い煙を出していたことに起因する。
『か、火事ですか!? だ、大丈夫ですか!?』
『たすけてくださいぃ……コンロから火がぁ……』
『は?』
行きたい大学があると、親を強引に説得して受験した果て、この地域へやって来た深雪は正真正銘の箱入りお嬢様で。
このアパートまで辿り着けたこと自体、奇跡に近い方向音痴のポンコツだった。
その日放火未遂を起こした彼女を自宅に招き入れ、代わりのご飯を振舞って以来、
『美味しいです!』
『あ、ありがとうございます……』
『また来ても良いですか!』
『は?』
妙に懐かれてしまった。今では三食全ての食卓を共に囲む仲である。
私が同じ大学に受かっていたことも、仲間意識を持たれる一因になってしまったのだろう。
「大方、砂糖と塩間違えたんでしょ……」
「えぇっ、違うわよぉ。私が入れようとしたのは粉チーズ……」
「なんで粉チーズと砂糖間違えるんだこのポンコツ!」
「ぎゃんっ!? ……って、あんまり痛くない……?」
手加減したからね。
聞くんじゃなかった、たまには少しでも調理の手伝いがしたい、なんてトチ狂ったこいつの提案。
行くんじゃなかった、こいつを少しでも信頼して調理中にトイレなんて。
「……うぅ、なんで年の締めくくりにこんなに叩かれなきゃいけないの……DVだ……DV宇希だ……」
「あんたがマトモなら私もあんたの言うツンデレ? とやらから変われると思うんだけどね」
「ほんと!? じゃあわたしもっとマトモになるわ!」
「……まぁそのままでも十分可愛いんだけど」
「?」
世間知らずだから、ていうのもあると思う。だけどそれだけじゃ説明できないくらいに深雪は物事に対して純粋で、真っ直ぐで、愚直なくらい素直だ。
「まあ、わたしに言わせれば宇希も勉強面はマズイと思うわよ」
「……う」
「わたしが居ないと、テストダメダメだもんね!」
「……それは、本当に助かってる。ありがとね」
「えっへへんっ、どういたしまして! そうやってお礼はきちんと言えるとこ、わたし大好きよ」
「私も、深雪のこと好き」
彼女への感謝と好意だけは、安い照れ臭さなんかで誤魔化したくない。
「一人ぼっちの私と、一緒にいてくれてありがとう。いつも明るく、引っ張ってくれてありがとう。私のご飯、美味しいって言ってくれてありがとう」
私は性格悪いしすぐ手が出るから、あんまり友達は多くない。数少ない学友も、高校卒業と共に連絡を取らなくなってしまった。
そんな私を見捨てないで、ニコニコしながら私の手を取ってくれて、目を輝かせて料理を頬張ってくれる。
そんな性格を好ましく思う人は多いから、深雪なら私なんかよりもっといい人と関係を築いていけるのに。
『次、そんなこと言ったら許さない』
半年くらい前にボソリと零した時、涙を流しながら恐ろしいくらいに怒られたから、思ってはいても口には出さないけど。
普段温厚な分怒るとすごく怖いし、勉強もできるし、よそ行きの顔は人当たりが良くて大人っぽいけど、私にだけは子供っぽいところを見せてくれる。
そんなお嬢様らしからぬポンコツお嬢様が、私はどうしようもなく大好きだった。
「えっ、えぇっ!? ど、どうしたのよ宇希っ。いつものツンデレさんらしくないじゃない! 明日雪降る!? それとも熱ある!? 看病するわよ!」
「今は冬だから普通に雪も降るわ」
「あ、それもそうだったわ」
そんな私を見た深雪の反応ったらない。人がたまに素直になったら化けて出た先祖でも見たような顔して……まあ、そんな慌てっぷりも好きだ。大好きだ。
「あんたに看病任せたら燃えてるお粥とか出されそう……じゃなくてさ」
ちらりと、壁にかかった電波時計に目をやる。
十一時五十五分。もうすぐ、今年が終わる。
「年の瀬くらい素直にその年の感謝、伝えてもいいでしょ……」
「うっわ、顔真っ赤……やっぱりその顔可愛いわ。初めてご飯もらった時から、照れた顔がずっと変わらず一番好きなの」
「……う、うっさい」
勢い無く拳を振るうと、両方とも深雪に掴まれ、抱き寄せられてしまう。
心臓が煩い。正面の胸からも、ばくばく音が聞こえる。
深雪だって、照れてるんだ。
「もうすぐ、カウントダウンよ」
「……う、うん」
身長は肩が並ぶくらいなのに、今は変に私が縮こまっていて深雪がそれを抱いているから、まるで彼女が年上のお姉さんであるかのような錯覚をしてしまう。
こんな風に彼女の体温を感じると、普段の振る舞いも全部忘れて、甘えたくなる。
「みゆきぃ……」
「あらら、甘えモード……そういうのは、年が変わってから、ね」
「……うん。それまでは、我慢する」
早く来年になれ。来年になったら、次はその来年。
大学を卒業して、二人で部屋を借りて、同棲して、それで。
「ずっと、一緒にいよ……」
「うん……そうね」
やがてテレビから、年を跨いだ歓声が上がる。
『ハッピーニューイヤー』。それは、一から始まる新たな年の知らせ。
「みゆき……」
「うき……」
それを合図としたか、それとも偶然か。
理性の蕩け落ちた私たちの頭は、互いの唇の暖かさと、相手への熱情のみを意識していた。
今年もよろしくね、深雪。
蕎麦「伸びるから早く食べて」