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おかえり人類  作者: 志野 友一
第一章 復活
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第五話 悩み

「おやすみなさい」

 少女の声に呼応するように、個室の出入り口をシェードがふさいで、同時に照明もゆっくり光量を落とし始める。

 一人になった途端、それまでのらりくらりとやりすごしていた喪失感が襲いかかってきた。それはまるで、前後左右で同時に起こった雪崩のように、逃れようもなく、すさまじい勢いで僕を苛んだ。

 実際のところ、ヒューマノイド・インターフェースの少女から突きつけられた現実は、目覚めて間もない僕がすぐさま受け止めるには過酷すぎるものがあった。

――どうか、ショックを受けないでいただきたいのですが。

 彼女はそんなふうに前置きしていたように思うけれど、それはどだい無理な話だった。

――地球人類は、滅亡しました。ただ一人、あなただけを除いて。

 聞かされたときには、どう反応していいかもわからなかった。けれど、こうしてゆっくり噛みしめてみると、それはとてつもなく悲しい現実だった。

 冷凍冬眠に入る直前、父さんは僕に一言、さようなら、と告げた。

 僕の病気を治す方法が、一〇〇年やそこらで見つかるということは考えられない。つまり、僕が晴れて目覚めの時を迎えたとしても、父さんはもちろん、友達も誰一人として生きてはいない。だから、これが今生の別れになる――そう補いつつ、父さんはさりげなく目頭を拭っていた。それは、いつでもマイペースで、傲岸不遜で、でも優しい笑顔を絶やさずにいた父親が、息子に見せた最初で最後の涙だった。

 目を覚ました僕は、だからもう、知っている顔には誰一人会えないことを覚悟していた。けれど、友達はおろか、その子孫とも、まるで関係ない他人まで含めて、もう誰とも会えることがない、という――それはさすがにちょっと、話が違う、と思う。

 核の炎で瞬時に蒸発させられた数十億人。その余波に苦しめられた挙げ句、命を落としていった数百万人――ハルカ曰く、数字はいずれも概算ということだったけれど――まるでその一人一人を順々に悼むかのように、途方もない悲しみが僕を包んでいた。


 明くる日も、朝から快晴だった。

 ベッドサイドの壁面にモニターを呼び出して、自分の顔を映してみる。幸い、涙の跡は残っていないようだった。

 テントの外壁にしつらえられた透明樹脂製の窓からは、じりじりと肌を焼くような、木漏れ日と呼ぶにはいささか強力すぎるぐらいの陽光が差し込んでいる。外出にはまたとないコンディションだ。けれど、僕は何というか、自室から出ることにあまり気乗りせずにいた。

 気分が晴れやかでないとか、やはり面倒くさくなったとか、そういう話ではない。どちらかといえば、目覚めは昨日と同様、すっきりとしたものだった(七万年強ぶりの目覚めと、たかだか八時間ぶりの目覚めとが、感覚的に大して変わらなく思えるというのは、ずいぶん不思議な話ではあるけれど)。ただ、少々――いや、正直に言うと、少なからず――気まずい、という感情が、目覚めてから三〇分あまりを経てなお、僕を寝床に引き留めていた。


 ハルカが父さんから託された使命は、とにかく僕を健康に長生きさせるという、まあ医療用ロボットとしては至極まっとうなものだった。そのこと自体は別にいいというか、まったくもってありがたい話ではあるのだけれど、問題はその健康管理の方法にあった。

 昨夜、夕食後にテントの使い方を一通りレクチャーされ終えた僕に、ハルカはその小さな手のひらを向けて、「重ねてください」と言った。何のことかわからずに固まっていると、彼女は有無を言わさず僕の右手首をつかみ、半開きになっていた手の中にねじ込むようにして、その左手のひらと重ね合わせる形を取った。

「左手も同じように。脈拍と血圧、体組織――そして、大まかな血液の状態を見させていただきます」

 要するに、僕はこれから毎晩、夕食後ごとにそうして彼女と手を合わせては健康状態のチェックを受ける必要がある、ということになる。もちろん、それが不愉快なわけではないし、むしろ一般論としては幸運と呼べないこともないのだろうけれど、何というか、気恥ずかしさの方が先に来てしまう。

 何の自慢にもならない話をすると、僕は女の子という存在に一切の免疫がない。もちろん異性の級友や知り合いが一人もいなかったわけではないけれど、その誰とも世間話以上のやりとりを経験したことはなかったし、覚えている限りでは身体的接触もしたことがない。幼稚園に入る頃に家を出た母親はカウントに入れないものとして、まともに触れる異性としては唯一の存在が一人、もとい一体。整った容姿の、けれど劣情を催すのも倫理的にいかがなものかと思わせる、幼い少女のなりをしたアンドロイドだけが、夜ごと僕と手を合わせに来るという。ほぼ間違いなく、この状態が死ぬまで続くと考えると、何というか、感情の着地点が見つからない。

「エイジさん?まだお休みですか」

 そして、そんな僕の心中など知る由もない彼女は、当たり前ながら昨日と全く変わらない調子で、寝床の僕に伺いを立ててきた。

「ああ――ごめん。ちょっと、考え事をしてた。今、起きてくよ」

 できるだけ何気ないふうを装って返すと、僕は手早く枕元の服を身につけ始めた。


「もし、ですが」

 僕が朝食を食べ終え、コーヒーのカップに口をつけたところで、ハルカはしばらく真一文字に結んでいた口を小さく動かした。

「エイジさん、あなたがなにかお困りだったり――お悩みだったり、何か問題がおありでしたら、どうかご遠慮なく、私にお話しください。なにぶん不慣れなもので、見当違いな物言いをしてしまうこともあるかもしれませんが――できる限りのことは、いたしますので」

 相変わらずその表情は乏しかったけれど、彼女なりに僕を心配してくれていることは見て取れた(あるいは、与えられた責務を果たそうと懸命なだけかもしれないけれど、まあ結局は同じことだ)。僕は昨日の目覚めから今までで一番、自然な感覚で表情を緩めると、一言だけ率直な思いを述べる。

「ありがとう」

 数秒待って、僕にそれ以上継ぐ言葉がないことを悟ると、ハルカは、

「いえ、当然のことです」

 と、これまた事務的な口調で――けれど、どこか明るく聞こえないこともないトーンで――同じく簡潔に返した。

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