第四話 異性
ところが、次の朝の食卓に顔を出してみると、そこでは何とも言えず気まずいムードに身を包むことになった。
僕がテント中央の広間に顔を出したとたん、リオナとフィオナは一様にはっとした顔をして、不自然に視線を泳がせた。明らかに、今までになく僕のことを意識している。こちらが気にしなければ問題ない、と吹っ切れた矢先に、明らかに向こうが何かを気にしているので、僕は早々に方針の転換を余儀なくされたのだった。
「……お、おはよう」
おそるおそる声をかけてみても、リオナが小さくコクリと頭を上下動させただけで、
二人とも黙々と持ち込んできた食事(オートミールのようなドロドロした形状をしている)をつつき続けている。
「……え、えっと」
「あ、え、その――ごちそうさまっ!」
戸惑いながらもテーブルへ歩を進めかけたところで、リオナが弾かれたような勢いで席を立つ。ボウルの食事は、まだ半分近く残っているのに――と思う間もなく、彼女は決して長くはない金髪をなびかせて自室へと退散していった。
「――えっと――」
あまりはっきりとは見えなかったけれど、褐色の頬には少し赤みが差していたような気がする。あるいは、ハルカあたりから僕の失神にまつわるあれやこれやを聞かされたのか――などと事情を推察しつつ、仰ぎ見た先には、およそ目にしたことのない形相で僕を睨みつけるフィオナの姿があった。
「……あの……」
「ハルカさんから、すべてうかがいましたわ――最低」
非難の的が何なのか判然としないので、とりあえずできるだけ困ったような表情を浮かべつつ頭をポリポリ掻いていると、こちらに向けられる視線はいよいよ厳しさを増していった。
「お姉さまに――お姉さまの肉体に、邪な感情を抱いたということですわよね!?」
「……いや、それはまあ……何というか……」
決してノーと断言できる話ではないし、だからといってはっきりイエスと答えるのもはばかられるというか、それはそれで新たな誤解を生みそうに思えて、返答に窮する。しかし僕の沈黙を肯定の意志と捉えたらしいフィオナは、なおもその表情を険しくしていった。
「男性が――男性も(・)、女性に劣情をもよおすことがあるなんて――ましてそれが、露出度が上がることで助長されるなんて、まったくの想定外でしたわ」
「……はい……?」
「お姉さまは、わたくしだけのお姉さまです」
「……ん……?」
何だか怒りの矛先が僕の思っていたところをだいぶ外していたようで、いよいよどんな反応をしたものかわからなくなる。そんなわけで二の句が継げなくなっている僕を、そうしたミスコミュニケーションが生じていることには思い至ることすらないまま、フィオナはなおも責め立て続ける。
「男性なんて――男性なんて、種だけ撒いてればいいんですわ!!」
「……あのー」
発言の許可を求めるようにそろそろと手を挙げた僕に、フィオナは変わらず刺すような鋭い視線を送り続けていた。けれど、とりあえず腕組みをしつつも申し開きを聞いてはくれそうな姿勢が取られたことを確かめてから、ようやく僕は口を開いた。
「えーと……子供を、子孫を残すためには、男女の営みというやつが必要になる。そして、それは――基本的に、両者の恋愛感情に基づいて行われる。少なくとも地球人類は、ずっとそうやって繁栄してきたんだ」
眉根をぴくぴくさせているあたり、相変わらずフィオナが怒っているのは目に見えて明らかだったけれど、かまわず言葉を継いでいく。
「僕達も、いずれはそうなるかもしれない。いや、現実問題、そうならないことには、この星の未来はないだろう。だから、まずはお互いのことを、できるだけ理解したいし、互いに歩み寄りたいと思う。そのためには、色々と――きっと君たちにとって、辛いこともたくさんあるだろうけど――向こうの星で何があったのか、どんな暮らしが、文化がそこにあって、何が起きて、たった二人で長い旅をしてくることになったのか、とか、そういうことをちゃんと聞かせてほしいんだ。もちろん、こっちのことはこっちのことで、話すべきことは全部、話すからさ」
僕が言葉を切ってからも、フィオナはまだ怒った顔をしてはいたけれど、それでも話し始める前に比べれば多少は落ち着いたように見えた。
「だから、さ――」
「お姉さまは、お姉さまの愛は、わたくしだけのものです」
今一度、今度はどこか自分自身に言い聞かせているように無理矢理な語気の強め方で、フィオナは姉へのただならぬ執着を口にする。
「ただ――共同生活を送るために情報の共有が重要なのは、確かなことです。まずは、お姉さまと相談したうえで――お話しできることをお話しすることに関しては、やぶさかではありませんわ」
そう言い残して、フィオナは静かに席を立つと、足早にリオナの待つ居室へと歩み去った。
「――第一関門はクリア、かな――前途は多難そうだけど」
「そのようですね」
自分の耳に届くかどうかというぐらいの声量で発した独り言に、予期していなかった反応が返ってきたので、椅子ごと飛び上がりそうになる。盗み聞きとは人が悪いね、と文句を言いかけて、いや、そもそも人じゃないしな――などと思考を乱れさせつつ、声のした方を振り返る。
「ぶしつけな物言いになるでしょうが、先ほどのご説得は、概してうまく運んだものと判断されます。それだけ彼女たちとの文化的断絶は、大きなものと考えられますので」
そもそも断崖から突き落とすようなことをしたのは誰だよ、と憎まれ口の一つも叩いてやりたくなったけれど、ここでも思いとどまる。まあ、遅かれ早かれ通る道だ。苦労するなら早いうちの方がいいだろう。
「――まあ、できるだけフォローしたり、ハルカはハルカで話を聞いたりしてもらえると、ありがたいかな。女の子どうしの方が、気兼ねなく話せることもあるだろうし、さ」
「そういうものなのですか?」
申し訳程度に首をかしげてみせる機械の少女もまた、人類との間に文化的相違を抱えているのだった。
「――うん、まあ、そういうものだと思うよ。おそらくは、彼女たちにとっても」
言ってはみたものの、もうひとつ確信は持てない。
「そもそも――女の子と話すのが、初めてだった?」
「ええ、そうです。生きている人間としては、二人目と三人目ということになりますが」
「――ん?」
何だか計算が合わない、ということに気づき、指折り数えてみる。リオナとフィオナで三、二、すると僕は――あれ?
「ねえ、父さんとか、開発に携わった人たちは?」
「どういう意味でしょうか?」
ごく率直に、質問の意図がつかみかねる、といった反応を返して、ハルカは再び小さな頭を傾ける。ああ、確かに今の聞き方はわかりにくかったな――と反省し、少し整理してから再び口を開く。
「父さんや、その下で、あるいはその後を継いで、システムの構築に関わった――君を作った人たち。何人もいたと思うんだけど、その人たちとは話したりしなかったの?」
よくよく考えてみると、おかしな話だ。アンドロイドの最終調整に、生きた会話のインプットは不可欠なはずだし、それには仕組みを熟知した開発当事者が当たるのが一般的なはずだ。
けれど、そういえば、僕が目覚めたばかりの頃に彼女は言っていた――生きている人と会話するのは、ほぼ初めてだ、と。それはつまり――
「まず、私を作った、という表現が、少なからず正確性を欠いています」
しばらく電子頭脳を働かせていたハルカは、計算し終えた最適解を口に上せ始める。
「このヒューマノイド・インターフェースは、そしてこれを動かし、対人コミュニケーションを――未だ完全なものにほど遠いことについては、陳謝いたしますが――一応は可能にしている、そのAIは、HAL1800というシステム自身がほぼ一から生み出したものです。時期としては人類滅亡後、五〇〇〇年ばかりが経過していましたので、会話という経験を得る機会はないままでした」
「……ふぇー……」
また一つ、彼女の底知れなさを垣間見た思いがする。つまり、人造とばかり思っていた彼女の筐体は、何というか――
「厳密に申し上げるなら、お父上を中心とする開発チームによって作り出された、自己修復と自己進化の機構――それが作り出したものですので、間接的には彼らを作り手と呼ぶのも誤りとは言えないのですが」
「――いや、まあ――」
何はともあれ、七万年以上の間、ただ僕を治すための計算と分析だけに明け暮れていたわけじゃなかったんだなあ――そう思うと、さんざん世話を焼かせて申し訳なかった、という気持ちはほんの少しだけ和らいだし、同時にまた、彼女がどんな目的で――僕が孤独のあまり精神を病まないように、といったような、何かしら実務上の必要から?はたまた、単に退屈しのぎのために?――わざわざこんなにも人間然とした身体を手に入れようと決めたのか、興味がわいてもくる。
「――また何か、おかしなことを言ってしまったでしょうか?」
気づけば笑みを浮かべていたらしい僕の顔に目を留めると、ハルカは例によって形式的な首の傾け方をしてみせる。
「――いや別に。そんなことはないよ」
「そうですか」
そう言いながらも、少女はどこか納得がいっていないような表情を浮かべていた。