第二話 邂逅
テントの真横に付けられた車からハルカが出てきた後、二人の少女がドア口から恐る恐る顔を覗かせるまでには、たっぷり一分あまりの間が空いた。
警戒するのも無理はないと思う。なにせ、彼女たちにとって母星の人間と顔を合わせるのは疑いなく初めての機会なのだし、加えてハルカが彼女たちの潔白を(両手に仕込まれているという嘘発見器で)証明した一方、こちら側が人畜無害であることの根拠は何ひとつ示されないまま、いきなりその生活拠点までノンストップで連れてこられたわけだ。どちらかといえば、たちの悪い人さらいにでもあったぐらいの可能性は疑っていたって不思議はない。
それでも、テント前で待っていた僕と目が合うと、まず髪の短い方の少女は明らかに安堵したようだった。
「どうも、はじめまして。ようこそ――っていう表現が適切なのかはわからないけど、ようこそ地球へ。僕がこの星で唯一の生き残り、エイジ・エラです」
名乗った僕を見ながら何度かぱちくりと瞬きをした後、彼女は腹を抱えて笑い出した。
「ちょっとお姉さま、失礼ですわよ!……すみません、どうも、その……」
口では連れを諫めつつ、長い髪の少女もまた、笑いをこらえるように口元を歪ませていた。
「――いいよ別に。慣れてるから――あ、いや、慣れてた、って言った方が正確だろうけど、ね」
現在形を過去形に訂正したところで、しばらく忘れたつもりでいた喪失感が、再び頭をもたげてくる。そう、時代で時代という僕の名前を小馬鹿にしていた連中だって、もう誰もこの世にはいない。そんな人たちだって懐かしい、惜しいという気持ちはあるし、だから目の前の少女たちに名前のことを少々笑われたところで、不快感より安心感の方が先に立つ。
「――日本人だからな、ちゃんと漢字があって、相応の意味もあるんだぞ」
そんなわけで僕がうやむやにしようとしていた一件を蒸し返しつつ、突然テントから飛び出してきた父さんの小さな義体を見ると、少女たちは目に見えて狼狽した。
「……ちょっ……これって……」
「ロボット……兵器……?」
「失敬な」
腰に両手を当て、怒っているようなポーズを取りつつ、さして気にしてもいないような様子で父さんは二人の前に立つ。
「体裁としてはロボットだが、中身は人間――まあ、元人間だ。別に大して危険な機能も備えていないし、そもそも君たちをどうこうするつもりなどない」
少女たちがほっと胸をなで下ろしたのを確認してから、父さんはガリガリと音を立てつつ足下の地面に何かを描き始める。
「ほれ、こういう字を書いてな――恵む、良い、栄える、司る、と、そういう意味だ」
恵良栄司、という、僕自身も空で書けるか怪しい気がする漢字表記を滞りなく示すと、父さんは二人の方に単眼を向けた。
「へえ――日本の名前って、こんなに複雑な文字を使うんですのね」
髪の長い少女のつぶやきに、もう一人は何かを思い出したように手のひらを拳で打つ仕草を見せる。
「ねえ、ボクたちの姓も、元々日本のものじゃなかったっけ?漢字、あるのかな」
そんなことを言いながら顔を上げた先で、父さんは直立不動の姿勢を保っていた。
「――あ、えっと――」
「何とも言えん。なにせ、君たちの名をまだ知らないからな」
「あっ――」
「し、失礼しました」
それぞれにばつの悪そうな顔をした後、二人は揃って頭を下げた。どうも自分たちの世界に入り込みがちなように見えるけれど、それだけ固い絆で結ばれていることが見て取れる。
「すみません。ボクは、リオナ・イスルギ」
「わたくしは、フィオナ・イスルギ。リオナの双子の妹です」
少しして頭を上げた二人が名乗ってから、彼女たちの関係を言葉どおりに理解するまでには、何秒かの時間を要した。
「……えっと……双子?」
「ええ、そうです」
「うん、そのことについては、話すと長くなるというか――こうして故郷を捨ててきたことにも、少なからず関係があるんだけど」
言いさして、リオナは再び父さんの方に視線を送る。少なくとも楽しい話題だけに終始することはなさそうなその身の上を、長旅の疲れを押して語ることより、目下の知的好奇心を満たすことの方を優先したい――まあ、その心中は、容易に察せられるものではあった。
「そうだな――まあ、まずこの表記で間違いなかろう」
同じく二人の意向を汲み取ったらしい父さんは、再びガリガリと地面を引っかき始める。
「一文字目は、石。二文字目は、動く、という意味の漢字だ」
土の上に記された「石動」の二文字に、二人は目を輝かせながら見入っていた。
「へえ……何か、石、っていうわりには軽い漢字のする字だねえ」
「でも、動く、っていう字は、確かに動きが感じられるというか――力強い印象を持ちますわ」
思い思いの感想を口にして、ひとしきり盛り上がったところで、二人は思い出したように背筋を伸ばした。
「その、すいません……急に押しかけたボクたちを、快く受け入れていただいて」
「心より感謝申し上げますわ」
先ほどに比べてだいぶ深く、長い間、二つの頭が同時に垂れられる。
「そんな、別に、困ったときはお互い様、というか――そもそも僕だって、ハルカや父さんにおんぶにだっこの状態だし。同じ人間どうし、仲良くやっていけたら嬉しいな」
どこか不思議そうな顔をしながら僕の言葉に耳を傾けていた二人は、それでも小さなうなずきを二、三度繰り返した。
「とにかく、長旅でお疲れでしょう――お二人には、エイジさんとは別のお部屋をご用意しています。どうぞ、中へ」
ハルカに促されると、二人はふっと表情を緩ませる。
「――ありがとう」
「これから、よろしくお願いいたしますわ」
さらにもう一度、頭を下げると、二人はハルカに続いて仲良くテントの中へと姿を消した。
「――ふう――」
「緊張していたようだな」
「そりゃ、そうだよ」
鬼が出るか蛇が出るか、というところだったけれど、本当に良かった。彼女たちとなら、間違いなく争いや諍いを避けて、手を取り合って暮らしていける。そして、共に人類の新たな歴史を築いていける。そう考えると、相変わらずの肌寒さだというのに、身体の内側からぽかぽかと暖かいものがあふれ出てくるような感覚を覚えた。
「ひとっ風呂、浴びてこようかな」
「ああ、ゆっくりしてこい」
返事の代わりに手をひらひらと動かすと、僕は手近なところに干してあったタオルを手に取った。