第一三話 異変(下)
その昔、今とは異なる暦の時代。人類は、地表からこぼれ落ちてしまいそうなくらい、その数を増やしていたことがあった。
土地や水やエネルギー、そして食料を奪い合う争いは、ほとんど起こらなかった――それは争いと呼ぶにはあまりに一方的な、強奪と殺戮によって解決が図られたからだ。
奪われる側に回りつつあった人たちと、奪う側に立つことを良しとしなかった人たちは、地球の外に活路を見いだそうとした。はじめは月面、次いで小惑星帯。けれど、そうして人の手によって手に入れられる生活基盤はどのみち大したものにはなり得なかったし、それすらも簒奪の対象に入れられる日は遠くないように思われた。
そして、ついに人々は他の恒星系に安住の地を求め、そこへと至る道筋を探り、やがて一つの光明を見た。それがすなわち「星の舟」、反物質加速装置を搭載し、亜光速での航行を可能にした、巨大船による系外移住だった。
――けれど、それは結果として、まったくの失敗に終わった。
移住先の一つに選定されたある星系については、無人探査船の計算がまったくの誤りで、生存可能領域に惑星が一つも存在していないことが明らかになった。また、別の星系ではすでに母星が寿命を迎えつつあり、舟がそこへ到着する頃にはすべての惑星が白色矮星の塵と化している可能性が濃厚になった。また、航路の途上にあるブラックホールの成長が予想外に早く、そこに捕らわれると考えられる舟も複数あることがわかった。
そして何より、散り散りに飛び去っていった数万隻の舟は、いずれも目指した場所にはたどり着くことができないという結論が――人々の出発から何十年という月日が経って初めて――導き出されるに至った。それは結局のところ、反物質加速装置という完成直後の技術を、見切り発車で用いたことによる不幸だった。
反物質加速によって得られる推進力には予想だにされていなかった増減の幅があり、目標と実際の停止位置にはおおむね光年単位の誤差が生じる――そして、その現実に直面した乗員たちは、その後いくらも航行を続ける余力が残されていないことを知って絶望にくれることしかできない――地球の科学者たちがこうした結論に至ったのは、もっとも近い場所を目指した舟でさえまだその旅程の序盤にあった時点でのことだった。
要するに、十億人とも二十億人とも言われる、巨大船団に乗り込んでいった人たちは、数千年か数万年が経って初めて(と言っても、時間の遅れ、とか、ウラシマ効果、なんていう現象によって、当人たちの体感ではせいぜい数ヶ月ないし数年のことになるらしいけれど)、何もない宇宙空間に放り出され、静かに死を待つばかりとなる――そんな絶望的でしかない事実を最後に突きつけて、夢物語は結ばれるのだった。
「――まあ、五十点というところだな」
自信満々で話した内容に、思いのほか辛い評点が与えられたので、思わず脱力する。何なら、いくつかのフレーズは小さい頃に読んだ本そのままを再現できたという自信もあるぐらいだったのに。
「どうして?重要なポイントは、だいたい押さえられたと思うんだけど」
それでも、僕の抗議を一顧だにすることなく、父さんはまたも一切の準備動作を挟むことなく飛翔し、僕の右肩に着地した。
「今お前が話したのは、人類の大多数が伝聞情報として持っている――いや、持っていたものの蓄積でしかない。それは一つの手がかりに過ぎず、現実の事態はいかようにも展開しうる。実際のところ、人類には幾度となく、逃れようがないと思われた困難を打ち破ってきた実績がある。それはつまり」
少し間をおいて、僕が話を引き継げないでいるのを見て取ると、父さんはやれやれとでも言いたげに小さく首を振って正解を口にする。
「十八億九千万人が、何万という数の舟に乗って飛び立ったんだ。その中に、反物質制御の問題に気づき、それを解決に導いた天才科学者も、たまたま目的の星系にピンポイントで到達できた強運の持ち主も、一人として含まれていなかった――そう断言できる根拠が、どこにある?」
ぐうの音も出ない、とは、まさにこのことだった。僕は世界で唯一、人類が成し得た偉業を知る人間として、それを誰かに伝えていかなければならない立場にある。それなのに、その素晴らしさ――もしかしたら僕が知るよりずっと素晴らしいことをやってのけていたかもしれなかった、途方もない可能性に、まるで考えが至っていなかったことになる。
「そんなわけで――今この瞬間にも地球へ向けて飛び続けている物体は、人工物であり、また推定サイズからすれば相当数の人間が乗っている見込みが大きい」
鏡を見ているわけでもないのに、自分の表情がぱっと華やいでいくのが、手に取るようにわかる。
「――宴の準備をしないとな」
父さんはそう言って、ふふん、と小さく鼻を鳴らすような合成音声を、室内に響かせた。