第一一話 開講
「――勉強をなさりたい、と。つまりは、そういう解釈でよろしいのでしょうか?」
例によって変化の乏しい表情で、しかし少々戸惑ってもいそうな声色で問い返しつつ、ハルカは今しがた空になったフードプレートを引き取った。
「うん、まあ……文明、って言われても、結局それがどういうものなのか、今ひとつぴんとこないし。さらに、僕が冷凍冬眠に入ってから人類が滅びるまでの二百年間に、どのくらいの進歩があって――人類文明が、どの程度のことを可能にしていたのか。もちろん、全部を知るなんてことは無理だとしても、主立ったところぐらいはだいたい把握しておければ、それに何を上乗せできるかも考えやすくなると思うし」
最後の一文を聞いたところで、何となくハルカの目の色が変わったようにも思えた。
「わかりました。森の探索は、もうさほど必要ないかと思いますし――早速、明日の午後から始めることにしましょう」
人類の文化と歴史について教えてほしいんだけど、と切り出したのはそこまで軽い気持ちでのことではなかったのだけれど、ことのほか事態が大きくなりそうだったので、思わず背筋が伸びる。
「えっと……それって、どのくらいかかるもの?時間とか、トータルで言うと」
「そうですね――」
こめかみのあたりに人差し指を当てる仕草をして数秒、考え込むような間を置くと、
「三五分の講義を一日二回、週に四日ほど行うことにしましょう。順調に進めれば、一年半ほどで一通りの内容は終えられると思います」
「……一年半、ね」
「ええ――もっとも、開戦から滅亡までの間に人類が保有していたすべての情報ソースを回収できたわけではありませんので、人類史をすべて網羅的にというわけにはいかないのですが――決定的な不足は、恐らくないかと」
いずれにせよ思わぬところで日常的なタスクが増えてしまったことになる。まあ、一回あたりの時間がそこまで長くないので、さほど気が重くはならなかった。そもそも興味を持って始めるわけだし、どのみち必要なことだと思えばモチベーションが底をつくこともないだろう。
「――じゃあ、そういうことで、お願いするよ」
「承知しました」
そんな簡単なやりとりがあって、僕は人類最後になるだろう「学生」という肩書きを得ることになった。
翌日、午前中の探索(一応、僕の身体のリハビリも兼ねるということらしい)と昼食を終えて一息ついているところに、ハルカは平たい箱状のものを両手に抱えて戻ってきた。
「講義に先立って、これをお渡ししておきます」
そう言って差し出されたものは、見覚えのある学習机だった。天板の上端付近には小さく時刻表示が点滅していて、僕が手に取った瞬間、外周をゆっくりと青い光が回っていき、一周したところで中央に大きく「設置準備完了」の文字が浮かび上がる。そのまま腕を伸ばし、テントの床に水平な向きで掲げ持つと、裏側から音もなく四本の足が伸び出して接地した。
「懐かしいね、この感じ」
「お気に召したようで何よりです。ちょうどこの近辺から拾い集めたジャンクパーツで間に合ったのは幸いでした」
そういえば、ハルカは夜な夜な僕が寝付くと出かけていって、ここからそう遠くないところにある、かつて滅びゆく人類が暮らした地下施設の跡などを掘り起こしているらしい。それにしたってなんだか話ができすぎているようにも思えるけれど、一番慣れた学習環境を用意してもらえたことは素直にありがたく思う(ハルカからすれば単に合理性を追求した結果なのかもしれないけれど、まあそれはともかく)。
「それじゃ、早速だけどお願いするよ」
「もう少し、お休みにならなくてよろしいでしょうか?」
僕のやる気が予想を上回っていたと見えて、ハルカはどことなく慌てているようにも見える。
「いいんだ。早くこれ、使ってみたいし」
食卓から椅子を引いてきて腰かけると、机の天板をコツンとひとつ、拳の裏で叩いてみせる。そう、僕はいよいよ、彼女の授業が待ちきれなくなっていた。
「わかりました。そういうことであれば、早々に」
初めて立つ教壇に緊張しているように、ほんの少しうわずったような声でそう言うと、ハルカはふた呼吸分ほどの間を置いて話し始めた。