26.王の一閃
「全く君は、何て無茶なことをするのですか、アレン君?
ですがおかげで、助かりましたよ。」
震える手で柄を握り締めたファーガソンさんは、敵を睨み据えながら俺に話しかける。
俺はそんな背中に、してやったり顔で笑いかけた。
「ゴルゾラっ! 貴様、なぜっ!?」
敵の剣戟を受け止めた魔王の上腕筋が、唸るように膨れる。
そして、敵の刃を弾き上げて体勢を崩れさせると、そこへすかさず、彼の回し蹴りが叩き込まれた。
獅子顔の魔族は、地面を削りながら砂埃を上げ、遥か後方へと吹き飛ばされる。
「そんなことも分からないようでは、魔王になる資格などあなたにはありませんよ?」
そこで初めて、ファーガソンさんは俺の方へと顔を向けた。
そう、彼は俺の焔球魔法を食らうことによって、復活したのだ。
最初は威力を抑え、敵を攻撃する振りをしながら当ててみた。
すると不思議なことに、彼に当たった焔は吸い込まれるように消滅したのだ。
それで確信を得た俺は、最後にありったけの魔力を込めた焔球をプレゼントしたというわけだ。
元々彼の魔力から作られた魔法で属性化されていたわけだから、それが回復に使えるという勝算は高いと考えた。
「結構危ない賭けでしたけれど、うまくいって良かったですよ。
それと、これ! 必要でしょ? 今だけ特別に、貸してあげますよ?」
そう言うと俺は、左手に嵌めていた指輪を抜き取り、彼へと投げ遣った。
それを受け取った彼は、苦笑しながら小さく眉根を寄せる。
「一度差し上げた物をお借りするのは、少々決まりが悪いものですね。
ですがそのお礼に、わたしからあなたへ最後の講義を行いましょう。
しっかりと見ておきなさい、アレン君。」
左手に指輪を嵌めたファーガソンさんは、消去のことばで大剣を大気中に霧散させる。
次いで、解放のことばを発しながら敵の魔族を見据えた。
体調がようやく戻り始めた俺は、地面の上へと座り直して講義を受ける体勢を整える。
さすがに寝転んだまま、大切な人の話を聞くなんてことはできない。
「あなたもお気付きの通り、これは所有者の代わりに闇の魔力を供給してくれるものです。それが可能なのは、歴代の魔王たちが常時これへと魔力を溜め込んできたからです。
ですが今、蓄積されているのはほとんどわたしの魔力ですがね。」
「でもそのおかげで、俺の作戦も成功したってわけですね?」
俺の問いに、ファーガソンさんが答えることはなかった。
だが彼の表情が、その答えを如実に物語っているのであった。
「〈血塗れの王〉っ」
詠唱が終わると同時、ファーガソンさんの周囲を暗赤色の霧が侵食するように立ち込める。
まるで自分が地獄の底にいるような不気味な光景ではあったが、俺は不思議と嫌な気持ちが一つもしなかった。
やがてそれらは、自ら意志を持つように大気中をうねり始めると、術者の体に纏わり始める。
腕の周囲に集まった血のような霧は、いかなる攻撃をもってしても貫くことができない頑強そうな盾へと、そして、有無を言わさぬ圧倒的な威圧感を発する荘厳な鎧へと体中の血霧が変化していく。
背中には、切り刻まれたように裾が不揃いな外套が、ただ夜風に小さくはためいていた。
そして最後に顕現した、禍々しくも気高さを感じさせる暗赤色の大剣を肩に担ぎ上げると、彼は静かに立ち尽くした。
そこにはただ、深紅の甲冑を身に纏う王者の姿があった。
かつてこの世界を蹂躙し、暴虐の限りを尽くした魔族の王。
そんな王の前に平伏す異形の者たちによる数万の軍勢、俺はそんな幻影を見たような気がした。
ふとリリアの方を見遣る。
彼女は感極まったように手を口元に押さえると、涙を流しながら地面に片膝を突いた。
どのような思いで彼女がその姿を見ていたのかは分からない。
だが思わず、俺も平伏しそうになってしまったのは確かだ。
そうさせるだけのオーラと風格が、ファーガソンさんからは十分に感じられるのだ。
俺が魔族であったなら、このような王に忠誠を誓いたい、そう思わせる姿だったのだから。
「シルダード語で、血塗れの王を意味することば。これがわたしの加護魔法です。
これは我が主神ベリド様の血液そのものであり、それらを召喚することによって武具へと具現化させるのです。」
「血塗れの……王……。」
加護魔法。
それは神が特別に認めた〈地上の子ら〉にのみ与える、神域の魔法。
そんな魔法をもってしても、人族の英雄に敗北したのか。
一体、どんなやつらであったのだろうか。
「さてブエロさん。わたしがこうなった以上、あなたは次の一手を全力で打ち込んで来る必要がありますよ?」
「余計なことをしおって……。人族のガキがっ……!!」
怒りで表情を埋め尽くした魔族は、俺たちに大声量の咆哮を鳴き放った。
その衝撃は俺のいるところまで届くと、全身の皮膚を一気に粟立たせる。
思わず後ずさりしそうになると、俺はまるで小動物のように竦み上がった。
それは正に、百獣の王に相応しいと言えるような、魂の叫びであった。
そんな咆哮に顔色一つ変えないファーガソンさんが、俺の方へと少しだけ顔を向ける。
授業中の教師のように、落ち着いた雰囲気で彼は言った。
獣人の魔族には力が増幅される期間があるのだと。それは満月と新月の夜だ。
前者は獣としての本能を呼び起こし、後者は魔族としての本領を発揮させる。
もちろん後者は、ファーガソンさんも含めて多くの魔族がそうなのだが。
そしてそのことば通り、ブエロを取り巻く闇の瘴気は一層濃いものへと変化した。
「そろそろですか……」
ファーガソンさんがそうつぶやいた直後であった。
血のような赤い光を目に灯らせた獣が、黒い霧を突き破って我を忘れたように地上を疾駆する。
俺と戦ったときには見せなかった、時間を圧縮したような猛烈な速度で俺たちの方へと向かって来る。
だがそんな敵が目前に迫っても、魔族の王は黙って見つめていた。
そして獣が一足飛びに距離を詰めようと、大地を勢いよく踏み抜いた直後であった。
一閃。
残像を瞳に映すことすら許さない剣閃は、俺にその結果しか見せなかった。
先ほどまで肩に担がれていた大剣は、一度瞼を上下させた次の瞬間には、地上へと真っ直ぐ振り下ろされていた。
それはまるで、アニメの中割りがごっそりと抜け落ちたように。
魔王の両隣を無言で過ぎ去る獣には目もくれず、王はただ、正面だけを見据えていた。
目の前に広がる光景は、壮絶そのものであった。
王の一撃によって、中庭の草木は全て吹き飛び、大地は割れ、遥か先の森は左右へと切り分けられていた。
もし仮に、初めからファーガソンさんが本気を出していたならば、獣人の魔族が敵う道理など一つもなかったのだ。
だが彼は、そんな力を俺に譲った。
そして自らは、勝ち目の薄い無謀な戦いを挑んだ。
まるで己の死に場所を求めるように。
ΔΔΔ
「これは君に返しておきましょう。ありがとう、アレン君」
そう言うと、ファーガソンさんは指輪を俺へと差し出した。
俺はとんでもないものをいただいたようだ。
「こちらこそありがとうございます、ファーガソンさん。
これは大切に使わせてもらいます。」
「そう言ってもらえると嬉しいのですが、闇の魔力はより強い魔族を惹きつけます。
使うタイミングには十分気を付けることですよ。」
受け取った指輪を、俺は穴が空くほど見つめていた。
っと言っても、俺が使えるのは属性化の魔法だけだから、使える機会は限られるだろうけれど。
「ゴルゾラ様、この獣人はいかがなさいますか? 今は気絶しているようですが。」
地上へと寝かしつけられた傷だらけの少女を、リリアは何の感情もない眼差しで見下ろした。
「あれ、よく見たらこの子、武闘祭のときに俺に話しかけて来た獣人だ。
やっぱり、あの魔族の手下だったのかよ。」
「えぇ、今回の首謀者の使い魔ですね。
可哀想ですが、生かしておいてもあまり良いことはないでしょうね。」
主人のことばを聞いたリリアは小さく頷くと、腰から短剣を引き抜く。
するとそこへ、小さな足音が聞こえた。
必死に駆ける様子のそれは、俺たちの視界に入るところまで近付く。
長い銀髪を上下に揺らし、額から幾筋もの汗が流れ落ちる少女が現れた。
「テスラっ!!」
テスラは俺の前まで来ると、肩で大きく息をした。
そしてそこにいる人物たちを順番に見ると、心配そうな視線を俺に向ける。
「マーシャさんと一緒に待っていてくれって言ったじゃないか。
どうして……。」
でも、そんなことは聞くだけ野暮だ。
心配していたからに決まっている。
俺が彼女でも、きっとこの場に向かっただろう。
そう思うからこそ、俺はそれ以上彼女を責める気にはなれなかった。
上気させた頬を怒ったように膨らませた彼女は、非難の目を俺に向けた。
どうしてわたしを置いて行ったのよ、と言っているように。
「ほんとゴメンな、テスラ。ただお前まで巻き込みたくなかったんだよ。
でもまぁ、もう全部終わったから大丈夫だぞっ!」
不機嫌そうな神官を何とかなだめすかそうと苦笑いを浮かべた時だった。
「全部終わっただぁ~? 何にも終わっちゃいねーだろうがよぉ~。」
その声の主に、俺たちは誰一人として気付かなかった。
そして全員が、同じ方向へと顔を向ける。
そこには、スラム街で見かけそうな目付きの悪い少年が、顔中に不満の色を噴出させていた。




