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23.別れ

 武闘祭で有終の美を飾ってから数日後のことだ。

 俺とリリアはいつものように、裏庭で訓練を行っている。


 そこへ、玄関の方から軽やかな呼び鈴の鳴る音が聞こえた。


 来客とは珍しいなぁ。

 今まで一度として、誰も訪ねて来たことなんてなかったのにな。


 俺はふとリリアを見遣った。

 そこには、ただ事とは思えないほど表情を強張らせた彼女の姿があった。

 そしてその瞳には、険呑な眼光を灯らせているのである。


「リ、リリア……?」


 テスラも心配そうに彼女を見つめている。


「…………。え? あぁ、すみません。そうだ、アレン君! もし良ければ、テスラさんと二人で森へ行って、うさぎを捕って来てもらえませんか? わたしとしたことが、食料が少なくなっていたことを失念していました。」


 先ほどまでの物騒な雰囲気を強引にかき消した彼女は、努めて明るくするような表情となった。

 不審に思いながらも、俺とテスラはそのまま森へと向かった。



 一日の終わりを告げるように、太陽が地平線へと傾き始めた頃、俺たちは屋敷へと戻った。

 客人はすでに帰った後のようで、ファーガソンさんとリリアも普段と変わらない様子であった。

 一体誰が訪れたのかは分からないが、そのことで二人から水を向けられることもなかったため、結局俺はそれなりにしてしまった。


 そして約半月程度が経過したある日のことであった。

 話があるということで、俺とテスラはリリアに連れられてファーガソンさんの部屋を訪れた。

 リリアに声をかけられた時、例のご褒美(・・・)の件かと勘ぐったが、どうやら違っていたようだ。

 あのご褒美はいつになったらもらえるのだろうか。



「訓練の方はどうですか、アレン君?」

「えぇ、おかげさまで。剣術や魔術についても、どんどん上達していっているのが自分でも分かりますよ。」


 ファーガソンさんは、そんな俺を満足そうに見つめていた。


「ほぉほぉ。それは結構なことです。」


 そこまで言うと、彼の細い目がゆっくりと開かれる。


「時にアレン君。人族(ヒューマン)の肉というのは、非常に美味であるということをご存じでしょうか? 

 魔導回路が発達して、よく鍛えられた者は特に……ね。」


 ん? 何だよ唐突に。


「いや、さすがにそれは知りませんよ……。食べたことなんてありませんから。」

「まぁ、そうでしょうね。」


 話が見えない。一体何を言っているんだよ。


「あの、ファーガソンさん? そんなことを聞くために、僕たちを呼んだわけじゃありませんよね?」

「これは失礼。歳を取ると話が回りくどくていけませんね。

 実はね、我々魔族というのは人族(ヒューマン)の肉が大好物なのですよ。

 まぁ要するに、アレン君もそろそろ食べごろかなというお話です。」


 その悪意に満ちた笑顔は、今までの人生で見てきたどんな悪党でもできないような表情であった。

 そしてそれは、これから俺に訪れる死を暗示しているようにも見えた。


「や、やだなぁ~、ファーガソンさん…………。じょ、冗談……ですよね……?」


 俺は助けを求めるように、リリアを見遣る。

 だがそこには、絶望しかなかった。

 何の温もりも感じられない仄暗い瞳だけが、俺をただ冷徹に見下ろしていた。


 隣のテスラが、膝の上に置いた俺の手に、自らの手を重ねてきた。

 その表情は蒼白となり、額から一筋の汗が流れ落ちていた。


「冗談なんかではありませんよ? 我々がこの瞬間をどれだけ待ち望んでいたか。

 今まで我慢をしてきましたが、あなたも武闘祭で優勝できるほどにまで成長をしました。

 ならば、そろそろ熟したころだろうと思いましてね。」


「う、嘘だっ!! ほんのさっきまで、皆で楽しく話していたじゃないですか!? 

 そ、それがなんで! なんで急にこんなことになるんですか!? 

 もしかして、何かあったんですか……? そ、そうだ。きっとそうに違いない! 

 俺には言えないような、緊急の事態が発生した! そうですよね!?」


「いいえ、何もありませんよ。

 アレン君。あなたは何か勘違いをしていませんか? 我々は魔族ですよ? 

 そのことを忘れてもらっては困りますねぇ。

 わたしたちが、何の見返りもなくこんな面倒なことをするとお思いですか?

 リリアの正体を知られたことは誤算でしたが、残ると言ってくれて安心しましたよ。

 だがそれにしても、君をここまで育てた甲斐がありました。

 さぞや美味しい()となったことでしょうね。」


 するとリリアが、そこで初めて口を開いた。


「アレン君。わたしは今まで幾人かの冒険者を手ほどきしたと言いました。

 ですがその後、彼らがどうなった(・・・・・・・・)かは、あなたの言う噂で、お聞きにはなりましたか?

 そんな噂、聞いたことなどありませんよね?

 だって彼らは、もうこの世界には存在していないのですから。」


 まるでその時(・・・)のことを思い出したように、リリアは恍惚とした表情を浮かべた。


「嘘をつくな!! 

 君が……人を食べるなんて……するはずがないだろ……?

 だって君は、誰よりも優しいじゃないか! 

 いつも他人のことばっかり気遣って……。

 そんな君が、俺たちを食べるなんて……できるはずがない。」

 

 声が、自然と震え始める。


「じゃあ君が流した、あの時の涙も……

 何もかも全部、嘘だったっていうのかよ……。

 ふ、ふざけんじゃねぇよ。

 お、俺は……二人のこと、本当の家族みたいに思っていたのに。

 じゃあずっと……、ずっと俺たちを騙していたっていうのかよっ!!」


 ほんの数瞬、部屋の中を沈黙が支配した。

 それを最初に振り払ったのは、魔族の王であった。


「…………。

 あなたがどう思おうと、我々には関係のないことです。

 さぁ、これ以上話を続けても仕方がありません。

 あなたたちにはここで、我々の糧となっていただきましょう。」


 その瞬間、ファーガソンさんからとてつもないプレッシャーを感じた。

 これは狂人化したアーロイの比ではない。

 そしてリリアも、本来の姿へと変化する。

 

 彼らから発される禍々しい闇のオーラによって、俺は大量の汗を握り締めていた。

 体が硬直して、指一本動かすことができない。

 絶対強者の無慈悲な視線。


 殺される。

 本能的に、そう直観した。

 服の下では、脇や背中から冷たい汗が滝のように流れ出した。

 そして鼓動がはっきりと聞こえるぐらい、左胸の奥で心臓が暴れ始める。


 すぐに動かなきゃ、絶対に殺されるぞ……。

 頼むから動いてくれ、俺の体……。 

 動け動け動け動け動け動け動け動け! 

 動けぇぇぇぇぇぇっ!!


「さて、どう料理しましょうか…………ねぇ?」


 死神のような視線と、俺の視線がはっきりと絡み合った瞬間であった。


「〈加速(アクセラス)〉!! 〈強化(レイフォース)〉!!」


 別に戦うわけじゃない。

 いくら神格級魔法の使い手であるテスラがいても、戦闘は避けるべきだ。

 それに俺も含め、今のこの状況では彼らと戦えるかどうかすら疑わしい。

 刹那の間にそう判断した俺は、すぐにテスラを小脇に抱える。

 そして部屋のドアを蹴破って室外へ転がるように飛び出た。


 そこからの記憶はひどく曖昧だ。

 どうやって彼らを振り切ったのか、屋敷の中をどのように逃げ延びたのか。

 はっきりと説明することはできない。

 とにかく、無我夢中であった。

 サバンナの草原を、肉食獣から逃れるために必死に駆け回る小動物のように。

 あまりの恐怖で、俺は後ろを振り向くことなどできなかった。


 森を抜け、トレヴルージュへ続く街道に出たところで、俺は初めて後ろを振り向いた。

 どうやら、彼らが追って来ているという様子はなかった。


 俺は相方の神官を、力なく地面へと降ろした。

 恐怖から解放されたと感じた瞬間。

 操り人形の糸が切れたかのように、俺は大地へと崩れ落ちた。

 乾いた土の地面は、ぽつりぽつりと、少しずつ色を変えていく。


 彼らが俺を騙していたなんて、今でも信じられない。

 四人で過ごした記憶が、次々と頭の中に思い起こされる。


 いつも見守ってくれているような優しい笑顔。

 初めて魔法を発動させた時、本当の父のように喜んでくれた姿。


 大切な話しをする前に、指を一本立てる仕草。

 そして時折見せる、子供のような悪戯っぽい笑顔。



 宝石のように輝くそれらの思い出の裏で、彼らが考えていたことを思うと。

 悲しかった。

 ただ悲しくて、悔しかった。

 行き場を失ったやるせない感情が。

 やがて俺の中で、暴発した。



 慟哭。

 気がつけば、俺は人目も憚らず絶叫していた。

 大の大人が声を上げて、子供のように大泣きしているのだ。

 俺は滑稽だろうか。それとも、情けないだろうか。

 それでも、そんな俺を、力強く抱き締めてくれる人がいた。

 そして彼女からも、むせび泣く、嗚咽の声が聞こえた。


 俺たち二人は抱き合う形となり

 力の限り

 目いっぱい

 生まれたての赤子のように

 この広い世界に、二人の声をどこまでも響かせた。



 その後俺たちはしっかりと手を繋ぎ、二人で連れ添いながら、トレヴルージュの街へと向かった。

 もちろん、溢れるものが止まることはなかった。

 行き交う人々はそんな俺たちを、不思議そうに遠巻きに見つめるだけであった。




ΔΔΔ




 俺は冒険者ギルドの扉を弱々しく開くと、そのまま受付カウンターへと向かう。

 俺たちに気がついたマーシャさんが、カウンターから飛び出して駆け寄って来た。


「ど、どうしたの、アレン君!? 何があったのよ!? 

 もしかしてリリアさんと何かあったの?」


 きっと俺たちは、傍から見れば死人のような酷い顔をしていたのだろう。

 それは彼女の慌てた様相を見れば、一目瞭然だ。


「…………。」


 未だに自分でも信じられない事態に、何をどう説明すればいいのか分からなかった。

 見兼ねたマーシャさんは、少し困ったように左右を見回すと、そっと声をかけた。


「もうすぐでギルドのお仕事が終わるから、三人で食事に行きましょう! ね?

 だから少しだけ、その辺りで待っておいて!」


 俺はただ、力なく小さく頷いた。




ΔΔΔ




 マーシャさんが仕事を終える頃には、太陽はすでに地平線の底へと潜り込んでいた。

 そして彼女に連れられて、俺たちは近くの酒場に入った。

 そこで彼女は、俺たちを元気づけるように一人でおしゃべりを続けた。

 最近ギルドで起こったことや、新しい冒険者が加入したこと、そして武闘祭での俺のことなど、他愛もない話を続けた。

 俺はそんな話に、生返事を繰り返すだけであった。

 だが決して、俺たちに起こった出来事の説明を彼女が求めることはなかった。

 俺はそんな彼女の善意に甘えてしまっていた。


 いつしか、店の中は仕事帰りの客たちで混雑していた。

 その頃になると、幾分俺も落ち着きを取り戻し、彼女の話にちょっとした笑顔を見せることができた。

 マーシャさんはそんな俺の様子に安心したのか、小さく息をつく。


 心に余裕が出てきた俺は、今日の出来事をもう一度冷静になって思い返してみた。

 

 この世界に来て、幾度か命の危機に直面したことはあった。

 だが今日のは別格であった。

 彼らのあのプレッシャー。

 もしあの時、俺がもう一分でもあの場にいれば、確実に殺されていただろう。

 それだけは断言ができる。

 だがそう考えた時、俺の中に引っかかっていたものの正体が、その片鱗を垣間見せた。


 一分か…………。


 ん? 一分……?


 そうだ。

 どうしてそんなことに気づかなかったんだろう。

 きっと俺は、生まれて初めて感じた恐怖で冷静な判断ができなくなっていたのだ。


 六十秒という時間。

 それは彼らにとって、あまりにも長すぎる(・・・・)んだ。


 リリアは言った。殺すと決めたら、即座に殺せと。

 もし本当に殺す気なら、わざわざ話をする必要なんてなかったはずだ。

 それこそ、俺が寝ている間にでも殺せばよかったんだ。


 でもなぜか彼らは、わざわざ俺たちを呼びつけてまで話を始めた。

 まるで、早く逃げ出してくれと言わんばかりに。


 やはり、追い出すことが目的で、最初から殺すつもりはなかったと考えるべきだな。

 そして同時に、二度と戻らないように仕向けたかった。

 なぜだ? 

 なぜ俺たちを追い出したかったんだ?

 それが今日行われたことに、どう関係しているんだよ。


 特に意味はないのか?

 思い出せ! 

 今まで聞いたこと全てを思い出すんだ、アレン!


 そこでふと、俺は先ほどのマーシャさんのことばを思い出した。


「ね、ねぇ! ちょっと、聞いている? アレン君!?」


 マーシャさんの声がようやく俺の脳へと届くと、俺は彼女を見つめる。

 そして、一つの質問をした。


「マーシャさん、一つ聞いてもいいですか?」

「え? えぇ、別に構わないわよ? 

 わたしに答えられることであれば、何でもどうぞ。」


「マーシャさんは、どうしてリリアという名前を知っているんですか?」


 俺の質問に、一瞬彼女は時が止まったようになる。

 だがすぐに、俺から視線を逸らした。


 マーシャさんはメイドの名前を知らないと言っていた。

 そして俺もリリアという名前をただの一度も、誰にも伝えてはいなかった。

 でも彼女は知っていたのだ。

 なぜか。

 それはきっと、彼女がリリアの教え子だからだ。


「たぶんですけど、マーシャさんはリリアの教え子なんですよね? 

 だから名前を知っていた。」


 俺の質問に、彼女は諦めたように返事をした。


「えぇ、そうよ。昔ね、危ないところを彼女が助けてくれたのよ。それがきっかけで、わたしは彼女に弟子入りしたの。」


 彼女は、自分の過去を少しずつ話し始めた。

 魔物に襲われ、殺されそうになっていたところを、たまたま彼女に救われたそうだ。

 そしてその日から、彼女はリリアに弟子入りした。

 やがて腕を上げたマーシャさんは、ミスリルエント級の冒険者となった。

 だがそのパーティで、自分以外の全員が魔物に殺され、自分一人だけが生き残った。


「たぶん、わたしたちは調子に乗っていたのよ。だからちゃんとした準備も行わず、クエストへと出発した。

 それがこの結果なの。

 そしてわたしは、その時の恐怖と自責の念に耐えられず、冒険者を引退することにしたわ。

 で、今では紛失した仲間のプレートの代金を支払うため、ギルドで働いているってわけ。

 ちなみにこれは、魔石を抜いてあるただのレプリカよ。」


 そう言うと、苦り切った顔の横へ、レプリカのプレートを並べたのであった。


「せっかくリリアさんに色々教えてもらったのに、引退しちゃったでしょ。だから申し訳なくて。

 もちろん彼女は、そんなわたしの選択を尊重してくれたわ。

 でも、わたしの方が彼女と話をするのも気まずくなっちゃって、こちらからは話しかけなくなったの。

 彼女もそれを察したのか、ギルド内では必要最低限にしか会話をしなくなったわ。」


 だから俺をリリアに紹介する時、あんなにも歯切れが悪かったのか。

 今更リリアに、自分の名前を出して欲しくなかったから、噂ということにしたのだろう。

 でもこれで、リリアが嘘をついていることが証明された。

 彼女は、教え子を食べたりなんかしていない。


 よし、疑問は一つ解消された。

 後はなんだ。そうだ、どうして今日なのかということだ。


 たまたま今日を期限に決めていた?

 それとも季節的な何かが関係しているのか?

 それでいて、彼ら魔族に関係しているもの。

 例えば、何か周期的なものとか。


 ん~、もしかして。


「マーシャさん! 話変わってすみませんけど、次の新月っていつですか?」

「って、本当に話変わるわね。まぁいいけど。次は一ヶ月後よ。ちょうど今日が新月だから。」


 今日が……新月?

 その瞬間、頭の中に立ち込めた霧が、少しずつ霧散していく。

 バラバラになったパズルのピースを、俺は頭の中で綺麗に並べてみた。


 今日が新月であること。

 新月の夜は魔物が活発になること。

 二人が魔王の座を奪おうとする魔物から身を隠していること。

 彼らが嘘をついてまで、俺たち二人を遠ざけたかったこと。

 そして謎の来客と、神格級魔法の存在を知っていた獣人の少女。


 俺の知らない情報、決定的な何かが欠けているような気がする。

 点と点が綺麗に線で結ばれるためには、やはり鍵となるのは、謎の来客と獣人の少女だ。

 でもここまで情報が揃えば、大体の予測はつく。

 やっぱり、今すぐにでもあの二人のところに向かわなければいけない。


 そこまで考えると、俺は勢いよく立ち上がった。

 マーシャさんとテスラは、呆気にとられた表情となって固まった。


「テスラ、悪い! 俺ちょっと出かけてくる! 

 もし俺が明日になっても帰って来なかったら……。

 その時は、家族のところに一人で帰ってくれ。

 それで、もし俺が帰って来たら……。

 その時は……、あの質問の答えを聞かせてくれないか?

 約束だぞ?

 それじゃあマーシャさん! すみませんけど、後はお願いします!!」


「え!? ちょ、ちょっと!! 急にどうしたの、アレン君!?」

 

 俺はテスラとマーシャさんの様子を確認もしないで、そのまま店を飛び出した。

 そして、慣れ親しんだあの屋敷へと全速力で駆け出した。




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