22.巨兵の炎
闘技場の舞台を見下ろすことのできる観客席。獣の耳を持った少女が愉快そうな表情で、一人の冒険者に熱い視線を送っていた。
「結局、答えてくれなかったニャぁ、アレンちゃん。でも、この試合で確かめればいいことニャ。」
その時、会場が嵐のような歓声へと一斉に包まれた。
それまで獣人の少女を気にしていた周囲の観客たちも、例外なく闘技場の舞台へと視線を注いだ。
場内では、若い冒険者が対戦相手を壁へと蹴り飛ばしたところであった。
「あちゃ~……。あのおじさん、ベッドの上で大口叩いてた割には、思ったより弱かったニャ。まぁ、働いてもらうのはこれからだけどニャ。」
それは、会場の誰もが勝者は決定したと感じた瞬間であった。
そこへ、一人の獣の少女がつぶやくように詠唱する。
「〈狂人化〉。」
突如、気絶していた対戦相手の位置から、爆煙が上がる。
と同時に、そこには膨大な闇の魔力が立ち込めた。
「さぁて、アレンちゃん。本当の優勝決定戦はこれからニャ。君の力、見せてちょうだいニャ!」
少女の腰から生えた尻尾だけが、左右へ踊るように揺れていた。
ΔΔΔ
数ヶ月に及ぶリリアとの訓練で磨かれたのは、何も剣術や魔術に限ったことではない。
言うなれば、それは戦士としての第六感。
敵からの殺気や、強者と対峙したときに感じる、ことばでは言い表すことのできないような感覚的なもの。
そして今、それを目の前の敵から痛いほどに感じている。
その全神経たちが声を上げて合唱している。
早く逃げろと。
フィールドやダンジョンで出会っていたなら、俺は間違いなく離脱しているよ。
でもここじゃダメだ。
俺が逃げれば、あれは誰彼構わず暴れ回る。
そうなれば、リリアやマーシャさんが相手をしてくれるかもしれない。
でも、そんなダサいことができるか?
男が逃げ出して、後は女に任せるだなんて。
俺はごめんだね。
リリアが襲われた日、もう逃げないと誓ったんだ。
それにあいつの相手は俺だ。
だったら、やってやるよ!
そう考えた瞬間であった。
狂人化したアーロイは、ジェットエンジンのような勢いで駆け出すと、すでに俺の目の前で殴り飛ばすような体勢を整えていた。
はやっ…………!!
気がつけば俺の鍛え上げた神経が、アーロイの膨れ上がった腕から、紙一重で回避させていた。
その攻撃は、顔のすぐ真横をまるで戦闘機のミサイルが通過したかのような風圧を発生させた。
俺はそんな攻撃の連打を浴びる前に、後ろへ飛びすさって相手との距離を取った。
理性を失ったアーロイは獣のような唸り声を上げると、俺の方へと顔を向ける。
さてどうする。早く方針を決めないとまずいぞ。
こっちも強化をするか、それとも速度を上昇させるか。
はたまた別の何かを考えるか。
いずれにせよ、あれを使わないと勝てそうにねぇな。
俺が密かに実験をしていた魔術テクニックの一つだ。
三重詠唱を使用しない条件で唯一、現状を打開できそうな魔法技術。
それは、マナの圧縮。
マナを体内に取り入れて魔力に変換する際、それらを圧縮するイメージで密度を上げてやる。その場合、何も考えずに取り入れたマナの圧縮倍、魔力が膨れ上がることを確認している。
つまり同じ体積のマナでも、中身がすかすかなのと、ぎっしり詰まった濃度の高いマナとでは、どっちが魔力を上げることができるかってことだ。
これは現代のエンジンなどに採用されている技術からヒントを得た。
そしてその実験は、思った通りの結果を俺に示してくれた。
そこから導き出された、俺の魔導回路がオーバーヒートしない限界の圧縮比は5。
つまり、通常の5倍に威力を上げることができる。
問題はこれをどう使うかだ。
一つ目は、通常の強化魔法を5倍にして、筋肉馬鹿同士の乱打戦に持ち込む作戦。
これは相手の力に競り負けた場合、それは俺の死を意味している。
リスクが高すぎるな。却下。
二つ目は、通常の加速魔法を5倍にして、軽い攻撃を何度も当て続ける作戦。
これは俺の攻撃が軽すぎるため、相手にほとんど通じない可能性がある。仮に全ての攻撃を回避できたとしても、蟻が象に戦いを挑むようなものだ。
その内に魔導回路がオーバーヒートして時間切れだ。却下。
三つ目は、敵の動きを止めて、そこに俺の重い一発を食らわせる作戦。これならば、時間もかからないし、打ち合う必要もない。
問題は、あの理性を失ったバーサーカーのようなアーロイを、どうやって止めるかってことだ。
クソッ! 時間がねぇ!
とにかく当たって砕けろだ! いや、砕けちゃダメだよな。
「〈巨兵の〉〈焔球〉!!(圧縮バージョン!)」
初めて魔法を発動させた時、〈わずかの〉を使ったが、〈巨兵の〉はその対極にある瞬時魔法だ。もちろん、要求される魔力量も段違いだ。
要するに、回避しようのないほどにバカでかい火の玉を、あいつに投げつけてやるのだ。
神の息吹と呼ばれている大気中に漂うマナを、凝縮させるように体内へと取り入れる。
と同時。
濃密なマナが余すところなく、俺の全身を駆け回った。
その瞬間、体中に張り巡らされた魔導回路が共鳴するように唸りを上げる。
上質な燃料を注入されたレシプロエンジンが、ピストンの往復運動を加速させて一気にその回転数を跳ね上げるが如く。
「おあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
魂を揺さぶるような溢れ返る魔力に、堪らず咆哮。
空へ掲げた俺の手のひらの上に灯った焔は、太陽のような輝きを放つ巨大な玉へと瞬く間に成長した。
よく考えたら、観客の皆さんを余裕で無視しているな。
でも今更、作戦を変更させるわけにはいかねぇよ。
黙って殺されるわけにはいかねぇんだ。
それに計画通り行けば、観客に被害は及ばない。はず……。
そして俺は重さの感じない太陽を、アーロイへと全力で投げつける。
投げた方向にいる観客たちの逃げ惑う姿が、俺の瞳に映った。
逃げ場のない狂戦士は、獅子のような雄叫びを上げる。
どうやら、真っ向力勝負をしてくれるようだ。
まるでドでかい壁を押し返すように、アーロイは巨大な〈焔球〉を両手で受け止めた。
やつの周囲を、黒い瘴気が覆い尽くす。
だが次第に、その両手は青白い炎の中へと吸い込まれるように消え始めた。
このままだと、あいつは死ぬかもしれない。
そろそろ時間だ。
俺は太陽と大地の隙間から回り込み、アーロイの側面へと躍り出た。
そしてそのまま勢いを増して、更に加速させる。
「〈消えろ〉! そして、〈強化〉!! (圧縮バージョン!)」
詠唱を終えた瞬間、消去のことばで先ほどまでの業火は一気に鎮火する。
突然消えた壁のせいで、アーロイは前傾の姿勢を大きく崩して前のめりとなる。
そこへ俺が地面を滑るように疾駆する。
アーロイ、これで終わりだ。
おめぇはもう寝ろ!!
「うおらぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
俺の拳が、狂人の顔面へとめり込んだ。
その後は、独楽のように錐揉み状態となり、本日二度目の壁へと激突する。
「はぁ……。はぁ……。もう……、起き上がってくんじゃねぇぞ……。」
狂戦士は、人形を投げつけたような姿勢のまま、決して立ち上がることはなかった。
その後、俺は優勝ということになったのだが、マーシャさんやギルド職員の方にこってりと叱られた。
アーロイが明らかに常軌を逸した状態となった時点で、試合を中断しようとしたらしい。それを俺が、あんな無茶苦茶な魔法を発動させたせいで、誰も動くことができなくなったようだ。
結果的にアーロイ以外の人的被害はなかったから良かったものの、一歩間違えば冒険者の資格を剥奪されかねない事態であった。
最後にマーシャさんは苦笑しながら、当分の間武闘祭は中止になるでしょうねと言っていた。
何だか、ほんとすみません。
まぁ俺としては、アレンのプレートを取り戻すことができたから、よしとするか!
ΔΔΔ
「へぇ~やるじゃニャ~い、アレンちゃんてば。でも神格級とは程遠いニャ~。
ってことはぁ~、本命はやっぱり神官の方ってことなのかニャ?」
そんなことを考えていた時である。
ローブを被った人物が観客席から飛び降り、アーロイの元へと近付いた。
殺到した職員や冒険者たちでごった返す闘技場内に、その人物を注視する者はいないようであった。
「ん~? んっ! ほうほう。ニャるほど、ニャるほど~。」
獣人の少女は、歓喜を押隠すような微笑みを口元に浮かべる。
そして人知れず、闘技場から姿を消したのであった。
ΔΔΔ
その夜、屋敷へと戻った俺たち三人は、ファーガソンさんへ結果の報告を行った。
「おめでとうございます、アレン君。そしてご苦労様でした。それにしても最後の決勝戦の相手、三重詠唱を使わずに勝ってしまうとは、本当にお見事。さすがアレン君ですね。ほぉほぉほぉ。」
ファーガソンさんはいつもと変わらない優しい表情を浮かべている。普段の彼と比べると、心なしかより一層愉快そうに感じられた。
「いや~ほんと、死ぬかと思いましたよ。まさかアーロイが、あんなに強くなるとは思わなかったので。」
「そのことについてですが、旦那様。あれはきっと彼自身の力ではなく、他者による魔力操作の可能性が高いと考えられます。しかも、使われたのは闇魔法……かと。」
リリアの表情が一層険しくなる。
「ふむ。そうですか。アレン君、何か心当たりはございませんか?」
確証は全くないのだが、そう聞かれたときに思い浮かんだ人物が一人だけいる。
あの獣人の少女だ。
でもそれを説明するには、テスラのことを言わなければいけない。
俺は隣のテスラを視界の中心に入れた。
彼女も何かを感じ取ったのか、その笑顔は次第に神妙なものへと変化していった。
彼女を見つめながら、俺は確認するように力強く頷く。
「ファーガソンさん、実は…………」
テスラが神格級魔法の使い手であること、そして控え室で獣人の少女に声をかけられたことを彼らに説明した。
俺の話を黙って聞いていたご老人は、最後に一言。
そうですかと言った。
その表情は、まるで頑張った息子を労うような、本当に優しいものであった。
ΔΔΔ
今この部屋には、俺とファーガソンさんの二人しかいない。
テスラとリリアは、遅い夕食の準備へと取り掛かった。
「ところでアレン君。武闘祭を優勝したあなたへ、細やかながらわたしからプレゼントがあります。」
そう言うと、左手の中指に嵌められていた指輪を抜き取った。
それは割と大きめの黒石が嵌めこまれた、歴史を感じさせる重厚感の漂う指輪であった。
まぁ、単に骨董品に見える指輪とも言えるのだが。
ただ不思議と、漆黒に輝く石を見つめていると、その闇の中へと意識が吸い込まれそうになる感覚を覚えた。
「若いあなたにこんな老人趣味の指輪をお渡しするのは少々気が引けますが、受け取ってもらえると嬉しく思います。」
だが俺は、差し出された指輪をすんなりと受け取るわけにはいかなかった。
「え、でも……。それは大切な物なんですよね? だったら、たかが武闘祭で優勝したぐらいで、そんな大事な物を受け取るわけにはいきませんよ。お気持ちだけいただきます。」
「いいえ、アレン君。武闘祭で優勝することは大変立派なことですよ。それにこれは、もう決めていたことですから、あなたが気にする必要はありません。さぁ、どうぞ。」
そこまで言われたら、断るわけにはいかないよな。
皺だらけの手の上に寝転んだ指輪をそっと摘まみ上げると、俺は左手の中指に嵌め込んだ。
すると不思議なことに、サイズの合わなかったリングの部分が一気に収縮した。ちょうど俺の指径に合わせるように。
常温でこんなに変形をするなんて、一体何の金属を使ってんだよ。
いや、このファンタジー世界で、そんなことを考えるのは無駄なことだったな。
「ほぉほぉ。不思議でしょう。それは魔法金属のオリハルコンで作られています。魔石の方も、少々特別なものが嵌め込まれております。」
俺の表情を読み取ったのだろう。彼はそんな説明をしてくれた。
「本当にそんな貴重な物をいただいても?」
「はい、構いません。それにわたしには、もう必要のないものですから。」
彼のことばの意味はよく分からないけれど、くれるというのだから有り難く頂戴しておこう。
「それと、もう一つ。おまじないのことばもお教えしましょう。使うことはないと思いますが、ついでにプレゼントです。ほぉほぉほぉ。」
そう言ったファーガソンさんの目色は、終始柔らかなものであった。
そしてそれから数日後のことだ。
珍しくも、この屋敷へ客が訪れたのは。




