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17.ひな鳥のタイマン

「前から一つ気になっていたんですけど、ファーガソンさんやリリアさんは、どうして俺たちにここまで親切にしてくれるんですか? いや、そもそも、俺みたいな冒険者をどうして弟子にしたのかってのもよく分からないんですけど。」


 翌朝、太陽が昇り始めて間もない、馬上での会話だ。

 徒歩よりも少し早い程度の速度で、ゆっくりと進軍していた。

 もちろん、俺の後ろには誰も乗っていない。

 さようなら、俺の柔らかいクッションたち。


「今更な質問ですね。ん~……、気になりますか?」

「そりゃ、もちろん。」


 どうしたものかという雰囲気で少し上を向いたリリアさんであったが、たまに見せる悪戯っぽい笑顔を俺に向けると一言。


「それは……、ひみつです。」

「えぇ~! 教えてくださいよぉ~! まさか、俺の才能を最初から見抜いていたとか!?」

「あ、いえ。そうではありませんが……。」

 

 ですよね。それはそれで少しショックだな。


「まぁ強いて言うなら、アレン君が困っているようだったので。ほんの気まぐれで手を差し伸べた、といったところでしょうか。」


 俺のことなんかまるで眼中にないって感じに見えたけれど、実は気に掛けてくれていたんだな。


「ふ~ん、そっかぁ。そう言やぁ、お二人は今まで何人か弟子をとってきたんですか?」

「えぇ。弟子と言うほどではありませんが、いくつか手ほどきをした冒険者ならいますよ。

 でも、このトレヴルージュの街では一人だけですね。」


 この街では一人? 意外だな。

 いや、そもそも、二人は昔からこの街にいるというわけではなかったのか。


「へぇ~、そうだったんですか。どうりで教え方がうまいと思いましたよ。

 でもお二人のおかげで本当に助かりました。リリアさん、色々とありがとうございます。」


「ふふ。まるで卒業する時のようなセリフですね。

 でも本番はこれからですよ。ほら、見えてきました。」


 小さく笑いながら、彼女は視線を前方へと向ける。

 釣られるように前を向いた俺の目の前に飛び込んで来たのは、広大な森の入り口と小さなベースキャンプのような集落であった。


 この森は冒険者たちの狩場の一つとなっており、いつしか自然とベースキャンプのようなものが設置されたそうだ。そして今ではこのキャンプ地を拠点として、彼らは森で魔物狩りを行っているそうだ。


「やはり、先客はいないようですね。」


 リリアさんが訝しむように目を細めて、小さくつぶやく。


 俺たちは無人のキャンプ地に馬を繋ぎ留め、森の中へと歩を進めた。




ΔΔΔ




「アレン君、あの洞窟の入り口に立つ魔物が見えますか? あれがオークです。」


 木陰に身を隠しながら、彼女は目線だけで合図する。


 遥か先に見えるぽっかりと口を開けたような洞窟の入り口付近に、人型の魔物が周囲を警戒しながらのっそりと佇んでいた。

 

 俺の想像とは違っていて、豚顔というわけではなかった。だが、ひどく醜悪そうな表情をしている。

 片手には粗く削り出したような棍棒と、もう片方には木製の盾のようなものを装備している。


「あいつを今から倒して来いってことですね?」

「いいえ、アレン君はここで少し待機しておいてください。わたしがあのオークを捕獲して来ますので。」


 そう言うと彼女は、俺の隣から音も無く消え去る。


 そしてそれは、本当に一瞬の出来事であった。

 何かの物音がして横を振り向くオーク。

 しかし、何も発見することなく顔を正面へと戻した瞬間、横薙ぎの痛烈な手刀が顎にクリーンヒットする。

 そのオークはうめき声一つ上げることなく、白目を剥いて目の前に崩れるように倒れ込んだ。

 リリアさんはその体を静かに受け止める。そしてこちらに視線を投げると、森の中へと消えた。


 これは付いて来いってことだよな。

 それにしても何ちゅう早わざなんだよ。


 リリアさんは大男を肩に担いだ状態にもかかわらず、軽快にどんどんと進む。

 荷物(・・)を抱えてあんな速度で森の中を走れるのは、魔法を使っているからだ。

 そしてしばらく走った後、俺たち二人は少し開けた場所へと出る。


「ではアレン君。今からこのオークと戦ってもらいます。わたしからは特に指示はありませんので、自分の思うようにやってみてください。」

「わ、わかりました。」


 まるで親鳥がひな鳥に餌を与えるような感じだ。

 まぁ、ヒヨっ子冒険者の俺にはぴったりだな。

 さて、遂に実戦だ。


 さっきから、心臓が馬鹿みたいに高鳴っているのが自分でもはっきりと分かる。

 命のやり取りってやつは、こんな感じなのか。

 でも、思っていたよりも落ち着いているな。

 それはたぶん、今まで必死に訓練をして準備をして来たからだろう。

 たしか大学を受験する前もこんな感じだったか? 

 ここまで勉強したんだから、俺は絶対に合格するはずだ、みたいな。

 まぁそれとこれではレベルが全然違うけどな。

 でも、やってきたことに対する揺るぎない自信ということでは、どちらも同じだ。


 そんなことを考えている間にも、リリアさんがオークの上体を起こし、その背中に目覚めの掌底を叩き込む。

 俺はその様子を黙って見つめていた。

 まるでその掌底によってゴングが鳴らされたみたいだと、そんなことを思った。


 意識を取り戻したオークは首を何度も左右に振ると、きょろきょろと周囲を見回した。

 そしてすぐにリリアさんと俺を見付けると、唸り声を上げて立ち上がる。

 もちろん同時に棍棒を拾い上げる。

 どうやら、狙いを俺に絞ったようだ。

 本能的に俺の方が弱いと悟ったか。


強化(レイフォース)


 さすがの俺も、魔物相手に生身の体で戦うようなことはしないよ。

 万が一ってことも考えられるからな。

 かと言って、オーク相手に速度で圧倒するっていうのも違う気がするんだよな。

 だから俺は、先ず身体的な強化を行う魔法を使った。レベルで言うと神官級程度で、数値的には約五割増しってところかな。


 俺はオークに向かって一気に駆け出した。

 俺が接近するのを確認すると、相手も駆け出して棍棒を振り上げる。

 次の瞬間、オークが振り下ろそうとした腕を止めると同時、俺は渾身のストレートを鳩尾に叩き込む。

 俺の攻撃力が単純に弱いのか、鳩尾が急所ではないのか分からないけれど、そこまでダメージを与えた感じは見受けられない。ちょっと後ろに仰け反らした程度だ。

 逆上したオークは、その後も同じような棍棒での攻撃や蹴りを繰り出したが、俺がことごとく阻止してカウンターを決めるという、一方的な展開が続いた。

 そして遂に、顔面へのカウンターを正面から食らったオークは、尻餅をついて倒れた。

 今までの蓄積されたダメージのせいか、立ち上がろうとしない。

 もしくは、他に何か思惑でもあるのか。


 正直、ここまで一方的な展開になるとは思っていなかった。

 もし仮に今の気持ちはどうですか、なんてインタビューをされれば、全国への生放送中だろうが何だろうが気にせず、クソみたいな気分だと言わざるを得ない。

 何だかまるで、弱い者いじめをしているような最低の気分だ。今後魔物と戦う時は、こんな痛ぶるような真似だけは絶対にしないでおこうって思えるほどに。

 もしかすると、リリアさんがテスラを遠征に連れて来なかったのは、こんな状況を見せたくなかったからかもしれない。


 ここまでだな、そう考えた俺は剣を抜く。

 が、次の瞬間、俺は自分の耳を疑った。


「ダ、ダスケ……テ。オ、オネ……ガイ……。」


 え……?

 う、嘘だろ? やめてくれよ、そんなことを言うのは。

 そんなチワワみたいな瞳で命乞いなんかするんじゃねぇよ……。

 それにオークって、ことばを話せたのか? 

 聞いてねぇぞ、そんなこと。


 オークのそのことばを聞いた瞬間、俺はつい反射的に剣を下ろして構えを解いてしまった。


 その時だった。


 地面に転がった棍棒を手に取り、不敵な笑みを浮かべるオークと目が合う。

 だがそれは、胴体から切り離されて打ち上げ花火のように舞い上がる、()とではあったが。


 低い構えの姿勢から立ち上がり、リリアさんは俺に向き直る。

 いつもとあまり変わらない表情だが、俺には分かる。

 明らかに俺を非難、いや叱責する色をその瞳に滲ませているということを。


「リ、リリアさん、すみません。俺て、ぶへぇっ!!」


 強烈な平手が、俺の頬を打ち抜いた。


「アレン君。わたしとの約束は覚えていますか? 今のは、わたしがいなければ死んでいましたよ。いえ、なまじ身体を強化した分、逆に致命傷には至らず、苦しみながらオークに内臓を食われていたでしょうね。」


 そのことばの内容を考えると、背筋が凍ってぞっとした。


「すみません。まさか、オークがことばを話すとは思わなかったので。」

「あれは我々のことばを真似て発した音にしか過ぎません。彼らも意味は分かっていませんが、きっと今まで殺してきた冒険者たちが口にする、最も多いことばなのでしょう。

 そして彼らは経験上知っているのです。それを口にすれば、冒険者に隙の生じる可能性があるということを。ただそれだけのことで、それ以上でもそれ以下でもありません。あまり深くは考えないようにしてください。」


 言い訳をしたって仕方がない。

 今のは俺の責任だ。危うくオークの朝食にされてしまうところだった。

 気を引き締めていかないと、命がいくつあっても足りない。


 俺たちはオークの死骸を焼却すると、先ほどの洞穴へと戻った。


「ではアレン君、今からあの中にいるオークを全滅させますよ。おそらくメスや子供のオークもいると思いますが、変な気は起こさないことです。」

「子供のオークも……ですか?」


「はい。彼らの繁殖能力は異常に高いですし、放っておけば他の冒険者や近くの村を襲い出す可能性もあります。イタチごっこにはなりますが、どうせ全滅させても他のオークの集団がいずれ棲み着きます。」

「…………。」


 それでも俺は、今一つ心を決められずにいた。

 泣き叫びながら逃げ回る子供のオークを、俺は果たして本当に殺せるのだろうか?


 その様子を見兼ねたリリアさんが小さく溜息をつく。


「いいですか、アレン君? 殺すと決めたら、即座に殺すのです。戦いの中に、迷う時間など存在しません。

 どうしてもできないというなら、冒険者を辞めて街の中で安泰に暮らすことを考えた方がいいでしょう。

 わたしはそれも、一つの正しい選択だと思いますよ。さて、どうしますか?」


 強く握り締めた拳から、俺はゆっくりと力を抜いた。


「いや、やります。もう少し付き合ってください。先生!」

「分かりました。では、行きましょう。」


 小さく微笑んだリリアさんから、感情が消える。


 よし。やってやる。

 殺すと決めたら、すぐに殺す。


 俺は心のスイッチを入れる。


 その後は、ただの蹂躙だった。

 一体、どちらが悪党なのか分からないほどに。

 一切の反撃を許さず、俺の剣は相手の喉元、心臓を貫く。

 空中を旋回する白刃は、オークの頭と胴体を切り離す。

 一発で首を斬り落とすというのは、本来素人にできることではないのだが、そこはアレンの体が覚えていた。

 そして、メスや子供のオークも、出来る限り苦しまないように殺した。


「終わりましたか? では一度外にもどりましょう、アレン君。」


 松明によって照らし出された中に、彼女の声だけが暗闇から聞こえる。


「はい、先生。それにしてもこの臭い。何だか、血の臭いだけで頭がおかしくなりそうですよ。」

「ふふっ。アレン君は(・・・・・)そうかもしれませんね。まぁでも、いずれ慣れると思いますよ。」

「そうっすかねぇ? とてもじゃないけど、慣れる気がしないなぁ。」


 何と言ったらいいんだろう。この生臭い感じの臭い。

 今にも吐きそうだ。


 そして俺たち二人は入り口付近まで戻った。

 白く輝く小さな穴が、近付くにつれて大きな出口へと変化する。


「さて、アレン君は先に外へ出ておいてください。わたしはここから、すべてのオークを焼き払いますので。」

「了解です、先生。」


 正直、臭いで限界だった俺は、リリアさんを手伝うという選択肢が頭から完全に抜け落ちていた。

 洞窟から出たところで、降り注ぐ太陽の元、俺は大きく伸びをする。

 そして何気なく、右側を向いた時だった。


 それは、上下へと大きく口を開き、猛烈な勢いで駆け寄って来た。

 俺を頭から丸呑みにするという明確な意思を露わにして。


 忘れようとしたって、無理だ。

 今でもしっかりと頭に焼き付いている。

 あれは。


「ベ、ベヒモスっ!?」


 あの時の恐怖が蘇る。そして、体が硬直する。

 まただ。

 俺は一体何のために訓練をしてきたんだよ。

 こんな時に対処できるようにするためだろ。

 駄目だ。やられる。


 その時、俺の横腹が強烈な鈍痛を感じる。

 振り向けば、リリアさんが俺を蹴り飛ばそうとしていた。

 おかげで、俺は何とか安全圏へとぶっ飛びそうだ。


 で、でも。それじゃあ、リリアさんが。

 何だよ、その心から安堵したような表情は。

 俺のことなんていいよ。

 もっと自分のことを考えてくれよ。


 まるでスローモーションのように、展開する光景。

 リリアさんの右腕を丸呑みするベヒモス。

 そしてその強靭な牙が、彼女の肩口へと食い込む。

 右肩から先は、獣の口の中へと消えた。




「ぐっ! あ、ああああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」


 彼女の悲痛な叫び声だけが、俺の耳の中でいつまでもこだました。




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